第二十二話
オスティスはメフィストフェレス王の天蓋付きベッドの下で、ひたすら息を殺していた。このベッドはまさに“キング・サイズ”のベッドで、目にも彩な趣味の悪い緋色の布団が掛けられてある。
この部屋に来る前、兄のアズライルはシャラグリア城に突入する旨をオスティスに告げていた。夕餉の時間で、二人はシャラグリアの汚い安宿で食事をとっていた。それはオスティスにとっては、救出されて始めて寛いだ時間だったと言っても過言ではない。
「危険だろ、兄さん?」
「だが、お前の本来の能力を取り戻すには、こうするほかは無いんだ。それに、何と言っても、四年前までは俺達、あそこに住んでいたんだぜ」
「うん……だけど、俺、全然覚えていないんだよ」
「そうか、残念だな」
そう淋しく言うと、アズライルは杯を傾けた。
アズライルはオスティスよりも、5〜6才は年上のように見える。その整った顔立ちは高貴な品格を持ち、どんなに汚れた服を着ていてもそれは拭いようがない。本来、シャラグリアの王になるはずだったのだから、それは当たり前かも知れないが。
「ねぇ、兄さん」
「ん?」
「俺は何にも思い出せない。だから、一度俺と俺の家族、そして今までのいきさつについて語ってくれないか?」
「そうだな。忘れているものを無理に思い出そうとしても、それは仕方のないことだ。だったら、今一度お前と俺のことを語ってやろう。そうしたら、お前だって何か思い出すかも知れん」
そう言われて、オスティスはニッコリと微笑んだ。その顔は暗殺された亡き父王よりも、母親の故王妃に似ていることにアズライルは今更ながら気付いた。
「お前と俺は五つ違いの兄弟だ。そして言うまでもなく、正当なシャラグリアの継承者、それは分かるな?」
「うん、何となく」
とオスティスは頼りなさそうにつぶやくばかり。
「俺達の母親、イリスは偉大なヘルメスで、そして愛情深い母親だった。
母はお前を生んだ時に、ある魔術をかけた。それはお前が将来国を栄えさせる“ある力”を持っていることを予言できたからだ」
「待って! 将来王になるのは兄さんのはずでは?」
「そうだ、けれども母はその力は、王になるためではなく、もっと……何というか、全ての人々の為に使える力だと言っていた。その力を行使する為に、母はお前の左手の小指に煌くオパールの玉の付いた指輪をはめさせた。そのオパールの指輪は、お前が大きくなるに従って指輪自体も広がり、決してお前の指から抜けることは無かったのだ。そのオパールはお前の力や知恵の源なんだ。だが、サスキアに背後から切り落とされた瞬間、お前の体内の”力”は無くなってしまったんだ! と、同時に記憶もまた……。
けれども母は預言していた。つまり、そのオパールの指輪さえあれば、もう怖いものはないと。けれども、俺達の母親は俺達が小さい時に、亡くなってしまった」
「母は、もう居ないんだ……」
「そうさ、そんなことも忘れているのか!」
アズライルは苦笑した。
「ま、仕方ないな。今のお前はお前であってお前ではないのだから」
「その力は、どうして俺にとって必要なんだろう?」
「それは、ある箱が湖の中に沈んでいるが、その箱の鍵をお前が身に付けているからだよ」
「何も持っていないけど?」
「馬鹿だな、それは“もの”じゃない。お前は『赤獅子』と呼ばれていたが、そのお前と『百合姫の蒼玉』が合体すると、その鍵の秘密が現われることになっている」
「その箱の中には、何が入っているの?」
「それは、“光”だ!」
「光?!」
「そう、暗闇に打ち克つ“光”。その箱を手に入れれば、もうこの世の中には真の闇が存在しなくなる。夜になっても、どこかに光がある。人間はその光に頼ることができる。そしてその光は、希望となって、心の中をいつまでも照らす。人間はみんなその”光”によって救われる。分かるか?」
オスティスはただ頷いただけだった。
「けれども、それを邪魔する”ある者”が存在しているんだ。そいつは、メフィストフェレスに取り憑き、その光の箱を奪おうとしている。そして、アンラ・マンユと呼ばれている連中もね」
「兄さん、アンラ・マンユって何者だ?」
「まあ、何というか、そいつらは人間であって人間ではない、生者でもなく死者でもない、ちょうど宙ぶらりんな奴らなんだよ」
「じゃあ、魑魅魍魎とか妖怪変化のたぐい?」
アズライルは思わず、プッと酒を噴出してしまった。
「そうじゃない。説明するのは難しいな。
奴らは闇の中に居るんだ。それは文字通りの闇ではなく、心の深淵にある闇というのかな? だからこそ、奴らも”光の箱”を狙っている」
「ふ〜ん」
オスティスは頷いた。
「母の死後何年も経ち、ある日父王が暗殺された。毒殺だ。俺はその側に居た。ちょうど、父王の飲み干した杯を持っていたのだ。そこにメフィストの野郎が現われて、叫んだ。『お前は人殺しだ! 父親を暗殺した!』とね。あいつとその妹サスキアは、権力が欲しくて、どうやら”ある者”に魂を売ってしまったらしいな」
オスティスは長い間沈黙していたが、やがて悲しげに頷いた。
「そうか。何となく飲み込めたよ」
「イマナと言う貴族の娘が『百合姫』と呼ばれているのを知っているか? ウェレの“あれ”らしいんだがね」
アズライルは片目をつぶると、小指をちらっとあげて見せた。
「いいや……。俺は今考えていたんだ。俺を助けたアルディアの名前もまた『白百合』と言う意味だということをね」
「―――!」
アズライルは今の話に驚いたように、絶句した。
「白百合か……。白百合の姫、『百合姫』なのかな、彼女もまた。実はウルギス・ハーン国のアルディア皇女は、政略結婚でメフィストフェレスと無理やり結婚させられる、と聞いていたが……」
「アルディアが?!」
オスティスの心が暗くなった。それが何故かオスティスには分からなかったが、アズライルは弟の顔付きを見て、何となく判断した。
― ちぇっ、こいつ、あの皇女にぞっこんかも知れんな。
二人は食事をたっぷり取ると、闇の中水晶の城シャラグリア城へと乗り込んだのだった。
けれども結果は惨憺たるものだった。なぜかアズライルの行動は読まれていた。そして二手に分かれたのち、オスティスはここまで辿り着いたものの、彼はアズライルがサスキアに捕まってしまったことをまだ知らない。
今華麗なベッドの下で、オスティスはどう戦おうかと思案していた。
そこへ、コツコツという足音が響いて来た。
― 来たぞ!
オスティスは胸の高鳴りを覚え、戦闘体勢に没入し始めた。