第二十話
鳥籠の中に囚われた少女、イマナ。その存在を確認し、マナフの影に同化していたウェレは内心で舌打ちしていた。
(くそっ、これじゃ手の出しようがねぇ……)
イマナが囚われている場所であるここには、いつであろうと誰かが必ず見張りになっている。特に、シュゼールがこの場にいる事が多いのが厄介だった。
半ばオスティスの身代わりとなって囚われたイマナがアンラ・マンユの狙いの一人だと気付いたのはウェレがスパイとなってからだ。オスティスがアンラ・マンユに取り囲まれた時、イマナは自ら囮になったのである。それから行方不明となっていたイマナが、まさか囚われの身になっていようとは、彼女の力を知っているウェレには信じがたい事であった。
それがあんな痛ましい姿になっている事に、怒りを覚える。だが、ここで冷静さを欠いて飛び出してしまえば、集中攻撃に遭うのは目に見えている。今すぐにでも助け出したい衝動を堪え、ウェレはその時の会話を聞いていたのだった。
ウェレがアンラ・マンユのスパイとなっているのは、イマナを助けるためだ。空間を自在に移動できる力を利用し、丁度アルディアと接触したマナフの影に潜む事で、ようやくアンラ・マンユの中枢とも言えるこの場に来れた。だが、ウェレ一人の力ではイマナを助けるのは難しい状況だ。
助け出すには、最終的にアズライル達がアンラ・マンユと全力で戦っている時でなければ隙がないだろう。
恐らく、ウェレがアンラ・マンユと接触している事に、アズライルは気付いているのかもしれない。ウェレの独断行動ではあるが、アズライルとは長い付き合いだ。それに、四人の中でアズライルは洞察力と判断力が最も優れている。
気付いていてもおかしくはない。
そうして一旦、アズライル達と合流したウェレに、オスティスが一瞬だけ不審げな視線を向けた。
(今はまだ言えねぇな……。どう思われようと、イマナを無事に助けだせるその瞬間までは――!)
オスティスの視線を受け止め、思いを隠し、ウェレは笑ってみせたのだった。
闇が満ちる。
「――時が動き出す」
「……はい」
語り出した声に、応じる声。
「アズライルはまだ我に気付いてはいない……。シュゼールは我の力を得ようと動いている……。メフィストフェレスは既に我が支配下にある……」
笑みを含んだ声が静寂の闇の中に響く。
「……やはり、鍵は奴となりますね」
静かに、闇が揺れる。その言葉が示すのは、ただ一人、オスティス。
「奴こそ鍵だ。我の封印を解く鍵であり――」
「――あなた様を完全に消し去る事が唯一可能な者でもある……」
声が続く。闇が濃度を増す。
その真意は、肯定。
だからこそ、サスキアやシュゼールを誘導し、オスティスが力を使えぬようにしたのである。
「……やがて、全ては動き出す」
またも、笑みを含んだ声。じわじわと、抑えられた邪悪な喜びが辺りにひろがって行く。そして、それを敬う声が続いた。
「全ては、あなた様復活のために――」
アズライルは思案に耽っていた。
オスティスと再会する事はできたが、それで全てが解決したわけでも、解決するわけでもない。オスティスが戦う力を取り戻さなければ、アンラ・マンユやメフィストフェレスと戦うには戦力不足だ。ただでさえ、イマナと言う少女がいないのである。アズライルと直接的な関係はないとは言え、トリスメギストスであった彼女は大きな戦力であった。
アンラ・マンユを動かしているシュゼールと言う男も厄介だ。グノーシスとしての力は恐らく最強だろう。アズライルの力ですら、勝てるかどうかは怪しいところだ。前に後をつけていて攻撃するのを躊躇ったのも、シュゼールの力量を測りかねたからでもある。
ウェレの単独行動も目立つ。イマナに好意を寄せていた事を考えれば、気持ちは解らないわけではないが危ない橋を渡り過ぎてウェレの戦力まで減ってしまうのは困る。
口調は荒くなりがちだが、ウェレは古くからの親友でもあるのだ。
「おい、ウェレ、たまには付き合え」
「……ん? ああ」
アズライルはウェレを連れ、泊まっている宿の一階へと下りた。一階は酒場となっている。
「お前が危険だってオスティスに言われたよ」
カウンターの端に腰を下ろし、アズライルはウェレに告げた。
「……マスター、ヴァンヴェール一つ。アズライルはどうする?」
アズライルの言葉には返答を返さず、ウェレはライチを使ったディタ系のカクテルを注文する。
「ジントニックでいい」
ウェレに注文を頼み、アズライルは口を開いた。
「記憶、戦い方、取り戻さなければならないものは多い」
ウェレにはウェレの目的があって行動していると、アズライルはオスティスに告げた。今は協力する形になっているが、ウェレの目的のためにはアンラ・マンユに加担しなければならない事もある。そう言って、アズライルはオスティスを説き伏せた。何よりも効果的だったのは、ウェレが旧友だと告げた事だろう。
記憶が残っていれば、オスティスにもアズライルと同様の推測はできただろうが。
「イマナ、見つけたよ」
「……俺の力ならいつでも貸してやる」
「悪ぃな、いつも」
「お前らしくもない言葉だな……」
出されたカクテルに口をつけ、アズライルは言った。
「先に言っておく、シュゼールの野郎は、その時になったら俺がやる……! あいつだけは許さねぇ」
「……解った。覚えておく」
ウェレのいつになく真剣な、それでいて真っ直ぐな怒りとイマナへの想いが込められた視線に、アズライルは頷いた。
実力的にはアズライル同様、一対一でウェレが勝てるかどうかは怪しいところだろう。だが、ウェレは刺し違えてでもシュゼールに勝つつもりでいる。その覚悟は思わぬ底力を引き出す事もある。
「アンラ・マンユの狙いはオスティスと、お前が持っている首飾りだ。それが何のためかは解らないが、近いうちに奴等も仕掛けてくるはずだ。俺は多分、その時には手出しできない。できれば、敵として扱ってくれ。……あ、勿論戦う時は見逃してくれよ?」
「……いいだろう」
最後はいつも通りの軽めの口調に戻り、おどけてみせるウェレに、アズライルは溜め息と苦笑混じりに頷いた。
「……色々、あったよな」
「ん?」
「お前が国王暗殺者に仕立て上げられて、脱獄したお前を連れたオスティスを俺がかくまって、事情を聞いた俺とイマナな協力する事になって……」
ウェレが遠い目をして語り出す。
脱獄したアズライルはオスティス暗殺を狙うグノーシスを葬った。それが逆に、アズライルがオスティスをも暗殺しようとしたとして騒がれ、顔見知りの近衛兵団との戦闘を、アズライルは攻撃できずに逃走する道を選んだ。目の前で負傷したアズライルを、オスティスが連れて宮廷を脱出し、そのオスティスがウェレの家へ駆け込んで来た。ウェレは事情も聞かずに二人をかくまい、衛兵達をやり過ごしてくれた。
翌日、オスティスとアズライルの失踪を知ったイマナがウェレの家へ「何か知らないか」と尋ねて来てから、怪我の手当てを受けたアズライルとオスティスが事情を語る。その話を聞いて、イマナは即座に協力すると言い出し、ウェレも協力を申し出た。
それからは、ウェレとイマナが主に調査を開始し、アズライルとオスティスはウェレの家に隠れている事となる。ウェレとイマナの動きはやがてアンラ・マンユという組織に目を付けられた。そうして、アンラ・マンユとウェレ、イマナが街中でも度々戦闘を起こし、それによってアズライルとオスティスの所在がメフィストフェレスに感付かれる。
「……包囲されたんだったな」
アズライルの言葉に、ウェレは頷いた。
アンラ・マンユに前面を包囲され、メフィストフェレスの部下に背後を追われ、イマナは前方のアンラ・マンユの包囲網に対しての囮となる事を提案した。ウェレは反対したが、イマナはそれを聞かず、突破口を開くために突撃した。アズライルの静止を振り切り、ウェレもイマナの後を追い、アズライルとオスティスは逆に薄くなった一箇所へ攻め込んだ。
オスティスの力で包囲網を突破できたかと思ったのも束の間、回り込んだシュゼールとその部下に再度二人は囲まれた。戦闘中、後からら現れたサスキアがオスティスの左手の小指を切り落とす。そうして力を封じられたオスティスだったが、その直後に周囲に凄まじいまでの光と衝撃波を放ち、その場から消え失せたのであった。何故か唯一その莫大なエネルギーの発散の影響を受けなかったアズライルが見つけたのは、オスティスが身に着けていた首飾りだけだった。
「……俺とイマナも包囲されたよ」
ウェレは言い、カクテルで喉を湿らせる。
包囲されたイマナは、ウェレに空間転移で逃げるように言った。ウェレの力ならば、逃げる事ができる。それだけでなく、アズライル達の力になる事も、イマナが囚われたとしても助ける事ができる、とも言ったのだ。
「――信じてる」
「……」
「イマナは、あいつは最後にそう言ったんだぜ……。そう言われたら逃げるしかねぇよな」
悲しげに苦笑するウェレ。
咄嗟に移動した先は、ウルギス=ハーンの領土だった。国の境を越えれば、流石に一時的にでもウェレを追う事はできなくなる。そこで、シャラグリアへと向かう隊商に合流すると共に、一人きりになった際にはシャラグリアへ戻り、アンラ・マンユに接触する方法を探したりしていたのである。
「お前だからこそ話せるんだけどな」
ウェレが呟いた。それに一瞬、笑みを見せたアズライルだったが、瞬時に表情を変える。
「――おい」
急にアズライルが席を立った。背後、店の入り口へ鋭い視線と声を飛ばす。
店を出ようとしていた男が立ち止まる。その瞬間に、アズライルはテーブルを飛び越え、男の傍に着地し、肩を掴んでいた。
「――今の会話は筒抜けにできないんでな」
反射的に男が突き出したナイフを、アズライルはその手首を掴んで捻り上げる。男はアンラ・マンユの人間だ。気配と態度で直ぐに解った。
「悪いが、消えてもらう」
言い、瞬間的に足払いをかけて押し倒し、それと同時に奪い去ったナイフをすぐさま男の喉に突き刺した。鮮血が噴き出し、店内が騒然となる。
「行くぞ、場所を変える!」
アズライルがウェレに声を投げる。
「これ、口止め料と迷惑料込みの代金な」
そう言ってウェレは多額の代金をカウンターに置いて立ち上がり、瞬間的にオスティスの部屋に移動し、その腕を掴むと既に人気のない裏路地を走っているアズライルの傍らへと移動した。
「じゃあ、俺は別行動させてもらうぜ」
「解った」
ウェレの言葉に頷き、アズライルはオスティスの腕を掴んで駆け出す。その背後でウェレの気配が消えた。
「え……? ちょっ、兄さん!?」
一人、事情を覚えていないオスティスだけが困惑していた。
(――俺達が動く事で、必ず事態は動く。ここからだ、メフィストフェレスっ!)
真剣な眼差しで前を見据え、アズライルは裏路地を駆け抜けていった。