第十九話
「ウルギスの麗しき姫君・アルディアは連れて来ましたよ」
一つの蝋燭に灯る明かり以外は闇。そんな中で、マナフは告げる。
腰にマナフの手が回されたアルディアは、あからさまに嫌悪を表情に出したまま、しかし一言も口にしない。
「ご苦労」
微かな灯りに照らされたシュゼールは、結んだ両手の甲に顎を乗せ、端的に呟いた。
「おい、シュゼール。こりャァ一体全体、どォ言うこッた?赤獅子ならァいざ知れず、この姫様ォ捕まえンのァ関係ねェンじャねェのか?」
犬歯を剥き出しに、いつでもシュゼールに飛びかかれると言わんばかりに殺気だっているエルスが呟く。壁に背中を預けたまま視線をアルディアに寄せ、頭からつま先までをゆっくりと眺め回し、フンと鼻を鳴らす。
「浅はかだなぁ、エルスは♪その為のアルディア様なんだよ♪」
エルスとは対角線の壁際で、ポロンポロンとリズミカルに、肩から下げた琴を鳴らすチコは、エルスに挑発的な視線を送る。エルスの眉が釣り上がり、ギリッと歯が鳴る。
「ァあ!?テメェ、喧嘩ァ売ッてンのか!?擦り潰すぞクズがァ!」
「……フフン、やれるものならやってみなよ♪」
烈火の如く怒り、猛り狂うエルスを見据えるチコの目は、対照的に冷たい。
殺意の糸が張り詰め、不穏な空気が一つの部屋に流れたのも束の間、
二人は瞬間的に身構え、同時に跳躍し――
「お止めなさい」
カカッ!
――ようとして、動きを止めた。
音の正体は、二人の頬を掠めて背後の壁に突き刺さった、ダガー。ナイフより大きなそのダガーは芸術的に歪曲している。ククリと呼ばれるダガーだ。
「内輪もめしている程、私達は暇ではありません。……というより、ここで貴方方が争ってアルディア様に傷でも負わせれば、それこそ一大事です。殺り合うなら存分に、外で殺って下さい」
部屋の入り口に立ち、告げるのは、ククリを投げた張本人であるプシュケだ。
「プシュケの言う通りなんじゃないかな?短気はよくない」
マナフの言葉に冷静さを取り戻したのか、エルスとチコは視線を絡ませ、気まずさから互いに逸らした。エルスは舌打ちし、ブツブツと独り言を始める。ウィネと会話を始めたエルスを見て、プシュケは僅かに視線を暗くする。
この光景を目の当たりにしたアルディアは、思わず息を呑む。
(……何なの、この人達は)
異質、としか言いようがない集団。
情緒不安定なエルス。
冷淡な目つきのチコ。
軽々と武器を扱うプシュケ。
奇怪な変態を遂げるマナフ。
そしてそのリーダーであろうと思われる、寡黙な男・シュゼール。
「申し訳ありませんでした。驚かれましたか?」
「えっ?」
不意に声を掛けられ、アルディアが振り返ると、プシュケが心配げにアルディアの顔を覗いていた。歳は十三前後、黒い少年と同年齢ぐらいだろう。
ただ、その双眸から窺える感覚的な何かは、幼い印象を与えない。
どんな闇を見ていれば、こんな年齢不相応の輝きが生まれるのか。アルディアには想像も付かない。
いや、
(心の闇は、この娘だけでは、ない……)
マナフも、気品のある立ち振る舞いをしているものの、何かがある。チコもそうだ。明るく振る舞うからこそ、見ようによれば、闇がくっきりと浮き出て取れる。エルスは……恐らく、極度に重症だろう。
「……貴方達。アンラ・マンユと言いましたわね?」
一人、椅子に腰掛けているシュゼールに、アルディアは訊ねる。無言のままシュゼールは頷いた。
「そこの貴方」
「ァあ?俺か?……ンだよ、邪魔ァすンなよ」
口元を歪め、エルスが顔を上げアルディアを睨め付ける。が、アルディアは怯む事なく続ける。
「貴方はヨハネスの事を、赤獅子と呼んでいましたね」
「ヨハネス……誰だァそりャァ?知らねェよ、そンな奴ァ。ウィネ、知ッてッか?……知らねェ。知らねェ、知らねェンだよ、ゴミが」
「……オスティスの事です」
「オスティス?あァ、確かにあンのクズ野郎ォ赤獅子ッて呼ンだが……それがどォしたッてンだよ?」
「赤獅子……それは一体、何の事なんですか?」
再びシュゼールに向き直り、アルディアは力強く訊ねる。両目を閉じたまま、シュゼールは語り出した。
「ある箱を開ける。……その箱を開ける二つの鍵の内の一つを、彼が持つ。そしてその鍵の名が『赤獅子の紅玉』と言う」
「……箱?」
「そうだ。そしてこの箱は、メフィストフィレスも狙っている。我々は奴よりも早く、この箱を見つけ、鍵を集める必要がある訳だ」
メフィストフィレス。厭な名を聞いた、とアルディアは美しい顔をしかめた。
シュゼールは、無表情を崩さず、淡々と抑揚なく続ける。
「まだ、箱を見つけてはいない。片方の鍵も、オスティスが握ったままだ。……だが、」
シュゼールはプシュケに目配せし、言葉を切った。一礼したプシュケは、シュゼールの背後に回る。
深い闇のせいで全く分からなかったが、蝋燭の炎が揺らいだ一瞬、
シュゼールの背後に、何かがある事に気付いた。
それは、丁度人が収まる程度の何かを覆う、黒い布だった。
「……だが、我々は幸運にも、もう片方の鍵を所持している。『赤獅子の紅玉』とは対なる存在、『百合姫の蒼玉』を」
台詞が途切れるのとほぼ同時に、プシュケが布を取る。
瞬間、アルディアは、心臓を鷲掴みにされたかの様な恐怖を感じた。
それは、大きな鳥かごだった。
ただし、中にいるのは鳥ではなく。
人。
自分と同年代くらいの、少女。
ボサボサに伸びきった、暗銀色の髪の少女。
首には、深い蒼色の石が埋め込まれたペンダントを着けている。
「彼女の名はイマナという。……オスティスの幼なじみの、貴族だそうだ」
「なっ……」
この少女は明らかに、昨日今日閉じ込められた訳ではなさそうだ。乱雑に伸びた髪が、その証拠だ。
「貴方は……こんな少女に、何をしているのですかッ!?」
「問題ない。『これ』はただの鍵である。故に気にかける必要はない。そして――」
ゆっくりとシュゼールが立ち上がり、静かに手を掲げる。
「――貴様は、もう一つの鍵を誘き出す為の、餌だ」
いつの間にか、一回の瞬きの次には、シュゼールはアルディアの目の前にいた。アルディアの顎に手を添えて上げ、視線を這わせる。
「……ッ!!」
この時、初めて、
シュゼールが笑った様な気がした。
朝。
ヨハネスの目覚めは最悪だった。
別に、記憶を失う前の夢を見た訳ではない。なかなか寝付けなかった訳でもない。
ただ、アルディアの悲痛の叫びを、寝ている間に聞いた気がした。夢か現かは分からないが、そんな気がしただけだ。
「まさか、な」
巨大な砂塵は過ぎた。夜も明けた。あの大男が言った通り、今日中にはアルディアはこの国に到着するだろう。
予定より早いが、アルディアは確かに、ヨハネスの故郷であるシャラグリア国にいた。ただ、ヨハネスはその事に気付いていない。
そしてまた、アンラ・マンユも同じ国にアズライルがいる事を知らない。メフィストフィレスも、その両者が自分の国に潜伏しているだろうとは考えていない。
シャラグリア城を中心に、円を描く形の国土であるシャラグリア国。北に住処を置くアズライル、南にアジトを潜めるアンラ・マンユ、そして中央の城で身構えるメフィストフィレスとサスキア。
こうして三つ巴は、臨戦態勢のまますれ違う――。