第十五話
周囲から喧騒が遠ざかり、砂嵐が過ぎ去ったと判断したヨハネスが目を開いた時、目の前は今まで進んできた砂漠ではなかった。
「こ、ここは……!?」
目を疑った。
確かに足元は砂っぽい地面ではあるが、周りには建物があり、人が見える。どこかで見たような景色にも思えるのだが、記憶喪失のために思い出せない。
「最初からこうすりゃ良かったんだよな」
背後から聞こえた声に振り返れば、そこにはウェレと、どこか見覚えのある青年が立っていた。
「ウェレ……?」
「俺の能力でお前をこっちに転送させたんだ。俺が触れたものなら一緒に引っ張って来れるからな」
「じゃあ、ここは……!?」
「……シャラグリア。俺とお前が生まれた国だ」
今まで黙り込んでヨハネスをじっと見つめていた青年が口を開いた。
「え……?」
「俺の顔も思い出せないのか、オスティス」
その名前を青年が口にした瞬間、頭に鋭い痛みが走った。
同時に、目の前の人物の名を思い出す。アズライル。自分の兄であると同時に、シャラグリア国の正当な王位継承者。だが、何者かの策略により、アズライルは王位を失い、宮殿を追われた。オスティスという名で呼ばれていた当時のヨハネスは、アズライルと共に計略を図った者達を探していた。
国を守るために。
「……まさか、兄さん!?」
「どこまで思い出した?」
「肝心なところはまだ思い出せない。けど、俺達がしようとしていた事は思い出した」
アズライルの問いに、ヨハネスは答えた。
「力の使い方は?」
「え?」
「思い出せてないみたいだな」
アズライルの言葉に、ヨハネスは驚きを隠せなかった。
気が付いてから今まで、魔術やヘルメス、トリスメギストスといった特異な力を見てきたが、それをまさか自分も使い手だったとは思わなかった。
「簡単に言うとな、お前の力はトリスメギストスのグノーシスなんだ。多分、世界でたった一人だけの力だからな、戦闘に関してはお前は最強だった。……けど、力の使い方も忘れてるとなると、困るなぁ」
ウェレが溜め息をつき、頭を掻いた。
グノーシスという言葉自体は記憶として取り戻せていたが、自分自身の力については全く覚えていない。
トリスメギストスのグノーシス。要約すれば、トリスメギストスの特性を持ちながら、グノーシスに似た力であるという事だ。自らの身体を変化するグノーシスの力を、闇や邪気を媒介にするのではなく、トリスメギストスの力として発動するというのだろう。
だが、今のヨハネスにはそんな事が可能だとは思えなかった。
「そうだ、アルディアは!?」
力、と聞いて思い出した。
砂嵐がヘルメスの力だと言うのであれば、彼女が狙われている可能性もある。
「アルディア? ウルギスの皇女がどうした?」
「今まで共に過ごして来た隊商の中にいたんだ。彼女を守らないと……!」
アズライルが眉根を寄せるが、ヨハネスは周囲を見回した。
だが、辺りに砂嵐があったというような形跡はなく、遠くを眺めてもそれらしい影は見当たらない。相当遠くに来てしまったらしい。
「はぁん、読めて来たぜ」
ヨハネスが絶望しかけた時、ウェレが呟いた。
「どういう事だ?」
「メフィストフェレスの野郎が自分の地位を確立させるために手を回して皇女を手に入れようってんだろ、きっと」
アズライルにウェレが答える。
「メフィストフェレス……」
「思い出さないか? 今の国王であり、俺達を陥れた張本人だ」
思い出せず、釈然としないでいたヨハネスに、アズライルが告げた。
「そうだ、確か――っく、ぅ……!」
記憶を取り戻す時の鋭い頭痛とは違う、頭の中に響き渡るような鈍痛にヨハネスが頭を抱えて蹲った。思い出せそうだというのに、それを妨げるかのように痛みが記憶にノイズを走らせる。
――オスティスが戦っている。身体を光の獅子へ変化させ、群がる闇を切り裂いていた。
――父、国王が殺された。犯人がその場にいたとして、アズライルだと名指しされている。
――オスティスとアズライル、ウェレ、それに一人の少女が共に追っ手と戦っている。
――深夜、オスティスを襲ったグノーシスを、監獄から脱獄してきたアズライルが倒した。
――アズライルを衛兵に捕らえさせた男の顔に浮かんだ邪悪な笑み。
明らかに順序もでたらめで、しかもその一瞬だけの場面が頭の中にフラッシュバックする。
「――ィス! オスティスっ! 無理に思い出そうとするな!」
声に、顔を上げれば、ヨハネスの両肩に手を置いたアズライルが不安げな表情でヨハネスの顔を覗き込んでいた。
「……あぁ、俺は……」
「落ち着け! どの道、皇女はこの街に辿り着く。それに、いざとなればウェレで移動もできる」
「人を転送用の道具みたいに言うなよ」
アズライルの言葉に、ウェレは苦笑していた。
「……とにかく、一度休んだ方がいい」
「ああ、解った。そうするよ……」
右手で頭を押さえながら、ヨハネスはアズライルに促されて近くの宿屋へと向かって行く。
「じゃあ、俺はもう少し動き回ってみる。イマナの行方も解らねぇしな……。夕飯までには一度戻る」
ウェレの言葉にアズライルは無言で頷き、ヨハネスに肩を貸すようにして歩き出した。
背後でウェレの気配が消えた。無理な記憶のフラッシュバックにより疲弊していたその時のヨハネスは気づかなかったが、今まで人の気配を感じ取る事が出来なかったはずのヨハネスが、その時から周囲の気配を感じ取れるようになっていた。
身体が一瞬浮いたような気がした。いや、気のせいではなかったらしい。
アルディアは砂の上に投げ出されていた。
一瞬静まりかけた砂嵐は消え去る直前に角度を急に曲げ、勢力も増していた。まるでアルディアをピンポイントで狙ったかのような正確さで、人々が密集していた陣形を簡単に崩し、吹き飛ばしていった。
「……あぁ……ぅ」
投げ出された衝撃と、それによる身体の気だるさに呻き声を上げながら身を起こす。衣服はところどころ裂けていたが、身体には特に外傷もない。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
掛けられた声に顔を上げた時、そこには青年が立っていた。端整な顔立ちは柔和な表情を作り、友好的に見える。
「あ……は、はい……」
「丁度通り掛かったのですが凄い突風でしたね」
「……え?」
通り掛かったという言葉にアルディアは首を傾げた。
隊商以外でこの場を通っていた者など聞いた事がない。それに、隊商以外の者は逆に目立つのだ。今まで気付かないはずがなかった。
「ああ、私は力を持っているんですよ。だから素早く移動できるです」
微笑み、手を差し出した青年に、アルディアは手を伸ばしかけてはっとした。
その青年が差し出した右手は、指が一つ存在しなかった。
「驚かせてしまいましたか? 私は生まれつき右手の指が一つないんですよ」
笑みを崩さず、青年が言った。少しだけ苦笑しているように見えるが、遠目から見ればほとんど表情に変化はない。だが、機械的な対応にも見えず、自然にそんな表情になっているのだと思わせる笑みだった。
「失礼ですが、名は?」
青年の手を取り、立ち上がりながらアルディアは問う。
「マナフ、と言います」
アルディアの言葉に、青年は名乗った。
マナフに触れた手には、確かに彼の指が無いという事を感じさせている。
「どうかしましたか?」
「い、いえ、何でもないんです」
じっと、マナフの顔を見つめていた事に気付き、アルディアは慌てて首を横に振った。それが可笑しかったのか、マナフは少しだけ笑みを深めた。
「そうだ、あなたの名を聞いていませんでした」
アルディアに背を向け、立ち去ろうとしたマナフはそこで気付いたらしく振り返って言った。
「……アルディアです」
「良い名前ですね」
変わらぬ笑みに、柔らかい口調。
「そうだ、私もあなた方と御一緒しても宜しいでしょうか? 見たところ方向も同じようでしたし。丁度食料も少なくなっていまして、困っていたんです」
「……ええ、構いませんが」
「ありがとうございます。助かります」
人当たりの良い柔和な表情と、柔らかく丁寧な口調。
「アルディア様! ご無事ですか!」
気が付いたティラが、護衛をしていた戦士達が駆け寄ってくる。
「え、ええ、無事です」
それに受け答えながらも、アルディアはマナフの事が気がかりだった。
ティラ達の質問に受け答えするマナフはその丁寧な態度から、直ぐに皆と溶け込めるだろう。だが、アルディアだけは駆け寄ってくる者達の中にヨハネスがいない事に気付いていた。他の者達が気付くにはまだ少し時間が掛かるだろう。
ヨハネスがいなくなってしまった事に不安を覚えた。マナフの存在にも不安感が拭い去れない。
――あなたを守護する者は、指が一つ無い者だ。
それはヨハネスではなかったのだろうか。それともマナフなのだろうか。
ヨハネスの指は、明らかに切断されたものだ。確かにアルディアと出会った時点では彼の指は『無かった』と言えるが、それ以前にはヨハネスの指は『あった』のである。
対して、マナフは元から指が『無い』のだ。右手と左手という違いはあれど、どちらも指が一つ無い。だが、その指の無いという判定がどちらなのかまでははっきりしない事が不安だった。
二人ともが『守護する者』なのか、どちらか一方だけが『守護する者』でもう一方が敵なのかどうかも解らない。
ただ、ヨハネスがいないというだけでも、アルディアを不安にさせていた。
どうも、W1595Aの白銀です。
三週目という事で、これまた凄いところでバトンを渡されたので凄い事を更に起こしてみました。色々と複雑に絡み合っている部分も紐解いたりしてみましたが、如何でしょうか。まだまだ続きそうですね(笑)