第2-3話:石ころとギャルの邂逅
カランカラン、と乾いた鈴の音が、静寂に包まれていた店内に響き渡った。
『氷室魔道具修理店』の古びた木製の扉が開くと同時に、新宿の喧騒を凝縮したような、刺々しくも華やかな魔力の波動がなだれ込んでくる。
「ハイさー! みんな見てるー!? 謎の『ボイド』を追跡して早三時間、ついに辿り着いたよ! 新宿の最果て、激ヤバな雰囲気がプンプンする魔道具修理店に突撃しちゃうぞーっ!」
自撮り棒を掲げ、スマートフォンの超広角レンズに向かって満面の営業スマイルを振りまく少女。派手な金髪メッシュを揺らし、露出の多い軽装鎧をカチャカチャと鳴らしながら、如月咲良が店内に踏み込んできた。
彼女の背後では、三機の小型配信ドローンが羽虫のように飛び回り、店内の埃っぽい空気や、山積みにされた不気味な遺物たちをリアルタイムで全世界に垂れ流している。
「……っ、うわ、暗っ! 何ここ、呪いの館? マギ・スキャナーの数値もビンビンだし、これ絶対『映える』やつじゃん!」
咲良の一人芝居のような大声が、狭い店内に反響する。
カウンターの奥で作業をしていた俺、鈴木慎一は、手に持っていたボロ布を置き、ゆっくりと顔を上げた。
(……うわぁ。本当に来たよ。しかも、一番関わりたくないタイプだ)
俺の『モブの極意』が、全力で警鐘を鳴らしている。
彼女の放つ「主役オーラ」は、俺のような背景にとって毒でしかない。関われば最後、俺の平穏な石ころ生活は、一千万人の視聴者の好奇心という荒波に飲み込まれて消えてしまうだろう。
「……慎一君。奥に引っ込んでいなさい。あんな騒がしいノイズ、私がすぐに追い出すわ」
隣に座る冴子店長が、低く、氷のような声で呟いた。
彼女の眼鏡の奥、その『真眼』は、咲良の背後に浮遊するドローンたちを、不浄な害虫でも見るような目で見つめている。
元S級探索者にとって、自分の聖域をカメラで土足で踏み荒らされることは、宣戦布告にも等しい侮辱なのだろう。
「いえ、店長。俺、バイトですから。こういう時のための『接客担当』でしょう?」
俺は、冴子の殺気立った気配を宥めるように、あえて事務的なトーンで答えた。
ここで店長が暴れれば、それこそ大炎上だ。俺が「ただの地味な店員」として、彼女の興味を削いで追い返すのが一番被害が少ない。
俺は椅子から立ち上がり、一歩前へ出た。
意識を「空気」に切り替える。
感情を殺し、個性を消し、マニュアル通りの「背景としての店員」になりきる。
「いらっしゃいませ。……修理のご依頼でしょうか、それとも鑑定でしょうか」
俺の声は、咲良のハイテンションな実況を遮ることなく、その隙間にスッと染み込むように響いた。
あまりに自然で、あまりに特徴のない声。
「えっ? あ、いたの? びっくりしたー、透明人間かと思ったじゃん!」
咲良が、大げさに肩を跳ねさせて俺を見た。
彼女の瞳には、俺という人間ではなく、単なる「店の調度品の一部」としての認識しか映っていない。よし、作戦通りだ。
「……修理、鑑定、どちらをご希望で?」
「あー、えっとね。あたし如月咲良ってんだけど、ここって昨夜、変なノイズが出たでしょ? その正体について、ちょっと取材させてほしいなーって!」
咲良は、自分を知っているのが当然という態度で、スマートフォンを俺の顔のすぐ近くまで突きつけてきた。
『サクラちゃん、店員無視しすぎw』
『でもこの店員、なんか影薄くね? 解像度低くない?』
『っていうか奥の店主が怖すぎる。あれ、氷室冴子じゃね……?』
流れるコメント欄を横目で確認しながら、俺は瞬き一つせずに答える。
「如月……様、でしょうか。申し訳ございませんが、当店は取材はお断りしております。鑑定、もしくは修理の具体的な依頼がない場合は、他のお客様の迷惑になりますので、ご退店をお願いしております」
「えっ、ちょ、冷たっ! あたしのこと知らないの? 登録者一千万人だよ!? ここで紹介すれば、このボロい店も大繁盛間違いなしなのに!」
咲良が頬を膨らませて食い下がる。
普通の男子なら、人気アイドルのような彼女にここまで詰め寄られれば、鼻の下を伸ばすか、緊張で固まるかするだろう。
だが、俺は石ころだ。石ころは、美少女のウィンクにも、一千万人の視線にも、一ミリも動じない。
「繁盛は……店長が望んでいないので。……お引き取りを」
「な、なんなのこの人……。あたしのペースが全然通用しないんだけど……」
咲良の顔に、当惑の色が広がる。
彼女は、自分が世界の中心であることに慣れすぎている。
だからこそ、目の前にいる「自分を背景としてしか扱わない」俺という存在に、未知の恐怖に近い違和感を覚え始めていた。
配信画面上では、さらに奇妙なことが起きていた。
ドローンが捉える慎一の姿は、あまりに背景と馴染みすぎていて、視聴者の視線が彼を通り越し、背後の棚にあるガラクタや、影の中に佇む冴子にばかり集中してしまっている。
慎一が喋っているのに、まるで「店そのものが喋っている」かのような錯覚。
「……いい加減にしなさい。騒がしいノイズね」
奥から、冴子がゆっくりと歩み寄ってきた。
彼女が放つ、元S級探索者としての圧倒的な『魔圧』が、店内の空気を一瞬で凍りつかせる。
「ひっ……!?」
咲良の自撮り棒がガタガタと震え、周囲を飛んでいた配信ドローンが、その威圧感に耐えきれず、墜落するように床へ落ちた。
「私の聖域を、その汚らわしい光で汚さないで。……慎一君、この子を外へ」
「わかりました。……如月様、出口はこちらです」
俺は、幽霊のように咲良の背後に回り込み、そっと肩を出口へと促した。
「わ、わかったよ! 帰ればいいんでしょ! 感じ悪いなー、もう!」
咲良は、負け惜しみを吐き捨てながら、逃げるように店を飛び出していった。
バタン、と重い扉が閉まり、再び店内に「静寂」が戻ってくる。
俺は、床に転がった配信ドローンの残骸を拾い上げ、ゴミ箱へ放り込んだ。
「……ふぅ。お疲れ様でした、店長。……さて、作業に戻りましょうか」
俺が何事もなかったかのように作業椅子に座ると、冴子が、震える手で俺の肩を掴んだ。
「……慎一君。あなた、あの騒音の中でも、一瞬も波立たなかったわね……。あぁ、やっぱり、あなたは私の……私の、唯一の救い……」
冴子が、俺の背中に顔を埋めるようにして、深く、熱い吐息を漏らす。
俺の『モブの極意』が、彼女の昂ぶった魔力を鎮めていく。
一方、店の外。
路地裏で息を切らしていた咲良は、録画された配信データを狂ったように見返していた。
「……おかしい。絶対におかしいじゃん。あたし、あいつと喋ってたのに、今、あいつがどんな顔をしてたか、一欠片も思い出せない……。なのに、あいつの隣にいた時だけ、あたしの『探索者としての本能』が、死ぬほど静かだった……」
咲良の瞳に、執着という名の光が宿る。
「あたし、あいつを暴いてみせる。あんな『神・モブ』、野放しにしておけるわけないじゃん……!」
鈴木慎一。
本人は完璧に追い返したつもりだったが、その「究極の無機質さ」が、トップ配信者のプライドに、消えない火を付けてしまっていた。




