第2-2話:路地裏のスカウターと無自覚な回避
新宿歌舞伎町の喧騒から数ブロック。高層ビルの影が重なり合い、昼間でも薄暗い路地裏には、湿ったコンクリートの匂いと、ダンジョンから漏れ出した魔力の残滓が淀んでいる。
そんな「背景」に徹したような場所に、場違いな華やかさを振りまく少女が一人、所在なげにスマートフォンをかざしていた。
「……マジでありえないんだけど。あたしの最新鋭『マギ・スキャナー』が、なんでこんな場所でエラー吐きまくってんの?」
如月咲良は、派手な金髪メッシュの髪を苛立たしげに指で弄りながら、デバイスの画面を睨みつけた。
彼女は今、一千万人のフォロワーを抱える超人気配信者として、ある「獲物」を追っている。
昨夜、彼女の観測ドローンが捉えた、原因不明の映像ノイズ――通称『ボイド』。
それは、あらゆる光学センサーや熱源探知を無効化し、空間そのものが欠落したかのような異常な「無」の記録だった。
『サクラちゃん、今日も路地裏徘徊?w』
『ただの機材トラブルだって。あきらめてダンジョン行こうぜ』
『でもさっきから波形がヤバくないか? ノイズが心電図みたいになってるぞ』
スマートフォンの画面を流れるコメント欄には、彼女を茶化す声と、微かな期待が入り混じっている。
咲良は「うるさーい! あたしの直感は外れないんだから!」とリスナーに毒づきながら、さらに路地の奥へと足を踏み入れた。
彼女の手に握られたスキャナーは、数分前から「特異点、至近距離にあり」という警告を、狂ったように点滅させ続けていた。
一方その頃。
氷室魔道具修理店の裏口では、鈴木慎一が大きなポリ袋を両手に抱えて、所在なげに立っていた。
「……店長、あんな高い機械を派手に爆発させちゃうなんて。おかげでこのゴミ袋、焦げた金属の匂いと火薬の匂いできっついなぁ」
慎一は、冴子がオーバーヒートさせた測定器『アステリオス』の残骸を、自治体のルールに従って処分するために外へ出ていた。
元S級探索者が扱うデバイスというだけあって、壊れてもなお微かな魔力振動を放っている。普通なら「お宝の山」に見えるだろうが、慎一にとってはただの「重くて臭い不燃ゴミ」でしかない。
(さっさと捨てて、店に戻って背景になろう。……ん?)
慎一は、曲がり角の先から、不自然な「光」が近づいてくるのを感じた。
それは魔力の光ではなく、スマートフォンのライトや、派手な衣装が反射する、いわゆる「陽キャ」の放つ光学的威圧感だ。
慎一の『モブの極意』が、生存本能として警鐘を鳴らす。
(……まずい。誰か来る。それも、俺が一番苦手な『目立ちたがり屋』の気配だ)
慎一は、ゴミ袋を抱えたまま、壁際にピタリと身を寄せた。
呼吸を整え、自分の存在を「路地裏に放置された、少し大きめの廃棄物」として再定義する。
意識を空にし、ただの石ころ、あるいはコンクリートの染みになる。
これが、高校三年間で培った、プロの荷物持ちによる究極の回避術だ。
その直後、角を曲がってきた咲良と、慎一が至近距離で対峙した。
「……っ!? な、何これ、数値が、数値がマックス突破したんだけど!?」
咲良のスキャナーが、鼓膜を突き刺すような警告音を上げた。
画面上のグラフは限界を超えて振り切れ、真っ赤なアラートが「対象、ゼロ距離」と非情に告げている。
「どこ!? どこにいるの!? あたしの目の前に、何かとんでもないモンスターか、レア遺物があるはずなのに!」
咲良は、血眼になって周囲を見渡した。
彼女の視界には、剥げかけた壁、積まれた段ボール、そして……汚れたゴミ袋を二つ持って、所在なげに立っている「影の薄い少年」が入っているはずだった。
だが、彼女の脳は、慎一を「認識すべき対象」として処理しなかった。
(……よし。スルーしたな。さすが最新鋭の配信者、画面越しじゃなきゃ俺のことなんて見えないんだな)
慎一は内心で安堵しながら、咲良のすぐ横を、足音を立てずにすり抜けた。
咲良の長い髪が、慎一の肩をかすめる。
彼女のスマートフォンのレンズが、一瞬だけ慎一の顔を正面から捉えた。
だが、配信画面に映し出されたのは、ただ「ピントが合わずにボヤけた、背景のレンガ壁」でしかなかった。
「……え? 今、何か……風が吹いた?」
咲良が、首を傾げて後ろを振り返る。
そこには、ゴミ捨て場へと向かう慎一の背中があった。
彼女は、彼を見た。確かにその姿を瞳に映した。
しかし、次の瞬間には「ああ、ただの業者か学生か。ゴミ出しか。関係ないな」と、思考の優先順位の最下層へ、彼の存在を叩き落としてしまった。
『サクラちゃん、今、左側になんか通らなかったか?』
『いや、誰もいねーよ。画面揺れてるだけだろ』
『機材、マジで壊れてんじゃね? 音うるさすぎ』
コメント欄の指摘も、咲良の確信を揺るがすには至らない。
慎一は、そのまま流れるような動作でゴミをコンテナに放り込み、一礼することもなく、氷室魔道具修理店の裏口へと戻っていった。
扉を閉める直前。
慎一は、まだ路地裏で「おかしいじゃん!」と地団駄を踏んでいる派手な少女を、冷めた目で見つめた。
(……配信者か。あんなに自分の場所を世界中に晒して、何が楽しいんだか。俺には一生理解できないな)
慎一が店内に戻ると、そこにはカウンターを乗り出し、鋭い眼光で裏口を凝視している冴子の姿があった。
「……慎一君。外に、騒がしい『ノイズ』がいたでしょう?」
「あ、店長。見てたんですか。……なんか、配信者っぽい女の子が迷子になってましたよ。スキャナーか何かが壊れてるみたいで、うるさかったです」
慎一が何気なく答えると、冴子の表情が、氷のように冷たく、それでいて熱を帯びたものへと変わった。
彼女の『真眼』は、慎一を追ってきた咲良の魔力波形を、完璧に捉えていた。
「……そう。迷子、ね。……いいわ、慎一君。あなたは気にしなくていい。ゴミ出し、ご苦労様。……さあ、また私の隣に来て。あなたの『静寂』で、さっきの汚らわしいノイズを上書きしてちょうだい」
冴子は、慎一の手を引き、いつもの作業椅子へと促した。
その際、彼女の視線が、一瞬だけ閉まった扉の向こう――咲良のいる路地裏へと向けられた。
それは、自分の領域に踏み込もうとする害虫を排除しようとする、かつての「魔女」としての冷酷な意志。
外では、咲良が自分のデバイスのログを必死に解析していた。
「……待って。今の、ただの通りすがりの人……だよね? でも、なんであたし、顔を思い出せないの? 服装すら、記憶に……残ってない……?」
彼女の全身に、鳥肌が立った。
職業柄、何万人という人間を見てきた彼女の記憶力は、常人を遥かに超えている。
なのに、今すれ違ったはずの少年の印象が、まるで水面に書いた文字のように消えていく。
「……ありえない。これ、バグなんかじゃない。……この店に、何か『本物』が隠れてる!」
咲良の瞳に、獲物を見つけた野心的な光が宿った。
鈴木慎一。
本人は気づかないまま、最新鋭のスカウターを持つギャルに、その「不自然なまでの自然さ」という痕跡を、深く刻み込んでしまっていた。
路地裏の静寂は、今、確実に終わりを告げようとしていた。




