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世界最強の勇者パーティーをクビになったので、路地裏で静かに『石ころ』を目指します  作者: 寝不足魔王


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第1-6話:石ころと魔女の聖域(慎一視点)

 俺、鈴木慎一のバイト二日目は、異様な緊張感の中で幕を開けていた。

 作業台に向かい、昨日やり残した『呪いの煤』まみれの盾を磨き始めてから、かれこれ一時間が経過している。

 

 シュッ、シュッ、と小気味よい音を立ててボロ布を動かす。

 この作業自体は嫌いじゃない。むしろ、真っ黒に汚れた遺物が、自分の手で少しずつ本来の輝きを取り戻していく過程には、ある種の快感すら覚える。高校時代の荷物持ちで、泥だらけになった仲間の剣を夜な夜な手入れしていた頃の感覚が、指先に染み付いているのかもしれない。

 

 だが、問題は作業そのものではなかった。

 

(……近い。近すぎるんだって、店長)

 

 俺のすぐ隣。

 肘が触れ合いそうなほどの距離に、店主の氷室冴子が座っている。

 彼女は自分の作業を完全に放棄し、椅子の背もたれに胸を預けるような姿勢で、じっと俺の手元……あるいは俺の横顔を凝視していた。

 

 白衣の隙間から、薄いインナーに包まれた柔らかな身体のラインが、嫌でも視界の端に入り込む。

 ふわりと漂う、石鹸の香りに混ざった、少し甘い女性特有の匂い。

 たまに彼女が呼吸を整えるたびに、肩が微かに触れそうになる。

 

(落ち着け、俺。相手は元S級探索者だぞ。俺みたいなLv1のガキなんて、ジャガイモか何かとしか思ってないはずだ)

 

 必死に自分に言い聞かせるが、18歳の男子にとって、年上の美人店主と密室で密着している状況は刺激が強すぎる。

 冴子の眼鏡の奥にある瞳は、まるでおいしそうなデザートでも眺めているかのように、熱を帯びて潤んでいた。

 

「……鈴木君」

「ひゃ、はいっ! 何でしょうか店長!」

 

 不意に名前を呼ばれ、俺は情けない声を上げて飛び上がった。

 

「……驚かせたかしら。ごめんなさい。ただ……あなたのその、迷いのない手の動きに見惚れていたの。呪いの煤が、あなたの指に触れた瞬間、まるで最初から存在しなかったみたいに消えていく……。本当に、不思議な子ね」

 

 冴子が、ふらふらと夢遊病者のような手つきで、俺の作業台に置かれた洗浄済みの盾に触れる。

 その拍子に、彼女の指先が、俺の手の甲に微かに触れた。

 

(うおっ……柔らかい……)

 

 思わず息が止まる。

 彼女の指は驚くほど白く、細い。

 探索者としての激戦を潜り抜けてきたはずなのに、その肌は瑞々しく、触れた部分から熱が伝わってくるようだ。

 

「……あの、店長。見られすぎると、その、緊張してミスしそうなんですけど……」

「……そう。私の視線が、あなたの『無』を乱しているのね。……ふふ、それはそれで、少しだけ嬉しいわ」

 

 冴子は妖艶な微笑を浮かべ、ようやく数センチだけ椅子を引いた。

 それでもまだ、パーソナルスペースを完全に侵食している距離感だが。

 

「……続けて。あなたの『石ころ』のような仕事ぶりを、もっと私に刻み込んで。そうすれば、私の世界のノイズは、もっと静かになれる気がするの」

 

 彼女が言う『ノイズ』の意味は、俺には半分も理解できていない。

 ただ、彼女が俺の存在を、この「気配のなさ」を必要としていることだけは伝わってきた。

 

(……プロの厳しいチェック、ってことにしておこう。俺の清掃技術が甘いから、こうして監視されてるんだ、きっと)

 

 俺は無理やり自分を納得させると、再び盾に向き合った。

 邪念を振り払うように、『モブの極意』を意識的に深める。

 自分は人間ではない。この店に備え付けられた、ただの自動清掃機だ。

 背景だ。石ころだ。

 

 そう念じるほどに、指先の感覚が研ぎ澄まされていく。

 盾の表面にへばり付いた頑固な呪いの煤が、俺の「認識」から外れることで、ただの物理的な汚れへと成り下がる。

 俺は無言で、しかし昨日の1.5倍ほどの速度で、魔道具を磨き上げていった。

 

 背後で、冴子が「あぁ……」と、熱っぽい溜息を漏らす。

 その声が耳元を掠めるたびに、俺の背筋にはゾクゾクとした戦慄が走った。

 

 勇者パーティーのサポーターをしていた頃、凛花が「慎一くん、すごいね。誰も気づかないような汚れまで綺麗にしてくれる」と褒めてくれたことがあった。

 あの時の言葉は純粋な賞賛だったが、今、冴子から向けられている視線は、それよりもずっと重く、濃く、そして……少しだけ、危険な色が混ざっている気がした。

 

 鈴木慎一、バイト二日目。

 俺の『モブの極意』は、確かに周囲の認識を阻害しているはずだ。

 だが、この狭い修理店の中だけは、俺の「存在のなさ」が、逆説的に誰よりも強い「存在感」を放ってしまっていることに、俺はまだ気づかぬ振りを続けていた。

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