表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界最強の勇者パーティーをクビになったので、路地裏で静かに『石ころ』を目指します  作者: 寝不足魔王


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/8

第1-4話:石ころと魔女の聖域

 新宿の夜は、魔力の光で不自然に明るい。

 空を舞う無数の観測ドローンの群れが、星々を隠すように点滅し、ダンジョンから溢れ出したマナの粒子が、街灯の周りで淡い蛍のように漂っている。

 俺、鈴木慎一は、そんな煌びやかな大通りを避け、建物と建物の隙間に潜り込むようにして歩いていた。

 

 手元の茶封筒には、今日働いた分の現金が入っている。

 時給1100円。3時間で3300円。

 高校を卒業したばかりで、特別な才能も、目立ったステータスもない俺にとっては、これが妥当な対価だ。

 今の時代、探索者として華々しくデビューすれば、一攫千金も夢ではない。勇者パーティーのサポーターになれば、日給だけで数十万、成功報酬を含めれば一生遊んで暮らせる金が手に入る。

 実際、現代ダンジョン社会は「注目度」と「効率」がすべてだ。

 

 だが、俺にとってはこの3300円こそが、血の通った「平穏の対価」だった。

 誰の視線も浴びず、誰の期待も背負わず、ただ淡々と埃を被った遺物を磨く。その労働の果てに得た紙幣の重みは、何物にも代えがたい。

 

(……ふぅ。おにぎり、梅干しって言ってたな。店長、意外と家庭的なのか?)

 

 路地裏のベンチに腰を下ろし、俺は包みを開けた。

 少し冷めてはいるが、竹の皮を模した包み紙からは、炊きたての米の香りが微かに漂ってくる。

 形は少し不格好だ。左右のバランスが微妙に崩れ、握った人間の迷いが見えるような、そんな手作り感。

 一口齧ると、上質な米の甘みと、驚くほど酸味の効いた――それでいてトゲのない梅干しの味が口いっぱいに広がる。

 

 それと同時に、身体の芯に残っていた微かな倦怠感が、スッと霧散していくのを感じた。

 米粒の一つひとつにまで、何らかの意図が込められているような、不思議な温かさ。

 

(……あ、これ、ただのおにぎりじゃないな)


 普通の人間なら気づかないだろう。だが、俺はモブとして「周囲の変化」に敏感だ。

 おにぎりには、極めて高純度の、そして驚くほど穏やかな『治癒魔力』が込められていた。

 おそらく、冴子が握る際に無意識に流し込んだものだろう。元S級探索者の魔力をおかずに飯を食うなんて、世界中の富豪が知ったら卒倒するような贅沢だ。


「……美味いな」


 おにぎりから感じる、凪いだ海のように静かで温かい魔力。

 これは、かつて俺が仲間に差し出していた水と同じ、誰かを労わるための力だ。

 元S級探索者である冴子が、なぜ俺のようなモブにこれほどの魔力を込めた食事を与えるのか。その理由は分からないが、少なくともこの温かさは、俺の乾いた心を確実に癒やしていた。

 

 俺は、夜の静寂の中で独りごちた。

「……美味いな」

 

 誰に聞かせるわけでもない、ただの背景の独白。

 だが、その瞬間、俺の背後にあるゴミ箱の影から、カサリと乾いた音がした。

 

「…………」

 

 俺は、食べる手を止めずに、視線だけを僅かに動かした。

 そこにいたのは、一匹の野良猫……ではなかった。

 小さな、手のひらサイズのドローン。

 筐体には『如月咲良公式チャンネル』というステッカーが貼られ、3つの超高解像度レンズが、不規則に回転しながらこちらを探っている。

 

(……配信ドローンか。迷子か、それとも誰かを追ってるのか?)

 

 通常、現代の配信ドローンは「熱源」や「魔力反応」を感知して被写体を追う。

 特に『如月咲良』のような有名配信者が使うモデルは、隠密スキルを持つモンスターすら見逃さない最新鋭のはずだ。

 

 だが、俺の『モブの極意』は、それら全ての反応を極限まで薄めている。

 ドローンは俺の目の前にあるベンチを「無人の物体」としてスキャンし、困惑したように空中でホバリングを繰り返していた。

 

「…………」

 

 俺は、音を立てずに残りの半分を口に放り込み、栄養ドリンクを飲み干した。

 存在しないふりをするのは、俺の人生そのものだ。

 俺が動かなければ、この高度なAIを積んだ機械ですら、俺を「ただの風景」として処理し続ける。

 やがて、ドローンはターゲットを見失ったと判断したのか、諦めたように遠くの空へと飛び去っていった。

 

(危ない危ない。写り込んだら、モブ人生終了のお知らせだ)

 

 俺はゴミをまとめ、立ち上がった。

 アパートへ帰る道すがら、街頭の巨大なデジタルサイネージを見上げる。

 そこには、俺を不採用にした勇者レオンの勇姿が、映画のワンシーンのように映し出されていた。

 

『――現在、勇者パーティーは第十五階層を突破! 聖女リリアの完璧なバックアップにより、負傷者はゼロです!』

『リリア様ー! こっち向いてー!』


 画面の中の凛花は、民衆の歓声に応えることもなく、どこか虚ろな表情で足元を見つめていた。

 彼女の手に握られた杖が、微かに震えている。

 高校の『探索者育成コース』にいた頃、実習のたびに俺が彼女の荷物を持ち、休憩のたびに水を差し出し、「大丈夫だ、凛花ならできる」と声をかけていた、あの日常。

 彼女にとっての「当たり前」だったその風景は、今、この華やかな画面のどこにも存在しない。


 今、彼女の隣には、世界最強の男がいる。

 最高の装備、最高の仲間、最高の栄光。

 俺がいなくても、世界は回る。彼女の安全も、レオンが保証してくれる。

 ……それでいいはずだ。

 俺は自分に言い聞かせるように、サイネージから目を逸らした。

 新宿の街は、今日も煌びやかだ。

 けれど、俺が求めるのは、その光の裏側にある静かな闇。

 

 コンビニに立ち寄り、新発売の強炭酸飲料を1本だけ手に取る。

 レジの店員は、俺の顔を見ることもなく、機械的にバーコードを読み取る。

 よし、完璧なモブだ。

 

 アパートへの帰り道、住宅街に入ると街灯はまばらになり、夜の暗さが深まっていく。

 ふと、背後に気配を感じて振り返るが、そこには揺れる影しかない。

 

(気のせいか。……それとも、店長の魔力に当てられたかな)

 

 氷室冴子。

 あの修理店の店主は、俺が「背景」であることを、他の誰よりも肯定してくれた。

 いや、肯定どころか、熱狂的に受け入れていた。

「あなたは、ただそこにいればいい」

 その言葉の重みが、心地よい疲れと共に胸に染みる。

 

 俺のような人間が必要とされる場所。

 それは、勇者の隣でも、主役たちの背中でもなく、あの埃っぽい、時が止まったような修理店の中なのだ。

 

 アパートの階段を上り、自分の部屋のドアの前に立つ。

 鉄の扉が冷たく俺を迎え入れる。

 

 明日も、13時からバイトだ。

 まずは、今日やり残したあの古い盾の、裏側の煤を落とすところから始めよう。

 冴子店長は、また俺のことをじっと見つめ続けるのだろうか。

 あの視線は少しだけ重いが、最前線の「期待」という重圧に比べれば、羽毛のように軽い。

 

(……さて、シャワーを浴びて寝るか)

 

 俺は鍵を回し、部屋の明かりをつけた。

 1Kの、質素な部屋。

 だが、こここそが、誰にも邪魔されない俺の聖域。

 

 ……そう、信じていた。

 

 俺、鈴木慎一。

 目標:なし。

 現状:背景のつもり

 

 この時、俺は自分の「石ころの幸福」が守られたと信じて疑わなかった。

 勇者という光の隣から、ようやく日陰に逃げ込めたのだと。

 

 だが、俺はまだ知らなかった。

 光が強ければ強いほど、その影である「無」の心地よさを知る者たちが、どれほど飢えているのかを。

 そして、俺が選んだ『氷室魔道具修理店』という場所が、世間から見ればどれほど異質な、奪い合いの対象となるような聖域であるかということも。

 

 俺は、炭酸飲料を喉に流し込み、布団に潜り込んだ。

 明日もまた、変わらない1日が来る。

 それだけで十分だ。それ以上は、何もいらない。

 

 ……そんな俺の密やかな願いを、誰かが嘲笑うかのように。

 夜の帳の向こう側で、運命の歯車が、俺の意志とは無関係に、ギチギチと音を立てて回り始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ