第1-1話:不採用通知と石ころの幸福
東京都、大深度遺構直上。
地上数百メートルにそびえ立つ探索者ギルド『獅子の盾』の本部ビル最上階には、下界の喧騒とは無縁の静寂が満ちていた。
全面ガラス張りの壁の向こうには、午後の柔らかな陽光に照らされた新宿の街並みが広がっている。だが、その平和な景色の中心には、現実の物理法則を歪めてそそり立つ巨大な漆黒の塔――『特異点』と呼ばれるダンジョンの入り口が、不気味な威容を誇っていた。
「……すまない、鈴木くん。今回の件だが、不採用だ」
その声は、驚くほど澄んでいた。
声の主は、獅子堂レオン。弱冠二十歳にして、日本最強の探索者パーティーを率いる『勇者』である。
黄金の髪を短く整え、一点の曇りもない青い瞳で俺を見つめる彼の背後には、人類の至宝とも称される聖剣が、美術品のようにディスプレイされていた。
「君の履歴書、そして聖女リリア――神代さんからの熱烈な推薦状も読ませてもらった。君の人柄の良さや、これまで彼女を支えてきた献身については、僕も高く評価しているんだ。……けれど」
レオンは申し訳なさそうに、手元のタブレットに表示されたステータス画面を俺に向けた。
【氏名:鈴木 慎一】
【レベル:1】
【適性:一般市民】
【固有スキル:モブの極意(Lv1)】
「僕たちは今、S級ダンジョンの最深部を目指している。そこは、一瞬の油断が死に直結する戦場だ。レベル24の僕たちですら、明日の命は保証されていない。そんな場所に、レベル1の君を連れて行くことはできない。それは君を『守る』ことではなく、僕たちのエゴで君を『殺す』ことになってしまうんだ」
レオンの言葉には、一片の悪意もなかった。
むしろ、純粋な正義感と、持たざる者への慈悲に満ちている。彼は本気で、俺のような弱者が戦場で無惨に散ることを案じ、善意によって俺を切り捨てたのだ。
「……ええ。仰る通りです、レオン様。僕のような者が、皆様のような輝かしい方々の隣に並ぼうだなんて、身の程知らずもいいところでした」
俺は、精一杯の「落胆」を装いながら、深く頭を下げた。
だが、その視線の先で、俺の口角は今にも跳ね上がりそうになるのを必死に堪えていた。
(よし……っ! 完璧だ! 不採用確定、キターーーー!!)
内心では、スタンディングオベーションが鳴り止まない。
俺の人生の目標は、ただ一つ。
『誰の記憶にも残らず、何の影響も与えず、石ころのように静かに天寿を全うすること』
それなのに、幼馴染である神代凛花が『聖女』としての才能を開花させ、日本一のパーティーにスカウトされたせいで、俺の平穏は危機に瀕していた。
「慎一くんがいないなら、私は聖女なんて辞めます!」
そう泣き喚く彼女をなだめるため、形ばかりの面接を受けたのだが――結果は最高だ。勇者が常識人で本当に助かった。
「……慎一くん、嘘でしょう……?」
レオンの隣で、膝をつきそうなほど肩を落としている美少女がいた。
神代凛花。
白磁のような肌に、夜の帳を溶かしたような艶やかな黒髪。現代の奇跡とも称される彼女は、今にも泣き出しそうな瞳で俺を見つめていた。
「レオン様、考え直してください! 慎一くんは……慎一くんがいれば、私はもっと……!」
「リリア、君の気持ちはわかる。だが、これは彼の命に関わる問題だ。彼を愛しているなら、なおさら安全な場所へ送り出すべきだよ。それが、リーダーとしての僕の判断だ」
レオンが凛花の肩を優しく叩く。
その光景は、まるでお似合いの美男美女を描いた一枚の絵画のようだった。
現代ダンジョンの最前線を駆ける英雄と、それを支える聖女。
俺という『背景』が入り込む余地など、どこにもない。
「リリア。俺なら大丈夫だ。お前は、レオン様たちと一緒に世界を救ってくれ。俺は……地元の街で、細々とやっていくよ。それが、俺にふさわしい生き方なんだ。……じゃあな、頑張れよ」
俺は、あえて寂しげな、それでいて未練を断ち切るような微笑みを浮かべて見せた。
これで、彼女も諦めるだろう。俺は晴れて自由の身。明日からは、誰にも注目されない『モブ』としての黄金の日常が待っているのだ。
「……鈴木くん。君の潔さに敬意を表するよ。ギルドの推薦状は、一般職向けに書き換えて手配しておこう。君の未来に、幸あらんことを」
「ありがとうございます。……それでは、失礼します」
俺は、踵を返した。
ふかふかの絨毯を歩く足取りが、羽が生えたように軽い。
自動ドアが俺の存在を認識せず、一度閉まりかけたのを手でこじ開けて脱出する。
背後で凛花が何かを叫んでいたような気がしたが、空調の音にかき消されて聞こえなかったことにした。
ビルを出ると、新宿の熱気が俺を包み込んだ。
大型ビジョンには、勇者パーティーの最新の攻略映像が流れている。
ドローンカメラが捉えるレオンの雄姿。魔法の光が舞い、観衆の歓声が響く。
だが、その熱狂の中に、俺はいない。
「……ふぅ。さて、まずは求人情報でも見るか」
俺は、スマートフォンの画面をスクロールした。
目指すは、時給がそこそこで、とにかく人と関わらない仕事。
俺の固有スキル『モブの極意(Lv1)』は、すでに全力で発動している。
すれ違う人々は、俺を認識しているはずなのに、次の瞬間には存在を忘れている。
肩がぶつかりそうになっても、向こうが勝手に避けていく。
俺は、この空気と一体化しているような感覚がたまらなく好きだった。
(あんなキラキラした世界、俺には眩しすぎるんだよ。俺は俺の、石ころの道を歩ませてもらうぜ)
勇者パーティーという『光』から追放された俺は、意気揚々と、夕暮れ時の新宿の雑踏へと消えていった。
これが、俺の望んだ本当の自由の第一歩だった。




