悪戦苦闘の見習いメイド
私は今、文字の海を漂う難破船に違いない。次々と迫り来る文字の波が私を深海へと引きずり込もうとする。
しかし、私は諦めない。必ずやこの荒波を抜け、あの手紙を読みにいくのだ!
「すぴーすぴー……」
「寝てはいけませんよ!」
「うわぁぁっ!!す、すみません!寝てません!」
「寝てた人は、みんなそう言うのです」
「そ、そうなんですか!!……寝てました!ごめんなさい」
「素直に謝れるのは良いことですね。課題を一つ増やしておきますね」
「……は、はひぃ」
穴が開くほど本を見つめ、ひらすら紙に文字を映し書き、そして喉が枯れるほど声を出して読む。
あれから、その繰り返しをやり続け、もうすぐ日が昇りそうだ。おかしいな……。ここに来た時はまだ昼前だったはずなのに。窓から見えるのは……朝日。
「ここまでよく頑張りましたね。少し休憩にしましょう。これをどうぞ」
執事長はそう言って私の横に小瓶を置く。水色の小さな瓶……これって。
「こ、これって中級ポーションなんじゃ?」
「はい、疲労回復にはやはりこれが一番かと思いましてね」
「で、でで、でも中級ポーションって、私のお給金より高いって聞きましたよ?」
「これは私のお手製ですので、安心して飲んでください。大丈夫ですお金は頂きませんから」
「そ、そうなんですか?で、では、頂きますね」
初めて口にしたが、ポーションって意外と甘いんだ。
「ん?」
あれだけ眠かったのに眠気は無くなり、むしろ元気になってきた。今なら、なんでもできる気がする!
「よし!やるぞー!!」
「おや、もう休憩はいいのですか?」
「はい!執事長のおかげでとても元気なりました!ありがとうございます」
「そうですか。ではこれを」
そう言って私の前に分厚い本が十冊以上も置かれる。
「やる事は昨日と同じです。読めない文字や、意味がわからない言葉がありましたら、いつでも聞いてください」
「は、はひぃ」
執事長の指導のもと、私はまた文字の波に攫われて行った。そんなやり取りを何度か続けていると、気づけば三日目の朝になっていた。
「執事長、限界です。ポーションください!」
「ホッホッホ、ポーションの素晴らしさに気づく若者が増えてくれて、私は嬉しいですよ。ですが、飲み過ぎも体に良くありませんからね。これで最後にしましょうか」
「そ、そうですか。美味しいのに残念でが、わかりました!」
「良い返事ですね。では、今日はお嬢様のお手紙を読んでみましょうか?」
「やってみます!」
私はエプロンドレスのポケットにしまっていた手紙を出した。
「『ミラへ』執事長!こ、これ!ミラへって書いてありますよ!わ、私読めてますか!?」
「ホッホッホ、安心しなさい。ちゃんと読めていますとも」
「や、やったー!やりましたー!…ぅうっうっ、これで……クビにならずに済みます。うっうっ、うぇぇぇん……」
「おやおや、まだ宛名しか読んでいないのに泣いてしまうとは……。それにしてもクビとは、何のお話ですか?」
私は泣きながら、ことの経緯を説明する。泣きすぎて、何も言えてない気がしたけど、執事長は優しく『そうですか、そうですか』と頷きながら聞いてくれた。
「ホッホッホ、本当によく頑張りましたね。ミラさんは偉いですね」
「…んぐっ、えぐっ、ううぅ……。お見苦しい姿を見せて済みません」
「とんでもない。頑張った女性を慰めるのは紳士の誉ですので気にしないでください」
私は引き攣る呼吸を抑えながら、再び手紙に目を落とす。ふと、視界の端が光ったので見上げると執事長が二人になっていた。
「……っ、どうしたのですか?……っ、執事長?」
「いえ、ミラさんの話を聞いてたら用事を思い出しましてね。分身を向かわせようかと」
「お忙しいのにすみません」
「気にしないでください。少々メイド長とお話しするだけですので」
やはり、この大きなお屋敷を管理し取りまとめるお二人には、話し合いは必要不可欠なのだ。いつも誰よりも働いているお二人に敬礼!
「おや、可愛らしいミラさんが敬礼しても、様にならないですね」
「いえ、これは普段お忙しい中、私のような下っ端の使用人にまで手を回してくださるメイド長と執事長に敬意を、と思いまして」
「ホッホッホ、その心意気は貰っておきましょうかね。では、続きを読んでみてください。私は二階にありますので」
「ん……?一緒に読まないのですか?」
「淑女の手紙を覗き見ては、紳士が廃れてしまいます。読み終わりましたらお呼びくださいね」
そう言って執事長は静かに二階へと向かった。
「紳士とは大変なのですね……」
手紙を見る。裏には封蝋がついており、伯爵家の紋章が浮かび上がっている。
「こ、こんな綺麗な封蝋を切ってもいいのでしょうか?紋章に傷でもつけたら不敬罪になるんじゃ……」
頭の中で、不敬罪を宣告され、牢馬車にぶち込まれ、断頭台に上がる自分を想像する。うん、無理ですね。私には封を開けられない。
勢いよく立ち上がり、命乞いをしに執事長の元へ走っていく。
「執事長!!執事長!!助けてください!このままでは私が捕まって死刑です!」
「ホッホッホ、まさか階段を登る途中で呼び止められるとは思いませんでした。どうされましたか?」
「こんな綺麗な封蝋を、私のような平民が切ったら不敬罪で捕まって死刑に……ど、どうすれば!?」
「ホッホッホ、想像力豊かですね。安心しなさい。封蝋を破った程度で怒られたりしませんよ。」
「そ、そうなのですか?」
綺麗な色をした封蝋を見る。私にこれを破れるだろうか。私の気を察してくれたのか、執事長が声をかけてくれる。
「それでは今回はこれを使いましょうか」
「ん?……な、ナイフ?!」
いつの間にか執事長の手には鈍色に光る一本のナイフが握られていた。
「ホッホッホ、これはレターオープナーと言いまして、手紙をの中身を傷つけずに開けるためのものです。これなら安心でしょう」
「そ、そんなものがあるのですね」
「ホッホッホ、また一つ賢くなりましたね。では手紙をお借りできますか?」
「はい、お願いします」
手紙をオープナーで切る音を初めて聞いだけど意外とドキドキする。さっきまで封がしてあったものが開く、初めて貰った手紙が見れる。初めての瞬間が私の気持ちを高揚させる。
「開きましたよ。どうぞ」
「ありがとうございます!……えへへ」
綺麗な封蝋はそのままに、手紙の上の部分だけ開けられた手紙は、元からその形だったのでは?と思うほどに綺麗で滑らかな切り口をしていた。
手紙の中から柑橘系のような香りが私の鼻先を撫でる。
「何かいい匂いがします!」
「ホッホッホ、これはベルガモットの香りですね。王都のレターセットは、香りをつけて相手に贈るのが流行っていると聞いてます。きっとお嬢様がミラを思って、選んだ香りなのでしょう」
「わ、私をですか?そ、そそ、そんな恐れ多いです」
「ミラさん、手紙とは相手の顔を思い浮かべ、相手のために書く瞬間というのが、とても楽しいものです。お嬢様もきっと楽しんで書いてくださったのでしょうね」
「楽しんで……書く?」
お嬢様の笑顔を思い出し、胸の奥がポカポカと暖かくなっていくのを感じる。恐れ多いはずなのに、私の顔を緩みに緩み切って戻る気配がなかった。
「えへ、えへへ、えへへへへ」
「……では、私は二階に向かいます。何かあれば呼んでください」
「えへへ……はっ!執事長、あ、ありがとうございました」
再び執事長に頭を下げ、私は踵を返し机へと向かった。
椅子に座り、手紙を両手で持って掲げる。机に置いて眺め、いろんな角度から手紙を見る。
「私の手紙……えへへ」
緩んだ気持ちを振り払うように、頭を左右に振る。両手で頬を叩き、封筒の中に指を入れる。
出てきたのは、淵に金の装飾が施された硬い紙が一枚と、三つ折りになっているサラサラとした触り心地の良い、白くて薄い紙が二枚。
「この豪華なのはなんだろう?薄い紙から読んでみようかな」
周りが静かなせいか、紙の擦れる音が今日はやたらと大きく聞こえる。
綺麗に三つ折りにされた手紙をゆっくりと開く。
「“私の可愛いミラへ”」
私は伯爵様に雇われていると思っていたが、いつの間にかお嬢様のものになっていたようだ。
「“お元気ですか?私は元気です。ミラと離れ離れになってからもう直ぐ一年になります。学園での生活は楽しいですが、可愛いミラと一緒にいられないのが寂しいです”」
一年っていうのは、確か季節が一周することだとメイド長が言ってたっけ?確かに最近は温かくなってきたから、もう春なのかな。
「“なので、私はお父様にお願い事をしました。お父様は『学園での成績が上位五位以内に入れば叶えてやろう』と仰られました”」
成績とはなんだろうか?上位五位以内というのも意味はよくわからない。
でも、ちゃんと読めてる!……たぶん。
「“そして年度末試験で私はその条件を達成することができました。あの瞬間、お父様が成績表を見た時の顔を手紙に載せられないのが残念です”」
残念ということは、良くなかったのだろうか?
「“でも、これで無事お願い事を叶えることができて、私はとっても嬉しいです。早くミラに会いたいわ”」
さっきまで、残念と言っていたのに、次の文ではとっても嬉しくなっている。どういうことなのだろう?
きっと馬鹿な私にはお嬢様の崇高なお考えには及ばないのでしょう。
「“つきましては、王都の入都許可証を同封しました。ミラにまた会える日を心待ちにしています”」
王都の入都許可証とはなんだろう?同封と書いてあるので、この硬い紙がそうだろうか?
「“追伸:王都に着いたらいっぱいお出かけしましょうね! アリス=リル・ラーナ・デアドラッヘン”」
読めたと思うけど、知らない単語がちょこちょこあって、内容がよくわからない。
私は手紙がくしゃくしゃにならないように、気をつけながら封筒へと戻し、執事長のいる二階へと向かった。
一階とは違い、広い机は無く、小さな机が背を合わせた大きな本棚の側面にくっついている。
「大きいな。私が縦に三人繋がっても、一番上の本に届かないよ」
目の前の大きな本棚を見上げていると後ろから声がかかる。
「おや、もう読み終わったのですか?」
「執事長!あの、えっと、ちゃんと読めました!」
「それはそれは、良かったですね」
「はい!ただちょっと内容が難しくてよくわからないんです」
「難しいですか。もしかしたらお嬢様はミラさんではない誰かに読んで貰うつもりだったのかも知れませんね」
「だから、執事長に教えてほし——」
執事長にお願いをするギリギリになって、彼が紳士がなんたるかを言っていたことを思い出す。
「——かったんですけど、メイド長に聞きに行ってきます!」
「ホッホッホ、あなたの成長が早くて少し寂しくなってしまいますね。わかりました、分身がちょうどメイド長と話していましたので、今からミラさんが行くことを伝えておきましょう」
「あ、ありがとうございます!……それで、その……」
「どうかしましたか?」
少し俯きながら、執事長は尋ねる。
「……また、ここへ来てもいいでしょうか?」
執事長は私の頭を撫で、目尻のシワを深くして和やかに笑った。
「もちろんです。今度は正しい手紙の書き方でも教えてあげましょう」
「ほ、本当ですか!や、約束ですよ!」
「ええ、約束です」
「えへへ、ありがとうございます!」
約束の握手を交わして、私はメイド長の部屋へと向かった。三日しか経っていないのに、なんだかとても久しぶりな気がする。
廊下を歩く私の足取りは、鳥の羽のように軽かった。




