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伯爵家の見習いメイド

 青々とした芝生の上で、穏やかな風がベッドシーツを揺らしている。木々のざわめきが耳に心地良い。近くの高い山から吹く風と、すっかり上り切った太陽が洗濯物を早く乾かしてくれることを願いながら、自分が干した物を見る。


「うん!完璧ですね!」


 真横のシワ一つなく干されているシーツ類を見て私は笑う。我ながらいい出来ですね。


「なにが、完璧なんですか?」


 不意に後ろから声がして、思わず肩が飛び跳ねそうになる。錆びついた滑車のような動きで、首をギギギっと回して後ろを見る。

 そこには綺麗な銀髪をモブキャップにまとめた。切れ長の目元が凛々しいメイド長の姿があった。


「メ、メイド長……。こ、これは……えへへ……」


 彼女の冷え切った瞳が私を刺す。一瞬で背中まで寒気が走り、条件反射で腰を深く折り曲げる。


「す、すみませんでした!」

「人が干した洗濯物を見て笑っている暇があるのなら、ご自分の洗濯物をなんとかしなさい」


 そう言いながら彼女は私の後方を指差す。後ろに振り向くと、そこには水が滴るほど濡れたままのの洗濯物が所狭しと干されていた。


「干す前にある程度は水気を絞るように言いましたよね?な、ん、で!こんなにビショビショなんですか。それにまだ泡がついているのもありますよ?染め物屋でも、もう少し水気は絞っています」

「へぇー」

「『へぇー』ではありません!あなたはこの伯爵家のメイド見習いなのですよ?もっと、しっかりなさい!」

「は、はい……。すみませんでした」


 自慢ではないが、私は仕事を覚えるのがとても苦手だった。

 皿を拭けば真っ二つ。床を磨いては花瓶を倒してやり直し。そして洗濯……。惨敗。


 本当ならクビになっても、おかしくないのだろうけど、私はなぜが許してもらえている。

 それでも、()()私を拾ってくれた伯爵様のために、私は日々の努力を惜しまない!例え惨敗であっても!


「はあぁ。ほら、後ろで見ててあげますから泡を流すところからやり直しなさい」

「は、はい!メイド長!」

「返事だけは、いいのよね……」


 溜息をつくメイド長に見守られながら、私は今日もやり直しに励む。いつか、必ず完璧に仕事を完遂してみせる!


ビリッ。


「あ……」

「ちょっと、ミラ?今の音はなんですか?」

「えーっと、あははは……」

「………」

「す、すみま——」


バシャァッ。


 勢いよく立ち上がったことにより、スカートが洗濯カゴに引っかかり、中のものを全てぶちまける。


「あ……ああ……」


 無惨に広がる洗濯物を見て、これから起こることを想像する。振り返るとメイド長は想像通りのお顔だった。

 どんどん顔が赤くなっていくメイド長とは正反対に私の顔はみるみる青くなっていく。


「今すぐ、洗い直しなさい。終わるまで、オヤツはありませんよ!」

「は、はいぃぃ!!」


ツルッ。


「えっ?!」


 さっきまで洗濯物を見ていた私の視線は、いつのまにか青空を見ていた。どこまでも澄んだ空が今日は特に美しく感じられる。


バシャァンッ!


 洗濯物と同じくらいの濡れた私がメイド長を見上げる。まるで可哀想な子を見るような目をするメイド長。その視線が私の心を抉っていく。


「グスッ、すみません。すぐに片します」

「もういいです」

「で、でも……」

「あとは、私がやっておきますからミラはお風呂で体を清めてきなさい。そんな汚れた姿では洗濯物がかえって汚れてしまいます」

「は、はい……」


 メイド長に深く頭を下げて、涙を堪えながら私は使用人宿舎の浴場へと向かった。



 使用人宿舎の大浴場はとにかく広い。少し小柄な私なら百人くらい余裕で入りそうだ。

 びしょ濡れになったメイド服を脱ぎ、大浴場の洗い場で汚れを落とす。


「また、やっちゃったな」


 まとめた赤い髪の毛を解きながら、半生の声を漏らす。


 大浴場に私の声だけが響く。いつも綺麗なままで暖かいお湯が出るこの大浴場は魔道具と言うものでできているらしい。なんでもものすごく値段高いのだとか……。


「わ、私しか使ってないなんて、贅沢すぎて女神様に怒られないかな?」


 こんなに広い水場があると泳ぎたくなってしまうのはなぜだろう。


「ちょ、ちょっとだけなら女神様も許してくれるよね?」


 体の汚れを落とし、湯に足をつける。誰もいないことを確認してから……いざ!


「ミラ?メイド服は洗えましたか?」

「あ……」


 開いた扉の方を見る。私の体は浴場の端を蹴った力の影響で湯船をすいーっと移動していく。

 メイド長の顔がだんだんと険しくなっていくのがわかる。


「ミラ、早く出て私の部屋に来なさい。お話があります」

「……はい」


 呆れた顔をされながら、静かに伝えられたお説教部屋への片道切符に私は絞り出すように返事をした。

 これが女神様からの罰に違いないと思いながら、私は早々に支度を済ませ大浴場を後にした。



 メイド長のお部屋の前で深呼吸し、覚悟を決めてドアをと叩く。


「メイド長、ミラです」

「入りなさい」

「失礼します」


 扉を開ける。そこかしこに本が立ち並ぶ、まるで書斎のような部屋の中心にメイド長が座って書類仕事をしていた。

 

「そこに座りなさい」

「…はい」


 ペン先が髪と擦れる音がする。迷いのないペンの動きに素直に感動してしまう。私なら既に三回は書き損じているに違いない。


「ミラ、仕事はどうですか?」

「……失敗ばかりして、すみません」

「あなたの仕事を咎めるために呼んだわけではありません。メイドの仕事は楽ではありませんから、ですから、その……仕事が辛くはないですか?」

「それは、大丈夫です!住み込みで働かせていただけるだけでなく、お食事まで頂いてますから、これからも一生懸命働かせて頂きます!」

「そうですか」


 気のせいかな、少しだけメイド長の声色が上がった気がする。この調子で頑張るアピールをすればお説教を回避できるのでは!?


「メ、メイド長にはいつも、め、迷惑ばかりかけてすみません。でも、これから!もっと、もっと頑張って働きますので!」

「それはいいことを聞きましたね」


「は、はい!なので——」

「もっと頑張るのなら、もっと厳しくしても平気ということですね」

「——これからもよろしくお願いします!……ん?……ええっ?!」


 顔を上げると、メイド長が満面の笑みで私を見ていた。


「あなたがそんなにやる気だとは知りませんでした」

「いや、ちが……くは、ないんですけど!そういう意味ではなくてですね」

「おや?メイドの仕事をやる気はないと?」

「あ、あります!頑張ります!」

「ふふ、そうですか。では、私と一緒に王都の屋敷へ向かって頂きます」

「はい!……え……?ええっ!?」


 メイド長は私の元まで来ると、手紙を一つ渡してきた。宛名は……字が読めないからわからない。


「……メイド長、これは?」

「お嬢様からあなたに向けたお手紙です」

「そ、そうなんですね!……それで中身はなんて書いてあるんですか?」

「お嬢様からあなたに宛てたお手紙を私が読むわけには行きません。あなたに一週間あげますから、その手紙を読めるようになりなさい。もしできなかったら……」

「で、できなかったら……?」


 私は緊張から喉を鳴らす。部屋の静かさが耳を突く。

 メイド長はニッコリと笑い言った。


「クビです」

「く、くくくクビ?!わ、わかりました。あ、今すぐ取りかかります」

「というのは、じょうだ——」

「部屋に戻って勉強してきます!お、お邪魔しました!!


 メイド長が何か言っていた気がするが、今それどころではない。部屋に戻ってこの手紙を解読しなくては!

 私はお嬢様のお手紙を読むために。そしてクビにならないために図書の間へと向かった。



 背の高い扉のドアノブを両手で持って捻る。私の頭の高さと同じくらいの位置にドアノブがあって、少し回し辛い。『ガチャリ』という音がして、扉が開く。扉の隙間から古紙の香りが漂ってくる。


「こんなに重たそうなのに簡単に開くんだよね。不思議だぁ」


 自分が開けた扉を見ながらそんなことを呟く。


「おやおや、これはまた珍しい人がいらっしゃいましたね」


 声のする方へ顔を向けると、二階の本棚の近くに白髪の男性を見つける。


「し、執事長!」

「ホッホッホ、図書の間で大きな声は御法度ですよ」

「し、失礼しました」

「ホッホッホ、元気ですね」


 執事長は目尻にシワを寄せながら、ゆっくりと階段を降りてくる。物腰柔らかく、いつも優しいが、姿勢を崩したところを見たことがない。なんなら、休んでるところも見たことがない。

 

「それで?また、どうされたんですか?」

「こ、これを読まないといけないの!」

「拝見しますね。これはアリスお嬢様の字ですね。そうですか、そうですか。これを読むために、文字を勉強しに来たのですね」

「は、はい!」

「ホッホッホ、ミラは偉いですね」


 執事長は笑い長い私の頭を撫でた。優しい撫で方に思わず顔がふやけてしまう。


「でも、ここでは少々難しいかもしれません」

「え?」

「図書の間には文字ばかりですからね。文字が読めないとここでの勉強は難しいでしょう」

「あ……」


 今更自分のマヌケさに気がつく。でもこの手紙を読まなければクビになってしまう。勉強する方法が何も浮かばず、不安が目に涙となって溜まっていく。


「そんな顔をしてはいけませんよ。あなたには笑顔がよく似合いますからね」

「で、でも、これが読めないと、私……|わだじ(わたし)……」

「おやおや、困りましたね。では、私が教えるというのはいかがでしょうか?」

「うっうっ…っ。い、いいのですか?執事長も忙しいですよね?」


 執事長は笑いながら、指を鳴らす。彼の真横に魔法陣が現れ、執事長と瓜二つの人が現れる。


「私が女神様から授かったスキルの一つは分身。あなたのために一人貸し出すとしましょう。それでいかがですか?」

「す、すごい!執事長が二人!どっちが本物ですか?」

「「ホッホッホ、元気ですね。右かもしれませんし、左かもしれませんね」」

「ほぇ〜……」


 二人の執事長は私の反応を見て笑う。同じ人の声が二重に聞こえるのはなんだか不思議だ。


「それで、私の指導受けてみますか?」

「は、はい!お願いします」

「これはこれは、良い返事ですね。では本日から読み書きのお勉強を始めるとしましょう」

「はい!」

「元気ですね。では、メイド長に本日から3日間、メイドの仕事は休むとお伝えください。私が言ったことを伝えれば彼女も無碍にしないでしょう」

「わかりました!行ってきます!す、すぐに戻ってきますので!」


 終始笑顔の執事長に礼をして、私は急足でメイド長の部屋へと向かった。気持ちが軽くなったせいか、来た時よりも廊下が短く感じた



 ところ変わって、メイド長の部屋へと来た私をメイド長は不思議そうな顔で見てくる。図書の間であったことを話すと彼女の目は驚きの色に染まった。


「す、すみません。少し疲れているのか聞き間違えたかもしれません。……ミラ、誰に師事いただくことになったと?」

「メイド長、大丈夫ですか?無理は体に良くありませんよ?先ほどもお話ししましたが、執事長が教えてくれることになりした!優しいおじいちゃんです!」


 メイド長は珍しく、眉間に少し皺を寄せ怪訝な顔をする。


「おじいちゃんなんて不敬ですよ。……優しい?あの方が?そんなバカな……。ミラ、聞きなさい」

「はい、何なりと!」

「あのお方に師事頂くのですから、失礼の無いように。それと……気を確かに……。三日間お休みの話は了解しました。そ、その……頑張ってください」

「はい!頑張ります!それでは失礼します」


 メイド長に見守られながら、私は彼女の部屋の扉を閉め、再び図書の間へと向かった。なぜか背中に一瞬寒気を感じたが、そんなことは気にも止めず、スキップしそうなほどの軽い足取りで執事長の元へと足を踏み出した。

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