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第22話:三角関係(?)の始動

---


 赤城が転校してきてから数日。

 彼の学園での立ち位置は、瞬く間に「ちょっと怖いが頼れる不良系のイケメン」として確立しつつあった。

 持ち前の運動神経と、裏社会で培った粗削りだが強気な態度は、退屈な日常に刺激を求める生徒たち(特に女子)から好意的に受け入れられていた。


 だが、当の赤城本人は、そんな周囲の評価などどうでもよかった。

 彼の神経は、ただ一点——あるいは「一組」の存在に集中していた。


(……なんで、凛先輩があんな奴と……)


 教室の後方。

 白石凛が、自席から身を乗り出すようにして黒瀬に話しかけている。

 黒瀬は手元の文庫本から目を離さず、生返事だけを返している。白石はそれに怒るでもなく、「もう、聞いてるの黒瀬くん?」と少し楽しそうに笑っていた。


 その光景が、赤城にはどうしても納得がいかなかった。

 特務機関において、白石は高嶺の花だった。誰もが憧れる絶対的な実力者でありながら、誰に対しても分け隔てなく優しい『聖女』のような存在。

 そんな彼女が、なぜかこの学園では、どこにでもいるような——いや、平均以下の陰気な男の隣に好んで居座っているのだ。


(あいつの何がいいんだよ。……確かに、一瞬だけ妙な迫力はあったが……それ以来、ただの無気力野郎じゃねぇか)


 赤城の苛立ちは、徐々に明確な敵意へと変わっていった。


---


「おい、黒瀬」


 体育の授業。グラウンドでのバスケットボール。

 チーム分けの際、赤城はわざと同じチームになった黒瀬に声をかけた。


「……何だ」


 面倒くさそうに顔を向ける黒瀬。体操着姿の彼は、相変わらずひょろりとしていて、とてもスポーツができる体格には見えない。


「ちょっと勝負しようぜ。オフェンスとディフェンス、一対一だ」

「……嫌だ。俺はパス回しだけやってる」

「逃げるのか? 男のくせに、だっせぇな。凛先輩が見てる前で恥かきたくないとか?」


 赤城が体育館の隅を顎でしゃくると、見学をしていた白石がこちらを見て小さく手を振った。


 黒瀬はため息をついた。ここで断り続ければ、赤城の性格上さらに面倒なことになる。


「……一回だけだ」

「上等だ。俺が攻める。止めてみろよ」


 赤城がボールを持ち、低く構える。

 本気で抜くつもりだった。プロ顔負けのクロスオーバーで、黒瀬をコートに這いつくばらせる。そうすれば、少しは白石の目も覚めるはずだ。


「行くぞ!」


 ドンッ、と鋭いステップを踏み、赤城が右に切り込む。並の高校生なら反応すらできないスピード。


 だが。


「……あ」


 赤城の身体が黒瀬の横をすり抜けようとした瞬間、黒瀬は「あっ、速い」と棒読みで呟きながら、絶妙なタイミングで足を滑らせた。


 黒瀬がバランスを崩し、尻もちをつく。

 赤城は何の抵抗も受けないまま、ぽっかり空いたゴール下へ悠々とレイアップを放った。ボールはネットを揺らし、スワッシュという小気味良い音を立てた。


「……おい」


 赤城はボールを拾い上げ、床に座り込んでいる黒瀬を見下ろした。


「今のはわざとか?」

「……いや。速すぎて見えなかった。すごいな、お前」


 黒瀬の声には、一切の感情がこもっていなかった。抑揚のない、完璧な棒読み。

 運動神経が鈍い高校生を完全に「演じて」いる。しかも、ただ手を抜くのではなく、相手に「自分は勝った」と見せかけるための、緻密な計算に基づいた敗北。


 それを肌で感じ取った赤城の表情が歪んだ。


(ふざけんな。こいつ……俺を馬鹿にしてんのか)


「……つまんねえ」


 赤城は舌打ちをして、ボールを黒瀬の腹に軽く投げつけた。

 勝負に勝ったはずなのに、屈辱感だけが残った。


---


 放課後。生徒会室。


 白石は一人で残高計算の書類と格闘していた。

 特務機関での彼女は完璧なエージェントだが、どういうわけか生徒会の事務仕事となると、途端にポンコツな一面を見せる。


「うーん……ここの数字が合わないなぁ……」


 電卓を叩きながら、白石は眉間にシワを寄せていた。

 そこへ、ノックの音がしてドアが開く。


「凛先輩、差し入れっす」


 ひょっこりと顔を出したのは赤城だった。手には缶コーヒーが二つ握られている。


「あ、赤城くん! ありがとう!」


 白石がぱっと顔を輝かせる。その後輩としての振る舞いが嬉しかったのか、彼女の顔には「頼もしい後輩を可愛がる先輩」の笑みが浮かんでいた。


「お疲れ様っす。手伝うことありますか? ……まぁ、計算とか苦手なんすけど」

「大丈夫だよ。あとちょっとだから。そっちに置いておいて」


 赤城がデスクの端にコーヒーを置いた、その時だった。


「あっ、そうだ。ここのファイルも……きゃあーーー!」


 別の書類を取ろうと手を伸ばした白石の肘が、置かれたばかりのコーヒー缶に見事にクリーンヒットした。

 缶が倒れ、中身がこぼれる。茶色い液体が、真っ白な書類に向かって容赦なく広がっていく。


「あぁっ! 嘘! せっかく計算したのに!」


 パニックになる白石。赤城も慌てて止めようとするが、どうしていいか分からずただ手をパタパタさせるばかり。


 その時。


 スッ、と。

 横から無言でティッシュの箱が差し出された。


 そして、流れるような動作でコーヒーの海に数枚のティッシュが重ねられ、液体の進行がピタリと止まる。被害は最小限——書類の端がわずかに茶色く染まっただけで済んだ。


「……慌てるからだ」


 静かな声。

 そこに立っていたのは、たまたま生徒会室の前を通りかかった黒瀬だった。彼は一枚も表情を変えることなく、手際よく机の上を拭き上げている。


「黒瀬くん……!」

「ちょうど帰るところだった。……お前、こういう事務作業向いてないんじゃないか」

「うう……否定できない……」


 白石は申し訳なさそうに肩をすくめ、そしてパッと顔を赤くして「ありがとう」と微笑んだ。


「助かった。やっぱり黒瀬くんは頼りになるね」

「……たまたまだ」


 黒瀬は使用済みのティッシュをゴミ箱に捨てると、「じゃあな」とだけ言って背を向けた。


 そのやり取りを、赤城は完全に置き去りにされた視線で見つめていた。

 自分が持ってきたコーヒー。

 自分が手伝おうとした空間。

 なのに、おいしいところは全部……あの無気力な男が持っていった。


「……俺の、コーヒー……」


 赤城は空になった缶を見つめながら、涙目で悔しさを噛み殺した。


---


「お前も白石さんのファンなのか!?」


 翌日。昼休みの学食。

 赤城の前にドカッと座ったのは、鋼田鉄心だった。彼の手には、大盛りのカツカレーが握られている。


「は? なに急に。誰だお前」

「俺は黒瀬の親友の、鋼田鉄心! 見たぞ赤城。お前、いつも白石さんのこと目で追ってただろ」

「……っ! ち、違っ……!」


 図星を突かれた赤城が慌てて否定しようとするが、鉄心はニカッと歯を見せて笑った。


「照れるなよ。分かるぜ、その気持ち。白石さんは俺たちの女神だからな。でもな、お前には勝ち目ねえぞ。だって白石さん、黒瀬のことがお気に入りだからな!」

「……なんであんな奴が。絶対におかしいだろ」


 赤城が本音を漏らすと、鉄心は深く頷いた。


「だよな! 俺も最初はそう思った! でもなぁ、あいつら見てると、なんかこう……いい雰囲気なんだよなぁ。だから俺は、今では黒瀬と白石さんを応援する『見守り隊』の隊長なんだわ」


 鉄心はドヤ顔で言い放つ。赤城は呆れた顔をした。


「なんだそれ。……お前、黒瀬の親友って言ってたな。あいつのこと、詳しく教えろ。弱点とか」

「お? ライバル心剥き出しだな! いいぜ、教えてやる。あいつの弱点はな……『猫舌』だ。熱いお茶出すとしばらく無言になるぞ」

「……他には?」

「うーん……『朝が弱い』かな。一時間目は大体寝てる」

「……」


 赤城は頭を抱えた。

 知りたいのはそんな「普通の高校生」の生態ではない。あいつの裏の顔、得体の知れない気配の正体だ。

 しかし、この脳天気な大男は、黒瀬がただの無害な友人だと心の底から信じ切っているようだった。


(……まぁいい。こいつを利用すれば、黒瀬の情報を引き出せるかもしれない)


 赤城は鉄心に調子を合わせることにした。

 以降、学園内で「白石ファンクラブ(仮)」という謎の繋がりで、鉄心と赤城が妙に意気投合する光景が見られるようになる。そして鉄心は、無意識のうちに黒瀬と赤城の間の「クッション役」として、絶妙なバランスを取り始めることになる。


---


 同じ頃。保健室。


「——というわけで、面倒なのがもう一人増えたな」


 灰原ナギ——表向きは養護教諭、裏の顔は記憶操作の異能者であり黒瀬の協力者——は、机の上に広げた書類を指先で弾いた。


 ベッドに腰掛けていた黒瀬が、静かに視線を向ける。


「赤城焔。特務機関のB級エージェント。異能は『業火操作』。昨日、転入生として潜り込んできたガキだ」

「……やはり、特務機関か。白石の護衛か?」

「それもある。だが……もう一つの目的は別だ。蝶野の指示で動いている可能性が高い」


 灰原はメガネのブリッジを中指で押し上げ、真剣な目で黒瀬を見た。


「『ファントムの正体調査』だ。奴らは、ファントムがこの学園の関係者だと目星をつけている」

「……」

「白石だけじゃない。あの赤城というガキも、お前の『普通』を脅かす存在になるぞ。気をつけておけ」


 黒瀬は無言のまま、自分の手のひらを見つめた。

 昨日、赤城に見せた一瞬の「隙」。彼が何かに感づいたのは間違いない。


「……分かっている」


 黒瀬は短く答え、ベッドから立ち上がった。

 学園での日常。白石との、静かで穏やかな時間。

 それを守り抜くために築き上げた「普通の高校生」という嘘の壁が、特務機関の手によって徐々に、しかし確実に削り取られようとしている。


 外では強い風が吹き荒れ、保健室の窓ガラスが不吉な音を立ててガタガタと震え続けていた。

 嵐は、もうすぐそこまで来ている。

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