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第21話:転入生

---


 蛇の目の一件が片付き、聖嶺学園には再びありふれた日常が戻ってきていた。


 秋の気配が色濃くなり始めた朝。

 二年三組の教室には、始業のチャイムが鳴る前のざわめきが満ちていた。

 黒瀬零は自分の席で、窓の外を流れる雲をぼんやりと眺めている。隣の席では、白石凛が友人たちと楽しそうに談笑していた。時折、彼女の透き通るような笑い声が聞こえてくる。


「ねえねえ、今日転入生が来るって噂、本当かな?」

「マジ!? 男の子? 女の子?」

「なんかすっごいイケメンらしいよ! 隣のクラスの子が見たって!」


 どうやら、女子たちの話題はそれ一色のようだった。

 黒瀬は密かにため息をつく。転入生。平和な学園生活においては一種のエンターテインメントだが、黒瀬にとっては「イレギュラーな要素」でしかない。面倒事にならなければいいが、と思う。


 ガラリ、と教室のドアが開き、担任の教師が入ってきた。


「はいはい、席につけー。朝のHR始めるぞ」


 担任の言葉に、生徒たちが慌てて自分の席に戻る。教室が静まり返ったのを見計らい、担任は一つ咳払いをした。


「えーと、噂で聞いている奴もいるかもしれないが……今日からこのクラスに新しい仲間が加わる」


 女子生徒たちから「おぉー!」と歓声が上がる。男子たちは「なんだよそりゃ」とつまらなそうな顔をしている。


「入れ」


 担任が廊下に向かって声をかける。

 ゆっくりと、教室に足を踏み入れたその生徒を見て、教室内の空気が一変した。


「……うわぁ」

「マジか……」


 どよめきが広がる。

 現れたのは、燃えるような赤髪をした男子生徒だった。

 制服のシャツは胸元まで大きく開けられ、ネクタイは緩く結ばれている。耳には銀色のピアスが光り、その立ち姿からは隠しきれない反骨精神と野性味が漂っていた。


「……赤城焔あかぎ・ほむらだ。よろしく」


 黒板に乱暴な字で名前を書くと、赤城は不敵な笑みを浮かべて教室全体を見渡した。

 女子生徒の何人かが「かっこいい……!」と目を輝かせ、男子生徒たちは「なんだあのチャラいのは」と眉をひそめている。見事なまでに評価が二分されていた。


「よし、赤城の席は……あそこの空いてる席だ。窓側から三列目の」


 担任が指差した席に歩きながら、赤城は鋭い視線を教室のあちこちに巡らせていた。

 その目は、ただの不良高校生のものではない。獲物を探す肉食獣のような、鋭い観察眼。


 黒瀬は窓の外を見るふりをしながら、その歩き方を視界の隅で捉えていた。

 (……足音が全くしないな。重心ブレがない。素人じゃない……)

 ただのヤンキーではない。何らかの訓練を受けた者の歩法だ。黒瀬の脳内で、密かに警戒レベルが一段階引き上げられる。


---


 ——赤城焔。

 彼の表向きの顔は、素行不良で転校を繰り返すヤンキー高校生。

 だが、その真の顔は特務機関に所属する『B級エージェント』である。

 異能は『業火操作』。炎を自在に操り、対象を焼き尽くす高火力の能力者。


 彼がこの聖嶺学園に送り込まれた理由は二つ。

 一つは、組織のエースである『スノウ』——白石凛の護衛および単独任務のサポート。

 そしてもう一つが、特務機関を悩ませている謎の掃除屋『ファントム』の正体調査だった。特務機関の指揮官である蝶野から直接下命された、極秘任務である。


(まったく……なんで俺様がこんな平和ボケした学校で、お遊戯会みたいな真似を……)


 席についた赤城は、退屈そうに頬杖をついた。

 だが、視線の先にはしっかりとターゲットの一人——白石凛を捉えている。

 特務機関の後輩である赤城にとって、白石は「頼れる先輩」であり、同時に「いつか越えたい目標」でもあった。彼女に単独任務を任せきりにするわけにはいかない、という意地もある。


(とっととファントムの正体を暴いて、蝶野さんに報告してやるぜ)


 始業のチャイムが鳴り、一時間目の授業が始まっても、赤城の頭の中は任務のことでいっぱいだった。


---


 一時間目の授業が終わり、休み時間になった途端。

 赤城の席には、物珍しそうに集まってきた生徒たちで人だかりができていた。


「ねえ赤城くんってどこから来たの?」

「その髪、地毛?」

「前の学校でなんかトラブル起こしたってマジ?」


 矢継ぎ早に飛んでくる質問を、赤城は適当にあしらっていた。


「あー、まぁ適当に色々あってな。髪は染めてるに決まってんだろ」


 めんどくせぇ、と心の中で毒づきながら、赤城は隙を見て立ち上がった。

 そのまま真っ直ぐに、教室の最後列、白石の席へと向かって歩き出す。


「よぉ、凛……さん。久しぶりっすね」


 特務機関での癖で「先輩」と呼びそうになるのを寸前でこらえ、赤城は白石に親しげに声をかけた。


 白石は驚いた顔で目を瞬かせた後、パッと顔を輝かせた。


「あ、赤城くん! 本当に久しぶり! 元気だった?」


 二人の親しげな様子に、教室中の視線が集中した。

 「あの二人、知り合い?」「マジかよ、白石さんと不良が……?」と、ひそひそ声が広がる。


「まぁ、相変わらずっすよ。まさか同じクラスになるとは思わなかったっすけど」


 赤城は笑顔を作りながら、白石の隣の席に視線を移した。

 そこには、窓の下枠に肘をつき、無表情でこちらを見ている黒髪の男子生徒がいた。


「……凛さん。隣の席のやつ、誰っすか?」


 赤城の問いに、白石は嬉しそうに黒瀬を指し示した。


「黒瀬くん! 私の、大切なお友達!」


 その言葉に、赤城は耳を疑った。

 特務機関のエースであり、圧倒的な実力を持つ氷の異能者『スノウ』が、こんな——どこにでもいるような、地味で陰気な男を「大切なお友達」と呼んだのだ。


(……なんだこいつ。ただの陰キャじゃん)


 赤城は黒瀬を上から下まで値踏みするように見つめた。

 ひょろりとした体格。どんよりとした目つき。存在感が薄く、クラスの端っこで息を潜めているようなタイプの男。どう見ても、特務機関が警戒するような人物にも、白石の隣に相応しい人間にも見えない。


「初めまして、黒瀬……零っす。凛さんにはいつも世話になってるんで、赤城もよろしくな」


 赤城は適当な愛想笑いを浮かべて黒瀬を見下ろした。

 だが——


 黒瀬がゆっくりと視線を上げ、赤城の目を見た瞬間。


 ゾクリ、と。

 赤城の背筋に、氷を当てられたような悪寒が走った。


 黒瀬の瞳。それは、底の見えない深淵のように暗く、静かだった。

 表面的にはただの無気力な高校生。だが、その目の奥に一瞬だけ現れた『光のなさ』は、裏社会で何度も死線を潜り抜けてきた赤城の「本能」を強烈に刺激した。


(——なんだ、こいつ……?)


 赤城は思わず一歩、後ずさりそうになった。

 こいつは、ただの一般人じゃない。何かがおかしい。決定的な『異物』の匂いがする。


「……よろしく」


 黒瀬は短くそれだけ言い、再び視線を窓の外に戻した。

 先ほどまでの異様な重圧は嘘のように消え去り、そこには再び「ただの気怠げな男子生徒」が座っているだけだった。


(……気のせい、か?)


 赤城は内心の動揺を隠すように、軽く舌打ちをした。

 しかし、違和感は拭えない。注意しておく必要がある。


---


 そして、昼休み。


「凛さん! 昼飯、一緒に食おうぜ。購買でなんか買ってくっからさ」


 赤城は強引に白石を誘った。任務の打ち合わせも兼ねて、早めに彼女と接触しておきたかったからだ。


 だが、白石は困ったように眉を下げる。


「ごめんね、赤城くん。私、黒瀬くんとお昼食べる約束してるの」

「……は?」


 赤城の顔から笑顔が消えた。

 白石は机の横に用意していた手作り弁当の包みを持ち上げ、隣の席の黒瀬に微笑みかける。


「黒瀬くん、屋上行こ?」

「……ああ」


 黒瀬は鞄から無骨な弁当箱を取り出すと、ゆっくりと立ち上がった。

 二人が並んで教室を出て行こうとするのを、赤城は信じられない思いで見つめていた。


(なんで……なんで凛先輩が、あんな陰キャ野郎なんかのために……!?)


 嫉妬と苛立ちが、赤城の胸の中で炎のように燃え上がった。

 彼は足早に追いすがり、黒瀬の肩を乱暴に掴んだ。


「おい、お前」


 ぎろりと、凄みを効かせた視線で黒瀬を睨みつける。


「白石先輩に、気安く近づくんじゃねえよ。お前みたいな地味な奴が、釣り合うわけねぇだろ」


 それは、ただの不良の脅し文句だった。同時に、裏世界を生きる者としての「お前のような凡人が関わるな」という警告でもあった。


 だが。


「……俺に言われてもな」


 黒瀬の態度は、どこまでも平坦だった。

 恐怖の欠片も見せず、かといって反発するでもなく、ただ「迷惑だ」とでも言いたげな、凪いだ海のような瞳で赤城を見返してくる。


「っ……てめぇ……!」


 赤城の右手に、微かな熱が宿りかける。異能が感情に引っ張られて顕現しそうになるのを、必死に抑え込む。


「赤城くん、やめて!」


 白石が慌てて黒瀬と赤城の間に割って入った。


「黒瀬くんに手を出したら、私、怒るからね!」

「……っ! チッ……!」


 赤城は舌打ちをして、黒瀬の肩から手を離した。

 白石は黒瀬の背中を押すようにして、逃げるように廊下を歩き去っていく。


 取り残された赤城は、苛立ちに任せて壁を強く殴りつけた。ドンッ、という鈍い音が響く。


「……ふざけんな。なんだあの野郎」


 赤城の瞳に、黒瀬零という存在が「腹立たしい障害」として、そして「得体の知れない異物」として強く刻み付けられた瞬間だった。

 平和なはずの学園生活の裏側で、焦げ臭い不穏な火種が静かに、だが確実にくすぶり始めていた。

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