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ヴォワティール王国

可憐な後輩令嬢だと思っていたら実は男でした〜婚約者の裏切りまで発覚するなんて聞いてません〜

作者: 川原にゃこ
掲載日:2026/01/29

長編作品「盲目の令嬢にも愛は降り注ぐ」

短編「頼りない婚約者が強くなるにはどうしたらいいかご存知ですか?」と同じ世界観です。

読まなくてももちろんお読みいただけますが、ページ上部シリーズリンクより、あわせてご覧いただけると嬉しいです。


どうぞよろしくお願いいたします。



「あの子に関わるのはやめたほうがいいと思うけど……」と、友人のニネット・ル・ジャンドルが言ったので、エヴリーヌは「珍しいこともあるものだ」と驚いたのを覚えている。

 今思えば、あの忠告を素直に聞いておけばよかった、と悔やむばかりだが、後悔なんていつだって先には立たないものである。


 なんとも大人しい子だな、というのが、ユーリ・ド・リッシュに対するエヴリーヌの第一印象だった。彼女はいつもおどおどしていて、見ているこっちがもどかしい気持ちになることもあるくらいだ。もうちょっと堂々としていたって、罰は当たるまい。

 そんな彼女のことを、明らかにネガティブな意味合いで評したニネットの言葉に、エヴリーヌは「どうしてそんなことを言うの?」と応じた。


 友人であるニネットの名誉のために断っておくが、彼女はもともと他者を不当に悪く言うような人物ではない。彼女は正義感が強く、おまけに気も強いが、曲がったことは嫌いなタイプだ。そんな彼女が、ばつが悪そうな顔で「うーん……」と唸る。


「彼女、一時期、フランシスに付きまとっていてね……」


 フランシスというのは、ニネットの優しくてハンサムな婚約者だ。

 彼は、ニネットにはもちろん、誰にだって優しいから、婚約者がいたとて想いを寄せる女子は後を絶たない。

 しかし、大抵の賢明な女子は、フランシスがニネットのことを大好きであることを知っていたし、ニネットを敵に回すようなことをしたくないので、その恋心は宝石箱に秘めていたものだが。


「付きまとうって。なに、嫉妬?」

「私の嫉妬くらいならまだいいけど。なんというか、怖いのよ……あの子」

「怖いって。あなたに怖いものがあったなんてね」


 凄まじい眼光で威嚇するように私を睨みつけながらも、ニネットは困ったように眉をしかめた。


「なんていうか、私のことを真似して、私になろうとしているって言うのかな……。おかしいことを言っているって自分でも思うんだけど、なんというか……とにかく、怖いのよ。フランシスもあんなだから、強く拒否しないし。結局、ちょっとしたトラブルになりそうだったから、私から言ったのよね、フランシスにはもう近付かないでって。フランシスにもきつく言い聞かせたら、もう彼女の相手はしないって言われたし、ユーリももう来なくなったから、それ以上は私も関わっていないけれど。あのまま放っておいたら、もっと面倒なことになっていたような予感がするわ」


 珍しくニネットの瞳が不安に揺れていたので、エヴリーヌは「これが恋する乙女の悩みなのだなあ」だなんて呑気に考えていた。

 つまり、フランシスを盗られそうになってニネットは不安になっていたんだ。

 男勝りで有名なニネットにも可愛いところがあるじゃないか、と思いながら、エヴリーヌは「そうだったんだね」と適当な相槌を打っておいた。

 まあ、今更何を言われたところで、エヴリーヌは明日、ユーリにランチのお誘いを受けていたので、時すでに遅しだったのであるが。



 王立フロラシオン高等学術院は主に貴族の子女が通っており、エヴリーヌ・ド・オートヴィルも例外ではなかった。他の生徒たちがそうであるように、エヴリーヌにも婚約者がいて、学術院を卒業した暁には、晴れて婚姻する約束を交わしていた。

 中には、明らかな政略結婚の駒にされている者もいる中で、エヴリーヌとその婚約者であるランベールは良好な関係を築いていた。

 エヴリーヌはどちらかと言えば気が強い方で、同じく気の強いニネットとよく気が合った。ニネットも婚約者のフランシスとは仲が良いという境遇も似ていたので、二人は親友であった。


「エヴリーヌ様、今日は私のランチのお誘いをお受けくださってありがとう」

「いやいや、別にランチくらい大したことでは……」


 そんな親友のニネットの忠告を聞かず、疑惑のユーリと呑気にランチをしているなんて私は悪い女だなあと思いながら、中庭の芝生の上でランチボックスを広げていた。

 ユーリは、見た目はとても可愛らしい女子だ。

 碧い眼を縁取るまつ毛は長くてたっぷりしているし、ブロンドのロングヘアはウェーブがかっている。それに、小ぶりの綺麗な爪には可愛いピンク色のマニキュアが塗られていて、なんとも“女子”だ。

 エヴリーヌは見た目も性格もユーリと正反対だった。

 エヴリーヌは背が高く、黒い艶やかな髪の毛は男装の麗人のように短く刈り込まれている。母親はそんな髪型をしてきた娘を初めて見たときには卒倒しかけていたが、ランベールは「どんなきみでも素敵だよ」と言ってくれていたので、エヴリーヌは気にせず好きなようにしていた。


 とはいえ、エヴリーヌはどうしてユーリからランチのお誘いをされたのかさっぱりわからなかったので、隣同士に座りつつも、つい沈黙してしまった。

 一昨日、エヴリーヌは突然廊下で呼び止められて、「私はユーリ・ル・リッシュです。よかったら明後日、ランチをご一緒してくれませんか」なんて言われたので、何が何だかわからないままに応じてしまったのである。


 正直、エヴリーヌは同性にモテた。

 だから、こういった「見知らぬ女子生徒に呼びかけられて、お茶だとかランチをご一緒する」ことは何度かあったので、特に深く考えずに返事をしてしまったのだ。

 だが、大体そのような女子には“予兆”がある。エヴリーヌの近くをうろうろして、エヴリーヌと目が合えば顔を真っ赤にして走り去っていくのだ。

 だが、ユーリが自分の周りをうろうろしていたことなんて全く覚えがなくて、ニネットに聞いたのが冒頭であるが。


 エヴリーヌはちらりと横に座っているユーリを見た。すると、ユーリもこちらを見ていたようで視線がかち合った。ユーリは目を逸らすどころか、エヴリーヌの瞳をじっと見つめてきたので、エヴリーヌの方がいたたまれない気持ちになってつい目を逸らした。


 ──なんというか、怖いのよ……


 そんなニネットの言葉が、ふと脳裏をよぎる。

 しかし、ただ見つめてきただけで「怖い」と断じることはいけないことだと思い、エヴリーヌは気を取り直してユーリに話しかけるきっかけを探した。

 すると、ユーリはランチボックスの中からハムチーズサンドイッチを取り出したので、エヴリーヌは「あ!」と声を上げた。


「私も今日、ハムチーズサンドイッチ。好きなんだ、おいしいよね」

「奇遇ですね。私も好きです、ハムチーズサンドイッチ」


 ユーリはそう言って少し微笑みながら、ハムチーズサンドイッチを一口食べて、「おいしい」と笑う。

 なんだ、普通の女の子じゃないか、とエヴリーヌは思いながら、自分もサンドイッチを口にした。

 そのまましばらく、無言が続いたが、サンドイッチを一切れ食べ終わったユーリがその沈黙を破るように口を開く。


「……ランベール様とは、最近あまり会ってないんですか?」

「へ?ランベール?」


 突然、自身の婚約者の話題になったので少しエヴリーヌは素っ頓狂な声を出したが、うーんと考えたのちに、「そういえば、最近会ってないかも」と言った。ユーリはそれを聞いて、じっとエヴリーヌを見つめる。


「ユーリ?」

「あの、突然で申し訳ないんですが、もしよかったら、今度ランベール様もランチをご一緒していただけません?」

「うーん……」


 ──彼女、一時期、フランシスに付きまとっていてね……


 再び、ニネットの言葉が浮かぶ。

 エヴリーヌはしばらく逡巡したが「考えておくね」と言葉を濁した。ユーリもそれ以上は何も言ってこなかったので、エヴリーヌは話題を変えるように「そういえば、ユーリはどうして私をランチに誘ってくれたの?」と聞いた。

 ユーリは少し困ったように視線を逸らしたが、ややあって、「……エヴリーヌ様は覚えてらっしゃらないと思うんですが……」と口を開いた。


「うん?」

「学術院に入学したての頃、私は弱虫で、貴族としての家柄もそんなによくないので少し……他の級友にいじわるをされていて。悲しくて、中庭でつい泣いてしまっていたんですが、たまたま通りがかったエヴリーヌ様がハンカチを差し出してくださったんです」

「うーん……?そんなことがあったような、なかったような……」


 正直、一部の貴族たちはプライドがとても高く、家柄がどうだの婚約者の見た目や性格がなんだので、よくいざこざを起こしていたから、そういうことは社交界で日常茶飯事なのだ。悲しいかな、圧倒的に治安の良いフロラシオンでもそういったことはそれなりに起こる。

 困った者を放っておけないエヴリーヌは、今まで何度もそんな場面に遭遇してきたので、どうも記憶がごっちゃになっていて、ユーリのことをどうしても思い出せなかった。


「こんな可愛い子のこと、忘れるかな」

「わあ、ありがとうございます。でも、いいんです。私が覚えているので」


 そう言ってユーリは照れくさそうに笑った。


 なんだ、素直ないい子じゃないか。──若干、変わった子ではあるけれど。


 たぶん、ニネットはやっぱり、フランシスをとられそうになって、嫉妬にかられて不安になっていたのだろうと結論付けて、エヴリーヌはユーリとのランチを終えたのだった。


 ***


 ある日のこと、エヴリーヌは調べものをしようと院内図書館に訪れていた。レポート課題がかなり手強く、持っている文献だけでは太刀打ち出来そうもなかったのである。ニネットと一緒に調べものをしようとしたのだが、ニネットはフランシスと一緒に図書館に訪れるらしかったので、エヴリーヌは一人で調べものをすることにしたのだ。


 フロラシオンの図書館は、かなり大きい。

 蔵書数は恐らくヴォワティール王国の中でも指折りのものであろう。

 目当ての蔵書を検索したら、地下に配架されていたようだったので、人気の少ない地下にエヴリーヌは降りていく。

 すると、本棚の間から、ぼそぼそと男女の話し声が聞こえてきた。


 こんなところで逢い引きかあ、司書に見つかったらおっかないぞお、と思いながら、エヴリーヌはさりげなく声の主たちの姿をちらりと見た。

 しかし、次の瞬間、エヴリーヌは覗いたままの恰好で固まってしまった。


 そこにいたのは、ランベールとユーリだったのだ。


 二人もすぐにエヴリーヌに気付き、ランベールは足早にその場を後にして、そこにはユーリとエヴリーヌだけが残された。

 ユーリは何も言わず、こちらをじっと見ている。

 エヴリーヌも変なポーズのまま固まって、ユーリをじっと見つめた。


「エヴリーヌ様……」


 ユーリはぽつりと呟くようにそう言ったあと、表情を緩ませた。


「何か、探しものですか?」

「え……と。レポートの、資料を探しに……」

「そうなんですね。じゃあ、私、お邪魔ですね。それでは」


 ユーリは軽く会釈して、その場を後にした。

 後に残されたエヴリーヌの心臓は、痛いほどどきどきしている。


 どうして?

 なんであの二人が一緒にいたの?

 どんな接点があって?


 何度も考えるが、どうしても理由がわからない。

 動揺しながらも、エヴリーヌは目当ての本を見つけ出し、自習用の一人がけのデスクに腰を掛ける。

 本を開いて文字をなぞるが、どうも視線が滑って内容が全く頭に入ってこなかった。


 しばらくエヴリーヌの動揺は収まらなかったものの、だんだん冷静になってくると、物事を俯瞰して思い返せるようになってきた。


 二人は、別に抱き合っていたわけでも、キスしていたわけでもなかった。

 ただ、話をしていたように見えた。

 確かに、ランベールは逃げるようにどこかへ行ってしまったけれど、異性と二人でいるところを婚約者に見られたらばつが悪いのは当たり前だ。

 それに、ユーリだって、全然動揺していなかった。

 もし、二人がもし密会していたとして──あんなに冷静でいられるだろうか?何もやましいことがなかったから、あんなに落ち着いていただけなのでは?


 そうだ、そうに違いない、とエヴリーヌは思って、嫌な想像を消し去ることにした。

 いつだって、悪い予想はそうそう当たらないのである。杞憂に過ぎないことがほとんどだ。だから、今回のことだって、きっとそんなに悪いことじゃない。


「……でも、ユーリ。たしかに、私は少しあなたが怖いと思ってしまったよ……」


 そんなエヴリーヌの独り言は、図書館の静寂に溶けて消えた。


 ──あの子に関わるのはやめたほうがいいと思うけど。


 ニネットの言葉が、どうしても反芻してしまうのだった。



 ***



 図書館での一件から、エヴリーヌはランベールとユーリを無意識のうちに避けてしまっていた。ユーリはともかく、ランベールを避けるようになってしまったのはエヴリーヌにとっても誤算だった。

 ランベールとは、いい関係を築けていると思っていたのに、こんな些細なことで揺らぐなんて。そんなやわな気持ちでいたのだろうか、と自分に対してもショックだった。


 そんな折、移動教室のため回廊を歩いていたエヴリーヌは、ベンチで真っ青な顔をしてうなだれるユーリを見つけた。周囲は誰もユーリに気を留めていない。エヴリーヌは図書館のことを思い出し、そのまま通り過ぎてしまおうかと思ったが、今にも倒れそうになっているユーリをやっぱり放ってはおけず、エヴリーヌは踵を返してユーリの元に歩み寄った。


「ユーリ、大丈夫?」

「あ……エヴリーヌ様」


 真っ青な顔のまま、ユーリは力なくエヴリーヌを見上げる。エヴリーヌはユーリの前にしゃがみ込み、肩に優しく触れた。


「医務室に行こう。歩ける?」

「……いえ、大丈夫です。お構いなく……。授業に遅れてしまいますよ」

「大丈夫だよ。こんな状態のユーリを放っておけないよ。先生に来てもらおうか?」

「本当に、大丈夫です。医務室には行きたくない……」

「どうして?」


 ユーリは困ったように眉を下げた。

 縋るようにエヴリーヌを見るが、エヴリーヌも困ってしまった。

 医務室には行きたくない、というのなら、本人の意思を尊重したほうがいいのだろうか。けれど、本当に今にも倒れそうな顔色をしている。


「じゃあ、落ち着くまで側にいてあげる。でも、どうしても我慢できなくなったら、医務室に行くんだよ。手遅れになってからじゃだめだから」

「……はい」


 力なく、ユーリはそう答えた。

 エヴリーヌは鞄の中からショールを取り出して、ユーリの背中にかけてやり、さすってやる。しばらくそうしていると、ユーリも落ち着いてきたようで、ずいぶん顔色がよくなってきた。


「少しましになった?もしかして……生理?」

「せっ……」


 ユーリは言葉に詰まって俯いたが、エヴリーヌはそれを肯定と捉え、再度ユーリの背中を撫でた。


「じゃあもう今日は無理せず寮に戻ったほうがいいよ。部屋はどこ?」

「だ……大丈夫です。一人で戻れます。すみません、授業に遅刻させてしまって」


 ユーリは立ち上がり、ショールをエヴリーヌに返してから、ぺこりとお辞儀をしてふらふらと歩いていった。

「あっちは女子寮の方じゃないけど、大丈夫かなあ……」とエヴリーヌはその後ろ姿を心配そうに眺めるのであった。



 *



「……ふう」


 誰にも見られないよう細心の注意を払って寮の自室に戻ったユーリは、深くため息をついた。

 洗面台で顔を洗って、鏡の中に映る自分を真っすぐに見つめる。

 もう、こんなことを続けるのも限界だった。

 そもそも、なんでこんな馬鹿げたことを始めてしまったのだろう、と何度も自己嫌悪で押しつぶされてしまいそうになる。


 きっかけは、ランベールが他の女生徒を口説いているのを見たからだ。

 調べるうちに、エヴリーヌという婚約者がいるにも関わらず、彼は自分の恵まれた容姿を盾に、様々な女性とに手を出していることを知った。

 だから、どうにかしてそれをやめさせるか──決定的な証拠を掴みたかったのだ。


「だからって、こんなこと」


 自嘲するように呟きながら、ユーリは鏡の中の自分を恨めしげに見つめた。


「エヴリーヌ様を騙して、自分自身も騙して。本当に大馬鹿だ……」



 ***



「ユーリがエヴリーヌのこと探してたよ。3号棟の裏庭で待ってるから、来て欲しいんだってさ」

「あ、そうなんだ。わかった、ありがとう」


 授業の空き時間に寮の談話室で本を読んでいたエヴリーヌは、外から帰ってきたニネットにそう言付けられた。


「彼女、結構思い詰めた顔してたけど、何かあった?」

「ん……?うーん……なくはないけど」


 その言葉を聞いて、ニネットは「ほら見たことか」というような表情をした。しかし、フランシスとニネットの件とは違い、ユーリがランベールに接近していたのを見たのは1回だけだったし、ランベールからも特に何も聞いていない。

 それに、最後に会ったあの日だって、体調不良のユーリを看護しただけで、他に何もなかった。


「何か困ったことがあったら、力になるからね」と言うニネットに手を振りながら、エヴリーヌはユーリが待っているという3号棟の裏庭に向かった。

 3号棟はフロラシオンの敷地のかなり奥にあり、教授たちの居住棟であることから一般の生徒が近付くことはほとんどない。

 秘め事を話すには、うってつけの場所だ。


 エヴリーヌは、なんとなく予感をしていた。


 ──これはきっと、よくある”告白”だ。


 それも、ポジティブなやつじゃなくて、ネガティブなタイプのやつだ。

 実は、ランベールは女の子らしくて可愛いユーリの方が好きになってしまったとか……きっと、そういうやつかもしれない。

 確かに、自分はユーリとは正反対のタイプだし、ランベールからすると可愛い女じゃなかったかもしれない。でも、やっぱり、自分が否定されるのであれば──しんどいな、と思った。



「エヴリーヌ様……」


 エヴリーヌの足音にいち早く気付いたユーリは、すぐにベンチから立ち上がった。

 豊かな金髪が日光に輝いて、碧い眼は不安に揺れているが、透き通るような美しさだった。同じ女からしても、彼女は魅力的に見えた。


「ユーリ、待ったよね。遅くなってごめん」

「こちらこそ……来てくださってありがとうございます」


 ユーリは今にも泣きだしそうな顔をしていた。

 彼女は逆光の中、真っすぐにエヴリーヌを見つめる。


「今日は……エヴリーヌ様に謝りたくて」


 その瞬間、ざあっと強い風が吹いた。

 ユーリの長い髪が風に吹かれ、ユーリは反射的に髪を抑える。

 エヴリーヌも慌ててスカートを抑えた。

 そうしながらも、エヴリーヌは緊張で掌が汗ばむのを感じる。


 ──ユーリの口からどんな爆弾発言が飛び出しても、自分は冷静でいられるだろうか?


「実は……私……、……いや」


 そう言うと、ユーリは自分の頭頂部のあたりを掴んだ。

 そして、一気にそれを引っ張ったのだ。


「へ!?」


 ずるりとユーリの豊かな金髪は取り去られ、ウィッグネットが現れた。

 ユーリはウィッグネットも取り去ると、地毛をかき上げる。


 さっきまでの「ユーリ」が、目の前から消えた気がした。


 そして、ユーリは何度か咳払いをしたあと、重々しく口を開いた。


「実は、俺は……女じゃない。男なんです」


 そう言うユーリは、先ほどまでの可愛い女性声ではなく、中性的な男子の声になった。

 状況をうまく呑み込めず、ぽかんと口を開けたままのエヴリーヌに、「本当にごめんなさい」とユーリは続けた。


「で、でも……お化粧……。女子の……制服……」

「これ、妹のなんです。話せば長いんですが……ただ、これだけは信じてください。エヴリーヌ様に悪意を持って近付いたんじゃないんです。おねがい、信じてください」

「り、理解のある妹さんだね」


 エヴリーヌはそう言うのが精いっぱいだった。

 あの可愛いユーリが、男だった?


「で、でもフランシスに迫ったとか、なんとか」

「フランシス様には……ランベール様と、エヴリーヌ様のことを聞きたくて。フランシス様はお優しいので、色々教えていただいていたのですが、それがニネット様にあらぬ誤解を与えてしまい、ご迷惑をおかけしてしまいました。反省しています」

「ニネットにも色々聞いてたっていうか、なんか……色々あったっていうか、そういうようなことを聞いたけど……?」

「……俺が、エヴリーヌ様のことをお慕いしていたので……エヴリーヌ様と仲良しのニネット様のことをたくさん知りたくて、つい色々聞いてしまったというか、詮索してしまいました……。それも、ニネット様のご心痛に繋がったようで、猛省しています」


 ユーリが少し顔を赤らめつつも、ばつが悪そうな顔で言った。


「だからって、どうして女装なんか!?」


 エヴリーヌは一番の核心部分に踏み込んだ。

 ユーリは一瞬口ごもったものの、恐る恐る口を開こうとした。

 しかし、遠くから聞こえてきたくすくすという笑い声に気付き、ユーリは咄嗟に口を閉じて、手に持っていたウィッグを急いでかぶり直した。

 そしてエヴリーヌの手を取り、一緒に茂みに身を隠す。


 しばらくすると、二人の男女が寄り添いながら歩いてきて、ベンチに腰かけた。


「!?ランベー……」

「しっ」


 そのうちの一人の姿を見て、思わずエヴリーヌは声を上げそうになったが、それをユーリが遮った。

 見知らぬ女生徒寄り添って現れたのは、誰であろうエヴリーヌの婚約者のランベールだったのだ。

 頭を鈍器で殴られたような衝撃に、エヴリーヌはめまいを覚えたが、目の前の光景から目を逸らせずにひたすら穴が開きそうなほど見つめる。


 この位置では、二人の会話の内容までは聞き取れないが、二人は仲睦まじい様子で寄り添い、まるで二人が婚約者同士のようだ。ランベールは女生徒の長い髪をいとおしげに撫で、華奢な手を大事そうに握っている。

 そして二人は見つめ合い、口付けを交わした。

 決定的な瞬間であった。


「ユーリ……行こう」


 エヴリーヌはユーリに囁き、身をかがめたままその場を後にしたので、ユーリもそのあとを追った。



 3号棟から少し離れた場所にあるフロラシオンの庭園には、いくつか東屋があった。

 庭園のはずれの方にある東屋まで早足で向かったエヴリーヌは、柱の陰にあるベンチに腰かけた。

 ユーリはその隣に腰かけることもなく、まるで周囲からエヴリーヌを隠すようにエヴリーヌの側に立ったままだ。


「……ユーリ、このこと、知ってたんでしょ」


 ぽつり、とエヴリーヌが言った。

 ユーリはしばらくの逡巡ののち、「……はい」と小さく言った。


「ランベールって、浮気してたんだ。知らなかった。ユーリはいつから知ってたの?」

「……ずいぶん前からです」

「……そっか」


 知ってたんだ、とエヴリーヌはもう一度、ぽつりと呟いた。

 俯いているエヴリーヌの表情は窺い知れない。


「……こんなときに、髪の毛が長かったら、みっともない顔を隠してくれたのにね」


 ゆっくり顔を上げたエヴリーヌは、涙を目いっぱいに溜めていた。

 ユーリは思わず何か言葉をかけようとしたのだが、うまく言葉が出て来なくて、歯噛みした。


「女装して私に近付いたのも、ランベールのことを教えてくれようとしたってわけ?」

「……最初は、そんなつもりなかったんです。本当は、ランベール様にも、エヴリーヌ様にも接触するつもりはなかった。ただ、ランベール様の噂が本当か知りたかっただけなんです。でも、俺みたいに交友関係もほとんどなくて、影の薄い男から急に『ランベール様の噂って知ってる?』って持ち出されても、女子たちは怪訝に思うだけだろうって思って。それで、あの……今思えば自分でもおかしいんですけど、女子になろうって……思って」

「……うーん?」


 エヴリーヌは少し間の抜けた声を出した。


「俺……以前にもお伝えしたように、弱虫で、貴族としての家柄もそんなによくないので……入学当時、よく嫌がらせをされていました。だから、そんな自分が情けなくて、泣いていたらエヴリーヌ様に優しくしていただいて。すごく、救われました。いつか自分も、エヴリーヌ様みたいに困った人に手を差し伸べたりできるような、強い人になろうって思えました。最初はただの憧れだったんですけど、それからエヴリーヌ様をつい目で追うようになってしまって……エヴリーヌ様のこと、好きになってしまってました」


 ユーリは続ける。


「でも、エヴリーヌ様には婚約者がいるって知って、諦めようと思ってたんです。けど……ある日、ランベール様が、エヴリーヌ様以外の女生徒と親しくしているのを見てしまって。それから、ランベール様のことを注意深く見ていたら、あの……色んな女生徒と、親しくしていることに気付いてしまって……」


 ユーリはエヴリーヌを気遣いつつ、言いづらそうに続けた。

 なんと、ランベールの浮気はあれだけではなかったのか、とエヴリーヌは更に衝撃を受けた。ランベールは、エヴリーヌに「どんなきみでも素敵だよ」なんて宣いながらも、その裏で多くの女と遊んでいたのだ。それはエヴリーヌにとって、とても残酷な現実だった。


「俺も少し、おかしくなっていたんだと思います。エヴリーヌ様に幸せになっていただきたのに、ランベール様と一緒にいたらエヴリーヌ様は不幸になってしまうのではないか?でも、みんな大っぴらに言わないけれど、貴族に火遊びはつきもの、だなんて考えの人は未だに残っているから、お二人はもうそれも了承済みなのかな、とか、色々考えてしまって。でももし、そうでないのなら。いつしか、俺は、自分自身がエヴリーヌ様を幸せにしたいと、考えるようになってしまいました……」


 おこがましい、浅はかな考えを持ってしまった俺をお許しください、とユーリは続ける。


「この姿になったときに、ランベール様に声をかけられたんです。見ない子だね、って。ランベール様は、この姿の俺に興味を持ったみたいで。それで、いけないと思いながら、何度もこんな馬鹿げた姿になって、詮索ごっこまで始めて。結果的に、エヴリーヌ様を深く傷つけてしまいました。本当に、ごめんなさい」


 ユーリはそう言って、深く頭を下げた。

 エヴリーヌは黙ってその姿を眺めていた。

 もちろん、今の状況をすんなり受け入れられたわけではないし、ランベールのこともユーリのことも、納得したわけではない。

 でも、少なくともユーリは、ランベールと違って自分を傷つけようとしたわけではないことだけは、わかっていた。


「……そうだったんだ。図書館の地下でも、ランベールに言い寄られてたんだね……。体調不良だったのは、本当?」

「あ……あの……実はあの直前……ランベール様に……口付けをされそうになって……」


 それを聞いた瞬間、エヴリーヌは大いに噴き出してしまった。


「キスされそうになったの!?あっはっは」

「エヴリーヌ様!?」

「はー!男にキスされそうになったらそりゃ気持ち悪くもなるか!じゃあ、医務室に行きたがらなかったのはなんで?」

「医務室に行ったら養護教諭に学籍番号と名前を言わないといけないので……」

「あ、男ってバレるからか」


 はい、とユーリは俯いた。


「ユーリは本名だよね?」

「そうです。今思えば……誰かに気付いて欲しかったのかもしれません」


 影が薄いからか結局誰にも気付かれませんでしたけど、とユーリは自虐的に笑ったので、エヴリーヌもつられてあはは、と笑う。


「別に怒ってないよ。ランベールのこと、気付かせてくれて、むしろありがとう。正直、ランベールの不実にはショックだったけど……両親には手紙を書いて、今後のことを相談するようにするよ」


 そう言って、エヴリーヌは自分の感情を整理するかのように、両頬をぺちぺちと叩いた。


「ユーリは悪気があって一連の行動をしたってことは、ちゃんと伝わったよ。ありがとう。でも今は、失ったものを整理する時間がほしい。そっとしておいてくれたら嬉しいな」

「もちろんです。本当に……すみませんでした」


 ユーリはそう言って、またもう一度深々と頭を下げてから、東屋を後にした。

 一度だけ、こちらを振り向こうとしたが──思い直したように、前を向いたまま、歩いて行った。

 エヴリーヌはその後ろ姿を見送る。


 一人残されて、色々なことを思うと、「……辛いなあ」──ぽろり、と、涙が一筋だけ流れた。




 ***



「ユーリ、探したよ」



 突然の声に、人気の少ない場所で昼食を取っていたユーリはびくりと肩を震わせて振り向いた。

 そこには少しだけ髪が伸びたエヴリーヌがいて、突然のことに動揺してしまい、思わずハムチーズサンドイッチを落っことしてしまうところだった。


「エヴリーヌ様、どうして……?」

「探したよ、こんなところでランチしてたんだね」


 エヴリーヌはそう言うと、「失礼」と断ってからユーリの隣に腰をかけたので、ユーリはぽかんとエヴリーヌを見つめた。


「ようやく普段のユーリに会えたね」


 エヴリーヌはそう笑うと、ぽつりぽつりとここ数か月のことを話し始めた。


 ランベールとはきちんと話し合い、正式に婚約破棄をしたこと。

 両親は躍起になって次の婚約者を探していること。

 それを断ったせいで、両親と仲違いしてしまっていること。


「すみません……結果的に俺のせいで、婚約破棄どころかご両親とも不仲になってしまっただなんて」

「いいのいいの!ランベールの言い分も聞けたしね。あいつ、一応ちゃんと私のことも大事だったみたいなんだけど、やっぱり貴族は火遊びしてなんぼって考えの男だったから、そんな男はこっちからお断り。そんなことがあったのに、もう次の結婚相手のことを考えている両親にも呆れてるんだ、私は」


 そんなの時代錯誤だよ、ねえ?とエヴリーヌは言ったけれど、ユーリは罪悪感からか困ったような顔をしていた。


「本当に大丈夫だよ、今はもう吹っ切れたから。それに、もう一度、自分で選び直したかった。だから、ユーリにも会いに来たんだ。ユーリは、やり方はちょっと……かなり、変わってたけど……私のためを思って色々動いてくれてたんでしょう?」


 ありがとう、とエヴリーヌはにっこり笑った。

 ユーリは「いえ、そんな」とまたしても言葉を濁した。


「ん、ハムチーズサンドイッチ、また食べてるんだね」


 エヴリーヌは話題を変えるように、ユーリのランチボックスを覗き込む。

 ユーリは少しだけ照れくさそうな表情になり、「最初は……エヴリーヌ様がお好きだって聞いたので、自分も真似して食べ始めたんですけど、好物になりました」と言った。


「うんうん、おいしいものね」


 エヴリーヌもそう言って、自分のランチボックスを取り出した。


「今日はね、たまごサンドにしたんだ。たまごサンドもおいしいよ。よかったら半分、取りかえっこしよう」


 ユーリは一瞬目をまん丸くしたが、やがてふっと表情を緩ませて、「はい」と笑った。

 二人でサンドイッチを分け合いながら、エヴリーヌは、昼の光が思ったよりもやわらかいことに気付いて、穏やかな感情が自分を包むのを感じていた。


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