葬儀屋の失墜
告別式は、静かな熱に満ちていた。
白い菊の匂いが空気を満たし、遺影の前で香が焚かれるたび、薄い紫煙が天井へ伸びていく。参列者は皆、声を抑え、涙を袖で拭っていた。誰かが鼻をすする音さえ、厳粛な場の一部として溶け込んでいる。
祭壇の中央には、白い棺。
窓は開けられていた。そこに眠る中年男性の顔は、あまりにも穏やかだった。事故による激しい損傷など微塵も感じさせない。頬の影、口元の力の抜け方、瞼の重さ——残された者が「もう苦しくないのだ」と信じられる顔。
それを見た遺族は、何度も何度も頷いた。 「良かった」と、言い合う声が聞こえる。
式が終わり、参列者が帰り始める。
遺族——妻と、成人した娘が、葬儀社スタッフの導線を縫って、一人の男に向かって歩いてきた。 黒いスーツの男。
棺屋アツト。
娘がまず頭を下げた。背中が深く折れる。
「……ありがとうございました。父を、ちゃんと送れます。……あの顔を見た瞬間、涙が止まらなくて……」
妻は涙で頬を濡らし、声を震わせた。
「安らかな顔で……送れてよかったです。先生……いえ、棺屋さん。ほんとうに……」
深々と頭を下げる二人の姿は、祈りのようだった。
アツトは、丁寧に一礼する。
「いえ。お力になれたのであれば、何よりでございます。——ご家族の心が、少しでも軽くなりますように」
その言葉は、偽りではなかった。むしろ、彼の中でいちばん純度の高い部分から出たものだ。 彼は確信していた。私は正しかった。死者の尊厳を守ったのだ、と。
しかし、それは最後の喝采となる。
裏口へ抜ける廊下は、会場とは別の匂いがした。現実の匂いだ。アツトはゴム手袋の予備を補充しようと、バックヤードに足を向けた。
その瞬間——
ウゥゥゥゥゥ————ッ!!
空気を震わせるサイレンが、建物の外から突き刺さった。
「……?」
聞き慣れたパトカーの音ではない。もっと重低音の、警告用電子サイレン。
スタッフが顔を見合わせる。
「なに? 近くで『発症』事故か?」
「やだなあ、巻き込まれたくないよ」
この世界において、異能による事故や犯罪は珍しいものではない。彼らは単なる野次馬根性で窓の外を覗いた。
だが、次の瞬間、スタッフの顔色が凍りついた。
裏口のガラス越しに見えるのは、警察車両ではない。無機質な黒塗りの装甲車。車体には、天秤と剣を模したエンブレム——治安維持機関『管理局』の紋章。
それが意味するのは、一般的なトラブルではなく、国家レベルで管理すべき「重篤な違反」だ。
裏口の扉が、乱暴に開かれた。
「動くな! 『管理局』だ!」
雪崩れ込んできたのは、防護マスクとタクティカルギアに身を包んだ執行官たち。彼らが構えているのは、対能力者用の制圧ロッドと、麻酔銃。
「棺屋アツトだな!」
隊長らしき男が、アツトの前に立ちはだかる。アツトは、瞬きを一つだけして、ゆっくりと両手を見える位置に上げた。
「……はい。私が棺屋アツトですが」
抵抗という選択肢は、最初からなかった。だが、困惑が勝る。
「何か手違いが……? 私はただ、葬儀社の業務を——」
隊長が、手に持っていた小型端末をアツトにかざした。
ピピピッ。
赤い数値が跳ね上がる。
「数値確定。個体識別反応あり。——おい、確保しろ」
「な、なんですか? 私が何を……」
アツトが問いかける間もなく、両腕を後ろにねじ上げられた。
「容疑は『未登録特異能力』の無断行使、および特定危険物質生成だ」
ガシャン。
冷たい手錠の音が鳴る。アツトは目を白黒させた。
「能力……? 私が? まさか。私はライセンスなんて持っていませんし、そんな力は——」
「言い訳は署で聞く。現場検証を行うぞ。発生源へ案内しろ」
エンバーミングルームの扉が開かれる。
執行官たちが土足で踏み込み、無遠慮に室内を捜索し始めた。一人が、ガイガーカウンターのような探知機を掲げている。
探知機は、部屋の奥——大型冷蔵庫の前で、最も激しく反応した。
「反応の根源はここだ」
鍵がこじ開けられ、扉が開く。
中から引きずり出されたのは、顔の一部を切り取られた老人の遺体袋だった。探知機が、不快な警告音を発し続ける。
「うわっ……」
後ろで見ていた葬儀社の同僚が、口元を押さえて後ずさった。
執行官がアツトを振り返る。マスク越しの目は、冷徹そのものだった。
「……貴様。死体に対して『能力』を使ったな?」
「能力、ではありません」
アツトは必死に説明した。
「技術です。少し手先が器用なだけの……それに、その方は身寄りがありませんでした。だから、必要な部分を少しお借りして、お客様を綺麗に直したんです」
その場に沈黙が落ちた。
それは、未知の怪物に対する恐怖ではない。「どうしようもなく話が通じない異常者」を見る、ドン引きした視線だった。
「……呆れたな」
隊長が吐き捨てるように言った。
「無免許の素人が、人体を勝手に加工・移植したのか? 衛生法違反どころの話じゃないぞ。死体に『歪曲粒子』が残留していた。あれはもう遺体じゃない。不安定な危険物だ」
アツトは言葉を失った。危険物?あの、美しく眠る男性の遺体が?
遺族が涙を流して感謝した、あの完璧な仕事が?
「違います……私は、美しさのために……」
「黙れ」
背中を押され、アツトはよろめいた。
「貴様の勝手な『美意識』で、社会のルールを汚すな。連行する」
取調室は、無機質な白さに満ちていた。向かいに座るのは、管理局の担当官。事務的な手つきでタブレットを操作している。
アツトは手錠をされたまま、乾いた唇を開いた。
「……ご遺族は。あの方の、葬儀は」
担当官は、画面から目を離さずに答えた。
「中断させたよ。遺体からは基準値を超える粒子反応が出た。法律に基づき、特殊清掃班が回収・焼却処分した」
アツトの息が止まる。
「しょ、うきゃく……? まだ、お別れの途中なのに……」
「当たり前だ。無免許の人間が能力でいじくり回した肉塊なんて、何が起きるか分からない。感染症のリスクもある」
担当官は冷淡に続ける。
「遺族には事実を伝えた。『葬儀屋が無許可の能力で、他人の死体の一部を継ぎ接ぎしていた』とね」
アツトの頭の中で、何かが崩れ落ちた。
——継ぎ接ぎ。自分が最もこだわった「修復」が、そんな言葉で片付けられる。
「……遺族は、なんと言っていましたか」
「見るか?」
担当官は、タブレットをテーブルに滑らせた。そこに映っていたのは、式場の外で泣き崩れる妻と娘の姿だった。感謝の涙ではない。生理的な嫌悪と、ショックによる涙。
『返して! お父さんの体を返して!』
『知らない人の肉を混ぜたなんて……気持ち悪い……ッ!』
『信じられない、あんな丁寧な人だったのに、頭がおかしいの!?』
娘は、アツトが握手をした自分の手を、必死に服で拭っていた。まるで汚れを落とすように。
「これが現実だ、棺屋アツト」
担当官が告げる。
「この国で能力者が多いといっても、使い道には厳しいルールがある。君のやったことは、医師法違反であり、死体損壊であり——何より、人の心を踏みにじる行為だ」
アツトは、画面を見つめたまま動けなかった。
自分の愛も、技術も、この社会では——「薄気味悪い猟奇犯罪」でしかなかったのだ。胸の奥で、誇りだったものが、ガラガラと音を立てて瓦礫に変わっていく。
「君を異能犯罪取締法違反で検挙する」
担当官が立ち上がり、事務的に通告した。
「君の能力適性は未知数だが、その倫理観は社会に適合しない。施設行きだ」
護送車に乗せられる時、アツトは一度だけ空を見上げた。警察署の前には、すでにマスコミが集まっていた。
異能犯罪者の検挙は、格好のニュースだ。フラッシュが、雷のように彼を灼く。
「おい見ろ、あれが『死体細工師』か?」
「独学で人体改造してたってよ、気色わりぃ」
「異常者!」
「倫理観どうなってんだ!」
罵声の雨。
そこに「怪物」という畏怖はない。ただ、社会のルールを逸脱した「異物」を見る軽蔑の目。
アツトは、震える声で呟いた。
「私は……間違っていたのか?」
誰に問うでもない言葉。車が動き出し、街の景色が流れる。彼が愛し、美しく送ろうとした世界が、彼を拒絶して遠ざかっていく。
やがて車は、地図に載っていない山奥の施設へ到着した。 重厚な金属の門。監視塔。
『国立第三異能矯正施設』。
そこは、能力を悪用した犯罪者や、制御不能な危険分子を隔離し、社会的に抹殺するための場所だ。
通されたのは、光の入らない独房だった。分厚い鉛の壁に囲まれた、完全なる密室。
ガチャン。
重い電子ロックの音が、彼の人生の終わりを告げた。
そこからの時間は、泥のように停滞していた。
独房には窓がない。天井の照明は二十四時間点けっぱなしで、昼夜の感覚さえ奪われる。
食事は一日一回、壁の穴から差し入れられるチューブ入りのペーストだけ。味はなく、ただ生命を維持するためだけの栄養剤だ。
「802番、面談の時間だ」 定期的に看守が来て、アツトを尋問室へ連れ出す。 だが、それは取り調べというより、人格の否定だった。
「お前のやったことは冒涜だ」
「反省の色が見えない」
「異常な美意識を捨てろ」
白衣を着たカウンセラーたちは、アツトの言葉に耳を貸さない。 アツトが「綺麗にしてあげたかった」と口にするたび、彼らは汚物を見る目で溜息をつき、カルテに『矯正不能』と書き殴る。
三日、五日、あるいは一週間。 アツトは次第に言葉を失っていった。
独房の隅で膝を抱え、自分の手を見つめる。 かつては、この手で死者に安らぎを与えていると信じていた。 だが今は、この手こそが諸悪の根源だと教え込まれている。
(……私は、間違っていたのか)
まぶたを閉じると、あの日の光景が蘇る。 泣き叫ぶ遺族。 汚いものを拭うように、自分の手をこすっていた娘。
『気持ち悪い!』
その言葉が、頭蓋骨の中で反響し続ける。 アツトの心は、ゆっくりと、しかし確実にすり減っていった。 自分は怪物だ。社会のバグだ。ここにいるべきゴミなのだ。 そう認めかけた、ある夜のこと。
フッ、と。 二十四時間消えることのなかった照明が、唐突に落ちた。
「……?」 アツトは顔を上げる。 完全なる闇。空調の音も止まっている。停電か? だが、騒ぎが起きない。 看守の怒号も、警報のアラームも聞こえない。 まるで、施設全体が死んでしまったかのような静寂。
その闇の底から、音が近づいてきた。
カツ、カツ、カツ。
規則正しい、革靴の音。 看守の慌ただしいブーツの音ではない。 この場にそぐわないほど優雅で、支配的な足音が、廊下を響いてくる。
足音は、アツトの独房の前でピタリと止まった。アツトは息を呑み、扉を凝視する。
ガチャリ。
外部から制御されているはずの強固な電子ロックが、ひとりでに解除された。油の切れた蝶番が軋み、重い扉が開く。
廊下の非常灯が、逆光となって訪問者のシルエットを浮かび上がらせた。 ステッキを突いた、一人の老紳士。
仕立ての良いスーツを着こなし、この薄汚れた牢獄には似つかわしくない品格を漂わせている。
アツトは眩しさに目を細めた。
「……あなたは?」
老紳士は部屋の中へ一歩踏み込むと、アツトを見下ろした。その瞳に、侮蔑の色はない。 むしろ、迷子を見つけた父親のような、深く温かい慈愛が宿っていた。
「迎えに来たよ、マエストロ(巨匠)」
老紳士は穏やかに微笑んだ。
「ここは君のような芸術家が腐るには、あまりに狭すぎる」




