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死化粧師

地下は、夜よりも静かだった。 湿ったコンクリートの壁。薬品のツンとした匂いと、どこか甘い防腐剤の香り。 手術台の上には、一人の少女が座っていた。


白い肌は継ぎ接ぎだらけで、縫い目が無数の線になって走っている。破れたチャイナドレスの胸元には、一枚の御札。和紙のようだが、縁には極細の電子回路が走り、心臓の鼓動に合わせて淡く発光していた。 そして、彼女の右腕は——肩の付け根から、無惨にねじ切れていた。


「おやおや。派手にやりましたね」


喪服のような黒いロングコートの男が、淡々と言った。 背中には、身長ほどもある巨大な鋼鉄の棺桶。 組織の専属医であり、遺体処理係。 コードネームは、クロウ。 目の下に濃い隈を浮かべた彼は、慈しむような手つきで、少女の欠損した肩に触れる。


少女——フェイは、断面を見つめて首を傾げた。


「……へいき。いたく、ない」


「ええ、そうでしょう。痛みは、美を損ないますから」


クロウは銀色のトレイへ目を落とす。

そこには防腐処理された肉塊と、骨のパーツが並んでいた。


「今夜は贅沢をしましょう。この筋繊維は上物ですよ」


フェイが、微かに笑った。


「ドクターの手……つめたい。きもちいい」


「光栄です。では——始めましょうか、私の可愛いフェイ」


クロウの指先が肉塊に触れる。 瞬間、“ぐにゃり”と有機物が粘土のように形を変えた。 異能『死肉細工(ネクロ・スカルプト)』。 それは医療であり、彫刻であり——歪んだ愛の形だった。


造形された新しい腕が、フェイの肩に押し当てられる。 肉が生き物のように癒着し、瞬く間に元通りになった。


フェイは新品の腕をパタパタと振る。


「うごく。……すごい」


「以前より美しく継いでおきました。気に入りましたか?」


「うん。ドクター、すき」


感情の温度が低い部屋で、二人の間だけ、異質な温かさが灯る。

その時。耳元のインカムが無機質に鳴った。


『——Is-7より通達。ミッションです』


性別不明の、合成音声のような声。


『C-4地区の下水道に“迷子”が発生。管理局の介入確率、0.78。先行確保(回収)を推奨します』


クロウは手袋を外し、棺桶を背負い直す。


「対象の状態は?」


『泥状の溶解性物質を垂れ流しています。被害拡大確率は0.31』


「なるほど。まだ“救える”段階ですね」


『……その定義には、個人の解釈が含まれます』


「解釈こそが、人間の特権ですよ。——フェイ」


フェイが、ぴたりと姿勢を正した。


「いく。まよいご、ひろう」


「ええ。優しくお迎えしましょう。壊さない程度に、ね」


フェイは首を傾げる。


「……むり?」


「努力目標です」


壊す少女と、直す男。 それを“家族”と呼ぶ、歪な日常。 クロウは地下の扉を開け、闇へと降りていった。


C-4地区の下水道は、都市の排泄器官だ。 汚水とカビの匂いが、湿気と共に喉に張り付く。 だが今、そこには別の異臭が充満していた。 鼻を突く酸の匂い。


——“泥”があった。 壁も、床も、天井も。灰色に近い粘性の塊が広がり、コンクリートを“溶かして”いる。 その中心で、少年が震えていた。

十歳前後くらいに見える男の子。


泥に汚れた服を握りしめ泣いている。


「……ごめん、なさい……ぼく、わざとじゃ……」


彼が一歩後ずさるたび、足元の床がジュワリと音を立てて溶解した。


クロウは汚水に革靴を浸しながら、穏やかに語りかける。


「こんばんは、可哀想な迷子さん。——お迎えに上がりましたよ」


「だ、だれ……?」


「私はクロウ。葬儀屋です。こちらはフェイ。私の家族」


フェイが一歩前に出て、継ぎ接ぎの顔を近づけた。


「ひっ……!.....ぼ、僕はレオです」


「こわい? だいじょうぶ。フェイ、こわくない。……たぶん」


「安心材料が乏しいですね」


クロウが苦笑した、その瞬間。


ザッ、ザッ、ザッ。

規則正しい足音が、闇を切り裂いた。 無数のライトが交差し、クロウたちを照らす。 銃口の列。管理局の制圧部隊だ。 その先頭に、一人の男が立っていた。 飾り気のないタクティカルスーツ。

中年の、ひどく事務的な目をした男。


サカキ。管理局・第九執行班の班長。


彼はレオを一瞥し、次いでクロウたちを見た。


「確保対象、“泥の少年”。異能性災害に認定。——保護ではない。駆除だ」


部下たちが、躊躇なく引き金に指をかける。 が叫んだ。


「ちがう! ぼく、ただ家に帰りたくて……!」


「異能は社会のバグだ。バグは修正する。——撃て」


ダダダッ! 乾いた銃声が轟く。 レオが悲鳴を上げて目を瞑る——が。


ガァンッ!!


重厚な金属音が響き、火花が散った。 クロウが、巨大な棺桶を盾にして前に出ていたのだ。


「おやおや。随分と合理的ですね」


硝煙の向こうから、クロウの冷ややかな声が響く。


「ですが——その合理は、美しくありません」


サカキは眉一つ動かさない。


「犯罪組織“聖域(アジール)”、「死化粧屋(マッドモーティシャン)」に「自壊する人形(スーサイドドール)」か。接触は許可されていない」


「許可? それはいつも、あなたがた(管理局)の都合で発行されるものでしょう」


フェイが拳を握りしめ、前へ出た。


「てき……?」


「ええ、敵です。フェイ。——壊してよろしい」


「うん。こわす。ドクター、あとで、なおして!」


命令と同時に、フェイの姿が消えた。 いや、“跳んだ”のだ。 『リミッター解除(オーバーロード)』。 筋肉が悲鳴を上げ、ブチブチと千切れる音をさせながら、彼女は肉弾となって部隊へ突っ込む。


「きゃはっ!」


一撃で兵士が吹き飛び、壁に叩きつけられる。 銃弾が彼女の体に突き刺さるが、止まらない。痛みを感じない人形は、笑いながら次の獲物へ——


——パン。


乾いた銃声が、たった一発だけ響いた。 その瞬間。


「……あ?」


フェイの膝が、不自然に折れ曲がった。


続けて、パン。今度は肘が弾け、振るった拳が空を切る。


「え、うごか、ない……?」


フェイが地面に崩れ落ちる。 傷口が再生しない。

それどころか、傷口から灰色の煙が上がり、壊死していく。


「単純な動きだ。獣以下だな」


サカキが、ハンドガンを構えたまま立っていた。 その銃口から、淡い紫煙が立ち昇る。


対異能減衰弾(アンチ・マナバレット)。再生阻害の毒を回した。もう立てんよ」


フェイは這いつくばり、震える手でクロウを求めた。


「ドクター……な、なおして……こわい……」


彼女が恐れているのは死ではない。“直してもらえない”ことだ。


クロウの表情から、笑みが消え失せた。


「……よくも私の人形を」


声のトーンが、氷点下まで下がる。


「修理費は高くつきますよ、サカキ班長」


ガチャン! クロウは棺桶を地面に突き立て、蓋を開放した。 中に詰まっていたのは、銃火器ではない。 無数の骨。筋肉。内臓。 防腐処理された、予備の“素材”たち。


「『死肉細工(ネクロ・スカルプト)』」


クロウが指を鳴らすと、棺桶の中身が生き物のように溢れ出した。 骨が連結し、筋肉が絡みつく。 クロウはフェイの元へ歩み寄ると、壊死した足を無造作に切断し、そこへ“骨の束”を突き刺した。 グヂュリ、と嫌な音がして、即席の「骨の義足」が形成される。


「……たった。ドクター、すごい」


「ええ。あなたは立てます。立って——踊れます」


さらに余った骨が集まり、クロウの手元で「巨大な棘の鞭」へと変貌した。 その光景は、戦場というより、悪夢のサーカスだった。 クロウはフェイの肩を抱き、狂気的な愛を込めて囁く。


「さあフェイ。遊び(ダンス)の時間です」


「うん! わたし、まだ、こわれるまでやれる!」


サカキは、わずかに目を細めた。 計算外の“修復”。そして、計算外の“執着”。


「……総員、散開」


冷静な声で、彼はオーダーを下す。


「——『悪』の駆除を開始する」


『敵部隊、陣形変更。包囲網形成。——お気をつけて』


Is-7の警告に、クロウは優雅に微笑んだ。


「ご忠告、感謝します。ですが——私たちは家族ですから」


フェイが義足の棘で地面を削り、再び跳ぶ。


「ドクター、いくよ!」


「ええ。行きましょう。——迷子さんは、必ず連れて帰ります」


溶解する泥の中で、少年は呆然と見ていた。 正義に見捨てられ、悪に拾われる。 その皮肉な運命の幕開けを。

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