ゴッドスモアの獣
アーバイン州ゴッドスモアに孤独な老人がいた。
彼は、最初から天涯孤独だった訳ではない。
妻も子供もいた。
ノースロップ家には、エドワードとセドリックという二人の仲の悪い兄弟がいた。
それというのも長男エドワードは、父ジョージから嫌われていた。
弟セドリックは、父と一緒になって兄を邪魔者扱いしていた訳だ。
31歳のエドワードは、蒸気機関三輪自動車の事故で足が不自由になった。
ろくに歩けないエドワードを父と弟は、一層、酷い扱いをした。
近所から見てもエドワードは、可哀そうな男だった。
だがエドワードも強情で気が短く人から好かれるような男ではなかった。
50歳でエドワードが逝った時、父ジョージは、存命で72歳だった。
それまで仲良く兄を虐めていたセドリックは、父の癇癪を一人で受ける破目になる。
「俺の遺産を目当てにしようってそうはいかんぞ!」
ジョージは、それまで以上に気が短くなった。
朝から晩まで怒り狂って家族を罵り続けていたぐらいだ。
セドリックと彼の家族は、凶暴な暴君にうんざりしていた。
7年目のある日、セドリックと彼の家族は、行方不明になった。
ノースロップ屋敷には、ジョージだけが残された。
ジョージは、誰もいない屋敷で凶暴を振るい続けた。
近所の人々は、逃げるように辞めていく使用人たちを見て噂し合った。
また幾年か経った。
だが孤独な老人ジョージは、いつまでも屋敷で怒鳴り続けていた。
近所の赤ん坊が大人になってもジョージの絶叫は、聞こえた。
もはやゴッドスモアの住民にとってノースロップ屋敷の老人は、産まれた頃から老人であり、これからも永遠に暴れ続け、恐れられるのだと信じられた。
「今思えば、ジョージ爺さんは、獣だったんだな。」
枯れ木のような老人は、そう呟いた。
彼の言う獣とは、人が獣になる怪異、獣化で人を失ったもの。
いまだその原因も原理も解き明かせぬ不可解な現象だ。
かつて子供に聞かせる御伽話だった獣は、今や常識に。
迷信は、新聞を飾る事件として人々に知られるようになった。
獣と共に物語から現実に姿を現したのが狩人だ。
彼らは、普通の猟師ではなく怪異である獣を狩るもの。
人を失った獣を殺す処刑者である。
「よく来てくださった狩人様。」
「ちッ。」
若い狩人は、舌打ちした。
歓迎されるのは、慣れていない。
普通、狩人を街の人間は、遠巻きに見て近づかないものだ。
「歓迎してくれて有り難いが他の住民に用はない。
ノースロップ屋敷に行って狩りを終わらせたいんでね。」
男は、”去勢人”セス。
狩人では、珍しい温厚な男だ。
「ちッ。
さあ、どいてくれ。」
セスが住民の前を立ち去ろうとする。
だが何十年も老人の恐怖に悩まされたゴッドスモアの住民は、狩人に興味津々だ。
「まあ、結構、カッコいい。」
「あら、若い狩人様もいるのね。」
「初めて見るんだけどね!」
「ちッ!」
他の狩人なら獣じゃなくても容赦しない。
ただの人間でも目障りなら平気で殴る。
武器や銃を使うとんでもない連中もいる。
だがセスは、心優しいので獣以外に手をあげたりしないのだ。
「ちッ!
勘弁してくれよ…。」
「歓迎会を開きます!
どうか、どうぞ!」
セスは、ゴッドスモアの住民に捕まって集会堂に連れていかれた。
科学主義によって信仰は、禁止され、教会は、閉鎖された。
今は、神に代わって補佐官の像が立ち、集会堂と名を変えている。
「なあ、おい。
ノースロップ屋敷の老人を始末に行きたいんだ。」
「まあ、まあ。
ここの住民は、何十年も…そう!
赤ん坊のころからジョージ爺さんの叫び声を聞かされてきたんだ!」
「だからちょっと待ったって平気ですよ。
狩人様も長旅の後で疲れてるでしょう!?」
「そうよ!
さあ、住民の感謝の印を受け取って!!」
30分後、集会堂は、死の園になっていた。
ゴッドスモアの住民たちは、惨殺され、引き千切られ、血塗れで死んでいる。
そう。
狩人を歓迎する住民などいない。
下手に目をつけられ、殺されるのを恐れて隠れるのが普通だ。
両手を広げて歓迎するなんて普通じゃない。
「………ちッ!」
セスは、不愉快な顔で舌打ちする。
どろっとした血糊が頬や絹帽にかかっていた。
ここの住民が普通じゃないと最初から気付いている。
だが笑顔で現れた人々に武器を振り下ろす冷酷さは、この男にはない。
「お前ら、助かると思ってるのか!?」
しわがれた老人の声が屋敷に響いた。
本来、ここは2階があったのだろう。
しかし今は、2階が解体されて天井の高い部屋に改築されている。
そこに大きな獣がギラギラと目を光らせて立っていた。
獣は、ライオンのような鬣があるが顔は、狼に見える。
全身が病的に痩せていて前脚だけが異常に長く床についている。
「狩人が来たからって終わりじゃねえぞ!
ここには、お前らのガキや女房がいるんだ!!
俺を裏切って助かろうなんて考えるんじゃねえッ!!!」
そう言って獣は、髪を丸坊主にした若い女を長い前脚で掴んだ。
獣が乱暴に持ち上げるので骨が折れる。
「いぎ、ぎゃああっ!?
あ、ああうッ!!」
「絶対に許さんぞ!!
良いなあッ!?」
孤独な老人ジョージは、住民たちに命令する。
だが、ただの人間が狩人に敵う訳がない。
「……無茶だ。」
「ふっ、へはははは!
俺も終わりだが、お前らも終わりだ!!
はははははっ!!」
「もうお前は、終わりだ!!」
住民の一人が叫んだ。
ジョージの顔が傲慢な激怒で歪む。
「なんだと!!」
「このまま皆殺しになるぐらいなら人質は、諦める!
きっと分かってくれるはずだ!!」
獣は、前脚を振り上げた。
だがジョージに反抗した若者は、声を上げ続ける。
「お前が地獄に落ちるのを見てやるぞ!!」
次の瞬間、獣の一撃は、若者を惨殺したかと思われた。
しかし若者の胸を僅かに切り裂いただけで彼は、まだ生きている。
孤独な老人は、屋敷を飛び出して逃げ出した。
このままでは助からないと彼自身、観念したのだろう。
「ええい、若造どもめ!
もっと俺を敬え!!
こんなことで俺が破滅してたまるか!!」
獣は、ゴッドスモアの外を目指して飛び出した。
そのスピードは、巨体から想像できないほど速い。
「どいつもこいつも死んじまえッ!
だが俺は、死なんぞ!!
俺の死にざまをお前らに見せてたまるか!!」
一直線に逃げながら老人は、喚き続ける。
その後方から狩人が倍の速度で追いついて来た。
「………ちッ。
それ以上、逃げるな。
面倒だろうが。」
大騒ぎしながら逃げる老人を見つけたセスは、舌打ちする。
正直、孤独な老人ジョージに追いつくのは、厳しい。
これ以上、息が続きそうにない。
「ふは、ふははは!!
なんだ、その辛そうな顔は!?」
セスの様子を見て獣は、勝ち誇った。
この若い狩人は、到底、自分に追いつけそうにない。
「俺は、正しかった!
俺は、間違ってはいない!!」
突然、獣は、大喜びで叫んだ。
勝利宣言だった。
「狩人も人間に毛が生えたようなものじゃないか!
獣に敵う訳がない!!
俺は、死なんぞ!!
俺は、これからも生き続ける!!
俺を馬鹿にする若造どもに思い知らせて生き続ける!!
俺が間違っていなかったことを思い知るがいい!!」
「ちッ!」
セスは、足を速める。
だが獣の体力は、底なしらしい。
一時的に距離が縮まっても追いつくことはなかった。
「チィィィッ!
全然、追いつけねえ!!」
悔しがっても足が速くなる訳ではない。
セスは、悪足掻きを続けるが功を奏することはなかった。
「!?」
街から離れる獣の前に深い霧が広がり始めた。
それは、視界を瞬く間に覆い尽くしていく。
「な、なんだこの霧は…!?」
獣も霧に驚いたがセスも動揺していた。
獣も狩人もただの人間以上の感覚機能を持っている。
霧や煙で見えなくなっても周囲の情報を失うことは考えられない。
だがこの霧は、普通の霧ではなかった。
徐々に臭いや音、周囲の生き物の気配が失われていく。
人間が感じないある種の霊的な感覚さえなくなった。
ずっと世界から切り離されたように何も感じない。
それは、普段から人間以上に様々な情報を得、より深く広く世界を知覚している獣や狩人にとって一層、大きな恐怖感を煽った。
(あの狩人は、どこだ!?
………これは、狩人の魔法か!?)
走りながら獣は、周囲を繁く見渡して襲撃を警戒した。
この霧は、セスの仕掛けたものだと考えている。
(これは、あの爺の獣の能力か?
なら何故、奴は、俺をさっさとブチ殺さねえ…?)
セスの方でも獣の仕業と疑っている。
やがて獣もセスも足を緩めた。
「チッ。」
舌打ちしたセスは、ほとんど歩きながら獣を追う。
(だいたいここは、どこなんだ。
ゴッドスモアからかなり離れたように感じるが…。
星辰も分からなくなってきた。
ここは、月か地球か?
位置が分からねえ!)
獣狩りで次元が捻じれて時間が逆行することは、珍しくない。
だが位置を跳躍することは、さほどない。
「ちッ!
出てきやがれ!!
どのみち悪夢の引力に引っかかったテメエは、もう終わッ!?」
獣を挑発しようとしたセスは、咄嗟に身構える。
何か大きな気配が近づいてくるのが分かったからだ。
セスは、心臓が飛び出すかと思った。
文字通り死ぬほどに驚かされたのである。
星々のもたらす霊障や瘴気さえ感じる狩人が一度、それらの情報を遮断された後、突如大きな気配を急に察知したためだ。
「な、なんだ急にッ!?」
気配は、急速に接近して来る。
それは、獣とセスの頭上で停止した。
光り輝く有翼円盤が霧の間から姿を現した。
黄金の翼を持った円盤に男が乗っている。
男は、円盤から獣を見ていた。
強い恨みの籠った眼でしっかりと。
「ああ!?
エドワードか!?」
孤独な老人は、円盤の上に立つ男を見てそう言った。
「お前、どうして今頃、俺の前に化けて出てきやがった!?
クズが何を勘違いして…!!」
エドワードは、宝玉で出来た杖を父親に向ける。
杖から伸びる赤い稲妻は、毛むくじゃらの胸に飛び込んだ。
「えっ?」
一瞬、驚きの表情を浮かべて獣は、絶叫した。
赤い稲妻は、獣の身体を走り、大地と霧にも拡散してピカピカと瞬いた。
セスは、腕で顔を覆いながら不思議な光景を見守った。
何十年も苛烈な虐めを受けた息子の復讐だ。
稲妻に射抜かれた獣を有翼円盤は、そのまま連れ去った。
黄金の流星となって円盤は、見たこともない星空に吸い込まれていく。
霧が晴れる。
空は、地球から見られない天体や星座が埋め尽くしていた。
どうやら別の星に置き去りにされたようだ。
「チっ。
俺もお迎えを待つか。」
セスは、そう呟いて地面に座り込んだ。
足元は、石でも土でも金属でもない素材で作られている。
地平線には、緑色に光る塔が並ぶ街が見えた。
きっとこの星の住民は、初めての賓客を歓待するだろう。