第6話 そして「こと」が起こる
ノーゲルの代表は無事に到着し、会談と休憩を兼ねたお茶会を無事に終え、歓迎パーティを残すのみである。
人員配置は万全だ。飲食の準備を整え来客者の入場を開始する。
辺境領に近い領地の貴族を中心に十五組もいらしてくれるなんて滅多にないことだ。辺境伯の長女としてお礼を言って回る。
ノーゲルの代表と第二王子が入場し、順番に挨拶の言葉を述べ、乾杯をすれば本格的に宴が始まる。
軽やかな音を奏でる楽団の音楽が会場に響き渡る。
滑り出しは上々である。
あとは自由歓談と、ダンスをお客様に楽しんでいただくだけだ。
山場は越えた。
大きくため息を付きつつも、空にしたグラスをそっとテーブルに戻す。
お腹は空いているけれど、何も食べる気にならない。思った以上に緊張しているらしい。
ノーゲルの代表にも挨拶しに行かねばならないだろう。
彼らの同胞と先日まで命のやりとりをしていたのだ。お互いに思うところはたくさんある。
だが和平の道を選び取ったのだからこの気まずい感情も、少しずつ歩み寄ることで埋めていかねばならないのだろう。
戦っている方が、どれだけ楽なんだろう。
いつも感じていることだ。
全てを己の剣に委ねて、力と力をぶつけ合っていれば、強ければ生き残る、弱ければ死ぬ、その二択で何も考える必要がない。
戦いが終わったら、喪ったものについて考えなければならない。
とても悲しく、とても苦しい時間だ。
何も考えず力だけで突き進んで、悲しみや苦しみを産んでいるのは私自身でもある。
だから、どこかで精算しなければならないのだろう。
代表との会話がその第一歩なのかもしれない。
代表は同胞を殺したこともある私を憎んでいるのだろうか。
私は――大事な同胞である兵士を奪った彼らを――。
「あら、お姉さま。どうされたのですか」
呼びかけられて我に返った。
目の前にヒルダが立っていた。
「ヒルダ」
「バルディ様とダンスを踊らないのですか? 婚約者なのですから踊るべきですよ」
表情を変えずそんなことを言ってくるヒルダを見やる。
こちらを見やるのはいつもの妖精のような無邪気な笑みを浮かべたヒルダだ。
こんなかわいらしい顔つきで今度はどんな愚行を企てているのだろうか。毎回付き合わされるこっちの身にもなれと言いたい。そう思うと知らずに小さなため息が漏れた。
「ヒルダ」
「ごめんなさい、お姉さま。私、バルディ様と先に踊ってしまいましたけど許していただけますか? バルディ様がどうしても、というものですから」
ちくり、と胸の奥が痛む。
まるで私は不要であると言わんばかりの態度に胸が痛むのは何度目なんだろう。
ヒルダを選ぶのは当然だ。私など捨てられて当然だ。ずっとそう自分に言い聞かせていたのに。
「……そう、バルディ様が望むのなら、仕方ない」
「お姉さま! ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」
思わず目を背ける私の視界に入るようにヒルダは屈んで、大声で私に詫びる。
そうやっていつものように周りから同情を集めるつもりか。
いつもだったら放っておくが、この場はそれを許される場ではない。止めなければ。
「ヒルダ」
「きゃあ!」
一歩踏み出そうとした途端、驚いたのかヒルダは手に持っていたグラスを落とした。
グラスの中の赤ワインがヒルダの白いドレスに染みを作り、グラスは床に落ち砕け散った。
ガラスの砕けた音に、会場内の視線が一斉にこちらを向いたのがわかった。
まずい。注目を浴びてしまった。
騒ぎになる前に撤収を――。
「ひどい! ひどいわ! お姉さま!! あたしが憎いからってドレスを汚すような真似しなくたっていいじゃない!」
黙れ馬鹿妹!
まくしたてるヒルダに、思わず本音をぶちかましそうになったが、止めたのは駆けつけてきたバルディ様によってだった。
彼は私の頬を強く打ちつけてヒルダを背中に庇った。
まるで、王子様のようなふるまいに、一部で感嘆の息が上がる。
が。
本当に、こいつら、馬鹿なのか?
こんなに空気が読めなかったのか!
怒りが頂点に達すると頭が真っ白になるらしい。
こいつらのしでかしに私の中の何かがプツンと切れたのわかった。
だが、言葉が出てこない。
陳腐な言葉すらも。
「アニタ、お前がこんなに最低な女だなんて思ってもいなかった」
「バルディ様……」
私を親の仇でも見ているような目で睨みつけているバルディと、その後ろで小鹿のようにぶるぶると震えているヒルダ。
マジでこいつら……!
「妹に暴力をふるうような小悪女なんてこちらから願い下げだ!」
まさかこの場でその言葉を言うのか!
「お前との婚約は、ここで破棄する!」
『ここ』ではやめろ!!
★次回予告★
――空気が、ひりついた。
口角だけを吊り上げたアニタの笑みは、笑顔に見えて笑顔じゃない。
その場の誰もが、背筋を冷たいものが伝うのを感じた。
次の瞬間、このパーティーは、修羅場と化す。
「第7話 全身全霊の叫び」
そして時代が動き出す。アニタの叫びを耳にやきつけろ!