第2話 虐げられるのもいつものこと
我が辺境領は、国境に面しており、建国の時代より度重なる周辺国や魔物からの侵略から国土を守る役割を担ってきた。
辺境伯の長女として、私も幼少の頃から兵士の一人として戦いに身を投じてきた。
貴族令嬢が剣を持ち戦いに赴くのは珍しいが皆無でもない。
私の母もこの地を守るため自ら剣を持って戦う戦士の一人であったため、私も母のようになりたかっただけだ。
近隣国の侵攻だけでなく、この領の北に広がる魔の森からやってくる魔物退治も私たちの重要な任務の一つ。おかげで魔物の生態や攻略法にはそこら辺の令嬢よりも遥かに詳しくなった。
でも、魔物にいくら詳しくなっても、男性の心を掴む術を知らない女に価値はないのだろう。
絶望的な気持ちで食堂へ向かうため廊下をとぼとぼと歩く。
昨日あの後あの二人は外で事には及ばなかった――と思いたいが、せめてどちらかの部屋に向かったと思いたい。……いや、もう、私には関係ないか。もうすぐ婚約を解消されるわけだし。極力考えないようにしたい。
「おはようございます。お父様」
食堂には既に父が腰を下ろして待っていた。
恭しく挨拶をして告げると、私を一瞥して父はすぐに目をそらす。
返事ぐらいしろよくそ親父! と昔ならくってかかりたくなるのをぐっと我慢していたが今はもう慣れた。
兵士の中で挨拶を返さないなんて無礼を働こうものなら間違いなく半殺しである。父は戦には出ないのでそのルールを知らないのだろう。
兵士たちに半殺しにされる父を想像して溜飲をさげつつ、その父から一番離れた自分の席に腰を下ろした。
「立て!」
座った途端、短く叱咤されてしまったので大人しく従う。
「妻が夫より先に座るとはなにごとだ」
「大変申し訳ございませんでした。私が浅慮でございました」
機械的に答えれば父は舌打ちをしたが、一応はその口を閉じた。
いつかその口を縫い付けたいものだ。
妻というが私はまだ結婚していない。意味がわからない。
しばらく立ったままただ時間が過ぎていくのを待つ。
「おはようございます。お父様」
「おお、ヒルダ!」
可愛らしい声と同時に、妹のヒルダが入ってきた途端父が立ち上がりヒルダの元へ駆け寄っていった。
ヒルダの手を取り、父はそのまま彼女の席へエスコートするとスマートに椅子を引き、ヒルダに座るように促した。
「ありがとうございます、お父様」
「いいんだよ、ヒルダは我が家の姫だから」
まあ、いつものやりとりである。スルー耐性はできている。
ヒルダは私には挨拶どころか一瞥すらもしない。こいつも半殺しだな。
「遅くなって申し訳ございません。義父上!」
少し遅れてバルディ様がやってきた。
妹と一緒の部屋にいてわざと時間をずらして登場したと邪推できたが、流石に野暮だろう。愛する二人がどうしていようが私には関係がない話である。いや、私はまだバルディ様の婚約者だから不貞じゃないのか? ……よく考えてみると、気持ち悪くないかこいつ?
父は私の内心など知らず、満面の笑みでバルディ様を迎えた。
どうでもいいが、バルディ様も私に挨拶をしない。本当にこいつらまとめて兵士たちの中に放り込んでやりたいななんて考えてしまった。
まあ、どうでもいい。どっちにしろ婚約関係は解消するのだ。
バルディ様が座ったから私も座っても構わないのだろう。
音一つ鳴らさぬように慎重に腰を下ろしたが、誰も何も言わなかった。私などその場に存在していないかのように。
いつもそうだ。
この人たちは私を家族ではないように扱う。
母が亡くなってから、父の家族はどうやらヒルダ一人らしい。
ヒルダも私を「お姉さま」と呼ぶけれど家族という括りには入れていない。何ともまあ辺境伯令嬢らしい図太い神経である。あっぱれと言ってやりたいが、言ったところで厭味にしかなるまい。
食事は静かにはじまった。
当たり前のように私の前にはカビたパンと冷めたスープだけ。残りの三人にはパンとサラダとウインナーと豆のソテーが乗ったプレートと湯気の上がるスープが置かれた。
何故だ、と考えるのも面倒くさい。
普通にゆっくり慎重にスープをスプーンですくう。
パンは、戦場では食べれるだけありがたいこともあったから、カビが生えていてもありがたく食べていたし慣れている。だが、仮にも貴族令嬢がカビの生えたパンを食べたら妙な噂が立ちかねない。
以前「なぜ食べないんだ!」と言いがかりをつけられた時に「じゃあお前が食え」と反撃したらそれ以降言われなくなったので、今日も残したところで何も言われることはないだろう。
「そういえばもうすぐパーティーがあるんでしょう、お父様」
スープをぐるぐるとかき混ぜながらヒルダが父に問う。
先日国境の向こう側の小国と和平交渉を結んだため、向こうの代表を招き親睦会を開く予定なのだ。
大規模なパーティーは後日王都で開催する。
あくまでこちらはその前哨戦のようなもの。
兵士たちの労いのパーティーでもある。
長期間の戦争は彼らにとって過酷であった。その場にいた私がそれを一番よく知っている。
「そのパーティー、あたしも参加していいの?」
「当然だ! ヒルダがいなければパーティーにならん」
いや別に、向こうの代表と父だけいれば形は整うんだが。
父はヒルダを自慢せずにはいられない性格らしい。
わからんでもない、ヒルダは宝石みたいなものだ。性格はアレだが。
「じゃあ、ドレスを新調したいわ! いいでしょ、お父様!」
「ああ、ヒルダのためにこの国一番豪華なドレスを仕立てよう」
駄目な気がする。
あくまでこちらが主催者側なのだから派手過ぎなのはどうかと思われるのでは? ああ、でも着飾った美姫に迎えられるっていうのはご褒美的に捉えていいのか? 教えて偉い人!
「お父様大好き! じゃあネックレスとイヤリングはお姉さまの、あれがいいわ」
「!」
ここで今日初めて私の名前が呼ばれたので、びくっと反応してしまった。
「やだ、お姉さま、結婚式用にこの間オーダーしたのが届いたじゃない」
え、なにそれ、知らない。
「あれ、頂戴?」
貸してじゃなくて頂戴って。どこにあるかもしらないものをあげられるわけないんだけれど、多分もうヒルダの手元にあるのでしょうね。
「アニタ! 妹が欲しがっているのだ! 譲ってやれないのか!」
まだ何にもいってないのに、父が怒鳴る。
知らんよ、ネックレスもイヤリングも。
つーか、結婚式用のオーダー品をパクっちゃうのはさすがに……ああ、まあ、いいか、どうせヒルダのものになるんだし。
「申し訳ございません。ヒルダが使った方が喜ぶと思うわ」
「でしょう?」
にこっと笑う様は本当に妖精みたいなのに、私に対してはどうしていつもこうなんでしょうね、この妹は。
こんな奴で本当にいいの? と少し離れた席に座っているバルディ様に視線を送るとバツが悪そうに目をそらされてしまった。
★次回予告★
「……笑っていられるのも今のうちだ」
好き勝手振舞う家族たちに胸中で吐き捨て、涼しい顔を装い背筋を伸ばす。
――だが、このときの私はまだ知らなかった。
私の心をへし折りにくるこの連中の真の強さを……。
次回「第3話 キレそう」
アニタの毒舌がさえる!(かもしれない)