第1話 目撃してしまった
「だ、駄目です、バルディ様! あなたはアニタお姉さまの……っ!」
中庭を横切っている丁度その時、自分の名前を呼ばれたような気がして足を止めた。
真夜中だ。寝付けず素振りでもしようかと鍛錬場へと向かう途中だった。
目を凝らして見回すと、花壇の影にうごめく二つの影があった。
私の名前を囁いたその声は聞き覚えがあり、どこか艶めかしい響きを孕んでいたので少しだけ嫌な予感があった。足音を消し、人影にゆっくりと近づき様子を窺う。
「……ヒルダ、君を愛してる。アニタよりも君のことを」
「あ、あたしだって、……あなたを」
嫌がる素振りを見せていた女を男の方が容易く引き寄せると、二人の影はぶちゅーっと熱い口づけを交わす。
……。
一瞬頭が真っ白になったが、すぐに我に返った。
「ああ、ヒルダ! 君が愛しくてたまらない!」
「バルディ様っ!」
一度離れて、すぐにくっつく二つの影。
タコか、こいつらは。
魔物を見るのと同じ目で奴らを見下ろしている自分を自覚して慌てて首を振った。彼らは人間である。けだものに近いが、まだ人間だ。
「ヒルダ!」
「……やっ、 こんなところで……バルディ様!」
夏とはいえ夜は冷える。
ここで青〇なんぞしようものなら風邪ひくぞ、と口をついて出そうになった言葉を押さえつけ私は音を立てないようにその場を走り去った。
これ以上は、聞いていられない。
中庭を回れ右して建物に戻り、そのまま自室に駆け込む。
閉じた扉を背に力が抜け、その場にしゃがみ込んでしまった。もう立てない。
「今のって、浮気?」
何度か深呼吸をしてから確認をするように、私はそれを口にした。
今見たものは、間違いなく。私の婚約者と、私の妹……だった。
って、ええ!? 何であの二人がキスしてんの!? キス以上のことをしでかそうとしていたの!?
落ち着いて頭の回転が通常運転に戻った途端、今度は混乱に陥る。
だって半年後に挙式するって今準備の真っ最中じゃない?
それなのに、何で。
あんなことをしでかすなんて、あいつらくっそ――。
「……仕方、ないんだわ」
罵詈雑言が口から飛び出しそうになるのを無理やり押しとどめ、自虐的に笑った。
妹は白い肌に赤い頬、美しく艶のある赤と金が混ざり合ったストロベリーブロンドの髪。まるで宝石みたいな澄んだ青い目。女性らしい柔らかな体のライン。そんな妖精のように美しい姫だ。
それに対し、私はくすんだ茶色の痛んだ髪に面白味のない茶色の目。度重なる戦で傷だらけの体、引き締まりすぎた肢体。加えて口下手で無表情な醜い女だ。
並べたら1万人中10万人が妹を選ぶに決まっている。
別にいいのだ。
この辺境領は近い将来私が引き継ぐことが確定している。バルディ様は婿として我が家に入るのだから、妻が私から妹に変わったとしても二人の子を私の後継者にすればいいだけ。それでいい。はず。
そうだ、領主となった私の下で二人には臣下として働いてもらえばいいだけ。
こんな私が、婚約していたバルディ様ではない別の人間と結婚なんてできるわけがないのだから。
私を選んでくれる人間などいない。
……だから、受け入れよう。
私なんかが妻になるより、真に愛するヒルダと結婚した方がバルディ様のためだもの。
近いうちにバルディ様は父に私との婚約解消を願い出るのだろう。
その日のことを考えるだけで既に胸が痛いけれど、きちんと笑って了承できるようにしておかないと。
幼い頃から夫になると言われていたバルディ様に淡い気持ちを抱いて当然だ。
ぽろりと涙が頬を滑り落ちていく。
わかっていたのに、私がバルディ様と幸せになんてなれないってこと。
何でこんなに胸が痛むのだろう。
「……あいつら、マジで死ね!」
だから、思わず呪いの言葉を呟いてしまっても許されるはず。