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愛を知る時

孤児として孤児院で育ち、愛の愛を知らぬ主人公。

 俺は無事中学を卒業する。卒業式を終え、孤児院に荷物を置くと、早速、ミッチの家に向かう。

 ミッチの家の呼び鈴を鳴らすと、ミッチが玄関の戸を開ける。ミッチは俺の顔を見るなり、顔一杯に笑顔を浮かべ、「ああ、京一か!入って!」と言う。俺は玄関に入り、靴を脱ぐ。ミッチの寝室から俺達の音楽が聴こえてくる。俺が寝室に歩いていくと、「何か飲む?コーラとカルピス、どっちが良い?」とミッチが訊く。

「コーラが良いです」

「コーラね」

 俺はミッチのベッドに腰かけ、音源に集中する。

 ミッチがグラスに入れた氷入りのコーラとお菓子を盛ったお皿を持ってきて、「どうぞ!」と言う。

「いただきまあす」と俺は言い、コーラを飲む。絨毯の上に座ったミッチの顔に視線を向けると、ミッチが笑顔で微笑む。俺は遂此間知り合ったばかりのミッチに深い親しみを感じる。ミッチの美しい顔や手を眺め、ミッチの魅力を品定めする。これなら美形バンドとしても十分に通用する。男を美的な存在として眺めたのはこれが初めてだ。バンドの顔ぶれとして一人一人が個性を保てれば良い。ミッチの音楽的な感性は素晴らしい。俺の音楽性はロックの域を出ない。ロックをやるなら、ロックをやる事に自信を持ちたい。

「ミッチはクラッシックとかジャズは聴くの?」

「クラッシックは英才教育でずっと聴かされてきたけど、ジャズにはあんまり馴染みがないな」

 俺はミッチの言葉を聴くなり、物凄くジャズに関心を持ち始める。人の知らない事に何でも知悉していたい。この日は早々にミッチと別れ、レコード屋でチャールズ・ミンガスの『直立猿人』のレコードを万引きする。

 俺は早速駄菓子屋の婆の娘の部屋に行き、かっぱらってきたチャールズ・ミンガスの『直立猿人』のレコードを聴く。物凄く括弧良い!ロックの構成よりうんと複雑だ。俺は中学一年の時にかっぱらったマイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』のレコードをレコード棚から引っ張り出し、久々に聴いてみる。俺は黒人音楽の奥深さや落ち着きに心の底から感動する。駄菓子屋の婆が二階に上がってくる。

「あんた、随分とこの部屋に物を持ち込んでるね。そのギターやヘルメットはあんたのかい?」

「うん」

「あんた、バイクに乗るのかい?」

「ヘルメットを持ってるだけ」

「そうかい。まあ、娘の使ってない部屋だから、私は構いやしないんだけどね」と駄菓子屋の婆は言って、階下に降りていく。

 危ないところだった。煙草をこの部屋で吸わなくて良かった。これくらいの物は普通の家の子は誰でも持っているのだろう。

 夜、孤児院からウーちゃんに電話をする。

「ああ、ウーちゃん、こんばんは」

『こんばんは』とウーちゃんが明るい声で挨拶を返す。

「やっと中学卒業したね」

『そうね。人生のとても重要な時期だったと思う』とウーちゃんが満足気に言う。

「何にも達成出来なかったよ」

『そうね。中学生で漫画家デビューとか夢だったな・・・・』とウーちゃんが寂しそうに言う。

「俺達は凡人だよ」

『あたし、アルバイト探すために求人雑誌買ったの』とウーちゃんが気を取り直して言う。

「もうアルバイトするの?」

『だって、高校に入学するまで待てないもん。二人でバイクの免許も取るって約束したよね?』とウーちゃんがはしゃぎ気味に言う。

「うん」

 ウーちゃんが電話口で黙る。俺も黙ったまま受話器の向こうに耳を欹てる。何処か遠くに行こうかと言おうとして止める。何か考えてるのと訊こうとして止める。ずっと今のように人との会話を楽しみたかったのか。誰かと親しく付き合い始めると、なかなか孤独な生活には帰られなくなる。

『京ちゃん、あたしの事好き?』

「ああ、好きだよ」

『って、あたし、こんな事訊く女なのか!』とウーちゃんが自分に突っ込みを入れる。

 釣られて俺も笑う。ウーちゃんは初めて見た時から輝いてたよと言おうとして止める。ウーちゃんへの愛が喉元まで募っている。

「幸せな恋にしようね」

『うん』とウーちゃんが深刻そうな声で返事をする。『でも、何か結果を想って言ってない?』

「結果って?」

『別れたりする事』

「俺はこの恋がずっと続く事を願っているよ」

『それなら良いけど』とウーちゃんが陽気な声で言う。

 どうやら俺達には言葉がいらない。電話越しに黙っていながら、互いの心を感じ合っている。

「京ちゃん、長電話はダメよ」とホールを通りがかったシスター・佳代が注意する。

「長電話はシスターに怒られるから、そろそろ切るね」

『うん。また電話して!』

「うん。それじゃあ!お休み!」

『お休みなさい』

 アルバイトか。俺もやろう。レンタル・ヴィデオ屋が良いな。

 翌日、近所のレンタル・ヴィデオ店に行く。女性の店員がレジスターのところにいる。

「あのう、アルバイトをしたいんですが」

「ああ、はい。一寸お待ちください」と店員は言い、バックルームに入っていく。

 こじんまりした店だが、この店のヴィデオを全部観れば、相当に映画に詳しくなるだろう。店員が店内に戻ってきて、「バックルームにお入りください」と言う。俺は「失礼します」と言って、バックルームに入る。スタンドの灯が点いた暗い部屋に店長らしき中年の男が椅子に座っている。店長らしき中年の男がこちらを振り向き、「どうぞ、こちらに御かけください」と言う。俺は椅子に腰を下ろす。

「あのう、アルバイトをさせて戴きたんですが」

「履歴書は御持ちですか?」

「いいえ。履歴書って何ですか?」

「御自分を証明する書類ですよ。文房具屋に売ってます」

「ああ、じゃあ、履歴書を買って、もう一度出直してきます」

「それじゃあ、とりあえず、お話だけお伺い致しましょうか」

「ああ、はい。お願いします」

「年齢はお幾つですか?」

「十五です。今年高校に入学します」

「映画とかヴィデオはよく御覧になられますか?」

「ヴィデオはヴィデオ・デッキがないんで観れないんですが、TVで時々映画を観ます。店員になるのに映画の知識が必要なら、店内のヴィデオを全部観ます」

「家は朝の十一時に開店して、夜中の十二時に閉店するんですが、一日どのくらい働けますか?夕方の四時から夜の十時ぐらいまでが良いんですが」

「一日六時間ですね」

「週何回出られますか?」

「週休二日ぐらいで働きたいです」

「ああ、結構出られますね。時給は五百円ですが、宜しいですか?」

「ああ、はい」

「日曜日は出られますか?」

「ああ、はい」

「何曜日に休まれますか?」

「何曜日でも良いです」

「それでは火曜日と金曜日に休んでもらいましょうかね。表にいた女の子の都合によって休みの日が変わる事もあると思うんです。それはあなたの御都合によっても、女の子との話し合いで変えられます」

「ああ、はい」

「それで大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です」

「それでは明日の夕方の四時から出勤してもらいましょうかね。明日、いらっしゃる時に履歴書を御持参ください。履歴書はコンヴィニエンス・ストアにも置いてありますよ」

「ああ、はい!ありがとうございます!それでは失礼します!」

 何とか一発で採用だ!アルバイトをしていれば、駄菓子屋の婆の娘の部屋に置いた物も怪しまれずにぼちぼち孤児院の部屋に持ち込める。

 帰りにコンヴィニエンス・ストアに寄り、店員に訊いて、履歴書を手に入れる。

 孤児院に帰ると、神父さんの書斎のドアーをノックする。

「どうぞ!」と書斎の中から神父さんが返事をする。

「失礼します」

「おお、京一か。どうした?」

「明日からレンタル・ヴィデオ店で夕方の四時から夜の十時までアルバイトをする事にしました」

「ほう、それは感心だな。週何日働くんだ。休みの日の火曜日と金曜日以外の週五日です。同僚の女の子の都合や自分の都合で休みの曜日が変わる事もあります」

「時給は幾らなんだ?」

「五百円です」

「ほう。五百円か」

「今日、履歴書を買ってきました」

「ほう。なら、履歴書の書き方を教えてあげよう。ここに持ってきなさい」

「はい」と俺は返事をし、部屋から履歴書を持ってくる。

 翌日、ミッチとウーちゃんにアルバイトの採用を報告する。入学式までは二週間ある。

 夕方の四時十分前にアルバイト先の『パラダイス・ヴィデオ』に行く。昨日、神父さんにアルバイトでは仕事の十分前に職場に入るようにとアドヴァイスを受けた。

「こんばんは」

「ああ、こんばんは。こう言うところでは、何時に出勤しても、おはようございますって挨拶するものなんだよ」と店長が言う。

「ああ、そうなんですか。おはようございます」

「うん」と店長がバックルームの椅子から立ち上がり、ロッカーからエプロンを出す。「勤務中はこのエプロンを付けてください」

「はい。判りました」

「仕事が終わったら、一日百円でヴィデオを借りて良いからね」

「ああ、はい。ありがとうございます」

「ポルノも内緒で貸すよ」

「ああ、はい」

「人には内緒だよ」

「はい」と言って、愛想笑いをする。

 職場に着くと、女性の店員に、「あのう、新しくここで働く事になりました嶋本京一と申します。宜しくお願いします」と自己紹介する。

「山瀬美知香と申します。嶋本さんは私とは入れ違いに入るので、一緒に働く事はありませんが、宜しくお願いします」と女性店員が自己紹介と挨拶をする。

 俺は山瀬さんと交代し、早速玄関掃除と店内掃除をする。その後は新作ヴィデオの番号を印刷したシール貼りやヴィデオの棚拭き掃除をし、お客さんが来た時に素早くレジスターの仕事をする。六時にコンヴィニエンス・ストアで夕食の弁当を買って、夕食時間の休憩を一時間取る。その後はヴィデオのパッケイジの拭き掃除をする。これでお金をもらえるなら楽なものだ。ヴィデオのパッケイジを吹きながら、時給五〇〇円で、一日六時間、週五日の給料を暗算し、給料を何に使うかを考える。それはとても楽しい事である。小さな店であるから同僚はいない。店舗は蒲田にも一店あるらしい。帰りにヴィデオを借りようにも、孤児院にはヴィデオ・デッキがない。ヴィデオ・デッキを万引きするには大型店より個人の店の方が良いだろう。この店で万引きをしたなら、疚しさに苦しむだろう。職場での万引きは控えた方が良い。来月には駄菓子屋の婆の娘の部屋から少しずつ孤児院に物を運び込める。今後、駄菓子屋の婆の娘の部屋をどう利用しようか。盗んだ愛用のマシーンにはもう乗らない方が良いだろう。帰りに白木光の家に寄って、あいつと一緒にヴィデオでも観ようか。

 仕事を終え、『イージー・ライダー』のヴィデオを百円で借りると、白木光のマンションに行く。

「はあい!どなたですか?」

「嶋本だよ」

 玄関のドアが開く。

「久しぶりね。もう会えないかと思った」

「俺、レンタル・ヴィデオ屋でアルバイト始めたんだよ。ヒカルと一緒に観ようと思って、ヴィデオ借りてきた」

「ええ、何って映画?」

「『イージー・ライダー』って言う映画」

「ふううん。知らない映画」

 俺は靴を脱いでヒカルの家に上がり込む。俺はヒカルの腰に左手を回し、「お前、ヴィデオ・デッキ持ってんだろ?」と訊く。

「持ってるよ」

 居間に入り、「飲み物持ってくるね」とヒカルは言うと、冷蔵庫に向かう。俺はソファーに腰を下ろし、テーブルの上のヴィデオ・デッキのリモコンを手に取り、電源を点ける。ヒカルは台所で冷蔵庫から出したコーラをグラスに注ぎ、氷を入れている。俺はヴィデオ・デッキに『イージー・ライダー』のヴィデオを入れる。

「京一君、たこ焼き食べる?」

「ああ、食べる」

 俺はヒカルの白いプリーツのミニ・スカートを穿いた尻を眺めている。ヒカルは冷凍庫から冷凍食品のたこ焼きを出し、電子レンジに入れる。俺は背を向けたヒカルの背後に近づき、背後からヒカルを抱き締める。俺は左手で赤地の花柄のブラウスを着たヒカルの豊満な胸を掴む。右手でヒカルのスカートを捲くり、白いストッキングを穿いた白いレースのパンティーの中に手を入れる。ヒカルの陰毛を触りながら、「お前、可愛いぞ」とヒカルの右の耳元で囁く。ヒカルの膣に手で触れ、「お前、もう濡れてるな」とヒカルの耳元で言う。俺はヒカルのストッキングとパンティーを太腿まで下げ、ヒカルの左の胸を揉みながら、勃起したモノをヒカルの穴に挿入する。両手でヒカルの両胸を強く揉みながら、立ったまま腰を動かす。立ったまま腰を前後に動すと、モノが女の穴の中で上下に動くのを知る。女の喘ぎ声を音楽的に聴く耳でヒカルの喘ぎ声に即興のフレイズを被せる。ヒカルのブラウスのボタンを外し、ヒカルの白いブラジャーを捲くり、両胸の硬くなった乳首を手の指に挟んで揉み解しながら、腰を動かす。ヒカルの腹を両手で押さえ、激しく腰を動かすと、「ああ!ああ!」とヒカルが喘ぐ。モノを挿入したままヒカルのクリトリスを右手の中指で刺激する。

「あああ!気持ち良い!気持ち良い!」とヒカルが快楽の絶頂の中で叫ぶ。「あああ!イク!イク!」

「イッたか?」と俺が訊くと、「イッちゃった」とヒカルが力尽きたように言う。 

 それを聞いて、モノが絶頂に達するまで腰を振り、ヒカルの中に放つ。

 食卓の上のティッシュ・ペイパーでモノに付いた精液を拭き取り、ティッシュ・ペイパーをトイレに捨てに行き、居間のソファーに腰かける。ヒカルは電子レンジから温まったたこ焼きを出し、お盆に載せて、コーラの入ったグラスと一緒にソファーの前のテーブルに運ぶ。ヒカルは俺の左隣に腰を下ろす。俺はたこ焼きを口に入れ、「あちち!」と騒ぐと、冷たいコーラを口に含み、リモコンでヴィデオを再生する。

「これ、外国の映画?」とヒカルがたこ焼きを息で冷ましながら訊く。

「アメリカの映画だよ」


 ヴィデオを観終えると、ヴィデオをケイスに入れ、「それじゃあ、また今度遊びに来るよ」とヒカルに言う。

「泊まっていけば良いのに」とヒカルが名残惜しそうに言う。

「俺、孤児院で暮らしてるんだけれど、朝方、家にいないと神父さんやシスター達に怒られるんだよ」

「じゃあ、また来てね」

「うん。じゃあ、お休み!」と靴を履きながら言って、ヒカルの唇に口づけする。ヒカルに孤児である事を打ち明けて、ヒカルは何の質問も話もしない。世の中、そんなものなのかな。

 孤児院の玄関の鍵を開け、そっと中に入る。高校三年の勇気が居間でTVを観ている。勇気は俺と同じで、全く孤児とは話をしない。俺はシスター達に見つからないように部屋に入り、入浴の支度をする。タオルを持って風呂場に向かう。脱衣所で服を脱ぎ、鏡で自分の裸を眺める。体は入浴後に腹筋背筋腕立てを五十回ずつやる程度にしか鍛えていない。ブルース・リーの体を思い浮かべながら、自分の裸を美的な視点で観察する。女のお色気ポーズみたいな真似もする。

 風呂場に入り、入念に体を洗う。今夜はウーちゃんに電話出来なかったな。バンドの曲も精力的に作らないといけない。映画『イージー・ライダー』の中で流れる音楽が物凄く良かった。

 湯船に浸かり、浴槽の淵に指で文字を書きながら、新曲の歌詞の詩作をする。

 風呂上りに裏庭で煙草を吸う。

 部屋に戻ると、入浴中に考えた歌詞の一節を手帳に書き込み、カミュの『幸福な死』を一気に読む。

 読書を終えると、歯を磨き、くたくたに疲れてベッドに横たわる。


 翌朝の午前十時にウーちゃんに電話をかける。

『はい、もしもし、雪川ですけれども』と大人の女性の声が応対する。

「ああ、あのう、私、嶋本京一と申しますが、詩子さんはいらっしゃいますか?」

『ああ、はい。詩子ですね。一寸お待ちください』

 幼児が電話をしている俺を口を開けて見上げている。

『ああ、詩子です』

「昨日は電話出来なくてゴメンね。昨日からレンタル・ヴィデオ屋でアルバイトを始めたんだよ」

『そうだったんだ。実はあたしも昨日からアルバイト始めたの。個人が経営するコンヴィエンス・ストアなの。アルバイト、何時から何時まで?』

「夕方の四時から十時までだよ」

『ええ!そんなに働くんだ!あたし、夕方の五時から九時までなの。何か、結構、緊張しちゃってさ』

「お客多いの?」

『お客は結構来るのよ。でも、帰りに期限切れの食べ物とかお土産にもらえて、それが結構嬉しいんだけど』

「俺んとこは社員割引で、百円でヴィデオ借りられるんだよ」

『学校始まったら、バイト先で貰う甘い物とか持っていくから、一緒に食べようね!』

「うん」

『じゃあ、京ちゃん、夜とか電話かけるの出来なくなるね』

「遅くで良いなら、電話するけど。何時に消灯?」

『私が寝るのは大体夜中の二時頃かな。十二時前なら親も起きてる』

「ああ、じゃあ、十二時前に電話かけるよ。十二時過ぎたらかけない」

『うん。判った。今日は夕方までどうしてるの?』

「読書したり、絵を描いたりかな」

『あたし達、似たり寄ったりの生活ね』

 シスター・佳代子が俺を見ている。

「それじゃあ、また電話するよ。じゃあね!」

 

 高校の制服は黒の詰襟だ。校則違反にならない学ランとストレートのズボンを爽やかに着こなす事が高校生らしいお洒落の決め所になる。髪型も一寸した校則違反で前髪を少し長めにするようなファッション・センスではなかなか垢抜けない。髪型の校則が厳しいなら、カットのセンスを十分に活かし、大胆に短く切り揃えた方が良い。

 高校の正門を潜り、掲示板のクラス分けを確認し、一年二組の教室に向かう。不良学生がいるかどうか教室内の生徒に目を光らせる。どうやら派出な不良学生はいないようだ。都立のH高は都内一の公立の進学校である。恐らくここの学生は学業優秀ながら、単なる真面目な生徒ではないだろう。この学校の同級生からどれだけ著名人が現われるか。

 入学式の席に着き、周囲を見回すと、四組に中学一年の時にやった清川文子がおり、五組に中学一年の時に清川の次にやった川田美奈子がいる。一組と三組に同じ中学の男子学生がいる。俺と同じ一組の方の生徒は川谷昇一と言うサッカー部員だった生徒で、三組の方の生徒は皆川和也と言うブラスバンド部員だった生徒だ。入学式が終わり、ウーちゃんは清川文子と同じ四組になった。清川と川田がH校に受かったと言う事は、あの後も優等生同士で学校生活を過ごしたのだろう。女同士が裏で繋がる事には何の問題もない。そんな事は俺にセックス・フレンドが増えるだけだ。清川も川田も随分と綺麗になったな。

 入学式が終わり、ウーちゃんと一緒に駅までの商店街を歩く。

「京ちゃん、今日、家に遊びに来ない?」

「ああ、良いね。行くよ。ウーちゃんの家って何処にあるの?」

「ええ!まだ知らなかったの!」とウーちゃんが眼を大きく見開いて驚く。

「いやあ、うっかり訊き忘れてたんだよ」

「いやねえ、五反田よ」とウーちゃんは言って、俺の背を叩く。

「五反田か。意外と近いんだな」

「京ちゃんって、ゲームやるの?」とウーちゃんが俺の左の肘を掴んで訊く。

「ゲームか。あんまりやらないな」

「家に行く途中にゲームセンターがあって、一寸面白いゲームがあるのよ。一緒にやらない?」

「ああ、良いよ」

 俺達はJR五反田駅で下車し、近くのゲームセンターに入る。ウーちゃんは自分の好きなゾンビと闘うスタンディング式のゲイムの前に俺を引っ張っていくと、両替機の中のお金をかっぱらう方法を考えている俺に、「これやろ!」とはしゃいで言う。早速、俺達はゲイムに百円を投入し、ゲイムをやる。なかなか面白いゲイムだ。俺達はあっという間に千円も使う。

 俺達はゲームセンターを出て、赤いレンガの高層マンションに入ると、エレヴェイターで七階に上がる。ウーちゃんの家は七○三号室だ。ウーちゃんは自分で家の鍵を開け、俺を家の中に招く。

 玄関はマンションにしてはとても広い。玄関から真っ直ぐに延びるフローリングの廊下の左右には二つずつドアーがある。ウーちゃんは奥の居間への扉を開け、居間の電気を点けると、「ソファーに座って待ってて」と言って、右側の台所に入っていく。居間は十二畳ぐらいだろう。左側にあるソファー・セットの壁には富士山を背景にした湖の油絵が飾られている。横長のベランダがあり、見晴らしは良い。ベランダにはプランターに植えた花が沢山咲いている。右側の八人がけのダイニング・テーブルの奥に大きなグランド・ピアノがある。本棚はない。ソファー・セットの前には木製のテーブルがあり、テーブルの向こうには大きなTVとヴィデオ・デッキがある。

 ウーちゃんは電気プレートをダイニング・テーブルに運んでくる。

「何か作るの?」と台所に戻るウーちゃんの背中に訊く。

 ウーちゃんはボールに入れた水で溶いた小麦粉とサラダ油ととんかつソースとマヨネイズと皿をテーブルに運び、「電気プレートでお好み焼きを焼くの。お好み焼き、嫌いじゃないわよね?」と訊く。

「ああ、好きだよ」

「あたしは友達来ると必ず料理なの」

「へええ、楽しそうだね」

「今度、中学ん時の友達に紹介するね」

「うん」

「もう焼き始めるから、こっちに来て座ってくれる?」

「ああ、うん」と俺はソファー・セットに背を向けた席に座る。

 ウーちゃんも向かいの席に腰を下ろし、お好み焼きを焼く。

「飲み物、何にする?コーラ?アイス・ティー?」

「アイス・ティーが良いな」

「うん。じゃあ、一寸待っててね」とウーちゃんは言って、台所に向かう。

 ウーちゃんはアイス・ティーの入ったグラスを二つ持って、ダイニング・テーブルの席に戻ってくる。俺はウーちゃんの両脚を自分の脚で挟む。セックスばかりに関心を持たないように注意している。その代わり、体の一部が常に触れているような安心感を与え続けている。セックスなど他の女と幾らでも出来る。ウーちゃんは俺にとって特別な女性だ。一緒に一つ一つ大切な思い出作りをしていきたい。

「そのピアノ、誰の?」

「一様私のなんだけど、小学校に上がる頃にピアノは止めたの」

「勿体ないな。俺、親はいないけど、グランド・ピアノ買ってくれたりするのって、当たり前な事じゃないと思うな」

「ううん。そうなんだろうけど、もしピアノを習う事をずっと押し付けられてたら、何か人生嫌になってたかもしれない」

「親に押し付けられるか・・・・。そういうの、経験にないな」

「あたしもないわよ」

「ああ、一般論ね。若い者が何でも経験の言葉で話す訳ないよね」

「ええと、京ちゃん!親がいない事を気にし過ぎ!」

 俺は視線を宙に彷徨わせ、酷く心が動揺する。取り乱したところをウーちゃんに見られたくない。頼りない男だと思われたくない。眼を隠すために自分の太腿を見下ろす。これで眼の表情を隠せる。俺は痒くもない右の脹脛を搔く。早く心を落ち着けないと!

「あの富士山の絵、誰が描いたの?」

「父よ。家の父、高校の美術の先生なの」

「へええ。ウーちゃんの絵は何処にあるの?」

「私のは自分の部屋に二作飾ってある」

「へええ。観てみたいな」と俺は言い、「あのう、トイレ、貸してくれる?」とウーちゃんに頼む。

「ああ、玄関の近くの右側のドアーがトイレよ。その向かいがあたしの部屋だから、トイレの帰りに絵観てきて良いよ」

 俺は急いで居間から逃げ出る。トイレに入り、用を足しながら、心を落ち着ける。用を済ませて、トイレの向かいのドアーを開ける。電気が点いていない。

「絵観るのに部屋の電気点けても良い?」とウーちゃんの部屋の前の廊下から大声でウーちゃんに訊く。

「良いよ!」とウーちゃんも大声で返事をする。

 ウーちゃんの絵は相当にリアルなシュールレアリズムだ。河馬の姿の中に色んな空間を描いた油絵と天に昇っていくような川の油絵が飾られている。

 ウーちゃんの部屋の電気を消し、居間に戻る。

「ウーちゃんの絵、シュールレアリズムなんだね」

「それより新しい画風が思い付かないの」

「うん。まあ、それが普通だよ」

「印象派風の描き方も試してはみたのよ」

「新しい画風か。難しいな。絵、専門でやってる人達が大概その辺で息詰まってるだろう」

 たこ焼きを食べながら、話をして過ごすと、午後三時半になり、「じゃあ、俺、そろそろバイトあるから帰るわ」とウーちゃんに言う。

「また遊びに来てね!」とウーちゃんが明るい声で言う。「駅まで送るね」

「ああ、いいよ。駅までの道は判るから」と言って、ウーちゃんの唇にキッスをする。「それじゃ!また電話するよ」

「うん」とウーちゃんが俺の目を見つめて言う。


 孤児院に帰り、直ぐにアルバイトに行く。

 レンタル・ヴィデオ屋の『パラダイス・ヴィデオ』に着くと、「おはようございまあす!」と言って、バックルームに入る。

「ああ、嶋本君、おはよう!嶋本君、ミート・パイ食べるかい?」と店長が言う。

「ああ、はい」

「まだ温かいよ」

「戴きます」

 温かくて美味しいミート・パイだ。孤児院の外の人から食べ物を貰ったのは初めてだ。本当に美味しい。思いがけぬ幸せを経験し、イエス・キリストの事を想う。

「美味しいだろ?」と店長が訊く。

「ああ、はい。美味しいです」


 アルバイトが終わると、映画『ミツバチのささやき』のヴィデオを借り、ヒカルの家に行く。ブザーを押すと、紺の寝巻きを着たヒカルが出てきて、「ああ、嶋本君、入って!入って!」と笑顔で家の中に招く。「アルバイト終わったの?」とヒカルが笑顔で訊く。

「終わったよ。店にあるヴィデオを全部観ようと思ってるんだよ」

「あたしも嶋本君と一緒にヴィデオ観てたら、相当映画に詳しくなるわね」

「良いだろう、そう言う付き合いも?」

「勿論、良いに決まってるじゃない」

「先ずは一発ヤラせろ」と玄関の戸を閉めるヒカルの胸を背後から鷲掴みして言う。


 ヒカルの家から孤児院に帰宅し、ウーちゃんに電話をかける。もう深夜一時過ぎだ。

『はい、もしもし、雪川ですが』と電話には直ぐにウーちゃんが出る。

「ああ、俺」

『ああ、京ちゃん、あたしね、今日、バイトの帰りに中古レコード屋を見つけたの』

「へええ。中古レコード屋か。そこで何か買ったの?」

『レッド・ツェッペリンの1STとディープ・パープルの『マシン・ヘッド』を買ったわ』

「ああ、どっちも持ってるよ」

『えええ!そうなんだ!絶対知らないと思ったのに!』

「どっちも有名なバンドだよ。どっちもハード・ロックだから、統一感もあるよ。でもさ、中古レコード屋って言うのは売れたレコードを中古品として売る店だよね?」

『うん。そうなんだけど、中古レコード屋さんで売ってるレコードの数って物凄く多いの。過去のバンドを網羅するには中古レコード屋って、貴重な情報源よ。しかも、定価で買っていくよりうんと安く手に入るから、定価のアルバム一枚分で多くて六枚ぐらい買える計算になるの』

「アルバム一枚幾らぐらいなの?」

『五〇〇円から一八〇〇円ぐらいかな。アルバイトやってるとお小遣いも増えるし、二人で洋楽の世界を探索していくのは相当に楽しいと思うの』

「ああ、良いアイデアだね。じゃあ、明日改めて俺と一緒に行こう!」

『良いよ』

「詩、どうだった?」

『ああ、詩の感想か。何て言うかな、ありきたりな言葉で申し訳ないんだけれど、美しい詩だなあって思って、最後まで一気に読んじゃった。京ちゃんって、詩人なのね。詩人って、美しい言葉よね。何か、一寸、ジェラシー感じちゃうのよね。あたしも詩の勉強したいなあと思った』

「ああ、最高の感想だよ!詩書いてて本当に良かった」

「それじゃあ、もう夜遅いから、また明日学校で!」

『うん』

「お休み!」

『お休みなさい』

 ウーちゃんとの電話が終わり、風呂に入るために脱衣所で服を脱ぐ。裸で鏡の前に立ち、顔の表情の変化を確かめる。ステイジに立つシンガーとしての自分をイメージし、ステイジ・アクションの研究をする。体を鍛えて美的な体作りをしようか。自分で作詞作曲した曲って、自分そのものなんだな。そうなると、どんな歌を作っても良いって訳じゃないな。もっとお洒落にもオリジナリティーがいる。歌が人真似なら、ファッションも人真似になる。長髪か。パンク・ヘアが良いかな。そう考える時点で人真似なのか。ウーちゃんもお洒落には凝りそうだな。一緒に服を買いにいくデートにもなりそうだ。ウーちゃんとの高校生活はさぞかし楽しくなるだろう。

 風呂場に入り、体を入念に洗う。シャンプーを付けた髪を鏡で見ながら、パンク・ヘアにしてみる。似合わなくはない。リーゼントやポンパドールにもしてみる。整髪料や香水をチェックしに化粧品屋にでも行くか。熱い湯船に浸かり、眼を閉じる。慌しい生活ばかりしている。もっと気持ちの良い事に貪欲であっても良い。小説の主人公の快適な入浴シーンを想像する。

 風呂から出ると、煙草を吸いに裏庭に行く。煙草は良い。こんなに簡単に寛げるものはない。煙草の煙が体の回りに漂うような絵を想う。

 煙草を吸い終えると、ベッドの上で鉛筆を手に持ち、スケッチブックを膝の上に載せる。いきなり彩色するように絵を描き、鉛筆による下書きを省こうか。この時点で二つの方法による絵画が得られる。即興画と下書きを描く絵だ。空想画と写生画の二種類にも分けられる。空想で絵を描こうとすると、ディテイルに行き詰まる。空想画は日頃の観察眼に命がかかっている。俺は宇宙空間を飛ぶ宇宙船を描く。それが思いがけず、四角っぽいダンボールで出来たような宇宙船の絵になる。絵は意外と下手だ。描いた絵は破らないようにしたい。

 ヒカルとの映画鑑賞は将来映画を網羅するような知識になるだろう。ああ、日本の小説も読まないとなあ。寝る前にカミュの『シーシュポスの神話』を一気に読む。

 もう夜中の三時半か。ウーちゃんとの電話は欠かしたくないから、ヒカルの家でのヴィデオ鑑賞は給料でヴィデオ・デッキを買うまでで良いか。ヒカルとはまだデートもしていない。喫煙の本数は一日三本程度に収まっている。小説は一日で一気に読む方が良い。学校の授業の予習復讐が出来ていない。大学に進学するなら、授業の予習復習は欠かせない。受験期に入ってから受験勉強を始めるようでは大した大学には入れない。いっそ大学進学を止めようか。バンドのための音源の録音も出来ていない。学校で金をかっぱらって、アルバイトを辞めるか。メンバーは皆アルバイトをしている。かっぱらった物やかっぱらった金で買った物を孤児院の部屋に置くにはアルバイトを続けなければいけない。神父さん達にはアルバイトを続けているように見せかければ良いか。ヴィデオのレンタル料さえ工面すれば、ヒカルの家でのヴィデオ鑑賞で映画の網羅も出来る。ああ!そうだ!ウーちゃんと一緒に中免も取るんだった!学校でかっぱらった金で試験の費用やバイク代も稼ぐのか。流石にそこまでは無理だ。そんなに頻繁に学校で金を盗んでいたら、その内捕まるだろう。警戒されて、学校での安定した収入も得られなくなる。学校で金を掻き集めながら、アルバイトも続けた方が良いのか。アルバイトを続けて、毎日ヴィデオ鑑賞をしたら、学業が疎かになる。アルバイトを続け、ヴィデオ鑑賞をアルバイトの休みの日に限れば、学業も疎かにならない。アルバイトを続けていれば、中免の費用やバイク代も貯められる。中免を取得して、バイクを買ったら、ウーちゃんと一緒にツーリングにも行ける。ヴィデオ鑑賞をアルバイトの休みの日に限れば、バンドのための音源の録音も出来る。ここはヴィデオ鑑賞を制限し、映画の網羅を先延ばしにするのが一番良いようだ。これなら深夜二時には就寝出来る。

 高校時代も帰宅部になりそうだ。

 学校の帰りにウーちゃんと中古レコード屋に行く。万引きで手に入れたレコードはどれも新品だ。ジャケットの痛んだ中古レコードには古書のような魅力を感じる。俺はデイヴィッド・ボウイの帯のない『ジギー・スターダスト』と『ダイヤモンドの犬』とピンク・フロイドの帯付きの『アニマルズ』とルー・リードの帯無しの『ベルリン』を買う。中古レコードは帯の宣伝文句や印刷文字にも古めかしい魅力がある。

 買い物が済むと、ウーちゃんと喫茶店に入り、俺はコーヒー・フロートとサンドウィッチを注文する。ウーちゃんはアイスティーとチーズ・ケーキを注文する。

 ハムと卵とチーズのサンドウィッチがなかなか上手い。

「ウーちゃん、何のレコード買ったの?」

「見せっ子しよっか!」

「うん」

 ウーちゃんはロキシー・ミュージックの帯付きの『カントリー・ライフ』とウルトラヴォックスの帯付きの『ヴィエナ』と一〇CCの帯付きの『愛ゆえに』とジャパンの帯付きの『孤独な影』を買ったようだ。

「意外な事にこの中で俺が聴いた事あるアルバムはジャパンの『孤独な影』だけだよ。ウーちゃんって、中学の時、洋楽聴いてた?」

「『ベストヒットUSA』とか観て、ザ・ポリスの『シンクロニシティー』とかジャーニーの『フロンティアーズ』を買って聴き始めたのが中一の頃かな。その後はスティーヴィー・ワンダーとかライオネル・リーチーとか、黒人音楽も聴いたわ。マイケル・ジャクソンとかクリストファー・クロスとかプリンスとかフィル・コリンズとかもよく聴いたわ」

「ああ、やっぱり聴いてたんだね」

「一日六時間アルバイトして、バンドの人達とは何時会うの?」とウーちゃんが訊く。

「ああ、確かに全然会ってない。毎日、時間がなくてね。それに音源の録音も出来てないから、会っても聴かせるものがないよ。毎日、ウーちゃんと会ってるから良いんだけどね」

「高校生でデビューとかしたいの?」

「どうかな。学業が疎かにならないように一番気を付けてるんだけど、いっそ大学行くの止めようかなって思ってるんだよ」

「ああ、それは何か重苦しいものが抜け落ちるような安堵感があるわね。あたしは大学には行く。今の時代、大卒が当たり前になってるし、低学歴を補うような独学は私には無理」とウーちゃんがチーズ・ケーキをフォークで切りながら言う。「要は独学って、働きながら、勉強する訳じゃない?毎日、仕事後に大学の授業のカリキュラムみたいなハードな勉強を自分一人の力で実行出来るかって事よ。それはあたしには無理」

「ううむ」

「京ちゃんも出来ないんでしょ?」とウーちゃんがチーズ・ケーキを口に入れながら、俺の眼を見て訊く。

「確かに無理だな」

「でも、大学出て、暫く学業から離れると、大学で習った事って忘れていくらしいのよ。教科書とかも大切に残しておく人が多いらしいけれど、大学の教科書なんて先ず読み返さないらしいわよ。それって、残るのは学歴だけじゃない?でも、学歴には或程度の安定した社会的な価値があるのよ」

「うん」

 ああ、頭の痛い話だ。ロックンローラーなんて、学歴なんか一番関係ないと言い切るべき存在なのに、意外と気になる。

「何でも揃っていれば安心って言うのは違うと思うのよね。ハングリー精神みたいなものって、どんな仕事にも重要じゃない?」

 大学に行く代わりに何を経験すべきなんだろう。若き日の輝かしい思い出・・・・。

「ねえ、聴いてる?」

「ああ、ごめん。考え事してた」

「ヤダ!もう!」とウーちゃんが言って、頬を膨らませる。

 何か話に集中出来ない。席を立ち、「俺、今日、一寸、用あるから、そろそろ帰るわ」と言う。ウーちゃんも席を立ち、「ああ、あたしも今日、銀座に画材買いに行くのよ」と言う。俺は会計を済ませ、「今日は俺の奢り!」とウーちゃんに言って、店を出る。

「じゃあ、夜また電話するよ」と言って、ウーちゃんの唇にキッスをする。

「じゃあね!また明日学校で!今夜、また電話して!それまでに今日買ったレコード聴いて、感想言うから!」とウーちゃんが笑顔で言う。

 今日買った中古レコードを駄菓子屋の婆の娘の部屋に置きにいくと、ギターの音源を一曲録音し、自転車で急いでミッチの家に行く。

 呼び鈴を押すと、「はあい!」とミッチが家の中から返事をする。ミッチは玄関のドアーを開け、「ああ、京一か。入って入って!何か飲む?コーラとアイスティー、どっちにする?」

「ああ、じゃあ、コーラを」

「コーラね。判った」

 俺はミッチのベッドに腰かけ、ミッチが聴いていた音楽に耳を傾ける。シンセサイザーだけの瞑想的な音楽である。

「この音楽、何ですか?」

「プログレの再発盤シリーズの一枚なんだよ。単調なシンセサイザー音楽で、何かパッとしないでしょ?」

 案外そうでもない。

「瞑想的な音楽ですね」

「西洋人なんだけど、何か東洋的なものを意識してるんだよね」

 ミッチがお菓子と飲み物を運んでくる。

「どうぞ!」とミッチがお菓子と飲み物を勧める。お菓子は欠けた揚げ煎餅だ。「これ、壊れ煎餅って言って、欠けた煎餅だけを纏めて売ってるんだよ」

「へええ。戴きまあす!」

「味は普通に良いでしょ?」

「はい」と揚げ煎餅を食べながら答える。「今日、急いで音源録って持ってきたんです。俺、高校の入学式前からレンタルヴィデオ屋でアルバイトを始めたんです」

「へええ、よく採用されたね」

「夕方四時から夜の十時までの一日六時間週休二日で雇ってもらいました」

「学業疎かにならない?」

「大学行くの止めようかなって考えてるんです」と言い、「これ、音源です」とミッチにテイプを手渡す。「結構長く頭の中でイメージしてた音なんです」

 ミッチはレコードを止め、俺のテープを再生する。

「俺も音源録ったんだよね。後で聴いてよ」

「はい」

 ミッチが集中して俺の音源を聴く。

「映画音楽のようなものをベイスにした歌モノなの?」とミッチが訊く。

「既存のギター、ベイス、ドラム・キーボードによるビートものにあんまり興味がなくて」

「ああ、じゃあ、プログレッシヴ・ロックの方に接近するね。ピンク・フロイドとか聴いた?」とミッチが思い詰めたような顔で訊く。

「ああ、今日、中古レコード屋で一枚買いました」

「何買った?」とミッチが俺の心の中を探るような眼で訊く。

「まだ聴いてないんですけど、『アニマルズ』を買いました」

「『アニマルズ』は良いよ!今度、フロイド買う時は『原子心母』を買うと良いよ。あのアルバムは神が表われるんだ」とミッチが興奮を抑えたような口調で言う。ミッチの眼がこれまでに見た事程輝いている。

「神っているんですか?」

「いるも何も、日本には神代って言う、神々のいた時代があるんだよ」とミッチが満ち足りた晴れやかな顔で答える。

「へええ。そうなんだ。俺、キリスト教の孤児院で育ったんです」

「へええ、京一って、孤児院で育ったの!」

「嫌われるかなと思って、言わずにいたんです」

「孤児だから嫌うって事はないよ」

「なら、良いんですけど・・・・」

「サウンド的にはパクリもないね」とミッチが俺の音源の感想を言う。「俺達、この路線なら、きっとデビュー出来るよ。他のメンバーにも聴かせておくよ。その点、俺の音源はありきたりかな」

「聴いてみたいです」

「じゃあ、俺の方も聴いてもらうか」とミッチがおどけたように言い、音源を再生する。

 ミッチの音源は明らかにジャパンを意識している。

「ジャパンみたいなバンドにしたいんですか?」

「いやあ、俺には突出した個性や才能はないから、何やっても、結果的にパクリになるんだよ」とミッチが悲しげに言う。ミッチはすっかり元気を失くしている。「京一が作る音楽は七〇年代を引き摺るような音楽でもないね。全く新しいロックだよ。根底からしてダークだしね」とミッチが思い詰めたような顔で言う。

「俺って、やっぱり、暗いんですかね」

 ミッチの眼が酷く動揺する。ミッチは何かを言おうとして黙り込む。

「俺、バンドのメンバーが初めての友達だったんです。幼い頃には仲の良い孤児が二人いたんです。孤児院から孤児が里親にもらわれていく時には他の孤児には何も知らされないんです。仲の良かった孤児が何時の間にか孤児院からいなくなるんです。何処に行ったんだろうと思いながら、数日過ごして、その裡いなくなった事を忘却していくんです」

「酷いな。僕は別れの経験は人間に必要な事だと思うな」

「でも、仲の良い孤児達と生き別れて、悲しいって言う気持ちはないんです」

「転校する親友にだって、さようなら、元気でな、また会おうなって送り出すものだよ。それが人生だもの」

「俺達、親を知らないんです。親から受けた愛情の記憶もないんです」

 ミッチが胸ポケットから煙草を出し、一本口に銜えて、火を点ける。ミッチは俺の前で普通に煙草を吸っている。俺もズボンのポケットに煙草とライターを入れている。どう言い出せば良いか判らない。ミッチは肺の奥まで煙を吸い込む。

「あのう、俺も煙草吸って良いですか?」

「持ってるの?」

「ええ。持ってます」

「家は禁煙じゃないよ」とミッチが笑顔で言う。

 俺はズボンのポケットから煙草とライターを出す。煙草を口に銜えて煙を吸い込む。

「吹かし煙草だね」とミッチがからかうような目で言う。「肺に吸い込むんだよ」

「肺に入れて味わえる訳ではありません。肺癌になりたくもありません」

「うん。でも、肺まで入れないと吸った気がしないでしょ」

「そうでもないです。でも、吸い慣れたら、煙草が嫌いな人っていないと思うんですよね」

「そうだろうな。煙草吸うと喧嘩が弱くなるって言われてるから、中学の頃は吸わなかったけれど、そう言うのってどうでもよくなるんだな」とミッチが口許に笑みを浮かべて言う。

「ミッチは喧嘩するの?」

「ナメられ放しにはならないね」とミッチが目を尖らせて言う。

「へええ。意外だな」

「この顔だから、簡単にナメられるんだよ」とミッチが平然と言う。

「ああ、女性的な顔立ちされてますからね」

「ロックやるには良いよ」

「そうですね」

「京一は特に顔が良いよ。野性的な眼も良い。京一って、喧嘩強いんでしょう?」

「ああ、毎日殴り合いの喧嘩こなしながら育ったんで、暴力は完全に自分の正統な問題解決の手段です」

「なるほど」とミッチは俺の内面を疑うような眼で言うと、真顔でミッチを見つめる俺の顔を見て、噴出すように大笑いする。俺自身は冗談を言ったつもりはない。因みに俺は生まれてから一度も人に冗談を言った事がない。人を笑わすのは良いものだ。

「ミッチのジャパン風の曲も良いですよ」

「俺のはパクリなんだよね」

「いやあ、ちゃんとミッチらしいカラーはありますよ。余計なものを削ぎ落とせば、パクリじゃなくなります」

「へええ、そうなんだ」

「意識的にパクッてるんですか?」

「ううん・・・・」

「な訳ないですよね」

「ううん・・・・」

 俺は思わず噴出すように笑う。何と俺は生まれて初めて笑った。

「いやあ、意識的にはパクッてない」

 俺はまた噴出すように笑う。ミッチの頬がポッと赤くなる。本当に女性的な美しい顔をしている。この人はゲイなんだろうか。ゲイだろうと何だろうと、折角出来た友達を失いたくない。

「俺、そろそろバイトなんで帰ります。ミッチのこの楽曲はアルバムに入れましょう」

「ええ!ほんとに!じゃあ、もう一寸京一の曲とのバランスを取ってみるよ」

「ええ。頑張ってください」

 

 アルバイトから孤児院に帰宅し、ウーちゃんに電話をする。

「ああ、ウーちゃん、何してた?」

『アルバイトから帰ってきて、ずっと漫画描いてた』

「どんな漫画描いてるの?」

『SMっぽい漫画描いてた』

「美的な感じのSM?」

『割と。あたし、女だけど、女の裸体描くの好きなのよね』

「女性の描く女の裸体は男の性的な関心を引き起こさないんだよ」

『写真なんかも人が撮った自分の顔って意外な一面だもんね』

「それって話の繋がりあるの?」

「いえいえ、不意に思った事口にしただけ」

 不意に思った事を口にするか。多分、親しい間柄で為される事なんだろう。

「写真よく撮るの?」

「よく撮る。中学の時に漫画用に自分のカメラ買ってもらったの」

「お父さんに?」

「うん。一眼レフのカメラなの」

「親って、子供の欲しい物をどれくらい買い与えてくれるものなの?」

「家の親は何でも買ってくれる」

「それは特殊なケイス?」

「どうかな。他所の家の事はよく知らない」

「親が子供に物を買い与えるのって、親の愛情?」

「まあ、そうね。だって、親は自分で働いて得たお金で子供の欲しい物を買い与えるのよ?」

「親の子供への愛情に損得勘定はないの?」

「どうかな。子供は親にとって自分の分身みたいな面もあれば、人生のお荷物みたいな面もあると思うの」

「それは想像?」

「勿論、経験ではないわよ!」とウーちゃんが笑いながら言う。

 また人を笑わせた。笑わせるって、人を楽しい気持ちにさせるんだな。

 翌日、アルバイトから帰宅すると、ミッチから電話がかかってくる。 

「ああ、こんばんは!ミッチが電話してくるなんて初めてだね」と受話器の向こうのミッチに応対する。

『今、メンバー揃ってお酒飲んでるんだけど、今から家に来ない?』

「ああ、直ぐ行きます」

『じゃあ、待ってるね』

「何処か出かけるの?」とシスター・恵子が訊く。

「俺、ロック・バンド組んだんですけど、今、メンバーが集まってお酒飲んでるらしいんです。それで俺もこれからメンバーの家に行こうかと思ってるんです」

「高校生がお酒を飲むの?」

「皆、飲んでますよ」

「じゃあ、気を付けて帰ってらっしゃいよ」

「はい」

 シスター・恵子が俺に恋人やバンドの仲間がいる事を知ったなら、夜遊びは自由になる。神父さんやシスター達は俺が朝帰りをしたとしても、学校の成績さえ落ちなければ安心していられるだろう。これまでの俺は或意味、シスター達にとっては手のかからない子だったのだろう。俺は幼い頃から神父さんやシスター達には自分の事を話さずに生きてきた。神父さんやシスター達は学校から俺の喧嘩の事で呼び出されたりする時に初めて俺の一面を知る。俺が幼い頃から窃盗やストリート・ファイティングを繰り返してきた事などは何も知らない。況してやフリー・セックスを繰り返している事など思いもしないだろう。アルバイトが三ヶ月続いたら、駄菓子屋の婆の娘の部屋に置いてある物を孤児院の部屋に持ってこよう。アルバイトを辞めても神父さんやシスター達には言わない方が良いだろう。いちいちある事為す事言わない方が夜遊びが自由になる。そろそろ煙草も堂々と部屋で吸おうか。いや、喫煙に関してはまだ隠しておこう。学校での喫煙もしない方が良い。

 ミッチの家のブザーを押すと、間もなくドアーが開き、「ああ、京一!入って入って!」とミッチが真っ赤な顔をして歓迎する。

「顔、真っ赤ですよ」

「まだ缶ビール一本弱だよ。俺、お酒はあんまり強くないんだよ」

「おお!京一!来たか来たか!」とベイスの北島がヘベレケに酔っ払った呂律の回らない口調で言う。

「京一も飲みなよ!酒ならたんまり買ってきたからさ」とドラムの皆川が眠そうな赤ら顔で言う。俺は皆が腰を下ろしている床の合間に腰を下ろす。

「はい!京一!」とミッチがよく冷えた缶ビールを俺に手渡す。ツマミに冷凍ピッツァやカキピーやスナック菓子がある。

「京一もウィスキー・コーク飲む?」と皆川が赤ら顔で訊く。皆川は眼が真っ赤になっている。

「美味しいんですか?」

「コーラと一緒だよ。俺、ビールは苦くてダメなんだ」

「ああ、じゃあ、一杯戴きます」

 皆川は眼を瞬かせてウィスキー・コークをグラスに作ってくれる。

「はいよ!」と皆川がグラスを手渡す。

「じゃ、戴きます」と俺は礼を言って、ウィスキー・コークを試してみる。「ああ、飲み易いですね」

「そうだろ!」と皆川が虚ろな赤い眼で言う。

「ツマミもどうぞ!」とミッチが言う。

 俺はミックス・ピザを食べる。

「京一、北島と皆川の愛称も考えてよ」とミッチが晴れやかな真っ赤な笑顔で言う。

「じゃあ、キタピーとミニーはどうですか?」

「ああ、ミニー良いね」と皆川が真っ赤な腫れぼったい目をして言う。

「キタピーって、カキピーみたいだよ!」と北島が真っ赤な顔で笑いながら言う。

「じゃあ、キタジーにしますか?」

「おお!キタジーは良いね」と北島がヘロヘロの口調で言う。「何か焼肉喰いてえな」

「ああ、じゃあ、俺、肉買ってきますよ」と俺は言って、席を立つ。

「悪いね!皆で金払おう!」と北島が言う。「一人千円な」

「俺も一緒に買いに行くよ」とミッチが言って、立ち上がる。ミッチは少しよろける。

 俺とミッチはマーケットで牛肉を買い、公園の前を通る。

「ああ、夜風がひんやりしてて気持ち良いね」とミッチが晴れやかな声で言う。

「そうですね」

「京一は恋人いるの?」とミッチが訊く。

「いますよ」

「恋人は女性だけで満足なの?」

「俺、同性愛の欲求は全くないんです」

 ここに来て大切な友達を失うのか。折角出来た友達を失っても良いのか。何とかすんなりと問題解決したい。これまで通りの交友を続けたい。同性愛を受け入れる気はない。男と抱き合うようなセックスなど気持ち悪くて出来ない。したくもない。

「ううむ」とミッチの言葉が詰まる。「俺、同性に恋したの京一が初めてなんだ。京一と会うとドキドキするんだよ。ふと気づくと京一に口づけされる事を想像してるんだ」

「片思いとか、ほのかな恋心で良いんじゃないですか」

 ミッチが黙り込む。一歩一歩と歩き、段々ミッチのアパートメントに近づいてくる。

「これまで通りで、お互い楽しく過ごせる工夫をしましょうよ」

「うん。そうだね。ゴメンね」とミッチが細やかな気遣いをして言う。

「謝らなくてもいいですよ。好かれて嫌な気持ちがする人間はいませんよ」

「ああ、そうだよね」とミッチは不自然な程明るい声で言い、目元を右手の人差し指で拭う。「あのう、今の事、メンバーには内緒にしてくれないかな?」

「俺達二人だけの秘密ですね」

「うん。二人だけの秘密だよ」

 ミッチは自分の家のドアを開けるなり、「肉買ってきたぞお!」と

大声で叫ぶ。

 何とか難関は潜り抜けた。友達を失わずに済んだ。ミッチは俺にとって本当に大切な友達なのだ。ロック・バンドにはこのくらいのプラトニックな同性愛は必ずあるだろう。性的な欲望こそ起きなくとも、自分を好いてくれる美しき同性の友を大切に見守りたい。

 親の愛情を知らず、友達一人いなかった俺が段々と色々な人々を愛し、人との出会いを大切にするようになった。毎日の優しい一言や細やかな気遣いや愛の持続がこの今の幸せを長続きさせている。


 俺達のバンドには名前がない。俺達のバンドも楽曲が増え、ストリート・ライヴが出来るくらいになった。

 品川駅でウーちゃんと別れ、孤児院に帰宅すると、自転車でミッチのアパートメントに行く。ミッチの家のブザーを押すと、「はあい!」と家の中からミッチが返事をする。ドアーが開き、蒼白い化粧をしたミッチが現われる。「ああ、京一か。入って入って!」

「良い化粧だね。なかなか良いキャラクターだよ。俺はどんなキャラクターになろうかな」

「京一は化粧しないの?」とミッチが冷蔵庫の方に向いながら訊く。

「するよ。ミッチの化粧に負けないくらいのメイクを考えてるんだ」

「コーラとカルピス、どっちにする?」とミッチが俺に訊く。

「コーラが良い」

「コーラね」

「楽曲増えた事だしさ、今度ストリート・ライヴやらない?」

「ああ、良いね」とミッチは言って、俺の前を通り越して寝室に入り、床の上にお菓子と飲み物の乗ったお盆を置く。「じゃあ、スタジオで録音したテープをコピーしておくか。コピーしたテープをストリートで売ろうよ」

「ああ、良いね」

 ミッチの事を自分の心の恋人だと思っていたら、自然と言葉も敬語からタメ語になっている。ミッチは床に胡坐を搔く。俺はベッドに腰かける。

「京一はさ、俺が同性の恋人作っても平気?」

「ううん。一寸は焼き餅焼くかな」

「じゃあ、俺を恋人にしなよ」

「俺、同性愛者じゃないんだよ」

「俺だって、京一に会うまでは同性愛者じゃなかったよ」

「じゃあ、今は良い男と見れば、性的な欲望を掻き立てるの?」

「ううん。俺は普段から女の気持ちでいられる事に喜びを感じてるから、他の男の事は余り気にしてないけど、同性愛者だからって男なら誰でも良い訳じゃないよ」

 俺はミッチに瞬間的にどんな顔をしたのだろう。

「いやあ!京一しか好きじゃないよ!」とミッチが慌てて訂正する。

 俺の口許がにやける。正直なところ、ミッチに好きだと言われて、嫌な気持ちはしない。ミッチは品が良い。俺は品のある人が好きなようだ。ミッチは都会っ子然としていて、とても爽やかだ。抱き合うとか、口づけする事を想像すると、ミッチが男である事に気づき、拒絶してしまう。

「京一はどんな男が好き?」

「美的で品のある人かな。性的な欲望こそ抱かないけれど、ミッチの事はカッコいいと思ってるよ」

 ミッチの顔が万遍の笑顔になる。ミッチは笑っても綺麗だ。美しい人の笑い顔って美しいのだろうか。俺の笑い顔も美しいのか。実際の笑い顔は鏡でチェックするようなささやかな笑い顔より、もっと大胆で変化が大きい。顔の表情など感覚で調整出来るようなものではないだろう。調整しないところで正確な反応を相手に示しているのだろう。顔の表情の自然な変化は身を護る最大の武器でもある。暴力に匹敵するぐらいの恐ろしい意思表示もあろう。それは恐らく無遠慮に自然と顔に表われる反応であるに違いない。

「キタジーとミニーって、普段付き合いあるのかな?」

「ああ、あの二人は俺達みたいにちょくちょく会う仲らしいよ。何で?」

「メンバーがいつも全員揃ってないと十分なミーティングが出来ないからさ」

「京一と話した事は全部俺が電話で伝えてるよ」とミッチが険しい顔で言う。

「そうなんだ」

 ううん。確かにミッチの顔の表情の変化は正確だな。顔の表情って、やはり、正直で正確な反応なんだな。完全なポーカーフェイスなんて映画の中だけのもので、現実にはないのかもしれない。ミッチの顔は怒っても綺麗だ。俺ももっとはっきりとした顔の表情を表に表わしたい。シャイなんて病的でかっこ悪い。

「キタジーとミニーの音源ある?」

「ああ、聞かせるよ。なかなか良いんだよ。俺も二人の音源にどうギターとキーボードを載せるか考えてたんだよ。二人の音源はドラムとベイスが両方とも入ってるんだよ」

「へええ、仲良いんだね」

「うん」とミッチが焼き餅を焼いたような顔で返事をする。

 俺達はキタジーとミニーの音源を集中して聴く。俺のギターとヴォーカルの音源にキタジーとミニーのドラムとベイスとミッチのキーボードとギターを入れた完成曲の音源もある。

「良いね!サウンドが独特になってきてるよ。俺達、ジャパンみたいになるかもね」

「俺、パクリしか出来ないと思ってたから、かなり嬉しくてさ」とミッチが涙を流して言う。俺はミッチの涙を右手の人差し指で拭ってやる。ミッチはちり紙で鼻を嚙む。ゲイの感情とは遠いけれど、俺にだって優しさや気遣いはある。

「良し!じゃあ、一週間以内にストリート・デビューしよう!」

「おお!」とミッチがガッツ・ポーズをした笑顔で言う。

「でさ、肝心なのは俺達のバンド名だよ。何て名前にする?」

「俺、ブルー・ローズが良いな。京一の歌詞に蒼い薔薇って言う言葉が出てくる曲があるだろ?俺、あの歌が大好きなんだよ」

「あれ、デイヴィッド・ボウイをイメージして作った曲なんだよ」

「ああ、やっぱり!同性への憧れをイメージした歌だね。でも、俺達のバンドって、恋の歌がないよね?」

「恋心を歌うくらいなら、さっさとヤッてるよ」

「えええ!そう言う人なんだ!何か俺のイメージと全然違う!もっと真面目な人かと思ってた」

「ミッチは俺に意外な面を山程見る人だろうね」

「そうなんだ。他に何隠してるの?」

「言わなくてもいい事は言わないし、見せなくてもいい事は見せないよ」

「意外と秘密主義なんだね」

「話の接点が合わないから見せない面が残るだけだよ」

「そんなに別人格的な事するんだ?」

「別人格ではないよ。普通に俺らしいよ」

「ふううん」

「じゃあ、そろそろアルバイトだから失礼するよ。また音源持ってくる」

「うん。楽しみにしてる」

 ミッチの女性化はどんどん進んでいる。

 

 アルバイトの帰り道、大森駅に行くと、見知らぬ女が駅ビルの入口で恋人にキッスをして別れる。その女は本屋に入っていく。俺は女の後から本屋に入る。俺は女の隣に立ち、女によく見えるように本を万引きする。女が本を買って店を出る。女は池上商店街の坂道を下っていく。俺は女の背後に接近する。女は振り返り、再び俺の姿を見る。女は駆け足で横断歩道を渡る。俺は赤信号の最中に女を追いかける。車が喧しくクラクションを鳴らす。女は何度も振り返りながら逃げる。女は大森銀座商店街のアーケイドから住宅街の夜道を駆けていく。俺は女の肩を掴む。

「絶対に人に言いませんから赦してください!」と女が泣き喚く。

「お前には恋人がいるな?」

「はい」

「お前を信じるにはお前に恋人への秘密を持たせなければいけない。判ったか?」

「許してください!」

「良いか、俺と寝ろ!そうすれば、お前を信じてやる」

 女は俺の顔を涙目で見つめる。俺の顔は全ての女の好みだ。

「判りました」と女は俺の条件を受け入れる。

「お前は一人暮らしか?」

「はい」と女が服従したように素直に返事をする。

「なら、お前の家に行こう。俺はお前の家の物やお金を盗んだりはしない」

「はい」と女が両手で顔を覆って返事をする。 

「家に案内しろ」

「はい。こっちです」と女が住宅街の先を指差し、歩いていく。

 俺は女の肩を抱き、女と歩く。女はハンドバッグからハンカチーフを取り出し、涙を拭きながら歩く。俺は女の左の頬に軽くキッスをする。女は恥ずかしげに俯く。俺は更に女の左頬にキッスをする。女の顔に笑みが浮かぶ。俺は更に女の左頬にキッスをする。

「お前が可愛いからキッスをしてるんだぞ」

「はい」と女が恥ずかしそうに返事をする。

「俺は恐くないな?」

「はい」と女がにやけた顔で返事をする。「その四階建てのマンションの三〇二号室です」

「そうか」

 俺は女とマンションの玄関に入り、エレヴェイターの前に行く。俺は女の左の胸を揉みながら、エレヴェイターのボタンを押す。

「お前、胸大きいな」

 女は俺の左肩に自分の頭を凭せかける。俺は女の尻を揉む。エレヴィターの扉が開き、俺達はエレヴェイターに乗る。

「三階だな?」

「はい」と女が小声で返事をする。

 俺は女を壁に追い詰め、女の唇に口付けし、両手で女の尻を揉む。俺は女のスカートの前にモノを押しつけ、女の舌を吸う。

「俺としたいか?」

「はい」と女が発情した目付きで返事をする。

 エレヴェイターの扉が開く。俺は女の左の胸を鷲掴みしながら、エレヴェイターから出る。

「三〇二って、そこだな」と廊下沿いの二つ目のドアーを指差して確認する。

「はい」と女が打ち解けた笑顔で返事をする。女は玄関の鍵を開け、「どうぞ!」と俺を家の中に招く。

 俺は背後から女の赤いミニ・スカートを捲り上げ、下着の上から割れ目に左手の中指を這わす。俺は女の右の胸を揉み、下着の上から女の股の間に触れる。

「寝室に案内しろ」

「はい」と女は返事をし、玄関脇のドアーを指差して、「ここです」と言う。俺は寝室のドアーを開け、女をベッドに押し倒す。俺は女の下着を脱がすと、ズボンのベルトを外して、ズボンを脱ぎ、下着の中からそそり立つモノを出す。女は俺のモノを見つめている。俺は女の上に覆い被さり、女の左の乳首を吸い、女の右の胸を揉む。モノの方はすっかり勃起しているので女の濡れた穴に挿入する。女は短い声を漏らす。俺は女の唇に口付けし、モノを根元まで穴に入れる。女の服を脱がし、ブラジャーのホックを外すと、女の胸はエロ漫画の女の胸のように大きく、形は丸みを帯びた美的な形をしている。乳輪が大きく、太めの乳首が上向きに突き出している。俺は穴に挿入したモノを穴の中で静止させ、女の色っぽい左胸の乳首を吸い続ける。女は左手の指を口に銜え、声を押し殺している。俺は女の両足首を掴み、股を開かせると、モノをゆっくりと前後に動かす。勃起状態は最高潮に達し、見た事もない大きさになっている。大人しい女なので、ゆっくりと奉仕的にモノを動かす。モノの振り幅が長く、我ながら誇らしい気持ちになる。女が声を押し殺すので、モノの動きを早くして声を出させる。女が尚も声を押し殺すのでクリトリスを強く摘み、激しく腰を振る。女が少女のような可愛らしい声で性の喜びを表わす。俺はモノを穴から外し、女の体を後ろ向きにさせると、女の膝を曲げて、尻を突き出させ、後ろからモノを挿入する。女が悲鳴に近い声を出す。俺は女の上半身を起こし、両胸を鷲掴みして揉みながら、前後に腰を動かして、女の穴の中にモノを突き上げる。女は喜びの声を上げ続ける。尻の形もとても美的で、脚や腕も絵に描いたように美しい。射精を焦らず、女がおかしくなる程に腰を振り続けてやりたくなる。女の喜びの声は耳にとても心地好い響きを持っている。腰を振りながら、両の乳首を両手で強く摘み、少し虐めてやる。

「ああ、痛い」と女が痛みに反応する。

 俺は女を四つん這いにさせ、激しくモノを動かす。背後から女の口に右手の中指と薬指を銜えさせ、左手の中指の腹でクリトリスを転がし、激しく腰を動かす。モノが女の穴の中で二度連続して痙攣する。

 女の隣に横たわり、天井を見上げて、乱れた呼吸の音に耳を澄ます。

「何か食べますか?」

「ああ、御馳走になるよ」

 女がベッドに飲み物と皿に載せたチリ・ドックをお盆に載せて持ってくる。

「どうぞ」と女は言って、二人の間のベッドの上にお盆を置く。俺はチリ・ドッグを手で掴んで食べる。飲み物は一〇〇パーセント果汁のグレープ・ジュースだ。

「これがお前の恋人への秘密だ。良い秘密だろ?」

「あたしとしたかったんですか?」

「まあね」

「何か、恐かったから・・・・、何されるのかと思って・・・・」と女が涙声で言う。

「ああ、ごめんな。セックスには愛があったろ?」

「はい」と女が別人のような生真面目な声で返事をする。

「お前の体は美しいな」

「そうですか。ありがとうございます」と女が涙に濡れた眼の笑顔で言う。

「もう来ないから安心しろ」

「はい」

「もう来ない方が良いって事だな」

「はい」

「じゃっ、そろそろ帰るか」と俺は言って、ベッドから降り、服を着る。

「それじゃあな!」と俺は満足気に別れの挨拶をして女の家を出る。

 孤児院に帰宅すると、ウーちゃんに電話をする。

「ああ、ウーちゃん?俺、嶋本」

『今、アルバイト休んで漫画描いてた。何か頭が整理付かなくてさあ、あれもこれもしなくちゃいけないって思っちゃうの』

「俺もそうだよ。でも、心にエンジンはかかってるな。そうだ!俺、今度、バンドでストリート・ライヴやる事になったんだよ」

『ええ!絶対観に行く!何処でやるの?』

「まだ決まってない」

『小説何時から書くの?』

「絵画始めたばっかりだしなあ」

『ねえ、部活とか入らなくて良いと思う?』

「部活もやったら、もう自分の時間が取れなくなるよ」

『あたし、アルバイト辞めようかな』

「俺はアルバイトは続ける。生活を単調にすると、将来得るものが少なくなるからね。無理なスケジュールを必死でこなしていった方が将来的には良いと思う。芸能人って、無理なスケジュールの連続らしいよ。漫画家もそうだろう」

『京ちゃんって、パワーあるよね。あたし、もうクタクタだよ』

「ダウンしたなら、ダウンすれば良いよ」

『えええ!酷いよお、そんな生活!』

「普通の人の人生で満足出来るようなタチではないだろ?」

『ううん。まあねえ。でも、親からお金もらえるから、アルバイトはもう辞める』

「まあ、無理は言わないよ」

『あたし、やっぱり、凡人なのかなあ』

「ここぞと言う時に頑張れない人間は何をやっても頑張れないよ」

『じゃあ、アルバイトもやるか。美術部か漫研に入部しようと思ってるんだ』

「アルバイト辞めて部活に入るなら良いんじゃない。貴重な仲間も出来るしさ」

『ううん。あたしの漫画用の人生経験、学生時代が部活ってネタで良いのかな・・・・』

「漫画家としての基本的な人生経験か」

『うん』

「一寸アルバイトを経験してるから、後は誇張で良いんじゃないか。もっと楽な学生生活送ってる人物書くとかさ」

『漫画は基本想像力だよね』

「うん」

『じゃあ、やっぱり、アルバイトは辞めて、漫研に入るわ。でも、漫画家で漫研出身って普通だよね』

「学園モノ描きたいの?」

『今はそれしか描けない』

「まあ、それは普通だ。『銀河鉄道999』みたいな漫画描ける訳じゃないならね」

『ええと、でもね、『999』みたいな漫画書ける作家を尊敬してない訳じゃないの』

「そりゃ、そうだろう」

『じゃあ、京ちゃんはさあ、アルバイトを取って、小説は後回しなんだ?』

「ううん」

 犯罪から足を洗いたいんだよ。俺の病気なんだ。

「絵を描いてたら、俺も漫画描きたいなあって思ってさ」

『へええ!そうなんだ!じゃあ、京ちゃんもアルバイト辞めて、漫研に入る?』

 何だろう、この影響力・・・・。人間と付き合うとこう言う経験をするのか。ずっと自分一人で生きてきたからな。愛する人の影響力か。中古レコードを買うにはお金がいる。

「じゃあ、明日、一緒に漫研を見学しに行こうか?」

『うん!そうしようよ!』

「それじゃあ、また明日!お休み!」

『お休み!』

 ウーちゃんとの電話を切り、風呂に入る。湯船の中で目を瞑り、心象風景を眺める。

 風呂から出ると、絵画を描き始める。先ずは空想で山の風景画を描き、その後に女性をモデルにしたヴォンテイジの絵画を描き始める。風景画は水彩絵の具で色を塗り、ヴォンテイジはマジックペンでモノクロに仕上げる事にする。


 翌日、学校に行くと、授業が終わった後にウーちゃんと漫研の部室を訪れる。

「あのう、一寸見学させて戴きたいんですけど、良いでしょうか?」とウーちゃんが漫研の部室の入口から部員に訊く。三〇代ぐらいの女性の教員が黒板の前の教壇の机に座っている。美術の教師である。

「どうぞ、御自由に!」とその教員が見学を許可する。

「遠藤先生が漫研の顧問なんですか?」とウーちゃんが教員に話しかける。

「そうなの」

「先生も漫画を描かれるんですか?」

「あたしも時々描くのよ。美大にいた頃は漫研にいたしね」と遠藤先生が笑顔で言う。漫研の部室にいる時の遠藤先生は漫画家のようである。「雪川さんと嶋本君か。二人共漫画を描くの?」

「俺は詩と絵画を書いていて、小説や漫画にも興味があったんで、見学しに来ました」

「へええ、詩と絵画」と遠藤先生が眉間に皺を寄せて言う。

「あたしは漫画家志望で、独りで漫画を描いてます」とウーちゃんが答える。

「じゃあ、皆さん、雪川さんと嶋本君に作品見せてあげてください」

「はあい!」と口々に部員が返事をする。部室には二年生や三年生もいるようだ。画力はピンから切りまで様々ながら、オリジナルの絵を描く部員は十人中二人しかいない。そのオリジナルの絵を描く二人の画力は大した事ない。

 ウーちゃんが俺の耳元に顔を近づけ、「ここ、レヴェル低いから止めよ」と言う。

 俺達は遠藤先生に礼を言って、漫研の部室を出る。

「俺はなかなか面白い環境だなって思ったんだけど」

「あたしは影響力ゼロ環境には入りたくない」とウーちゃんが率直に言う。

「やっぱり、アルバイトの方が良いか」

「あたしもそう思う。中古レコードの世界切り拓くにはお金もいるしね」

「うん」

「美術部と軽音も見学する?」とウーちゃんが階段を降りていく俺に階段の上で立ち止まって言う。俺は振り返って、ウーちゃんの太腿を見つめながら、階段を見上げ、「いやっ、もういい」と言う。「俺のバンドは高校の軽音レヴェルじゃないし、絵画は美術の域には達してない」

「やっぱり、アルバイトだね」とウーちゃんが笑顔で階段を降りてくる。俺はウーちゃんのスカートを軽く持ち上げ、パンティーの色をチェックする。

「一寸!京ちゃん!」とウーちゃんが俺を叱りつけ、俺の左手を叩く。ウーちゃんは白い綿のパンティーを穿いている。階段途中の女便所にウーちゃんを力づくで引き入れ、壁に追い詰めて、ウーちゃんのスカートを捲る。俺はウーちゃんのパンティーの上から割れ目を右手で覆い、中指でクリトリスを弄る。ウーちゃんは俺の左肩に額を付け、声を押し殺す。俺は左手でウーちゃんの右胸を揉み、ウーちゃんの首筋に唇を這わす。モノは最高潮に勃起している。俺は両手でウーちゃんのパンティーを脱がし、ウーちゃんの左脚を抱えて、優しくモノを挿入する。俺はゆっくりと腰を動かす。ウーちゃんが少女のようなか弱い声で喘ぐ。俺は腰の動きを止め、ウーちゃんの唇にキッスをする。ウーちゃんは穴の中で俺のモノを締め付ける。俺はウーちゃんの舌を啜り、再びゆっくりとモノを動かす。射精を焦るような独り善がりなセックスはしない。俺はウーちゃんの朦朧とした目を見つめ、ゆっくりと腰を動かす。俺はウーちゃんの上着のシャツのボタンを外し、ピンクのブラジャーの左側をズラして胸を見る。俺はウーちゃんの薄茶色の小さな乳首を口に含んで吸うと、両手でウーちゃんの尻を揉み、一発一発正確に突き上げるように腰を動かす。ウーちゃんは完全に俺の体に撓垂れかかっている。


 ウーちゃんと駅前のハンバーガー屋の二階の窓際のカウンター席でバニラ・シェイクを飲む。ウーちゃんは腹を空かしたのか、ダブル・バーガーも注文した。ウーちゃんは機嫌よく笑顔を浮かべ、ダブル・バーガーを食べる。

「あたし、もう恋愛モノのセックス・シーンまで表現出来る」とウーちゃんが笑顔で言う。

「ああ、漫画の事。今度はベッドの上でしよう」

 ウーちゃんがハンバーガーを食べながら、にやけた顔をして、返事をしない。


 夕方、アルバイトに行くと、早番の女性店員と交代する。何となく地味な女で、特別やりたくはない。

「それでは失礼します」と女は言って、バックルームに入る。店長が入れ替わりに店に出てきて、「嶋本君、レジの合間にヴィデオ・ケースに番号の書かれたシールを貼ってくれないかな?レジの後ろのテーブルにタイトルと番号が書かれた紙があるから、それを見ながら、間違えないように貼ってよ」と言う。

「判りました」

 仕事は単調ながら、映画好きには堪らない職場だ。ヴィデオ・デッキにヴィデオを入れたなら、未知の映画を山程観られるのだ。今度もらう初めての給料でTVとヴィデオ・デッキを買おうと思っている。

「御疲れ様でした!」と先の早番の女性が笑顔で挨拶し、店を出ていく。俺に興味があるのかな。自分からは男に話しかけられないのだろう。


 仕事が終わり、古書店に寄って、画集を三冊万引きする。クリムトとゴッホとピカソの画集だ。ハンバーガー屋の二階の窓際の席に座り、ゴッホの画集を観ながら、バニラ・シェイクを飲む。

 ラウドネスが『サンダー・オブ・ジ・イースト』を引っ提げて大陸に上がった。俺は『サンダー・オブ・ジ・イースト』のレコードをレコード屋で万引きし、その盗んだ『サンダー・オブ・ジ・イースト』のレコードを駄菓子屋の婆の娘の部屋で流しながら、来る日も来る日も踊り捲くる。俺達のバンドも大陸に上がる日が来るのか。

 ビッグマックとフライドポテトとコーラのSのセットをテイクアウトし、ヒカルの家に行く。玄関のブザーを押すと、ヒカルが現われる。ヒカルは白いタオル地のミニ・スカートにピンクの襟付きのブラウスを着ている。

「もう夕飯食ったのか?お土産にハンバーガー買ってきたよ」と俺は言って、ハンバーガーの入った袋をヒカルに手渡す。

「ああ、御飯はもう食べたけど、ありがとう。中に入って!」

 居間のソファーに腰を下ろし、万引きした画集を三冊テーブルの上に置く。ヒカルも俺の左隣に腰を下ろす。

「ええ、京一君って、絵に興味あるんだ?」

「俺も下手なりに絵を描いてるんだよ」

「ええ、じゃあ、今度、絵見せて!」

「今、スケッチブック持ってるから見せようか」

「うん」

 俺は鞄からスケッチブックを出し、「はいよ!」と言って、ヒカルにスケッチブックを手渡す。

「えええ!下手って言うから、笑っちゃう程ヘタウマなのかと思ったら、結構上手いじゃない」

「全く芽のない事は始めないよ。それに写実的な絵は、訓練すれば、誰にでも描けるんだよ。写実的な絵って、或意味無個性な絵の部類に入るんだよ」

「あたしも学生の時は美術の成績良かったのよねえ。あたしも絵描こうかな」

「お前も描くと良いよ。水彩辺りから始めると良いよ」

「あたし、クレヨン画が良いな」

「ああ、クレヨン画も良いよな」

「明日、文房具屋さんに行って、クレヨンと画用紙買ってくるわ」

「漫画の原稿用紙なんかにも使うケント紙って言う紙があるんだよ。どうせ絵始めるなら、ケント紙が良いぞ。一寸高いけどな」

「ああ、じゃあ、ケント紙買う」

「百枚セットで買うと良いよ」

「ああ、じゃあ、そうする」

「画集、欲しいのがあれば、一冊やるぞ」

「ああ、じゃあ、このクリムトの画集が欲しいな」

「ああ、じゃあ、それやるよ」

「ありがとう。これって、古本?」

「うん。かっぱらってきたんだよ」

「そうなんだ。あたしも学生の時にはよく万引きしたな。友達と化粧品だとか、洋服だとか、色々盗んでた」

「俺は何でも金で買う必要はないと思うんだよ。盗んで手に入る機会があれば、盗めや良いって考えなんだ」

「今は働いて収入があるから万引きするって発想はもうないわ。捕まったらカッコ悪いし、そもそも男の人って、万引きする女好きかな?」

「ううん。気軽に万引きするような女の方が気楽に付き合えるけどな」

「そうなんだ」

 クリムトの画集を眺めるヒカルの左胸を揉む。ヒカルの右の足を俺の太腿の上に載せると、ヒカルは画集を閉じてテーブルの上に置く。俺はヒカルの白いタオル地のミニ・スカートの中に手を入れ、クリトリスを指で探す。俺の右の指先がクリトリスに触れると、ヒカルが甘い声を漏らす。俺はヒカルのミニ・スカートを捲くり、ヒカルの下着をチェックする。白いシルクのパンティーを穿いている。指でシルクの感触を楽しむと、俺はヒカルの肩を抱き寄せ、ヒカルの唇にキッスをする。俺はヒカルの唇からヒカルの唾液を吸いながら、ヒカルのパンティーを脱がす。ヒカルの体を軽々と後腿の上に乗せ、ヒカルの穴に指を入れる。ヒカルのブラウスのボタンを左手外していく。ヒカルの穴に入れた指を激しく前後させる。ヒカルが悲鳴に似た喜びの声を上げる。ヒカルは黄色い布地のブラジャーを身に付けている。俺は黄色いブラジャーの上からヒカルの突き出した乳首に唇を当てる。ブラウスを脱がせ、ブラジャーを外す。俺はヒカルの茶色い乳首を口に含み、きつく吸い込む。穴の方の指をゆっくりと出し入れし、ヒカルと唇を吸いあう。モノの方はビンビンに立っている。俺は自分のモノを指差し、「自分で入れろ!」とヒカルに命令する。ヒカルは太腿の上の腰を上げ、自分の穴に俺のモノを入れる。ヒカルは甘い声を漏らす。「自分で動け!」と命令すると、ヒカルは俺のモノを入れた股を上下に動かす。モノは温かい穴の中で温もっている。その温かさをじっくりとモノに感じる。この優しい恋人を幸せな気持ちで一杯にしてやりたい。ウーちゃんとはデイトをしても、ヒカルとは家でセックスばかりしている。二人の恋人に対する接し方の違いを考え、ヒカルにもデイトの楽しみを経験させてやるべきかと思う。夜、自分を抱きに家に訪れる男か。それはそれで良いのかもしれない。自然に区別された二つの恋愛を頭でバランスを取ろうとするのは不自然だ。ヒカルにはヒカルの恋愛がある。俺が日中街中で会う恋人となる事をヒカルはどう思うのか。ヒカルはヒカルの甘い夢を見ている。ウーちゃんはウーちゃんで彼女独自の甘い夢を見ながら、俺と付き合っている。

 ヒカルとのオマンコを終えると、早々にヒカルの家を出る。電話番号だとか住所なんかを何も訊かない女だな。付き合ってるのかどうかも確認しないし、本当に気軽に付き合える女だ。ヒカルの方も遊びでつき合っているだけなのだろうか。お互い年令の確認もしていないし、出身校も知らない。俺としてはウーちゃんと同じような価値感でヒカルの事を大切にしている。

 孤児院に帰ると、シスター達がざわめいている。

「ああ、京ちゃんが帰ってきたわね」と居間のソファーの近くに立ったシスター・佳代子がシスター・喜美代に言う。

「どうかしたんですか?」と俺がシスター・佳代子に訊くと、「光一が怪我をして病院に運ばれたの」とシスター・佳代子が鋭い目つきで答える。「コンヴィニで万引きしたのを呼び止められて、急いで逃げようと道路に飛び出したら、車に撥ねられたのよ」

 光一とは小学三年生の男の子だ。光一はシスター達の手に負えないの問題児だ。全くヘマな奴だ。世話を焼けば、こっちの重荷になる。

 俺は今でも孤児達とは付き合わない。年下の面倒も全く見ない。理由は昔と同じで、同じ家に同居していながら、里親が出来ると挨拶もせずに突然いなくなるような者達だからだ。

 ウーちゃんに電話し、風呂に入ると、深夜二時まで絵を描き、その後一時間詩作をする。

 絵を描くようになってから家で学校の授業の予習復習をする時間が取れなくなった。学校の授業を集中して聴き、休み時間に復習しているから学業の遅れはない。孤児達の中で学校の成績が良い子は女の子達ぐらいだ。男は俺と高校三年の勇気以外は全員中卒で就職し、孤児院を出ていった。勇気はどうやら大学に進学するつもりらしい。勇気には恋の噂もなく、学校での悪さでシスター達が学校に呼び出されたり、犯罪で補導された事もない。傍目には極真面目に生きている。勇気はシスター達ともほとんど話さない。大学に進学したなら、この孤児院を出ていくのだろうか。見た目には非常にクールに世界を見ている。必死に学業に齧り付き、何とか人生をやり過ごそうとしている。人生、学生時期で終わる訳ではない。好きな物を探し、夢を獲得する事をしなければ、その裡人生は息詰まる。勇気は毎夜子供達の眠った後に独り居間でTVを観る。俺も勇気の事は多少気になっている。それも勇気が今しばらくここにいる間だけの事である。

 孤児院を出ていった孤児達が再び孤児院に来る時は神父さんやシスター達を自分達の初めての結婚式に招待する時と子供の顔を見せにくる時ぐらいだ。この孤児院出身の孤児の最年長者は七〇代になっているらしい。この孤児院の今の神父さんは二代目の神父さんだ。


 学校の授業が終わり、ウーちゃんとハンバーガー屋で話をすると、孤児院に帰り、バンドのメンバーとストリート・ライヴの話し合いをしにミッチの家に行く。

 ミッチの家のブザーを押すと、ミッチが明るい声で返事をする。玄関の戸が開き、「ああ、京一か!入って!入って!」と浮かれたように言う。

「メンバー全員来てるの?」

「来てるよ」とミッチが玄関のドアーを閉めて言う。「京一、何飲む?ビールもあるよ」

「酒は飲みたくない。これからバイトもあるからさ」

「じゃあ、カルピスとコーラ、どっちが良い?」とミッチが冷蔵庫の扉を開け、腰を屈めて、こちらを見上げるように振り返って訊く。

「カルピス頂戴」

「カルピスね。判った」とミッチは言って、カルピスの原液の瓶を冷蔵庫から出す。「メンバーいるから部屋に行ってて!」

「うん」と俺は返事をし、寝室に入る。

「おお!京一!来たな!」と真っ赤な顔をして酔っ払ったベースのキタジーが明るい声で俺を歓迎する。キタジーが黒い髪を大胆に短くして立てている。自分が骨格のはっきりとした男顔である事に目覚めたのだろう。黒と青のチェックのシャツを着て、黒いレザー・パンツを穿いている。

「よう!』とドラムのミニーがどんよりと座った赤い眼で挨拶をする。ミニーは茶色の長い髪を後ろで束ねている。赤い襟付きシャツに茶色のレザー・パンツを穿いている。

 二人共相当に酔っ払っている。

「今日、ミニーと俺のヴォーカル曲を持ってきたんだよ」とキタジーが照れ臭そうに言う。

「ああ、聴かせてよ」

「ミッチ!俺とミニーの曲かけて良い?」とキタジーがミッチに確認する。

「どうぞ、御自由に!遠慮はいらないよ!」とミッチが台所から明るい声で返事をする。

 キタジーがテープを流す。

「このギター、誰が弾いてるの?」

「ああ、それはミニー」とキタジーが答える。

「二人で作るとネオ・アコみたいなバンドにもなるんだね」

「俺達、最近、ザ・スミスをよく聴くんだよ」とミニーが言う。

「キタジーはジョニー・マーがお気に入りなんだよね?」とミニーが明るい声で言い、ケラケラと笑う。何が面白いのかは判らない。

「良いの?」

「今、ザ・スミスは大人気だよ」とミニーが笑って答える。脳から何か気持ちの良い物質が大量に分泌してそうな明るい声だ。

「はい、カルピスね」とミッチがお盆を床の上に置いて言う。

「ありがとう。キタジーの声、少年みたいで良いね」

「ミニーの声も良いよ。これ終わったら流れる」とキタジーが歌舞伎揚げを食べながら言う。

「また家で焼肉やろうよ」とミッチがキタジーとミニーに言い、床に手を突いた俺の左腕の肘を握る。何の意味があるのかは判らない。ミッチに体に触れられるのが何となく嬉しい。

 キタジーの曲が終わり、ミニーの曲がうねるようなベースとギターのカッティングのイントロで始まる。

「女の人みたいな声だね。か細いけど、魅力があるよ」

「作り声だよ」とミニーが笑顔で言う。

「作り声を歌い分けるのって面白いよね。俺、デイヴィッド・ボウイの『地球を売った男』が好きでね」とミッチが言う。

「ああ、あれは良いよね」とミニーが反応する。

「俺、恋人と中古レコードの世界の探索始めたんだよ」

「へええ、京一って、恋人いるの!」とミッチが驚いたように言う。「俺達も全員中古レコード屋にはちょくちょく行くよ」とミニーが言う。

「そうなんだ」

「京一の恋人って、同じ学校の子?」とミッチが訊く。

「うん。それに同じ年。今度、ストリート・ライヴやる時は観にくるよ」

「へええ!その子の写真とかあるの?」とミッチが興味津々に訊く。

「写真はないな。今度良いのもらってきたら見せるよ」

「うん。楽しみにしてる」

「ストリート・ライヴは渋谷に行こう!」とキタジーが言う。

「警察に届出を出すんだろ?」とミニーがキタジーに訊く。

「そうらしいな」とキタジーが答える。

「明日の夕方の六時頃に警察に届出を出して、センター街の入口付近で演奏しよう」とミッチが言う。

「オリジナルは今のところ五曲か。カヴァーはやる?」

「京一は誰の何歌えるの?」とミッチが俺に訊く。

「歌詞カードがあれば、大概歌えるけど、ジャパンやろうか?」

「ああ、良いね!」とミッチが嬉しそうに言う。

「『スウィング』でも歌うかな」

「ああ、京一的!」とキタジーが笑顔で言う。「他に何歌う?」

「デイヴィッド・ボウイの『クリミナル・ワールド』でも歌うかな」

「ああ、良いね」とキタジーが嬉しそうに言う。

「ウチのバンドらしさに繋がるようなカヴァーだけにしようよ」とミニーが言う。

「当然だよ。イメージに合わない曲は一切やらないよ」と俺が言う。

 打ち合わせが終わり、孤児院に帰ると、直ぐにアルバイトに行く。

「嶋本君!」と店長がバックルームから俺を呼ぶ。

 俺は店内からバックルームに入り、「はい」と返事をする。

「ビデオのパッケイジに映画の推薦文の紙を貼ろうと思うんだけど、嶋本君、書ける?」と店長が俺に訊く。

「好きな映画なら、何とか」

「じゃあ、ヴィデオを無料貸し出しするから、ぼちぼち書いてよ」

「ああ、はい。判りました」

「日中勤務の山瀬さんは日中客が来ない関係で仕事中にヴィデオ観る事が出来るんだけど、嶋本君の時間帯は一番客が来るんで、仕事中にヴィデオを観るのは無理なんだよね」 

「ああ、別に僕は遊びに来てる訳ではないんで、仕事終わりにヴィデオ借りて観ます」

「悪いね」

「いえいえ。雇ってもらえるだけで十分です。それと明日、バンドのライヴがあるんで、明後日の休みの日に出勤させて戴く事出来ませんか?」

「ああ、良いよ。嶋本君って、音楽詳しいの?」

「ええ、まあ」

「音楽ヴィデオで貸し出しが多く出そうなヴィデオを選んでもらおうかな」

「長い目で見れば、ロックのヴィデオが良いでしょうね。若者必見みたいなロックのヴィデオが良いと思います」

「例えば?」

「プログレやグラム・ロックやパンク辺りですかね」

「ああ、懐かしいね」

「店長って、ロック聴かれるんですか?」

「学生の時に夢中になって聴いたよ」

「バンドとかはされなかったんですか?」

「ああ、俺は聴くの専門。プログレ、グラム・ロック、パンクって、今でも刺激的なの?」

「ええ。まあ。ロックの世界を開拓していく事は若者が必ずやる事ですからね」

「最近のロックではどんなのが注目されてるの?」

「ヘヴィー・メタルとかダーク・パンクですかね。それにネオ・アコとか、ネオ・サイケとか」

「ジューダス・プリーストとかブラック・サバス辺りも未だに若者が聴くの?」

「大御所は当たり前に聴きますよ」

「ふううん。懐かしい辺りで良いなら、俺にも選べるな。じゃあ、新しい音楽の方を嶋本君に頼むよ」

「ああ、はい。僕も店長が仕入れたヴィデオで勉強させてもらいます」

「いやあ、勉強って!」と店長が妙にウケる。

 仕事が終わり、古本屋に寄って、川端康成の文庫本三冊と官能小説の文庫本三冊を万引きし、孤児院に帰ると、ウーちゃんに電話をする。

「ああ、ウーちゃん?明日、渋谷のセンター街の入口付近でライヴやる事になったよ」

『ええ、何時に?」

「六時過ぎになるかな」

『ああ、じゃあ、あたし、絶対観にいく!コピー・バンド?』

「違うよ!カヴァーも二曲やるけれど、オリジナルが五曲あるんだよ」

『ええ、凄い!もうそろそろアルバム作れるわね』

「ファースト・アルバムは絶対名盤にしたい」

『頑張ってね。あたしも思い出になる事もっとしたいな。中免の免許とか何時取りに行く?』

「夏休み中かな」

『ああ、その辺りが良いわね』

「じゃあ、また明日!お休み!」

『お休み!』

 ウーちゃんとの電話を終えると、風呂に入り、絵画を描き、詩作をして、川端康成の『雪国』を一気に読む。『雪国』の美しさに感動し、漫画を描くか、小説を書くかに迷う。時代的には漫画をやるべきだろう。多くの事を為した人生には相当な満足感があるだろう。この際、小説と漫画の両方をやろう。明日、文房具屋にケント紙と原稿用紙と万年筆と漫画インクとGペンとペン軸と修正液を買いに行こう。

 翌朝、学校に行くと、教室にウーちゃんが来て、「あたし、漫研に入部してきた!」と嬉しそうに言う。「影響力ゼロ環境には入りたくないって言ったけど、高校時代の漫画家目指してる仲間との思い出が欲しくてさ」

「俺、小説と漫画両方とも書く事にしたよ」

「ええ!京ちゃんも漫画描くのか!」

「小説は自分の生まれる前時代的な芸術って印象があるけど、漫画は今正に注目された芸術だからね」

「京ちゃんも漫研入らない?」

「アルバイトがあるから無理だよ」

「あたし、バイトは止めた。その代わり、昼食代の五百円で毎日中古レコードを買う」

「ウーちゃんはロックに関心あるの?」

「ピアノの勉強はしたけど、音楽家は目指してないの」

「漫画に情熱を注ぎたいんだね」

「うん。何が何でもガロ系の漫画家になりたいの」とウーちゃんが目を輝かせて言う。「ああ、そうだ!これ、ずっと貸すって言ってたガロ系漫画!」とウーちゃんは言って、ピンクの花柄の紙袋を俺に手渡す。

「これ、何冊ぐらいあるの?」

「五十冊ぐらいあるかな。京ちゃん、多分、夢中になって、あっという間に読むと思うな」

「ああ、じゃあ、借りるよ」

 学校の帰りにマクドナルドの二階の窓際のテーブル席にウーちゃんと並んで座り、ウーちゃんから借りたガロ系漫画を早速読む。

「その袋の中に京ちゃんから借りてたカフカの文庫本が入ってるの。物凄く面白かった」

「カフカの文学のどう言うところに関心を持った?」

「『変身』も傑作だったけど、『城』の主人公が町をウロウロしたり、主人公が役人に用件を言って、永遠と待たされるような時間の経過かな」

「うん!俺もそうだよ。何もしていないのに主人公の存在感や息遣いが感じられるんだよね」

「不思議な感性よね」

「うん」と俺は丸尾末広の『薔薇色ノ怪物』を読みながら返事をする。

「あたしも小説を沢山読まないと!将来、文学的な漫画を描きたいの」

「俺は美的で詩的な漫画を描きたい」

「ああ、良い感じ!あたしも京ちゃんの詩集読んで、詩を書き始めたの」

「へええ、今度読ませてよ」

「あたしの詩は大した事ない。とても人に見せられたものじゃないわ。でも、文学や芸術にはどれも詩心みたいな要素が基礎になっているように思うの」

「うん。言葉の一つ一つを丁寧に選び抜きながら、推敲を重ねていくような面とか、取り留めのない内容物をパッと風船の中に封じ込むような芸当とか、似てるよね」

「ううん、何か私にはよく判らないけど」とウーちゃんが首を傾げて言う。ウーちゃんはヴァニラ・シェイクを飲み、「京ちゃん、今夜、ライヴよね?」と訊く。

「ああ、そろそろ家に帰らないと!中古レコード屋は明日にするよ」

「中古レコード屋はあたしが見ておく」

「うん」


 夜の五時五十分に渋谷駅に着き、ハチ公の近くでメンバーが現われるのを待っていると、ミッチとミニーとキタジーが揃って現われる。俺達は交番に路上ライヴの許可を得に行き、楽器を抱えてセンター街の入口に陣取る。俺は一人近くの楽器店に行き、ヴォーカル用のマイクとアンプを買ってくる。

 ウーちゃんがメンバーの音出しを最前列で見ている。

「よお!ウーちゃん!」と声をかけると、「京ちゃん、何か凄いね!」とウーちゃんが嬉しそうに言う。ミッチが俺達二人に近づいてくる。

「この人、京一の彼女?」とミッチが俺に訊く。

「うん。そう。こちら、雪川詩子さん。ウーちゃんって呼んでください」とミッチにウーちゃんを紹介し、「それでこっちがウチのバンドのギターリスト兼キーボーディストの早坂光輝さん。ミッチって呼んでね」とウーちゃんにミッチを紹介する。キタジーとミニーも近寄ってきて、二人にもウーちゃんを紹介する。

「楽器何か出来るの?」とミッチがウーちゃんに訊く。

「ピアノをずっと習ってました」とウーちゃんがミッチに見蕩れたような目で言う。

 ミッチは身長も一七〇センチメートル以上あり、完璧に化粧をしている。キタジーとミニーはミッチよりも更に背が高い。

「今度、レコーディングにピアノで参加してもらえない?」とミッチが気軽にウーちゃんをバンドに誘う。

「いえいえ、あたしは漫画が本業なので、音楽活動はしません。でも、誘ってくださって、ありがとうごうございます」とウーちゃんが礼を言う。

「そうか。それは残念だな」とミッチが身長一六〇センチメートル程のウーちゃんを見下ろして言う。

「じゃあ、そろそろやるか」と俺が言うと、「おお!」とキタジーが張り切って声を上げる。

 俺はマイクを通して、「俺達、ブルー・ローズと申します。今日が俺達初めてのストリート・ライヴで、人前での初めての演奏です。皆、良かったら、楽しんでいってください」とバンド紹介と挨拶をする。人前で歌う事に上がったりするような事はない。「それでは一曲目の『神のいる静かな部屋で』と二曲目の『死を超えた夜』をお聴きください」

 部屋の中にいる神の存在を薄っすらと全楽器で表現し、囁くような歌唱で静かに歌い始める。 

 カヴァー二曲を含む全七曲のストリート・ライヴが終わる。

「今夜は俺達、『ブルー・ローズ』の音楽を聴いてくださり、ありがとうございました。ここに再び現われるかどうかは判りませんが、機会あれば、また何処かでストリート・ライヴを行いたいと思います。人前で自分の歌を歌う事がこんなにも素晴らしい事だとは思いもしませんでした。今、心臓をドキドキと高鳴らせながら、非常に感動しております。今日は俺達のミニ・アルバムのカセット・テープを二十本限定で持ってきています。宜しければ、五百円で買ってください」

 観客は女子高生がほとんどで、カセット・テイプを買う客の中にはウーちゃんもいる。あっという間にカセット・テイプ二十本が完売する。

 ストリート・ライヴが終わると、メンバーとウーちゃんとの五人でハンバーガー屋に入る。注文した品を載せたトレイを持って二階に行き、窓際の六人用テーブルの席に座る。ウーちゃんは右奥の俺の隣の席に座る。ウーちゃんはバンドのメンバーにすっかり気に入られ、ウーちゃんの方からも積極的にメンバーに話しかける。俺はウーちゃんが手のかからない恋人である事に安心する。

 俺達、ブルー・ローズはその日その日違う場所に出向いてはストリート・ライブをするようになる。ストリート・ライヴをした後に居酒屋に飛び込み、ウーちゃんとメンバーとで酒を飲む事もある。酔っ払って孤児院に帰宅すると、「あら、お酒臭い!顔が真っ赤じゃない!お酒飲みにならないように気を付けなさいよ!」とシスター達が楽しそうに注意する。土曜日にストリート・ライブをする時は、孤児院に帰宅後、昼まで死んだように眠り、昼からは女の家でオマンコをする。

 絵画は毎晩描き、小説や漫画の創作も始める。絵画はシュールレアリズムに傾倒し、小説は怪奇小説を書き始め、漫画は詩的な漫画を描き始める。

 アルバイトの給料日が来ると、TVとヴィデオ・デッキを買う。駄菓子屋の婆の娘の部屋から孤児院の自分の部屋にレコードやカセット・テイプや本を運び込み、隠し事を減らす。少し気持ちが楽になった。もっと精神的に楽になろうと万引きを止める事にし、学校内でも金をくすねるのを止めようと決意する。猛烈に創作に没頭しながら、学業も疎かにしないようにと気を付ける。次第に精神的なゆとりが出てくると、或晩風呂場で子供のように大泣きする。自分でもびっくりし、犯罪には二度と手を染めないと決意する。犯罪を行う不安な心理が相当に心の負担になっていたのだろう。

 翌月の給料でウーちゃんと一緒に中型免許を取りにいく。中坊の時みたいな無謀な運転やお巡りとの追いかけっこみたいな遊びはするつもりがない。セックスの相手も基本的にはウーちゃんだけにし、ヒカルの家には二度と行かない事にする。

 俺はオナニーみたいな惨めったらしい行為はしない。チンポコが疼いたら、自分でオマンコの都合をつけて、セックスをする。 

 暫く疎遠になっていた年頃の幸にセックスを教え、勉強も教えてやる。幸の体は幼い頃から俺の体に馴染ませてきた。

「お前もこれでセックスに対する不安は解消したろ?」

「うん」と幸が気の抜けたような顔で力なく返事をする。

「俺には恋人がいる。お前の男の問題には必ず相談に乗ってやるからな」

「うん」と幸が笑顔で返事をする。

「初めての男は俺で良かったんだろ?」

「うん。初めての時はお兄ちゃんとしたかった」と幸が俺を見て、眼を輝かせて答える。

「学校楽しいか?」

「あのねえ、あたし、学校で虐められてるの」と幸は言って、唇を固く閉じる。

「女にか?男にか?」

「どっちにも」と幸は言って、目元を指で拭う。

「必ず勝てよ。自分の力で解決するんだ」

「向こうは男と女合わせて八人よ」と幸が泣き出しそうな顔で言う。

「親玉とは対等か?」

「美知華の事か。子供の頃からの親友よ。突然あたしをハブにしてきたの。何か恋人が出来て、突然変わっちゃったのよ」と幸は言って、唇を嚙む。

「じゃあ、もう近寄らずに独りで漫画でも描いてろ。漫画で自分の世界を確立するんだ。漫画の道具なら俺が買ってやる。お前も漫画ぐらい読むんだろ?」

「お話を考えるのは好きだけれど、絵はそれ程得意じゃないの」と幸が面倒臭そうに言う。

「じゃあ、小説はどうだ?」

「小説って、教科書でしか読んだ事ない」と幸が辛そうに片目を閉じて言う。

「じゃあ、何が良いかな・・・・」

「あたし、小説を書く勉強してみる」と幸が心を内に籠もらせるようにして言う。

「そうか。頑張れよ」


 アルバイトから帰宅し、夜、ウーちゃんに電話をする。

「ああ、ウーちゃん、俺、嶋本」

『ああ、京ちゃん。あたし、今日、漫研に入部したわよ。女の子も二年生の先輩二人と、同じ学年の子が二人いるの』

「へええ、そう」

『カッコいい男の子はいないから安心してね』

「別に心配はしてないよ。ウーちゃんの事を信じてるからね」

『皆まだ漫画は描けてないの。皆、イラストを描いてるのよ』

「刺激がないな」

『うん。そうなの』

「俺と漫画の見せ合いっ子してれば良かったんじゃないか?」

『漫研の活動として漫画を描けるのが良いの』

「ああ、環境の力ね」

『これから漫研があるから中古レコード屋には一緒に行けなくなるわ』

「電話で買ったレコードの話が出来れば良いよ」

『うん。そうね』

「それじゃあ、また明日!お休み!」

『お休みなさい。また明日ね!』


 翌日、学校に行くと、ウーちゃんの教室に行き、ウーちゃんを連れて屋上に上がる。誰もいない屋上で煙草を一本口に銜え、煙草に火を点ける。俺は給水タンクの梯子を上り、大の字に横たわる。ウーちゃんも梯子を上ってきて、俺の隣に横たわる。

「人生にどう挑むか、そればかり考えてるよ」

「あたしはその時その時楽しい事に夢中になっていられたら、それで良いの。それで十分思い出になると思うわ」

「同じような事してるような二人なのに心構えが違うんだな」

「考え方は人それぞれよ。夢の実現に関しても成功する人生と失敗する人生とがあるわ」

「ウーちゃんの夢が叶うと良いな」

「ええ!それなら、あたしだって、京ちゃんの夢が叶うと良いな」

「ウーちゃんは俺が一生涯で唯一の恋人だとは思ってないでしょ?」

「そりゃあ、世の中色んな人がいるもの。自分が幾ら愛しても、京ちゃんが死ぬまで私の恋人になってくれるかどうかも判らないじゃない」

「へええ、俺達の心の隔たりって同じくらいなんだな」

「目を閉じると瞼の中が真っ赤だよ」

「あっ、本当だ」

 俺は今、ウーちゃんと一緒にいる。手を伸ばせば、ウーちゃんが直ぐ隣にいる。俺は煙草を持っていない左手でウーちゃんの右手を握る。何て小さくて華奢な手なのだろう。肌がツルツルしている。二人揃って老人になる事はあるのか。何で俺は人を信じられないのだろう。騙されても良いからウーちゃんを信じたい。

「ねえ、ウーちゃん、お母さんの心ってさ、全くのお母さんなの?」

「そんな事ないよ。お母さんだって女だし、少女の心の名残りもあるし、夫に対する妻の心もあるし、男勝りになる時だってあるわよ。恐らく孫が出来た時にはお祖母ちゃんにもなるんだろうと思う」

「へええ!お母さんに少女の心の名残りがあるのか!お母さんって、怒るの?」

「私が子供の頃なんか怒ってばっかりよ。母親って、小言魔なの。何かいつも自分の都合の良いように子供の態度や心を矯正してるわ」

「お母さんの事嫌い?」

「いないと寂しいけど、嫌いって言うよりは、口喧しいところは改めて欲しいわね」

「お母さんが怒ると怖いの?」

「ううん、弱々しくて可愛そうな程怖くないけど、お金とか食べ物とか飲み物とか、色々な物事を絶対的に管理してるのが母親の強味かな」

「そうなんだ・・・・」

「お父さん、お母さんの事よく想うの?」

「会いたいなあとは思うよ」

 チャイムが鳴る。

「あっ、授業始まる!」

「急いで教室に戻ろう!」

 俺達は急いで梯子を下りて、校内の階段を駆け降りると、それぞれの教室に駆け込む。


 翌月、俺とウーちゃんは中免を取得した。ウーちゃんは早速親にオートバイとヘルメットを買ってもらう。

「親がいるとバイクなんて買ってもらえるの!」

「家の親は買ってくれたのよ」

「ああ、親も人によって色々なのか」

「京ちゃん、乗ってみる?」

「うん」

 俺はウーちゃんのバイクに乗り、五反田周辺を一周し、ウーちゃんのマンションの前に戻ってくる。

「バイクは良いな!中坊の時にかっぱらった原付きを乗り回してたんだよ」

「ええ、それって尾崎ね」

「別に尾崎の影響受けた訳じゃないよ。似てるとこがあるんだろう」

「ロックやってるところも似てる」

「高校入ってアルバイト始めた事が軽犯罪から足を洗うきっかけになったんだよ。最初は万引きは万引きで続けようと思ってたんだ」

「京ちゃんって悪よね」

「これから少しずつまともになるよ。犯罪者の不安な心理から脱したいんだよ。盗んだバイクなんて落ち着かないよ」

「京ちゃんって、警察に捕まった事あるの?」

「ない。今のところ完全犯罪だな。犯罪者は捕まるまで続けるって何かの本に書いてあってさ、それは愚かしいなと思って、犯罪を止める事にしたんだよ」

「それも悪」

「俺って、心に欠陥があるのかな」

「悪になろうとして悪い事してたの?」

「俺の場合、悪行が例外なく自分だったよ」

「ああ!京ちゃん、そろそろバイトの時間じゃない?」

「ああ、そろそろ帰らないとな。それじゃ、また夜電話するよ」

「うん。遅刻しないように急いでね」


 俺は二ヵ月後にヤマハの中古オートバイを手に入れる。かっぱらったヘルメットを捨て、アルバイトをしたお金で新しいヘルメットを買う。レコードやカセット・テイプや本など、かっぱらった物が全部嫌いになり、俺は盗んだ物を全部捨てる。それで俺の持ち物はほぼなくなり、綺麗に整理される。

 オートバイを手に入れた俺はウーちゃんと会うのが簡単になる。買ったばかりのバイクに乗って、夜、ウーちゃんの家に行くと、ウーちゃんは早速両親に夜間のオートバイの運転を禁止される。

 日曜日の日中に待ち合わせをする時には二人共待ち合わせ場所にオートバイで向かう。バンドのメンバーも全員中型免許を取り、オートバイを買う。ストリート・ライブの時には楽器やアンプを持ち運ぶため、電車に乗る。


 二年に進学すると、ウーちゃんは漫画を『ガロ』に投稿し、作品の掲載が決まる。ウーちゃんは『かかしの詩子』と言うペン・ネイムで早くも漫画家として高校デビューが決まる。俺も小説と漫画と詩を新人賞に投稿する。俺は小説も漫画も詩も落選する。俺が新人賞に投稿した小説や漫画や詩はどれも自信作だった。俺はすっかり自信喪失してしまい、小説にも漫画にも次の手に窮する。ウーちゃんは更に絵画もコンクールに投稿し、詩も新人賞に投稿する。俺は絵画に自信作がなく、コンクールに投稿する作品がない。ウーちゃんは更に大学にも進学すると言う。俺とウーちゃんは最早同等な立場ではなくなった。音楽ならそこそこやっていけるような気がする。小説や漫画はダメだ。小説も漫画も詩も技術的に至らない面があって落選した訳ではない。自分の作品世界の個性や感性が認められなかったのだ。

「俺は小説も漫画もダメだよ。詩もロックの歌詞を書くなら良いけど、文学的な詩は書けない」

「また頑張って書けば良いのよ」とウーちゃんが落ち込んだ俺を励ますような笑顔で言う。俺はウーちゃんの笑顔に物凄く強いエナジーを感じる。以前には感じた事のない劣等感をウーちゃんに対して抱く。

「俺はバンド活動に専念するよ」

「あれもこれも手を付けて、どれも中途半端に終わるぐらいなら、一つの事を追求する人生の方が良いかもね」とウーちゃんが少し見下したように言う。

「そう思うよ」と俺はウーちゃんの言わんとする点に素直に同意する。

 『ガロ』に掲載されたウーちゃんの漫画を観て、ウーちゃんの個性の強さと感性の新しさを認める。ウーちゃんから以前借りたガロ系漫画の漫画家らの個性にも引けを取らぬ個性と感性がウーちゃんにはある。

 俺は毎日学校の屋上でウーちゃんとセックスをするようになる。ウーちゃんは既にプロの漫画家として一人立ちしている。俺のような男がセックスでウーちゃんを自分の方に向かせるのは無理だと思う。

 ウーちゃんと俺は休みの日によくツーリングに行く。ウーちゃんは漫画の女主人公にもバイクに乗る場面を登場させる程バイク好きになる。

 ウーちゃんの絵画がコンクールに入選し、詩も新人賞を受賞した。

これでは頭が上がらない。俺はウーちゃんに対して、尊敬出来る恋人として敬意を払って接するようになる。


 高校三年になり、記念に何か新しい事を始めようと、カメラを手に入れ、写真を撮り始める。将来的には俺の写真技術を活かし、自分達のバンドのアルバム・ジャケットを自分の写真で作りたい。音で表現する詩というのがインストルメンタルだとしたら、写真で表現する事の出来る詩もきっとある筈だ。際限なく音楽の宇宙を充実させる事に興味や関心が広がっていく。写真においては写り込む物全てに認識が追いついていない写真は素人写真に過ぎない。プロを唸らせるような素人技なんてものは存在しない。写真における偶然の結果は等しく誰の身にも経験される。自分が見えてもいないようなものが明確に写真に写り込むような事はない。

 バンドのメンバーも俺も大学進学はしない。音楽的な感性が細やか過ぎて、学業に集中する気にならないのだ。俺達のバンドは二枚組のファースト・アルバム『ブルー・ローズ』を作り、レコード会社に送る。レコード会社から直ぐにデビューの話が来る。ウーちゃんにそれを報告すると、ウーちゃんはとても喜び、デビュー祝いに焼肉屋で御馳走してくれた。これで再びウーちゃんと対等になれた。

 ウーちゃんも俺も中古レコードを買い集めて切り拓いた洋楽の知識に相当な自信を得ている。ウーちゃんも俺も翻訳小説に深く親しみ、文学を究めるのは大変だと同じ結論に達した。その点、音楽の世界にはどんどん踏み込める。俺もウーちゃんもロックのみならず、ワールド・ミュージックやヒーリング・ミュージックや宗教音楽まで聴き込んでいる。俺は犯罪から抜け出す事にも成功した。

 ウーちゃんは切ない恋の女心なども漫画で表現するようになり、その十代の初々しい恋愛漫画の短編をきっかけにウーちゃんの漫画はどんどんドラマティカルになっていく。ウーちゃんは繰り返し山田太一や倉本聰を大絶賛する。漫画家としてはガロ的なアングラ漫画からメジャーの漫画に傾倒していく。俺達のバンドは深夜の音楽番組にゲスト出演し、TVで演奏をする。なかなかメジャーウケするような音楽ではないので、アルバムは一部の熱狂的なファンの間でのみ話題になる。全員蒼白い顔の化粧をしてステイジに立ち、ミッチの人気が異様に高まる。ミッチは俺の作る音楽に斬新な発想で絡むようになり、パクリの傾向から脱しつつある。人間何がきっかけで才能が開花するか判らない。

 ウーちゃんは漫画家以外にも絵画やら詩やら活動の幅が広い。ウーちゃんは画壇でも詩壇でも注目の新人と見做されている。ウーちゃんの絵画は機械仕掛けの空想的な風景画やレトロなロボットの絵で注目を集めている。詩は幻想的であったり、シュールであったりと、絵画同様に想像力が活かされた作風だ。文芸誌に漫画家として特集され、顔写真が表紙を飾るようにもなる。ウーちゃんの大きな才能には目を瞠るものがある。俺は地方でコンサートやイベントを行う時にも毎夜欠かさずウーちゃんに電話をする。ウーちゃんは某大学の芸術学部映画学科を受験し、見事に合格する。

 久々に駄菓子屋の婆に会いに駄菓子屋に行く。

「ここは子供が来るとこだよ!社会に出て立派に働く大人が来るとこじゃないんだよ!」と駄菓子屋の婆が店の丸椅子に腰かけ、小さな体を丸めて怒鳴る。

「ここはガキの頃から毎日来てたからよ、婆と話がてら駄菓子を食うのが俺の昔からの楽しみなんだよ。風邪引いて学校休んだ日だって、必ず病院帰りにここに寄っては駄菓子食いながら婆とくっちゃべってたんだぜ」

「そんなこたあ自慢にならないんだよ。何時まで経っても馬鹿みたいな事ばっかり言う子だね。全く、ちっとは成長したらどうだい」

「婆がそうやって馬鹿馬鹿言うから大学にも入れねえんだよ。本当の馬鹿になっちまうじゃねえか」

「人のせいにすんじゃないよ。家の娘は同じように育てて、女でいながら東大出てはアメリカの大学院まで卒業して、文学賞取るような女流作家にまでなったんだよ。ニューヨークの高級マンション買って、アメリカで毎日美味いもん食べて、独り悠々自適の独身生活をしてんだよ」

「そりゃあ、婆がえれえんじゃなくて、元々出来の良い子が生まれてきたんだよ」

「だったら、自分が出来の悪いのも自分のせいだろ」

「全く!ああ言えやこう言う口の減らねえ婆だよ!」

「そもそもあんたに婆呼ばわりされるような筋合いはないんだよ。あんたが父親の顔も母親の顔も知らずに孤児院で育ったのに、学校出たら厄介者みたいにほっぽり出されるような、そういう可哀そうな子だから、ここまで情をかけてきたんじゃないか。あんたも一端の稼ぎのある身分になってんだから、甘いもん食べたきゃ、駄菓子なんて食べてないで、スーパーに売ってるような品の良いお菓子を食べてりゃ良いんだよ。そうすりゃその貧相な体付きも少しはふっくらとして、見た目にも裕福そうに見えるんだよ」

「大きなお世話だよ。俺が太り出すような時には悪い大人に捕まって悪い事に関わり始めるような時だぜ」

「大人大人って、あんた言うけどね、あんたはもう立派な大人じゃないか。自分をほっぽり出したような孤児院から百メートルと離れちゃいないようなボロアパートなんかに住んで、あんたねえ、もう少し真っ当な生き方して幸せんなんなよ。あたしの生きてる間に幸せになってごらんよ。この町から自分の力で抜け出してごらんよ」

「俺はなあ、婆が死ぬまではこの町から離れるつもりはねえんだよ。ここにいれば、俺はずっと幸せでいられるんだよ」

「何言ってんだい!あんたと一緒に育ったもんは、皆もうこの町を出てっちまったじゃないか!あたしはねえ、あんたのためを想って言ってんだよ。あたしだって、あんたがいなくなりゃ、そりゃあ寂しいんだよ。でもねえ、こんな年取った老人が自分の我が儘であんたみたいな若者を何時までも引き止めたりしてちゃあいけないんだよ。老人が年を取るって事はね、親しかった人達と一人ずつ死に別れる事なんだよ。亭主が死んで、娘が自立して、ほんとだったら、あたしの生活は孤独のどん底みたいに寂しい生活なんだよ。この店があるからこそ、毎日、ここに来る子供達相手に賑やかに過ごせるんだよ」と婆は言い、涙声になって、「憎まれ口利きながらも、毎日決まって現われるあんたがいる生活はね、こんな老人のあたしには本当に幸せな事なんだよ。だからね、あんた、悪い事は言わないよ。もっと幸せになんなよ」と言う。

「婆は俺にとってお母さんみたいな存在なんだよ」

「冗談じゃないよ!あんたの本当のお母さんはね、もっと若くて、それはそれは綺麗なお母さんだよ。あんたみたいな可哀そうな子残して誰が安心して死ねるもんかい。悪い事は言わないよ。お金持ちになりたきゃ、今から予備校にでも通って、大学に入んなさいよ。そもそも勉強するのに遅過ぎる年齢なんてものはないんだからね。ほんとにもう、こんな意地の悪い婆さんなんかがあんたのお母さんの訳ないんだよ」

「俺にはなあ、母親を知らねえ俺にはなあ、この町も、この店も、婆も、駄菓子も、母親の温もりのように温けえんだよ。温けえからずっとここにいるんだよ。この町のどれ一つ欠けても、俺の心は母親から遠ざかった寂しさを感じるんだよ。俺は施設の仲間達が一人ずつこの町を出て行く度に、この町にしがみ付くようにして寂しさに堪えてきたんだよ。俺は施設の奴らが大嫌いなんだ。どいつもこいつもみすぼらしくて大嫌いなんだよ。婆が死んだ時の気持ちなんて俺には想像すら出来ねえよ。婆から教わった事を全部俺は守ってきたんだ。婆に一冊でも多くの本を読めって言われたら、一日と欠かさず、毎日、猛スピードで一日一冊本を読んできたんだよ。音楽のすばらしさが判るような素敵な人になるんだよって言われれば、金さえあれば中古レコードを買って、毎日音楽を聴いて生きてきたんだよ。死ぬなんて言うなよ!神様は俺から婆まで奪うのかよ!」

「判ったよ!判ったよ!そんなに耳がツンボになるような怒り方しちゃいけないって、昔から口を酸っぱくして言ってるだろ!あんたはほんとに頑張って生きてきたんだね。あんた、一度だって自分の読んだ本の話をあたしにした事ないじゃないか。そんなに本を読んで、そんなに沢山音楽を聴いてきたのなら、あんた、そこらの大学出よりよっぽどモノを知ってるよ」

「俺、予備校に通うよ。働きながら予備校通って、大学に行き、卒業してみせるよ」

「もういいんだよ。うっかり自分の人生の心残りを口にしただけだよ。無理して大学なんて行く必要はないんだよ」

「俺、ちゃんと大学に行くよ。婆は大学出た方が良いって思ってるんだろ?」

「違うんだよ。違うんだよ。無目的に大学に行ったって何にも人生は変わりゃしないんだよ。それよりあんたの尊敬する人は誰なんだい?」

「お父さん・・・・」

「お父さん?あんた、お父さんなんか全く知らないじゃないか」

「俺はお父さんを尊敬してるんだ。一度も見た事も話した事もないけれど、俺はお父さんを尊敬してるんだ。お父さんがいたからお母さんは俺を産む事が出来たんだろ?神様なんて本当はいないんだよ。俺はたったの一度だって、自分の祈りに応えてくれる神の声を聞いた事がないんだ」

「そんな事言うもんじゃないよ!あんた、一体何を神様に祈ってきたんだい?」

「俺、ガキの頃はお父さん、お母さんに会いたいって、ずっと祈ってたんだよ」

「馬鹿だねえ、あんたは!神様や女神様こそがあんたの本当のお父さんお母さんじゃないか!」

「なら、何で神様は俺の前に現われないんだよ!」

「馬鹿だねえ、この子は!神様はあんたの心の中にいるって、神父さんやシスター達に教わらなかったのかい?あんたって、よっぽど愛のない人間付き合いをしてきたんだね。愛が欲しけりゃ、先ずは自分が愛であろうとし、自分が優しくならなきゃいけないんだよ。あたしはこの駄菓子屋を二十五年間続けてきたんだよ。この店に来る全ての子達がここで楽しい思い出を作れれば良いって、ただそれだけを神様に祈ってやってきたんだよ。それはね、あたしなりの信仰なんだよ。あんたは照れ屋の悪ガキだったけど、あたしは何度もあんたを抱き締めてやったよね?あんたが初めてここで物を盗んだ時には、あんたの頬を叩いてやった事もある。あんた、そういう事を全部憶えてるのかい?」

「憶えてるよ」

「本当に恵まれた環境に生まれ育つ子ってのはねえ、本来子が必要とする間は子の人生に寄り添うように生きて、物心両面で子を支えて助けてくれる親がいるもんなんだよ。親っていうもんはね、死ぬまでに出来得る限りの躾を子に施してやりたいんだよ。物を買い与えたり、甘やかしたり、優しい事ばかり言うのが親じゃないんだよ。親の思い出なんてね、子としてはもっと笑ってる顔が見たかったって思うもんなんだよ。現実には親の思い出なんて叱られた記憶ばっかりだよ。子供ってのはね、若い内は親の躾なんて全部弾き返すもんなんだよ。親なんて顔を合わせれば口論ばかりするような存在だよ。そういう息子や娘が人の親となり、漸く親の言葉を受け入れられるようになるんだよ。なあんにも親の言葉や躾を忘れちゃいないんだよ。親だけじゃないよ。自分がお世話になった全ての人達の言葉をぜえんぶ人間ってもんは憶えてるもんなんだよ。あんたの親代わりの神父さんやシスター達も時には厳しい事を言ったかもしれない。ほんとだったら一生家にいさせてやっても良いものを、学校を出たらパーッと施設から出して自立させる。その事には職員さん達もきっと心を痛めたに違いないんだ。あたしは部外者だから、あんたの施設の人の悪口なんかも言ったけど、孤児院の人達のようにもっとあんたら孤児達の事を深あく思い遣れる心があったなら、あたしだって神父さんやシスター達の悪口なんて言いたくはないんだよ」

「だから、俺は親の愛情に関しては婆から教わって、孤児院の神父さんやシスター達の気持ちに関しても婆から教わって漸く理解出来るようになったんだよ。だから、俺はこの町からも婆の近くからも離れたくないんだよ。心が温かくなる町に居続ける事の何が悪いんだよ」

「自立した大人に早くなりなさいって事だよ!厳しい事を言うようだけどね、それだけはあたしがあんたの将来を想って、あんたにそうさせたい事なんだよ。あんたはね、一人前に社会に出て働いてはいるけれど、心はまだまだ幼い子供のままなんだよ」

「俺はきっと幸せになっちゃいけない人間なんだよ。俺は神に呪われた子なんだよ」

「何て事言うんだい!」

「婆、その話はもういいよ。こんな事を婆に話した俺が悪いんだ」

「あんたは神様に呪われてなんていないよ」

「俺、大人になったら、さっちゃんと結婚しようと思ってたんだよ」

「へええ、あんた、家のサチと結婚しかったのかい?」

「うん。それを思った途端、甘い物を鱈腹食べたくなって、お金もないのにここに来ては駄菓子を盗んで食べてたんだよ」

「あんた、今、イエス様のお顔をじっと見られるかい?」

 俺は黙って頸を左右に振る。

 婆は厳しい眼で俺を睨みつけ、「そう。なら、もうこの話はこれ以上は訊かないよ」と言うと、自分の足元を見下ろしたまま、俺から視線を逸らす。

「実は俺、聖人になろうと思った事があるんだ」

「あなたはお話がしたいようだね。あんた、家のサチと何かあったね?あの子が突然アメリカに行くって言い始めた時に、もっときちんと理由を話させておくべきだったよ。あの大人しい子が何もなくこの家から出ていく筈がないんだ」

「俺、本当は神の子として生まれたんじゃなくて、悪魔なのかもしれないんだ」

「もう言わないで!キリスト教徒の半分以上が自分を悪魔だと思いたがってるんだよ。あたしもそれを何かで読んで知ってるんだよ」と婆は顔面が真っ赤になる程怒りを顕にして言う。「あんたが悪魔だと言うなら、あたしだってそうだよ。あたしは亭主に合わせて表向きは仏教徒のようなふりをして生きてきたけれど、本当はこれでもクリスチャンなんだ。あたしもイエス様にお祈りして、お赦しを請わなきゃいけないよ」

「誰だって嘘の一つぐらい朝飯食うように吐くよ」

「これから夕食の買い物に出かけるから、あんたもそろそろ仕事に戻りなさい」

「それじゃ、元気でな、婆」と俺は婆に最後のお別れを言う。俺は二度とこの店には来ない覚悟で店を出る。俺は自転車に乗り、アパートメントに向かう。自転車に乗って、駄菓子屋の細い路地から池上通りに出る。左折しようとしたら、自転車に乗った俺に大型トラックが迫ってくる。


 俺はトラックとの衝突事故で病院に担ぎ込まれたようだ。命は何とか取り留めた。病室のベッドの脇に駄菓子屋の婆が椅子に座って、うたた寝をしている。それを横目で見やると、全身に激痛が奔る。俺の呻き声を聞いた婆が急いで俺に顔を近づけ、「大丈夫かい!今、お医者さん、呼ぶからね!」とベッドに備え付けのブザーを何度も手荒く押す。間もなく医師と看護婦が病室に走り込んでくる。看護婦が大急ぎで俺の体に鎮静剤を打つ。

 右耳が聴こえず、声を出すと酷い腰痛が生じる。何とか音楽家になる夢は諦めずに済んだようだ。自転車にぶつかってきたトラックの運転手は逃亡したらしい。

 二日後、俺は無事退院する。

 

 俺達のバンドはセカンド・アルバムの制作に入る。俺はウーちゃんとの結婚も考えている。ウーちゃんの事は尊敬出来る恋人として大切にしている。結婚して子供が産まれたなら、俺も父親になる。父親も母親も知らずに育った俺が子の親になれるのかどうかは判らない。父親などなくとも自分は育ったし、父親のモデルとしては神父さんを見習い、神父さんのような大きな愛で子供を育てようと思っている。

 日曜日の朝、俺の住むアパートメントの玄関のブザーが鳴る。

「はい!」と俺はベッドの中から返事をし、玄関に向かう。玄関のドアーを開けると、ヘルメットを胸に抱き抱えたウーちゃんが立っている。「よう、ウーちゃん!どうしたの、突然?まあ、中に入りなよ」

 ウーちゃんが脱いだ靴を揃えて、家の中に入る。

「何飲む?コーラとアイス・コーヒー、どっちが良い?」

「アイス・コーヒーが良い」

「アイス・コーヒーね。判った。直ぐ行くから部屋のソファーに座って待ってて」

「うん。しっかり寛いで待ってるわ」

 ウーちゃんの心のウェイヴの爽やかさが何なのかが判らない。香水の匂いも匂いを嗅ぐ者を包み込むような良い匂いがする。ウーちゃんから俺へのラヴ・コールはほとんどない。俺も愛してるとか歯の浮くような事は言えない。自分ではウーちゃんを愛していると思う。ウーちゃんへの淡い想いを胸の中で大切に温めている。

 寝室に入り、「はい!アイス・コーヒー!」とお膳の上にお盆を置いて言う。

「ありがとう」とウーちゃんが窓からの陽射しに眩しそうに目を細めて言う。

「今日はバイクで来たの?」

「うん。今日は一寸用があって来たの」

「ええ、何々?」とウーちゃんの胸を揉みながら、ふざけて訊く。ウーちゃんは憂鬱そうに俯き、「あたし、妊娠したの」と静かに告げる。俺は少し戸惑い、「俺の子?」と確認する。

「勿論!」とウーちゃんが明るい顔で言う。

「結婚しなくちゃいけないな」

「そう言ってくれると思った」

「物凄い嬉しいんだけど、かなりショッキングで、かなり顔が強張ってる」

「お父さんになる覚悟なんてないのは判ってるわよ」

「うん」

「あたしも母親になる覚悟なんて出来てない」

「うん」

 俺はアイス・コーヒーを少し口に含む。

「ああ、アイス・コーヒーどうぞ!」

「戴きまあす」とウーちゃんは言って、グラスから雫を胸元に落としながら、アイス・コーヒーを飲む。ウーちゃんの胸の上の雫が陽に照り輝いている。俺はその雫に生まれ来る我が子のイメージを重ねて見ている。デビューしたばかりのバンドのヴォーカルが結婚するのはファン離れになるだろう。アイドル・バンドではないので、恋愛感情を抱いて俺達の音楽を聴いている人は少ないか。

 俺はウーちゃんの両肩を掴み、「俺と結婚してくれよ」とプロポーズする。ウーちゃんは少年のような声で、「うん。結婚しよう」と言う。俺はこの幸せを前にしてウーちゃんに死なれたくない。幸せなど経験した事がない俺には不幸な展開して考えられない。

「ウーちゃん!」

「何?」とウーちゃんが笑顔で返事をする。

「死なないでくれ」

 ウーちゃんは不思議そうな目で俺の顔を見て、「うん」と返事をする。「でも、何であたしが死ぬって思うの?」

「俺は幸せを経験した事がない。だから、幸せを目前に神がウーちゃんの命を奪うんじゃないかって思うんだ」

「神様はそんな酷い事しないわよ」とウーちゃんが険しい顔をして言い、涙を零す。「そんな事絶対神様はしないわよ!」とウーちゃんは何か真剣に自分を護ろうとするように言う。

「でも、俺の神はイエス・キリストだよ?あの人なら、幸せを目前にした者の婚約者の命を真っ先に奪うと思わないか?」

「何でイエス様が人を不幸せにするのよ!イエス様と言ったら、愛の方じゃない!京ちゃん、神様をどう思ってるの?神様って、人間を守ってくださる方の事じゃない!」とウーちゃんが悲しげに涙をボロボロ流して言う。

「そうなんだね。俺が神を知らないだけなんだね」

 ウーちゃんは俺の両頬に両手で触れ、うんうんと何度も俺を慰めるように頷く。両頬に触れたウーちゃんの両手は温かい。俺はいつまでもこの優しい手が自分に触れている事をウーちゃんの神に願う。何故人間は神に幸せを願うのだろう。神など人を不幸に陥れる事しかしないではないか。俺がどれだけ父親や母親に会いたいと願った事か!俺がどれだけ両親の体の温もりを求めてきた事か!ウーちゃんの顔がぼやけて見える。どうやら俺は泣いているようだ。俺に涙を流させているのは誰だ?俺に泣く理由など何処にもない。俺はウーちゃんの両肩を掴み、「ウーちゃん、俺が君を護るよ」と心の底からウーちゃんに誓う。ウーちゃんは泣きながら何度も俺に頷く。

「ウーちゃん、結婚しよう!」と俺は勇気を出してプロポーズする。

 ウーちゃんは俺の目を見つめ、「嬉しい」と呟く。

「俺、何とか家族を養えそうなんだ」

「あたしも働くから家族を養う責任を一人で背負わないで」

「うん。ありがとう」と俺はウーちゃんの潤んだ目を見つめて言う。「今度、御両親に御挨拶しに行くよ」

「うん。頑張って!あたしも付いてるから緊張しなくて良いわよ」

「うん。でも、俺、思いっきり緊張してたから少し安心したよ」

「何でステイジで歌を歌えるような人が緊張するのよ!あたしを育てた親よ!」とウーちゃんが楽しそうに言う。

 俺は釣られて笑い、「俺、親いないから・・・・」と言いかけ、言葉に詰まる。ウーちゃんは何も言わずに何度も頷く。

「俺、神父さんやシスター達に婚約を報告するよ」

「うん。頑張って!あたしも親に言っておく」とウーちゃんが笑顔で言う。

「ああ、ありがとう」

「京ちゃん、全部一人で背負っちゃダメだよ!」

「うん。そうだね」と体の震えを抑えながら言う。「実はさ、友達の親と話した事もないんだよ」

「そうなんだ。じゃあ、緊張するわね。結婚式には沢山友達呼びたいな」とウーちゃんは至って簡単に結婚の話をする。

「俺も神父さんやシスター達やメンバーを全員呼びたい。って、俺の友達、バンドのメンバーと駄菓子屋の婆とアルバイト先の仲間しかいなくてさ」

「孤児院の仲間は?」とウーちゃんが不思議そうに訊く。

「喋った事もないよ」

「へええ、そうなんだ。でも、何で?何で話さないの?」とウーちゃんが素朴な疑問を投げかける。

「昨日まで仲良かった孤児の仲間が、里親が出来ると、別れの挨拶もなく消えていくんだよ」

「ええ、良くないよ、そう言うの!」とウーちゃんが純粋な正義感に燃えた眼差しで神父さん達を批難する。

「うん。でも、家はそうなんだ」

「何でだろう・・・・」とウーちゃんが寂しそうに呟く。

「多分、残った者に悲しみを味合わせないためだよ。それでも幼い頃には二人ばかり仲間がいたんだ。友達って言うか、兄弟って言うか、とにかく毎日遊ぶ仲間がね。そいつらは或日突然いなくなったんだよ。俺も俺だけど、最近見かけないなあぐらいに数日気にかけてたら、二度と帰ってこなくて。俺、神父さんやシスター達にあいつらがいなくなった事を何の説明も受けずに済ませたんだよ。要はね、里親が出来るもんばっかりじゃないんだよ」

 ウーちゃんが無言で涙ぐみ、俺の眼を見つめて言葉に詰まる。

「だから、結婚式には孤児達は呼ばない」と俺は言い、涙ぐむウーちゃんの頭を胸に押しつける。「冷たいとかそう言う事じゃないんだ。俺はあいつらを呼ばないんだ。俺は自分が生きてきた通りに付き合いのない人間は結婚式には呼ばない」

 ウーちゃんは俺の胸に顔を押し付けられたまま何も言わない。


 俺達のバンドのサード・シングルがトップテン入りした。俺達は初めてのTV出演を果たし、日本中に俺達のバンド名が知れ渡る。音楽番組の生放送が終わり、帰宅すると、ウーちゃんに電話をかける。

「ああ、ウーちゃん、嶋本です」

『音楽、ヒットして良かったね』とウーちゃんが温かい声で祝福し、『今日、レコード屋さんに行って、『ブルー・ローズ』の新品のシングル・レコード買ってきちゃった』と言う。

「欲しければあげたのに」

『自分のお金で買いたかったの』とウーちゃんが明るい声で言う。

「今日、テレビ、観てくれた?」

『勿論、観たわよ!』とウーちゃんが嬉しそうに言う。

「どうだった?」

『凄いカッコ良かった。ミッチさんと京ちゃんと美形が二人もいるバンドは珍しいわよね』とウーちゃんが言う。

「その視点だとミッチの方が人気があるんだよ。化粧はしても、俺の顔は女性的ではないから」

『うん。確かに京ちゃんは綺麗な男の人って感じよね』とウーちゃんがあっさりと言う。

「来週は愈々結婚式だね」

『うん。楽しみにしてる。一生に一度の結婚式だと思って、最高の結婚式にしたい』とウーちゃんが明るく力強い口調で言う。『結婚式では音楽演奏しないの?』

「した方が良い?」

『勿論!』とウーちゃんが俺の迷いを祓うように言う。

「ああ、じゃあ、メンバーに言っておくよ」と俺は言い、「日曜日、久々に中古レコード屋に行こうよ」

『ええ!まだ中古レコード屋とか行けるの?』とウーちゃんが驚いて言う。

「ずっと行くよ。でも、俺、レコードからCDに変えるよ。中古も圧倒的にCDの方が良いアルバム多いでしょ?」

『あたしも最近中古でCD買ったの。でも、レコードの方が愛着あるな』とウーちゃんが寂しそうに言う。

「大学、面白い?」

『うん。まあね。友達も随分出来たし、漫研にも入部したし、思い出に関してはバッチリだと思う』とウーちゃんが気遣うように話す。

「悪いけど、俺は大学行きたけりゃ普通に行くよ」

『別に差別なんかしてないよ。あたしの方が先行ってるけど』とウーちゃんが笑って言う。

「結構言いたい事言うよね」

『だって、京ちゃんって、本当に自分のやりたい事全部やってる?』

「俺には小説とか漫画を書く才能はないんだよ」

『でも、才能って、最初からあると思えるものだったかな・・・・』とウーちゃんが思い出せない遠い過去を振り返るように言う。

「俺は小説や漫画を書く才能はないって思ったんだよ。詩も文学って言うより、歌詞に向いてるなと思ってさ。読むのは小説も漫画も読むけどね」

『でもさ、京ちゃんって変わったよね』とウーちゃんが俺の心を探るように言う。

「ああ、そうかもね。何か、普通の人になりたくってね」

『孤児である事って、そんなに自分の心を歪めるの?』とウーちゃんが俺の心に迫る。

「親の愛を知らないで育つんだよ?それって普通?」

『ああ、やっぱり、その一点なんだね』とウーちゃんが重苦しそうに言う。『確かに重要な事を経験出来ずに生きる人生になるよね』

「そうだろ?そんな人生、人間とは言えないよ」

『そうまでは思わないけど、自分の子供時代を想うと、あたしには親のいない人生は無理』とウーちゃんが不安気に言う。

「俺は親はなくとも何とか生きてきたけど、俺が変わったのはウーちゃんやメンバーのお蔭だと思うよ。友達が出来て、気分的にも随分と楽になったしね。一杯愛を貰えた。恋人が出来た事が一番良かったかな」

『うん・・・・』とウーちゃんがしんみりとした声で言う。『何か自分如きが京ちゃんの寂しさを癒す事が出来たのは嬉しいな』

「親からの愛情を受けずに生きてきた人間が友達なんて作れないでしょ?友達を作るのに差し出すものって愛でしょ?愛し方を親から学べずに生きてきたんだよ。愛し方が判らないって、人間って言える?」

『人間には違いないけど、寂しい人生にはなるわね』

「人の愛を独占する事で愛を知り、愛し方を学ぶんだけど、神父さんやシスター達から注がれる愛を孤児院の中で独占するのは無理だったんだ」

『ああ、あたしも親の愛は存分に貪って、優しさとか愛の基礎を学んだわ』

「子供が産まれたら、とにかく体に触れて、可愛がったり、遊んでやったり、何処かに連れていったり、常に気にかけて話しかけてやれば親なんだろ?」

『うん。そうだと思う。でも、よくそんな事判ったわね』

「俺は愛をセックスから始めて、人と関心事を共有したり、意見し合う事で他者を認識し、他者とどう言葉や気持ちを伝え合うかを勉強し、皆で音楽を作るような共同作業を通して愛を学んだんだ」

『やっぱり、救いってあるわよね。それと親って言うのは子供が安心して住む事の出来る宇宙のような存在なの。一緒にいれば愛に包まれているような安心感があるの。それと親は子供にとって自分より大きな愛と力と知識と知恵があって、何でも親から学べると信じられるような信頼感を抱ける存在なの』

「そうなんだ・・・・」

『親はいざとなったら幾つになっても大きな存在として頼れるし、甘える事を許してくれる存在なの。あれ買って、これ買ってって言えば、此間何々買ってあげたばかりじゃない!そんなにあれもこれも買えませんよって言うの。それでも子供は買って!買って!って自分の思い通りに自分の欲望を叶えさせようとするの。それで親は遅かれ早かれ子供が欲しがる物を買い与えるの。親はそう言う遣り取りの中で色んな常識を子供に教えて、躾をしたりするんだけど、子供は苦しい事を親に要求されても、早々我慢なんて出来ないの。親って、そう言う無償の愛を要求されるのよ』

「親の愛って、そんなに甘いものなのか」

『子供は産まれたら、直ぐに自分が目にした京ちゃんをお父さんだと思うの。子供が京ちゃんをお父さんと認識した途端に京ちゃんは自分の子供を育てる社会的な責任を担うの。それは誰でも親になって初めて経験する事よ。育て方を間違える親ばかりが世の中の親よ。だから、誰でも子供の親になる事には少なからず不安があるものなの』

「なるほど」

『子供が小さい裡は危険な事、触ってはいけない物を叩いて教えるんだけど、幼少期に親から受けた体罰は必ずトラウマになるの。それを小学校高学年の家庭科の授業なんかで包丁を持たされて怖い思いをしたり、お風呂のお湯の湯加減を恐々と自分の手で測ったりするんだけど、怖いと思って、ずっと包丁や熱湯に関わらない人生なんて普通ないの。子供の教育をずっと体罰でしていると、本当の理解が子供の心に根づかないの。親は目上の者のプライドで怒るんじゃなくて、大人として叱るって言う事を覚えなければいけないの』

「なるほど。じゃっ、また明日電話するよ。それじゃ、お休み!」

『お休み!』

 電話を切って、風呂に入る。体を洗い、湯船に浸って温まりながら、夫になる事、父親になる事について考える。ウーちゃんから教わった親の愛の事をもう一度思い出す。子供が間違った人生を選択しないように導くのも親なのか。躾、教育、体験学習、説得、俺には神父さんやシスター達から学んだ事も多いんだな。神父さんが言っていた神への感謝の心が漸く判った。この世には人間の社会を取り囲む偉大なる神の導きがある。イエス・キリストや聖母マリア様こそが真の親なのだと神父さんや駄菓子屋の婆が言っていた。俺は何にでも反抗してきたんだな。やはり、俺にとっての神父さんやシスター達は自分の家族であり、親代わりだったんだ。世の中には他人の子供を育てられるような立派な大人も存在するんだな。結婚して夫となり、生まれた子供の親になる事とは、実際に夫となり、父親になってみなければ判らない。それは至極当然の事と言えば、当然の事だ。

                                             完

親の愛を知らぬ者が愛を知る。

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