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   8



 本当に失礼しました、と何度謝ったかわからない。


 知らなかったとはいえ、本人を前にして「ごはんデぱんをお好きなんですか?」なんてどの口が言ったのか。僕の口だ。


「そんなことよりも質問とかないの? 曲がりなりにも憧れのクリエイターだったよね?」


 ガチガチに固まっている僕を見るに見かねて、ハルミナが言った。


「曲がりなりにもは不要じゃないかな、ミナ公。生粋の俺のファンなんだろ。もっと丁重にあつか……おぐ!」


 またしてもアキフミさんがハルミナの攻撃を受けた。脇腹を押さえて苦悶している。


 ともあれ、確かにまたとない機会だ。唐突すぎて困惑していたけれど、今のうちにいろいろと聞いておいた方がいい。


「……好きな食べ物はなんですか?」


「は?」


 ハルミナは口を半開きにして驚いていた。


 一方、アキフミさんは腹を抱えながら高らかに笑っていた。


「この流れで好きな食べ物って。月田くんだっけ? 君はもしかしたらすごい才能の持ち主なのかもしれないぜ」


「アキフミさん。笑い事じゃないよ。こっちは真面目に言っているのに。というか月田くん。もしかしてふざけてる?」


「ご、ごめん。緊張のあまり自分でも訳がわからないことを口走ってしまって」


「好きな食べ物は冷麺だ。ごはんでなくて申し訳ない」


「アキフミさんは黙ってて!」


「いや、でもファンからの質問には真摯に答ないと。そもそも彼を連れてきたのはミナ公……おぐ!」


「まったく、人がせっかく気を利かせてあげたってのに。あっちもこっちも、どいつもこいつも!」


「察知!」


 アキフミさんがおもむろに窓の方へと顔を向けた。


「ミナ公。バロンが来たかもしれないぞ」


「え! ()ロンが!」


 一転してハルミナは笑顔になった。まるで『推し~』シリーズのファン子ちゃんがときめいた時のような顔だった。今日は実にめまぐるしく表情が変わる。


 ハルミナは音を置き去りにしそうな勢いで部屋を出ていった。


 彼女をそこまで突き動かすのは誰なのか。本名には聞こえなかったのでSNSの知り合いだろうか。僕は彼女の後を追って外へ出てみた。


「うわおー。マロン。久しぶり! 今日もラブリーでキュートだね!」


 ハルミナはアパートの共用通路で会話をしていた。白黒のハチワレで、体が白くて足先が黒い。まるで靴下を履いているみたいな猫だった。


「マロン? アキフミさんはバロンって呼んでませんでした?」


 遅れてやってきたアキフミさんに訊ねたら、彼は苦笑しながら頷いた。


「オレはバロンって命名したんだけど、ミナ公が聞き間違ったのが始まりで、今ではずっとマロン呼びなんだ。響きが似てるし、別に問題ないからそのままにしてる」


「飼い主としていいんですか、それ」


「まあ、厳密に俺が飼ってると言えるかわからないんだけどね」


「野良猫なんですか?」


「この辺の家を渡り歩いているみたいなんだ。別の家でムタって呼ばれているのを聞いたことある。あ、でもミナ公が来ると勘付いて必ずやってくるんだぜ」


 ミナ公と言われると即座に攻撃してきたハルミナも、今は目の前のマロンにすっかり夢中のようだった。


「え? なに? お土産? もちろんあるよ。プレミアムヂュールだよ」


 ハルミナは途中のコンビニで買ってきたビニール袋から猫用のおやつを取り出した。


「手土産って、人じゃなくて猫用だったんだね」


 マロンはフンフンと鼻を鳴らしてから、ペロリと一口で一袋分をたいらげた。「ミィ」と子猫のように鳴いておかわりを催促した。


「はいはいはいはい。わかってるよ。まだまだあるよ。たんと食べてね」


 ハルミナはおやつを自動供給するマシーンのようになっていた。普段の通学電車からではまるで想像のつかない姿だった。


 と思いきやハルミナは急に振り返って真顔で言った。


「二人は戻って音楽の話を続けてて」


「あ、はい」


 部屋に戻るとアキフミさんは苦笑しながら言った。


「君も大変だな。ミナ公に振り回されて」


「い、いえ。元はと言えば僕が軽率に音楽を作りたいって言ったのが始まりだったんです」


「ミナ公は生真面目すぎるからな。零か百かで物事を割り切りたい性格なんだよ」


「ああ。なんとなくそんな感じはしてました。あ、悪口ではなく」


「わかってるよ。例えばテストも十分に勉強してからでないと受けちゃいけないって思ってるんだ。小さな頃から見てるけど昔からあんな感じだ」


「彼女の知識量はすごいし、言うことも正しいと思ってます」


「正しいことが正解とは限らないんだぜ」


「よくわかりません」


「間違ってる音楽ってあると思うかい?」


「それはないと思います」


「それなら正しい音楽もないだろ。願わくばたくさんの人に聞いてもらいたいけれど、再生数が多ければ良い曲ってことでもない。人の意見に耳を傾けるのも悪くはないけれど、自分の心の中に耳をすますのも大事だぜ」


「でも僕は本当に右も左もわからないんです。春日井さんにあきれられているほどに」


「あきれる? そんなことないだろ。ミナ公が友達をここに連れてくるなんて珍しい。期待されているの間違いじゃないか?」


「期待? まさか。この前なんて音楽のことを全然わかってないって指摘されました。僕が好きなのは音楽じゃなくて映像だろうって」


「これまた手厳しいな。でも、これだけは断言するよ。どうでもいい相手にはそんなこと言わないよ。特にミナ公は」


「……そうなんでしょうか」


「君の話は時々ミナ公から聞いていたよ。彼女は他の人間の話なんてほとんどしないよ。高校では放送部に所属しているけど、そこの人間関係についても喋らない。語るに値しないと思ってる。君は自信を持っていい。あ、でも」


「え? でも?」


「俺がこんなことを言ってたってミナ公には言わないでくれよ。バレたらまた『おぐ』ってされるから」


「言いませんよ。僕だって酷い目に遭いそうですし」


 ハハハ、と笑い合っていたら窓がガラッと開いた。


 マロンを抱えたハルミナが僕らを冷たい目で見つめてきた。



   9



 その日の夜、明晰夢を見た。今、夢の中にいると自覚できている夢だ。


 夢の中に僕の体はなく、意識だけが電車で移動している。


 車窓から流れていく世界が見える。


 ビル。電信柱。閑静な駅。住宅街。自転車道。


 並走するように音楽が流れている。


 懐かしいのに新しく感じる曲だった。ノスタルジックでオルタナティブ。


 これだけ良い曲なのだから、きっと有名な曲だろう。


 思い出そうと努めたけれど、記憶をどれだけ引っくり返しても出てこない。


 もしかしてこれは僕が作った曲ではないだろうか。


 そう思ったら確信のようなものがどんどん募っていった。


 今まで一つも曲を作ったことがないのにも関わらず。


 これがいわゆる天啓というやつなのかもしれない。


 たぶん昼間に色々なことが起こりすぎたせいだろう。


 一本遅い電車。学校の無断サボタージュ。尊敬するクリエイターとの邂逅。


 夢は現実の出来事を整理する役割がある、と聞いたことがある。


 現実を夢の中で曲の形に再構築したのかもしれない。


 世界にモヤがかかり始めた。


 そろそろ目覚めが近いことが僕にはわかっていた。


 問題は起きた時にこの曲を覚えていられるかどうかだ。


 僕は夢の中をしっかりと意識に刻み込んだ。


 この曲を現実に持ち帰ってボーカロイドの曲にするんだ。


 モヤは世界を白く覆い尽くした。


 僕はベッドから体を起こす。


 カーテンから差し込む光が白くて眩しい。


 完璧な目覚めだった。


 夢の光景も曲もすべて完璧に覚えていた。ただしサビを除いて。



 週末に僕はボーカロイドを買った。


 もちろんずっと前から欲しいとは思っていた。


 ただ、決め手となったのはやはり夢の中の曲だった。


 数日たっても未だにサビは思い出せずにいた。


 このままでは忘れてしまうのではないだろうか。


 不安になった僕はボーカロイドを買い、覚えている部分を先に作ることにした。そうすれば残ったところがサビの形になるだろうと考えたのだ。言うなればドーナツを作ると穴の形がわかるように。


 ちなみにソフトは高校の入学祝いの一部で買った。僕のパソコンにはディスクを挿れるところがなかったのでダウンロード版にした。


 初めは右も左もわからなかった。マニュアルはあったけれど一度に全部読むのは大変だったので、感覚的にできそうなところから操作していった。


 しばらくはソフトに振り回されてばかりだったけれど、徐々に勝手がわかってきた。


 音符一つでは高低差の違いでしかないのに、二つ以上になると途端にメロディーとして聞こえるのが予想以上に面白かった。


 僕は覚えているところから作業を進めていった。


 頭の中にメロディーがしっかりあるつもりでも、正確に音符に置き換えるのは大変だった。歌い方の調整もいくらでもこだわれてしまう。


 僕は少しずつ僕は頭の中身を外へ置き換えていった。


 やがて曲の七割くらいができた。


 それでも残りのサビは姿を現さなかった。


 夢の中から持ち帰ったつもりでいたのに、いったいどこに落としてしまったのか。


 僕は日常の音に耳を傾けるようになった。それこそその辺に僕の音楽が転がっているのではないかと疑いながら。


 そんなある日の朝、東五条駅で僕の耳が何かを拾い上げた。


「……なんかここの駅のメロディー、他と違くない?」


「急に何の話?」


 ハルミナが首を傾げて言った。


「発着メロディーが。他はどの駅でも同じなのに、ここだけ違う気がするんだ」


「そんなわけある?」


「他の駅は『ペレレレペレレレペレレレレレレレーン』だと思うんだけど、ここは『ペペレレペペレレペペペペレレレン』に聞こえる。発車する時にもう一度流れるから聞いててみて」


 ハルミナは疑わしげな顔をしながらも耳を傾けてくれた。


 電車は東五条駅を出て南六番町へ向かう。


 駅が近づくと到着を知らせるメロディーが流れた。


 ハルミナは僕を見て言った。


「嘘。本当だ。毎日聞いてるはずなのに全然気づかなかったよ」


「毎日聞いているからこそ、気づけなかったんじゃないかな」


「ちょっと待ってて。ネットで調べるから」


 ハルミナはスマホを取り出して素早く指を走らせた。


「ふうん。基本的にどこの駅でも共通してるけど、後から新設された東五条駅と十市駅だけが独自のメロディーを採用してるんだって」


「え、十市駅もなんだ。この前、確かに駅舎は新しいとは思ったけど、メロディーは全然気にしてなかった」


「駅ごとに音楽が違うっていう発想がなかったから、聞こえていても聞こえていなかったんだね」


「まるで僕がずっとベースを聞き流していたみたいに」


「それにしても今日の月田くんの耳は冴え渡ってたね。最近何かあった?」


 ボーカロイドで曲を作っていることを話そうか迷ったけれど、今はまだ言わないことにした。そもそも完成するかどうかもわからないのだ。


「たぶんアキフミさんに引き合わせてもらった影響じゃないかな」


「たぶん?」


 ハルミナが目を細めながら首を傾げた。


「いや、かなり」


「よし!」


 ハルミナは口の端を釣り上げて頷いた。


「あ、でも一点言わせてもらうと」


 ハルミナが思い出したように言った。


「何?」


「『ペレレレペレレレ~』でなくて『テレレレテレレレ~』だと思うんだよね。わたしとしては」


「いや、『テ』じゃなくて『ペ』だよ」


「『テ』!」


「『ペ!』」



   10



「おい、ツッキー。最近付き合い悪いからたまには俺に付き合えよ」


 放課後、帰る準備をしていたら星野が教室にやってきた。


「付き合いがいい時ってあったっけ?」


 学校の中ではわりと話すようになったけれど、学校の外でつるんだ記憶はない。


「つれないなあ。たまには俺と一緒に寄り道くらいしたっていいじゃんか」


「別にしてもいいけど」


「マジ?」


「なんでそんなに驚くんだよ?」


「ここんところいつ教室に来ても帰った後だったからさ」


「ああ。ちょっと家でいろいろやってて。でも今日くらいはゆっくりしてもいいかな」


 そう言ったのは、曲作りがいよいよ壁にぶつかってしまっていたからだ。


 夢で見た曲の覚えているところはもうほとんど作ってしまった。それでもサビは一向に思い出せない。あきらめるか、やり方を変えるか。どちらにしろ気分転換が必要だ。


「だったら駅前の本屋に行かね?」


「参考書でも買うの?」


「そんなわけないさ」


「断言するんだ。曲がりなりにも勉強は学生の本分ってことになってるのに」


「教科書よりも俺は漫画の方が好きだからさ」


 それはみんなそうだろう。あたりまえすぎて突っ込めもしなかった。


 僕は自転車を押して歩く彼と一緒に高校の坂道を下り、新九条駅の隣にある書店に入った。


 これといって探している本はなかったので、星野について店内を巡った。


「お、『チェンソーガン』ってアニメ化するのか」


 星野が足を止めたのは映像化の漫画を集めたコーナーだった。ディスプレイにプロモーション映像が繰り返し流されている。


「僕も知ってる。時々SNSで話題になってたやつだ」


「オレも気にはしてたんだけど、グロ描写がきつそうで迷ってたのさ。……って、あれ? なんかスタイリッシュで超面白そうじゃね?」


「あ、うん。けっこういいね」


 軽い気持ちで眺めていたつもりが、いつの間にか僕らは足を止めて予告に見入っていた。


「めっちゃヌルヌル動くじゃん。あと主題歌もいい」


 映像には主題歌が豚トロPの『共闘トゥデイ』と表示されていた。


「この曲を作っている人、ハルミナから教えてもらったボーカロイドプロデューサーだ」


「マジか。すげえ。才能の先物買いじゃん。公開は9月か。まだ少し先だな。どうすっかな。原作、今ここで買おうかな」


「いいんじゃない。盛り上がっている時に読むのが一番だと思う」


「あ、でもさ」


「何?」


「本編よりも予告の方が面白いことってけっこうあるじゃん?」


「逆じゃなくて?」


「予告って面白そうなシーンを集めて思わせぶりに作るじゃん。で、実際に見たら期待したほどじゃなかったってこと、オレはけっこうあるんだよね」


「あ、なんとなくわかる。本編がつまらないっていうより、予告が良すぎるってことだよね」


「そうさそうさ。良い音楽と映像が合わさると化学反応ヤバい」


「音楽のMVもそうなんだよ。映像がきっかけで聞き始めた曲ってけっこう多いんだ」


「へえ。なんかいいものある?」


「ある」


 それまで星野とは音楽の趣味が合わないと思っていたけれど、ひょんなことから興味を示された。僕はここぞとばかりにMVが映えるボカロ曲を紹介した。『ムーンライダー・風雲ナイター』『思春期夜行』『推しにヘッドバット』『君は水溶性』。他にいくらでも勧めることができた。


 星野は送ったMVをいくつか見て言った。


「ああ、こういうの好きさ。想像が掻き立てられて世界の広がりを感じるっていうか」


「そうなんだよ。部分的に見せることで、全体を想像させる作りになってるんだよ」


「それにしても意外だったな」


「何が?」


「ツッキーって音楽だけを好きなのかと思ってたからさ。こういうアニメっぽいのもいけるんだな」


「普通にアニメは好きだけど……」


 話している途中で僕は急にぼんやりしてきた。


「ん、どうかしたのか?」


「ごめん。星野。急用を思い出した。帰る!」


 僕は星野に別れを告げ、急いで家路についた。


 他愛もない雑談のはずだった。にも関わらず僕の中で何かが音を立てて繋がったのを感じた。


 帰宅した僕は自室にこもると紙とペンを取り出して机に向かった。


 突き動かされるようにして絵を描いた。


 僕はこれまで夢の中の曲を音を通じて思い出そうとしてきた。


 一方、夢の光景については特に気にかけてこなかった。すべて覚えていたつもりだし、わざわざ頭の外に出す必要もないと思っていたからだ。


 ハルミナから言われた言葉を思い出す。



「だって君が好きなのは音楽じゃないから」



「君は音楽よりも映像の方が好きなんだよ」



 その通りだと思う一方で、音楽だって好きだと反論したい気持ちは常にあった。それなのに何も言えなかった。僕自身、どちらが好きなのかはっきりわかっていなかった。


 でも、どちらかではなく、どちら()だったとしたら?


 僕は夢の中で見た映像を一枚一枚、描き出していった。


 絵を描くのは嫌いではない。中学の美術の成績は5だったし、周りの人たちよりは上手い自覚もある。ただし人に見せられるほどの自信はない。中途半端だ。それでも描くのは楽しかった。


 夢の中で見た映像をすべて描き終えた時、日付は既に変わっていた。夕食を取るのもお風呂に入るのも忘れていた。


 僕は夢の中を描いたイラストを一枚一枚眺めていった。


 音楽が頭の中で再生される。


 イントロ、Aメロ、Bメロ、そして行方不明だったサビが一緒に流れてきた。


 自分が何をしたいのかようやくわかった。


 僕は音楽のMVを作りたいのだ。


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