#2「刺客」【3】
レイの顔色は変わらなかった。焦りも怒りも屈辱も、フェイが期待したようなものは一つも浮かんでいなかった。
「……確かにな。そういうのも悪くはない。だが──」
レイはベルトを引き抜くと、肘から先を動かして鞭を扱うように振るった。ベルトがフェイの頭をかすめ、髪飾りをはたき落とす。たちまち触手がかき消えた。魔力の供給を絶たれた宝具は、冷たく黒い床の上でただの髪飾りに戻っていた。唖然とするフェイの豊かな乳房をレイはベルトで打ち据える。悲鳴を上げ、うめきながらフェイは背後に転倒した。レイは豪奢なベッドから下りると、両手でベルトを伸ばしながら冷ややかにフェイを見下ろした。
「その相手はおまえじゃない」
「……身の程知らずの劣等種が!」
フェイは背後に手を伸ばし、先ほど脱ぎ捨てた靴を拾った。ハイヒールの靴だった。靴底についた鋭く長いピンヒールは凶器になる。これで目を潰してやろう。いや、この長さがあれば脳まで到達するはずだ。それだけできれば充分だ。劣等種の野蛮人に、屈辱や後悔などといった贅沢品を与えるものか。一撃で決着をつける。フェイは一瞬で判断を下し、バネのように俊敏にレイに飛びかかった。凶器を握りしめた手を頭上に振り上げる。
レイは刺客の懐に踏み込み、凶器を振り下ろす白い腕をベルトで受け止めた。同時に鳩尾に膝蹴りを入れる。苦痛にうめき、くずおれるフェイ。レイは即座に刺客の背後に回り込み、凶器を握る腕を横に引っ張るように両手で掴んだ。そのまま腕と手首をひねる。フェイが苦悶の声を上げ、ハイヒールの靴が床に落ちた。レイは投げ技の要領でフェイを床に叩きつける。フェイの意識がわずかに途切れた。レイは彼女にのしかかると、もはやなんの抵抗も見せない白くたおやかな両腕をベルトで後ろ手に縛った。
「エルフは聖柱結界の影響を受けずに人間社会に出入りできる。刺客にうってつけだな」
「……いつから気づいていたの?」
「最初からだよ。あの独占欲の強いリーンが自分の代わりに誰かをここに寄越すはずがない。それにおまえの着ていた服。あれは神官のものだ。司祭のものじゃない。下調べが甘かったな」
「随分と詳しいのね……」
「知らなかったのか。聖剣の守護者とは聖教会の法王のことだ。法王は世襲制でな……、俺は聖教会の内部を見ながら育ったってわけだ」
レイは吐き捨てるように言ってから、フェイを抱えてベッドに運んだ。フェイはこれ以上抵抗しようとはしなかった。レイは半ば投げ捨てるようにフェイをベッドに仰向けに寝かせた。白い乳房にベルトで打たれた跡が赤く残っている。フェイは苦痛にうめいた。後ろ手に縛られた腕と背中が軋むようにひどく痛んだ。レイは苦悶に歪むフェイの顔をのぞき込む。
「しゃぶらせるのは歯を全部抜いてからだな」
フェイはぎょっとしてレイを見た。レイの顔は冷静そのもので、悪意や冗談でものを言っているようには見えなかった。
「噛み千切られちゃ、たまったものじゃない」
ここに至って初めてフェイはレイに対して恐怖を抱いた。この男はわたしの美貌にまったく価値を見出さない。そのような相手に出会うのは初めてのことだった。フェイは自分自身の美貌に絶対の自信を持っていた。この美貌がある限り無敵、誰もわたしを殺せない。わたしを憎む者がいても、それはこの美しさが手に入らないことが憎いだけ。微笑んで夢を見せてやれば、牙なんて簡単に引き抜ける──しかしフェイのそんな自信は、美貌がなければわたしは無価値、強く深い劣等感の裏返しでもあった。フェイにとって自分の美貌を不可逆的な形で損ねられるのは、手足を切り落とされて荒野に捨てられるようなものだった。
レイはフェイの足を割り開いた。
「助けて……お願い……」
「……こんな状況で濡れてるのか。厄介なものだな、生殖本能ってやつは」
意外にもレイの声は優しく、どこか同情的でもあった。良かった。助かった。フェイが安堵した次の瞬間、下腹部が圧迫され、首にレイの両手がかかった。