#2「刺客」【2】
「……でも、わたしの経歴は、成り上がりだとかそんな華やかなものではなかったの」
フェイは法衣に指を触れ、穏やかな声で話し始めた。レイに命じられたとおり視線は相手に据えたまま。不安も恐怖も気恥ずかしさも、何一つとして感じなかった。獲物から目を逸らす捕食者がいったいどこにいるだろう。
実際のところ、フェイが聖教会に在籍したことはない。今脱ごうとしている法衣は女聖職者の詰め所に忍び込み、奪ったばかりのものだった。聖教会で治癒術師を務めるリーンという少女が今日ここに来ることをあらかじめ知っていたから、彼女を待ち伏せして殺し、代理として訪れた。凶器は現場に捨ててきた。このまま全裸になったところで、魔王軍の暗殺者、その証拠となるものはどこにも見つからないだろう。レイの淡い碧眼に視線が吸い寄せられる。
彼が看破したとおり、この法衣は着古したもので、手元を確認せずに脱げないようでは不自然だった。それはフェイにはできないことだ。しかしフェイは焦らなかった。手の動きなどゆっくりでいい。ただ迷いがなければいい。指先に神経を集中し、焦らすように時間をかけてボタンを外し、リボンをほどく。十八年間にわたって人気の娼婦であり続けたフェイはストリップダンサーのような脱ぎ方を習得していた。
「司祭に就任するまでには長い時間がかかったわ。エルフにとっては僅かだけれど、人間にしてみれば……、そうね、もしもわたしが人間だったなら出来の悪い落伍者として終わっていたのではないかしら。こうしてあなたに手が届くこともないままに……」
「なるほどねぇ……」
レイの目がすっと細くなり、唇が僅かにつり上がった。彼のそのかすかな変化をフェイは自分の作り話が彼の心の琴線に触れたからだと解釈した。長命種の娼婦であるフェイには自信があった。嘘を真実に見せかけるための引き出しは人一倍、相手に優越感を抱かせるための話術も心得ている。身も心も丸腰の男など、たとえ選ばれし勇者といえど赤子も同然だった。
黒く艶やかな石の床に法衣がするりと落ちる。
「随分と……、なんて言えばいいかしら、厳しく躾られたわ。人間社会のことなんて何も知らなかったのにエルフの国を飛び出して、行き倒れ同然で聖教会に転がり込んだから……」
「なんの目的もなくエルフの国を出たのか?」
「アーサリア女王の方針に賛同できなかったの」
「……エルフの国で何が起きた?」
「いいえ、何も。何も起きなかったわ。エルフの寿命は短くなり、エルフ同士の交配で人間しか生まれなくなったのに、アーサリア女王は何もせず、あろうことか種の終焉を受け入れると言い出した。それが世界の決定だから、この世界に生きるすべての生命のせめぎ合いの結果だからって……。冗談じゃないわ。何もせずに死を待つなんて。聖女のような顔をしながらエルフに滅べと言うなんて。そんな女王には付き合いきれないわ」
あなたもそう思うでしょう? あなたは勇者なのだから。
フェイは靴を脱ぎながら、挑発するように微笑んだ。レイは冷ややかに答える。
「随分と俺に心を開いてくれるんだな」
「あなたに隠し事なんてしないわ」
レースに彩られた下着が音もなく落ちた。
「そちらに行ってもいいかしら」
「ああ。来いよ」
フェイの息がかすかに震えた。レイの見せた酷薄な笑みに、嗜虐心と被虐心がない交ぜになった言いようのない衝動が身体の奥からこみ上げた。この期に及んでわたしに向かってそんな顔をするなんて。フェイは穏やかな笑みを浮かべ、注意深く歩を進める。相手は丸腰だが、素手で勝てるとは思えない。慎重に間合いを計りながら、花を模した髪飾りに意識を向ける。次の瞬間、髪飾りから垂れる四本のリボンが淡いピンクの触手に変わった。触手は肥大化しながらするすると伸びていき、最初の二本がレイの足に、残りが二の腕と首に絡みつく。
「たまには犯されるのも悪くないでしょう?」
獲物を見下しながらフェイはせせら笑った。