094-ペットに餌をあげよう
「まったく、緊張感の欠片もありませんわねえ」
自分の周りをぐるぐると回って楽しそうにしている『ベビー・リッヒ』の姿を―――一週間ほど脳漿に火薬を溶かした吐瀉物めいたペースト体の餌を食し続け、大型犬程度のサイズにまで成長した『ベビー・リッヒ』……ローランの姿を見てカナリアは思わず苦笑した。
そして、その笑みを崩さぬまま横から駆け寄ってくる兵士へとダスクボウを放って殺害する。
「今はオル・ウェズアを占領してる最中ですのよ? 分かっていまして?」
足元に崩れた死体を踏み越えつつカナリアはローランの顎を撫でながら聞いてみるが、ローランは心地よさそうに目を細めるばかりで言葉が通じている雰囲気ではない……欲狩よりは多少マシなようだが、彼女もそこまで頭が良いわけではないらしい。
……そう、現在カナリアは、とある目的のために『占領:ハイラント』に続くメインストーリークエスト『占領:オル・ウェズア』に挑戦中だった。
「まあ、いいですけれども。ほら、行きますわよ」
緊張感の欠片もないローランの暢気な様子に呆れつつ、カナリアは街の一角にある施設へ向けて足を進めていく。
この手のクエストは街中に存在するシンボル的な施設で待ち構えている固有NPCを必要なだけ殺害すればクリアとなる。
そして、この『魔学都 オル・ウェズア』におけるシンボルは間違いなく『王立イリシオン学院』だ。
なので、カナリアはそこへ向けて足を進めている―――。
「まずはここ、ですわよね!」
―――訳ではない。
カナリアが最初に足を運んだ場所……それは、かつて第一回イベントで破壊し、その結果100万もの命を奪った大爆発を起こした施設と同じもの……発電設備『フィオナ・セル』が設置されている施設だ。
「敵を発見!」
「かかれっ!」
到着した途端に、固く閉ざされた扉の前に立っていた二人の警備兵がカナリアとローランへと襲い掛かってきた。
どうやら、王都と同じように地下に『フィオナ・セル』は設置されているらしい。
「うーん、ローラン。ちょっと戦ってみて下さる?」
カナリアは普通に肉削ぎ鋸で向かってくる警備兵たちを片付けようとし―――ふと、自分の横に並んでいるローランの体が、かつて擬褥の島で見たベビー・リッヒと同じぐらいの大きさには育っており、あの程度の適当な相手には負けることはないだろう、ということに気付くと、こちらに向かってくる二人の警備兵に対し嗾けてみることにした。
ローランはカナリアの言葉を聞いて数秒はぱちくりと目を瞬かせていたが、その意味を理解するや否や凄まじい速度で警備兵へと突撃していき、まずは飛び掛かって片方の喉笛を噛み千切り、残るもう一人の攻撃を持ち前の俊敏さを活かしてするりと回避すると、タックルで姿勢を崩した後にその両腕を用いて頭部を引っこ抜いて投げ捨てる。
「おお、結構やりますわね。よしよし」
もう少し勝負になるかと思っていたカナリアは、あまりにもあっさりと警備兵を惨殺したローランのポテンシャルに驚きつつ、褒めろ褒めろと言わんばかりの様子で戻ってきたローランの喉を撫でてやる。
もう片方のペットである欲狩とは違って、こちらのペットはそこそこ戦えるらしい。
「でしたらわたくしは……『召喚:欲狩』、と」
どうにも戦闘はローランに任せて問題ないようなので、カナリアは件のもう片方のペットこと欲狩を呼び出すことにした。
こちらはローランのような高い攻撃性能は持っていないが、代わりに人型の敵を永遠に拘束しながら運べるという特性があり、それとカナリアのスキル『ハートアブゾーブ』を合わせることで、その敵が死に至るまで殴れる回復アイテムにできる利点がある。
継続戦闘能力に難のあるカナリアにとって、長丁場となる今回のようなクエストでは彼らの存在は必須といえる。
「さて、行きますわよ。あなたたち!」
おーっ、と手をあげるカナリア、ぎゃあぎゃあと鳴くローラン、老人の笑い声のような奇妙な声を上げる欲狩……言うまでもないが凶暴な肉食恐竜と不気味な動く箱を従える彼女の姿は確実に悪役のそれである。
悪の女幹部としての力を着実に高めていくカナリアが地下へと続く扉を蹴り開けると、眼前に広がったのは王都セントロンドを滅亡させる際に攻略した施設と同じ光景―――無機質な一本道の広い廊下に、待ち構える大量の警備兵たち……どうにも違う街であっても、内部構造は変わらないらしい。
尤も、こんな施設の中にわざわざ入ってくるプレイヤーは早々いないので作り込まないのが普通なのだが。
「ローラン、適当に暴れてきて良いですわよ。欲狩はそこの人を捕まえてくださるかしら」
カナリアを視認するや否や、こちらへと駆け寄ってくる警備兵たちに対しカナリアはローランを差し向けつつ、とりあえず手近な一人を欲狩で捕獲。
「『夕闇の障壁』、からの『ハートアブゾーブ』!」
そしてHPを2万支払って『夕闇の障壁』を使用し、直後に『ハートアブゾーブ』を捕獲した警備兵に向かって使用することでHPを全回復……これによってカナリアは2万未満のダメージを食らうことが無くなってしまった―――当然だが、この施設の内部に2万以上のダメージを叩き出せる敵など存在していない。
というか、ゲーム中のどこを探しても早々いない……なにせまだリリースから日が浅いのだ、このゲームは。
「こんなにも大事な施設なんですもの、もう少し質の良い警備兵を配備した方がよろしいのに……」
黎明期の時点で衰退期のソーシャルゲームの如くインフレ極まった超防御力を見せるカナリアが手近な兵士を肉削ぎ鋸で切り倒しながら呟く(防御力一辺倒というわけではなく、攻撃力も普通にあるのだから余計質が悪い)。
……普段であれば他のメンバーが死に至る前に敵を倒す必要があるため、もう少し緊張感のある戦闘をするカナリアだったが、今日は死ぬメンバーが居るとしてもローランと欲狩だけであり、欲狩はそもそも死んでも新しい個体を呼び出せ、ローランも現実時間で翌日になれば何事も無く呼び出せるらしいので一切の緊張感も無く進んでいく。
「ふう、呆気なかったですわね」
流石に数が多いのでローランも多少は傷を負うかと思っていたカナリアだったが、予想以上に良い動きで警備兵たちの攻撃を回避したローランは無傷に近い状態でこの施設の最奥……発電設備『フィオナ・セル』が設置されたフロアへと到着した。
……さて、そもそもなぜカナリアはこの場所を訪れたのか?
この街を占領するにあたって、王都セントロンドと同じように『フィオナ・セル』を爆破して地上の人間を皆殺しにするためだろうか?
あるいは、そうはしないにせよ電力の供給を断つことで街を死なせ、楽に占領するつもりだろうか?
「それじゃあ、ローラン。たんとお食べになってくださいまし」
否、ローランが産まれた際に読んだ『相棒の育て方』に『相棒は口にした食べ物によって成長傾向が変わる』と書いてあったので、この発電設備『フィオナ・セル』を自らのペットの餌にするのが最良だと判断したからだ。
正気とは思えない発想の下、片手間に殺害した警備兵のリーダーらしき男が持っていたマスターキーを用いて『フィオナ・セル』が設置されている部屋に続くドアを開錠する。
命の保証は無いと甲高い音だけで告げるけたたましいアラームが鳴り響く中、ローランは一瞬カナリアの顔を見て小首を傾げるものの、カナリアが笑顔で頷けば迷いなく『フィオナ・セル』の元へと向かって行き……そして、剥き出しにされた青白い光を放つコア―――黒くブヨブヨとした皮に包まれている辺り、間違いなく妖精だ―――へとかぶり付き、そこから溢れ出た……液状化する程に濃密な魔力をごくごくと飲み込んでいく。
「立派な怪獣を育てるにはやっぱり原子力! ですわね!」
「待て、貴様! なにをしている!」
考えていた通り、ちゃんと『フィオナ・セル』を食し始めたローランを満足そうにカナリアが見ていると、そんな彼女を止めに来たらしい大量の警備兵が部屋の中へと雪崩れ込んできた。
「今更無駄でしてよ! もうなにもかもが手遅れですわ!」
完全に悪役まっしぐらな台詞を吐きながらダスクボウに装着した火薬ボルトを警備兵たちへと放ち続けるカナリア……だったが、その数が余りにも多く、一向に相手の数が減らない。
こうなればローランのおやつにと持ってきた『火薬袋(強)』を欲狩の中に詰め込んで突っ込ませるか、とカナリアがウィンとハイドラの懸念していた『自走式眷属爆弾』を行おうとした瞬間……バツン、という音を立てて施設内の灯りが落ちる。
「ちぃっ、灯りが!」
「くそっ、なにも見えない……!」
真っ暗闇の中で警備兵たちがざわめく。
灯りが落ちた時のリアクションまであるとは、本当にこのゲームは作り込まれているなあ、とカナリアは思いつつも、自分も暗闇の中ではダスクボウを当てられる自信は無いし、逆に攻撃をトリガーにこちらの位置を割り出されても困るので大人しくダスクボウを下して様子を窺う。
「ま、待て……あれは、なんだ?」
それから少しの間、警備兵たちのざわめきの声と、ぱき、ぱき、というなにかが変形するような音が響いていたが、不意に警備兵の中のひとりが恐る恐るといった様子で呟き……同時に、カナリアの背後でブゥンという音と共に青白い光が灯り、それは徐々に音を高くしながら光を大きくしていった。
その光の中で影として映り込むのは、かつてカナリアが秒殺したマグロばかり食べているダメなヤツこと『イフザ・リッヒ』―――ベビー・リッヒをそのまま大型化し、少々頭部の比率を小さくしたようなフォルムを持つモンスター―――に近いが、全く同じではない。
元々のソレには無かったサンゴ礁のような背びれが首から尻尾の先までびっしりと生えており、それが青白く光っている。
「ええと。ローラン、火炎放射?」
少々自信なさげにカナリアが呟きつつ警備兵を指差すと、ガラスを跨いだ先の部屋で『フィオナ・セル』を食い尽くして巨大化したらしいローランが、その口から青白い光を吐き出して警備兵たちを一掃する。
尋常ではない炎属性と魔法属性を有する、最早光線に近いそれは……間違っても『火炎放射』なんて生易しい技ではない。
「いえ、魔力熱線、ですわね!」
カナリアは、ぱん、と手を叩いて目を輝かせた。
魔力熱線―――火薬と脳漿で基礎的な肉体を作り上げ、『フィオナ・セル』の有する、下手に刺激されれば王都ひとつ吹き飛ばしてしまう膨大な魔力を飲み干して異常進化を遂げた『イフザ・リッヒ』……ローランの放つそれは、そう呼ぶのが相応しいだろうと考えて。
「やっぱり怪獣育てるなら脳漿と火薬と原子力が一番ですわ!」
いったいどういう人生を歩めばそういう発想になるのか分かったものではないが、確かにただの恐竜であったイフザ・リッヒを熱線を吐く見事な怪獣に育てたカナリアが腕を組みながら大きく頷く。
「では、仕上げと参りましょうか! ローラン!」
すっかり成長しきった巨躯を見上げながらカナリアが微笑むと、それに答えるようにしてローランはドロドロに溶けたガラスを飛び越え、続けて突入しようとしていた警備兵たちを壁や床の染みにしながら外へ向かって直進していき、カナリアはそんなローランの後ろを元気に走り回る犬でも見つめる表情で追いかけていく。
平和な魔学都に突如現れた熱線を吐き散らす巨大なイグアナとテロリストが向かう先は、当然ながら落とせば勝利となる建物……『王立イリシオン学院』である。
その巨体と熱線で道中の兵士たちを惨殺しながら進むローランのお陰で目的地に辿り着くのに数分も要さないだろう……。




