009-大鰐の洞窟 その2
恐ろしい獣の唸り声のような低く大きい不気味な音を立て下がった扉……その先に広がる部屋は青白い光に満ちていた。
どうやら、この部屋に群生している苔が放つ光は他のものよりも明るいようだ。
そして、部屋の奥にある池にはその苔が群生しているらしくより一層の輝きを見せている。
カナリアは部屋の奥にある青白く輝く池の神秘的な雰囲気に一瞬目を奪われるが、突如として池の水面が大きく波打ち、その底から大きな顎を持つ巨大な何かが姿を見せたことで気を取りなおし、殺爪弓を構えながら『夕闇の供物』でHPを7800支払って『獣性の解放』を使用する。
カナリアが迅速かつ無慈悲に蹂躙の準備を進める中、完全に姿を現したその大鰐の名は〝グロウクロコダイル〟。
この『大鰐の棲家』の主であり、その全身に苔の衣を纏う鰐達の女王だ。
その巨躯にまとわりつく水をブルブルと体を振るって落とし、額に持つ冠替わりの三つ目の瞳が見開かれたかと思えばぎろり、とカナリアを捉えて2秒後には大矢に撃ち抜かれた。
カナリアの戦いに開戦のゴングはない……あるのは命が消える音だけだ。
「まずは一発! では続いて……ヌゥウウウンッ! 破ァ!!」
たまらず悲鳴を上げて仰け反るグロウクロコダイルの喉元へと再び殺爪弓により大矢が撃ち込まれる。
……『夕闇の供物』と『獣性の解放』を組み合わせ、そのHPを200だけ残して全てSTRへと変換した現在のカナリアのSTRは39。
それはカナリアのレベルを考えればSTR以外にほとんどステータスポイントを振り分けていない状態の2倍であり、いくら恐ろしい大鰐の姿をしているとはいえ、所詮は初心者御用達な序盤のボスであるグロウクロコダイルを蹂躙するに十分な値だ。
そして、殺爪弓は使用者のHPが少なければ少ないだけ攻撃力を上げていく血に飢えた大弓であり、攻撃力の算出においてSTRを偏重する……ということで、『獣性の解放』によってSTRを上げて『夕闇の供物』によってHPを削ったカナリアが扱うとなれば、その威力はカナリアのレベルには不相応な数値にまで跳ね上がる。
よって、その一撃でグロウクロコダイルのHPの4割超が削られるのは当然だった。
そしてこれは既に二撃目、グロウクロコダイルのHPはもう2割を切っており息も絶え絶えだ。
「まだまだ! ヌゥウウウンッ! 破ァッ!!!」
だが、自身の与えているダメージの異常さに気付いていないカナリアが、いささか男らしすぎる掛け声と共に三本目の大矢を問答無用で放ち、再びグロウクロコダイルの喉を貫く。
それは当然ながら彼女にとっての致命傷となったようで、僅かな静寂の後にグロウクロコダイルは肉体を黄金色の粒子に変えて崩壊していく。
「えっ、よわ」
目に見えて死に至るグロウクロコダイルの姿を見てカナリアが呟く―――瞬間、彼女の脳裏に駆けていくのは今までの強敵たちとの戦い。
落下死させねばならなかったレプス。
聖竜騎士団と一般村民とナルアをぶつけなければならなかったゴアデスグリズリー。
その両者と比べ、あまりにもグロウクロコダイルは簡単に死に過ぎた。
故に、彼女が思わず呟いてしまったのは仕方がないだろう。
『称号獲得:名射手、スピードデーモン、恐れぬ者』
グロウクロコダイルが光の泡となって消滅する中、カナリアの耳に聞き慣れてきたシステムボイスが響く。
あまりにもあっさりとボスが死んだことから、グロウクロコダイルが前座かなにかであり、ここからが本番なのではないか……と、若干の警戒心を抱いたカナリアは、ステータスウィンドウを表示しながらも奇襲を心配して周囲へ視線を走らせる。
だがどうか安心して欲しい。
グロウクロコダイルは順当かつ完璧にこのダンジョンのボスであり、見事に死んでいる。
■□■□■
名射手
:恐るべき敵を冷静に撃ち抜いた者へ与えられる称号。
:ボスモンスターを射撃武器のみを使用し、攻撃回数5回以下で撃破する。
:スキル『八咫撃ち』を習得する。
スピードデーモン
:恐るべき敵を迅速に撃破した者へ与えられる称号。
:ボスモンスターを単独かつ1分以内に撃破する。
:スキル『加速』を習得する。
恐れぬ者
:恐るべき敵を恐れなかった者へ与えられる称号。
:ボスモンスターを単独かつ回復せずに、なおかつHP5%以下で撃破する。
:残HPが5%以下になった時、HPとMP以外のステータスを+Xする。
:Xはレベルを3で割り、5の倍数になるように切り捨てた数字に等しい。
八咫撃ち
:射撃武器で攻撃を行う際、その攻撃のコピーを威力を+X%した状態で2度放つ。
:Xはコピーした回数の20倍に等しい。
加速
:MPを消費することで高い敏捷性をX秒間得ることができる。
:Xは使用したMPを50で割った値に等しい。
■□■□■
「えっ、STRに引き続き敏捷性の上昇までできちゃいますの? これはもう本格的に全ポイントHPに振って良さそうですわね」
今回獲得した称号や習得したスキルを確認し終えたカナリアは、言いながら無情な鰐狩りやグロウクロコダイルの射殺によって上昇した4レベル分のステータスポイントをHPへと全て振り、そのHPを8000から10000まで上昇させる。
本来であれば、HPというステータスはありとあらゆる面で伸ばすメリットが薄いステータスであり、これをどれだけ削れるかで強弱が別れるといっても過言ではないのだが、レプスよりHPを代償にしてMPを補填するスキルを簒奪したカナリアに関しては一概にそうとは言えず、結果として果てしなく歪んだキャラクターへと成長しているのだが……この場にそれを指摘する者はいない。
「……では、今日はこの辺りで終わりにしましょうか」
命を代償として怪物めいた性能を得ることが出来る、謎の変態ビルド道を知らず知らずのうちに進むカナリアは結局奇襲もなにもなく、あっさり死んだだけだったグロウクロコダイルに少々拍子抜けし……ログアウトのため、自らが滅ぼした村へと戻ろうとする。
「あら?」
が、入った時には存在していなかった宝箱が部屋の中央に出現していることに、そこで気付いた。
どうやら戦利品はまだあるらしい……しかし、カナリアの表情は微妙そうだ。
「うーん、あれだけ弱いボスなら期待はできなさそうですわね……」
宝箱を足で蹴り開けながらカナリアがぼやく。
……確かに、そもそもとしてグロウクロコダイルは初心者御用達ダンジョンのボスであり、その攻撃力以外には特に脅威となる点もない弱いボスである。
カナリアが完全に存在を忘れ去りスルーしている、普通であればレプスと共に潜ることになるチュートリアルダンジョンの最奥に出現するアイアンゴーレムを除けば間違いなく最弱のボスといえるだろう。
しかし、カナリアは弱いとはいえボスを『単独』かつ『攻撃回数極小』で、更に『超短時間』な挙句に『適正レベル範囲内』で撃破している。
それは、ゲーム側がカナリアの戦闘を高く評価するのに十分に値する条件であり、このゲームのボスドロップの内容はこういった評価により左右され……尚且つ、その評価が開発陣によって設定されてたスコアを最初に超えた者には相応の品が用意されているのだ。
「……中身は、装備一式と、ノコギリ? いえ、マチェット? うーん」
例えば、強力な装備品などが。
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肉削ぎ鋸
基本攻撃力:450+X
STR補正:-
DEX補正:-
INT補正:-
DEV補正:-
耐久度:300
:STR・DEX・INT・DEVの元々の数値の10倍だけ基本攻撃力は低下する。
:譲渡・売却不可
:Xはレベルの2倍に等しい。
捕食者の防具
基本防御力:20+X
耐久度:300
:与えるノックバックを少々強力にする。
:譲渡・売却不可
:Xはレベルの1.5倍(小数点以下切り捨て)に等しい。
■□■□■
「えっ、つよ」
手に入れた装備品の性能を目にしたカナリアが真顔で漏らす。
単純にレベルアップによって基本防御力を上昇させる『捕食者』装備は勿論のこと。
本来であれば、その性質上表記よりも攻撃力が低くなり、典型的な『カタログスペックだけが高い武器』となるはずの『肉削ぎ鋸』も、『夕闇への供物』の存在によってSTR・DEX・INT・DEV全てが0という歪み切っているカナリアのビルドならばカタログスペック通りの性能を発揮し、片手で扱える武器としては異常なまでの攻撃力を誇っており、間違いなく強力である。
ゲーム初心者のカナリアだったが、これを見ては流石に『ヤバいものを手に入れたかもしれない』と心の中で思ってしまう。
そしてそれは間違いなかった。
「と、とりあえず試着を……おおおおおっ! おっ!? お、おぉ!? おおお!?!?」
とはいえ、周囲を気にして手に入ったものを態々使わないような性格はしていないカナリアは、はやる気持ちを抑えつつ、インベントリを操作して聖竜騎士装備から捕食者装備へと着替え、ロクに使われていない陽食いから肉削ぎ鋸へと武器を変え……そして、なんとも頭の悪そうな声を上げながら、とある理由により部屋の奥にある池へと向かっていく。
その理由とは―――。
「めっっっちゃ胸元開けますわね!?」
―――軽く自分の姿を見まわしただけで、捕食者装備が大変露出度が高めな装備であると察せたからであり、水面に反射する自らの姿は実際大変露出度が高い装備を身に着けていたので、カナリアは顔を真っ赤にして思わず叫ぶ。
形状は非常にボディコンシャスなワンピースであり、その上に黄昏装備に引き続き防具としての役目を果たしてるのかどうか疑いたくなるほどに非金属面積が広く、その大半が黒革。
そして極めつけには胸元と背中がバックリと開いており、ここが現実世界ならば、イベントもなにも無いのにこんな格好をしていれば最悪警察沙汰も免れないだろうし、鎧として見ても本来であれば一番守るべきである心臓を『ここを撃て!』と言わんばかりに前後共に思いっきり曝け出している致命的な欠陥を持っている。
更にスカート部分のスリットも腰上まで入っており太股もノーガードだ。
「おっ、お、おぉ……おぉお!?」
間違いなく日常生活で身にすることがないレベルの露出度、間違いなく防御力を期待できないレベルの露出度(ただし防御力は高い)、それを自分が着用しているという現実にカナリアの脳はチンパンジー程度まで低下する。
いや、最早水面に映る自分の顔を外敵だと思って威嚇する犬に等しいだろう。
「こ、これで人前に出ますの……!? いや、でも、性能は高そうですし……け、けれども、さ、流石にわたくしが着るには大人っぽすぎるのでは……」
そして流石のカナリアも、この格好で人前に出るのは勇気が必要だった。
当然だ。
残虐非道な殺戮行為から忘れられがちだが、カナリアは花も恥じらう16歳(今年で17歳)の少女……肌を見知らぬ人間の前で大きく露出することには当然抵抗がある。
「ゲームの中とはいえ、流石に流石に……うん!? ゲーム!? そうですわ、そうですわね! ゲームの中ですもの! むしろ現実では出来ない格好を楽しむのもアリでは!? アリですわねえ!」
だが、その抵抗は残念ながら一瞬で消え去り、ぱん、と手を合わせてカナリアは満面の笑みになる。
当然だ。
残虐非道な殺戮行為を見ればお分かりいただける通り、この少女は〝ゲームの中だから〟の一言でNPC相手に対する残虐行為の後ろめたさを捨て去れる恐るべき少女……人前で肌を露出する程度のこと、容易い。
「……え!? というかお待ちになって!? わたくしの髪色、レプスめいた廃棄汚染水色になってませんこと!?」
ほんの十数秒で胸元と背中を信じられないぐらい開け放った装備の抵抗感を克服したカナリアは、水面に映る自らの髪の色がレプスと同じような黒に黄昏色のメッシュというファンタジック極まりない髪色になっていることに今更気付き、そして相変わらずな罵倒を浴びせる。
別にそこまで汚い色ではないはずなのだが……。
「寝る前に染髪! 染髪ですわーっ!」
相当レプスと同じ髪色が嫌なのだろう……カナリアは慌てた様子で駆け出す。
目的地は勿論のことながらハイラント。
他のプレイヤーに聞き込みをし、この呪われた髪色から逃れなければならないのだ。
この後、過激な装備で染髪の方法を聞き回るお嬢様口調の謎の不審者がハイラントに出没し、一部のプレイヤー達の間で話題となったのは言うまでもないだろう。