084-慣れが人を殺す
「いやそうはならんだろ」
クリムメイスがキャラも忘れて真顔で否定する。
「自分がこうならなくて良かったとしか思えないわね」
ハイドラが真顔で腕を組む。
「あなたの種族は思春期の身体の変化が大きくて大変ですわねぇ……」
カナリアが興味深そうにウィンの腕を観察する。
……触手が生えているとか、触手状の武器を装備しているとか、そういうものじゃない……肘辺りから三本に分かれた触手に変形してしまっている。
「ったく、なにをどう入手したらそうなるのよ……ほら! 称号とかスキルとか見せてみなさい! 次の犠牲者が出ないように!」
「いやあ、みんなは大丈夫だと思うけどなあ……はい」
喜ばしいことにまだ人間と同じ形状をしている左手を使って、ウィンは自らのステータス画面を表示し、クリムメイス含む三人へと見えるように向きを変える。
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叡智【深海】
:数多くの『至花』の脳を食らった者に与えられる称号。
:10体以上の『至花』を『脳吸い』にて撃破する。
:スキル『妖肢化』を入手する。
妖肢化
:発動から死亡するまで、右手の装備ごと右腕を高次元の妖精へと近付ける。任意で解除可能。
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「なにやってんのよ! 自分からバケモノに近付いてどうすんの!!」
そしてそれを見たクリムメイスは思わず絶叫してしまった。
なんということだろうか、ウィンがこの様な身体になったのは事故ではないらしい。
いや、こんな身体になろうとは思っていなかったのではあるのだろうが、なにか別の存在になろうとしていたのは明白だった。
「いやあ、オルフィオナを『脳吸い』で倒した時に『妖体化』が手に入ったからさあ……こういうの相手だと……試すじゃん?」
「自分から人間やめに行くつもりなら試すね、確かに」
えへへ、と照れ臭そうに後頭部を掻くウィン……そして、そんなウィンに呆れたような目を向けるハイドラ。
……最初に『妖体化』を手に入れた時こそ、その悍ましい外観の変化に戸惑いと忌避感を感じたウィンだったが、数々の『妖体化』を経て、その力によっていくつもの窮地を抜け出し、最早『妖体化』を拒む気持ちは完全になくなったらしい―――どころか、求めるところまであるようだ。
……身も心も染まる、とはこういうことを言うのだろうな、と思いつつ……ハイドラはハイドラで自分も毒に魅入られないようにしようと決意を固くするのだった。
「でもこれ実際どうなんですの? テキストを見るだけでは効果のほどがちょっと分かりませんわ」
「あ、うん! めっちゃ凄いよ! 見ててね~……」
後輩の右腕が触手と化したことはそこまで気にならなかったらしいカナリアの疑問に対し、ウィンは実演で答える気らしく、その右腕を後ろに引き―――。
「そぉれ!」
―――そして勢いよく振るう。
瞬間、触手は爆発的な伸びを見せ……長いリーチで知られる武器である『槍』、槍よりも更に長いリーチを誇るが、あまりの長さ故扱いが難しい武器である『長槍』……それすら軽く超える範囲を攻撃してみせた。
「ってな感じ! 流石に魔法よりは射程短いけど……でも十分! これで攻撃のチャンスが増えるじゃん!」
しかも『炎霧の剣』使ってるから炎属性だし、普通に蒸気も出せるよ! なんて言いながら赤熱する触手から蒸気を噴出して見せるウィン。
あの腕で掴まれた人間は死は免れないだろう……どうにも彼女は未完成であった六番目の『騎士』こと【無限】の完成形となる気らしい。
「『雪嵐』での物理超デバフに視界の悪化、『炎霧』でのスリップダメージに加えて、従来通りの魔術に物理ダメージをそのまま足した結晶魔術、そんで『妖体化』による身体能力の向上に、『妖肢化』による攻撃範囲の確保……ヤバいわね?」
嬉しそうに触手をうねらせるウィンを見て、思わずクリムメイスが苦笑を浮かべる。
……確かにウィンは魔法ダメージへの耐性を持つ相手に強く出れない部分、その耐久度の低さによる近接戦闘への適性の無さが弱く、現状遭遇する敵の多くが魔法ダメージに耐性を持ちつつ、距離を詰めてくる相手のため実力を発揮できていないが、間違っても決して弱いプレイヤーというわけではない―――。
「えへ、みんなどんどん強くなっちゃうし、頑張って追い付かなきゃ、じゃん!」
「いや頑張る方向性考えなさ過ぎだから」
―――だのに、環境のせいで実力が足りていないと錯覚してしまったウィンは怪物の脳を啜ってまで自らの力を高めようとしており、結果として着実に怪物が育っている……ハイドラは思わず溜め息をひとつ吐いた。
……いや、まあ、確かに、結果だけ見るならばウィンは扱いやすいMP消費の無い中距離攻撃を手に入れ、道中でも戦いやすくなっただけなのだが……如何せん外観が酷い。
「偉いですわよ! ウィン!」
「そんでカナリアは雑に褒め過ぎだから」
そして、そんな彼女を間違った方向へとどんどん突き進ませている原因であるカナリアへもハイドラはツッコミを入れざるを得なかった。
本来であれば間違った方向に進んでいく後輩を正しく導くのが先輩である彼女の役目のはずなのだが……そもそもとして本人が王都を爆破して喜んでいるテロリストなのだから、そんな期待は無意味である。
「ただちょっと、操作がちょっち独特で慣れるまで大変そうなんだよね、もっと色々出来るみたいなんだけどぉ……」
言いながらウィンは器用に触手三本をそれぞれ違う方向に動かしたり、その先端を更に三つに割り、中から『脳吸い』をする際に使用している器官と同じものを出したりする。
それを見てカナリアは凄いですわ凄いですわとはしゃぎ、ハイドラとクリムメイスは素直に引くしかなかった。
「まあ、いいや……あたしが気にしてもどうしようもないし……ボス倒して帰ろう? これ以上ウィンが人を捨てる前に……」
はあ、と溜め息をひとつ吐きながら奥へと進むことを提案するクリムメイス。
そう、気にしても仕方がない……もう触手になっちゃってるんだから。
それに、見た目さえ考えなければ便利な中距離攻撃手段に過ぎないだろう、鞭みたいなもんである、腕が変形しているだけで……。
ともかく、こうして、人様に見せられないようなパワーアップを果たしたウィンを引き連れ『クラシック・ブレイブス』の一行はこのダンジョン……『啓蒙の海』の最奥地へと到達する。
そこは桟橋だ。
今までは左手側に広がるだけだった海が四方八方に広がり、いかにも巨大な何かが現れそうな雰囲気を醸し出している。
「海、かあ……なにが出るのかな……」
左手の杖を前に突き出し、触手となった右腕を後ろに引く独特のファイトポーズを取りながらウィンが独り言ちる。
「タコですわね」
「タコね」
「タコでしょ」
そんなウィンの姿を見たからだろうか、全員が満場一致でこのエリアのボスはタコであると想像し……、まるでそれに答えるかのように、海中より無数の触手と八つの緑色に光る怪しい瞳を持つ巨大な怪物がゆっくりと姿を現す―――。
【 輝 海 軟 体 怪 獣 ツ ナ ー バ 】
―――その名はツナーバ。
少々モチーフの分かり辛かったオングイシエとは違い、目に見えてモチーフが分かる。
タコだ。
「タコだーっ!」
タコを見つけた右腕がタコの少女ことウィンがタコだと叫ぶ。
うん、実にタコだ。
「タコですわね」
「タコね」
「タコでしょ」
やはりタコだったか、と残る三人は自らの想像が的中したことを悟り、クリムメイスが最前列、間にウィンとハイドラ、最後尾にカナリアといういつものフォーメーションを組む。
一見するとカナリアを前三人で守る陣形に見えるが、実際はカナリアもカナリアで障壁によって高い防御性能を誇っているので、これは前後両方の攻撃から中二人を守る陣形だ。
本体に合わせて無数の触手も海面から顔を出しており、目に見えて複数の方向から攻撃を仕掛けてくるであろうツナーバと相対するのに適した陣形といえる。
「とりあえずお決まりの……破ァ!」
「あたしも! 『雷・槍』ッ!」
まずはこれが『クラシック・ブレイブス』流の挨拶だと言わんばかりの様子でカナリアが殺爪弓を、クリムメイスが『雷槍』をツナーバへと放つ。
それは見事綺麗にツナーバの顔面に激突し、確かにダメージを与えた手応えを感じさせるエフェクトを散らし……そして、僅かだけHPが減る。
「まーた固いですわよ! ウィン!」
「通るかな……! 『クリスタルランス』!」
自分とクリムメイスの遠距離火力では(少なくともHPを使わないことには)ろくなダメージを与えられないと察したカナリアがウィンへと指示を出し、ウィンは自らの攻撃で最も火力があるが、『妖精』関連のものへは著しく与えるダメージが落ちてしまう魔術『マジックランス』を晶精の錫杖によって『結晶化』して放ち……これも命中。
先程の二発よりは確かに多く、だがこれもまた僅かにしかHPを削れない。
「単純にHPで耐えてるってワケ、面倒なやつ!」
三種の遠距離攻撃、そのどれもが然程違い無いダメージしか与えられなかったことに気付いたハイドラが苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
どうにもツナーバは防御力や、属性への耐性によって固さを得ているタイプではなく、その膨大なHPで攻撃に耐える……言ってしまえばカナリアのようなタイプの耐久性の高さを誇るボスのようだった。
尤も、カナリアに関しては単純な防御力も異常に高いのだが。
「っていうことは、つまり……こうでしょ! 『天候操作:炎霧』!」
しかし、そういった存在に強いだろうと考え『天術の導書』を手にしたウィンは、ここぞとばかりに天候を『炎霧』へと切り替える。
晶精の錫杖より赤い球体が天井に向けて放たれ、文字通り身を焦がすような日照りと、肌に纏わりつくような濃霧が立ち込めた。
「リアルだったら自死も厭わないレベルね、この天候……」
ゲーム内故に暑さが肌に纏わりつくような不快感を感じることはないが、実際現実でこんな天候に見舞われればハイドラが口にしたとおり、外を歩いていれば死は避けられないだろう。
「スリップダメージは毒と同じで3秒に2%だから、150秒耐えれば勝ちっしょ!」
だが実際のところ、死に至ることに関してはゲームの中でも変わりはなく……この天候下では耐性を持たない存在は150秒でHPが尽きてしまう。
そして、それはツナーバやカナリアのような膨大なHPを持つ存在であっても変わりはしない。
「え、わたくし30秒毎に5000ダメージも受けるんですの」
「そうですわよ」
そう、カナリアとて変わりはしない。
30秒ごとに高レベルプレイヤー1人が死ぬ程度のHPが減っていく現実にカナリアは目を剥き、それに対しクリムメイスが無慈悲な首肯を返す。
普段こそ、その膨大なHPとそれを莫大なMPに変換した高出力のスキルで暴力の限りを尽くしてきたカナリアだが、こういった割合攻撃などは天敵と言えよう。
「まあ互いに受けるダメージの割合は同じだし、回復できる分こっちのが有利よ」
「それはそうですけれども……」
実際には3秒毎に500ずつ減るだけなので25000ものHPを持つカナリアからすればそこまで大きな数字が減っているようには見えないが、30秒経てば高レベルプレイヤーが1人死ぬ事実は変わらず、それを防ぐためにはカナリアは自前で30秒毎に高レベルプレイヤー1人を全回復させなければならない。
クリムメイスのようにDEVに振っているならまだしも、HPしか振っていないカナリアにその要求は少々酷と言わざるを得なかった。
「それに、このクリムメイス様がいるんだしね! 『大再生』!」
といったところで、ふっふん、と無い胸を張り、持続的にHPを回復する信術―――『大再生』を使うクリムメイス。
そう、その性格から忘れがちではあるが、クリムメイスは回復までこなせる実に堅実な万能型のビルドをしており、そんな彼女の手に掛かれば30秒毎に5000程度回復するのは易く、別段問題とはならない。
「それじゃあ、後は適当に凌ぎながら待つだけだね!」
楽勝! ―――なんて、ウィンが口にしようとしたその時。
沈黙を決め込んでいたツナーバが『クラシック・ブレイブス』を囲むように伸ばしていた触手から突如として黒い霧を噴出し、『クラシック・ブレイブス』の面々は特になんの反応も出来ずその黒い霧に飲まれてしまった。
「墨まで吐いて本当にいよいよもってタコ―――ああっ!?」
「ど、毒じゃんこれ!」
そして、その霧に飲まれた『クラシック・ブレイブス』の面々は『毒』の状態異常を示すアイコンがステータスに表示されていることに気付き、自らが相対する相手もまた、自分達と同じように相手が割合ダメージで死ぬまで適当にいなし続ける戦術を取ろうとしていたことを理解し、ツナーバのその膨大なHPの理由も察する。
「って、ちょっと! リジェネ解除されてるじゃない! 嘘でしょ!?」
「このままじゃ単純に2回死なないと勝てませんわね……!」
加え、最悪なことに自らが先程『大再生』を使用して付与したはずのリジェネ効果が打ち消されていることに気付いたクリムメイスが焦った様子で叫び、一番影響の大きいカナリアが顔を引き締めて得物を構える。
『毒』を付与され『大再生』を打ち消されたとあらば、カナリア達は3秒毎に4%ものHPを奪われ、結果、カナリアは3秒毎に都合1000ダメージを受けることとなり、それは流石のクリムメイスとてカバーし切れない。
……そんな、目に見えて顔色を変える『クラシック・ブレイブス』の面々を見て管制室の田村は思わず高笑いを上げた。
これは勝てる! 勝てるぞ……! 流石は俺の自信作、ツナーバだっ!!




