081-戦場を探す老兵達
「アメンボ」
グレーのハンチング帽を深々と被る老いたプレイヤーが、テーブルの上に広げられた地図の上に蜘蛛の玩具を置く。
そこは以前にクリムメイスが訪れた、この地獄の水辺狩場争奪イベントが始まる以前は『観光勢』と呼ばれる者達しか知らなかった憩いの場だ。
「今や激戦区だよ。俺らみてえな老いぼれが入り込む隙はねえな」
地図の上に蜘蛛の玩具を置いたプレイヤー……マツの言葉に対し、タケは剥き出しの肩を竦めながら首を横に振った。
あの湖に、かつての静けさはもうない……あるのは水着、水着素材、ポイントを求め湖虫を殺すべくシロガネを構える大量のプレイヤー達の絶叫と雄叫びだけだ。
「そうか……それじゃあオアシスは?」
マツは続いて醤油鯛を地図の上に置く。
その場所はハイラントの南西に位置する『眠らない街 ギリナイオール』の前に広がる広大な砂漠の一点、大きな湖と数少ない緑が存在する場所だ。
巨大な体躯を持つサンドワームの存在から砂漠エリアが攻略不能に思われていた当初こそ何十人に一人だけが辿り着けるような本物のオアシスだった場所だが、シロガネの流通によってデカくて動きの遅いサンドワームはレベリング効率の良い美味しい敵と化してしまった今となっては、多くのプレイヤー達で賑わっている……わけでもない。
オアシスにはとある理由から普段は人が集まらないのだ……だからこそ、とマツは考えたが……。
「もっと酷ェ。キリカ一行が出やがる」
「それはダメだね」
そんなマツの考えを甘いと一蹴するように、タケがマツの醤油鯛を弾くように虎の玩具を置く。
……そう、オアシスはPK可能エリアであり、イベントの特殊ドロップの対象となったことで賑わいを見せ、また同時に他の狩場と違いPKが可能なことが原因で凄惨な殺し合いの場と化していたのだ。
しかもそれだけではなく、哀れなサイタマン同士の殺し合いで満ちた血の臭いに引き寄せられ、人を撲殺することに異常なまでの快楽を覚えているらしい恐るべきプレイヤー『キリカ』と、その彼女を長とする連盟『黒三華』が出没するのが何より最悪であった。
「どこもかしこも混雑していて、いやあねえ」
「王都のほうは空いてるみたい。いっそ、頑張って王都に行けるようになったほうが早いかも」
男二人の会話を聞いていた女性陣の内、古風な貴婦人といった格好の老婆……マドはやだやだと頭を振り、マドと対照的に庶民的なローブに身を包んだウメが地図の上にティラノサウルスの玩具を置いた。
そこは『魔学都 オル・ウェズア』と『王都セントロンド』を隔てるように連なる山脈の中で、唯一プレイヤーが徒歩で渡ることが出来る場所であり、またハイラントからオル・ウェズアへと渡る際に障害となった『雪原』の『雪鹿』と『雪嵐の王虎』を上回る難敵『蛮竜』の棲家でもある。
「うぅん……蛮竜、か……」
マツは思わず顎を撫でた。
自分達『松竹梅を見る会』の実力は決して低くはない……第一回イベントでこそカナリアとウィンにいい様にやられて第二戦敗退とはなったが、あれから着実に研鑽を積んだ今ならば(少なくともあの時点の)あの二人には絶対に負けないと言い切れる自信さえある。
だが、だからといって『蛮竜』を超えられるかといえばそれは少々違う。
『蛮竜』はその猪突猛進そうな名前とは裏腹に、視界の悪い森の中でヒット&アウェイをひたすらに繰り返してくる狡猾なモンスターであり、きちんと対策をして正面突破をすれば良かった『雪嵐の王虎』とはまた違った難易度の高さをしている。
「けど、なんとしてもマコトちゃんのために『火薬の設備』は押さえてえし、チャレンジするのはアリかもなあ」
「私のため、だけならば無理なさらなくても大丈夫ですよ」
真剣に『蛮竜』に挑むことを検討し始める四人の前に、ことり、ことり、と緑茶(のような何かだ、緑茶ではない)が少女の手によって給仕される。
老いたプレイヤー達ばかりのこのギルドにおいて、唯一の若年層である彼女こそはタケが口にした『マコト』であり、この連盟『松竹梅を見る会』に所属する生産職のプレイヤーだ―――さらりと流れる腰までの長い黒髪が目を惹く。
ちなみに、マツが用いる『刀』はこの少女が持つ『刀鍛冶』という奇妙なスキルによって作られたものでもある。
「そうは言うがなあ、せっかく頑張って俺達の装備作ってくれてんだから、少しは恩返しをさせてくれよ」
「そんな、恩返しだなんて……私なんかが作った装備を使ってくれているだけで、私は十分幸せですから」
ぱたぱたと手を振りながらマコトが微笑む。
……なんと謙虚で健気な少女だろう、うちの孫もこれぐらい可愛ければなあ、と、思わずといった様子でタケがぼやく。
「マコトさん。ダメよ、あなた。女は謙虚なだけじゃ……男はそういうところにどんどん甘えてダメになっていくんだから、フフフ……」
「違ぇねえ! ……まッ、だからってこんな業突張りになっちゃ貰ってくれる男も居なくなっけどな! ハハハ!」
「ちょっと、タケさんってば! まったくもう、言い方ってものがあるでしょうに」
マドがタケを遠回しに名指しで弄り、それに対する少々デリカシーに欠けたタケの言葉をウメが軽く咎める……いつも通りの『松竹梅を見る会』の光景。
それを見てマコトはくすりと笑う。
……やっぱり、恩返しなんて必要ない、こんなにも幸せそうな光景を見られるなら。
「だけど、まあ。正直なところマコトちゃんへの恩返し、っていうのを抜きにしても『火薬の設備』が欲しいのは事実だ。どうにか現状を打開しないと」
「……つっても、大したことできねえよ。『蛮竜』越えか、『キリカ一行』討伐か、どっちかだ」
しかし、それはそれとして、普通に手持ちの『設備』は多い方が良いのは間違いはなく。
なんとかして『火薬の設備』を手に入れたいと考えるマツの言葉に対し、タケが返すのは二択だ―――竜か、虎か……。
「『蛮竜』はともかくとして、キリカさんとやらに勝つ算段はあるのかしら?」
「……少なくとも一回は。けど、勝ち続けられるかは怪しいかな。キリカちゃん……の後ろに居るルオナちゃんが厄介なんだ」
マドの問いに対し、再び顎を撫でながらマツが答える。
……そう、彼女たちに対し少なくとも一度は勝てるとマツは踏んでいるし、もしも相手取るのがキリカだけなのであれば勝ち続けることも出来ると考えている。
確かにキリカは、並外れた反射神経と身体捌きによるクロスレンジでの超高速戦闘が脅威となる相手だが、アリシア・ブレイブハートがそうしていたようにリーチ外へと逃げ続ければ動きを制限できる。
しかし、問題となるのはキリカの後ろで構えているルオナという少女だった。
ひたすら前に出るキリカと違い、後ろから相手を観察し続けるルオナはアリシア・ブレイブハート戦でもそうしていたように相手を真似るのが上手い。
そして相手を真似るのが上手いということは、弱点を見抜く速度も尋常ではないということになるし、なによりルオナはキリカにとって理想のスパーリング相手となれる。
であれば、一度は勝てたとして、見せた自分をほぼ完璧に真似る相方を相手に練習を積んだ二戦目がどうなるかは分からない。
「XXって子も強いぜ、人間やめてるタイプだ」
更に言えば『黒三華』は名前の通り三人居るのだ―――キリカに、ルオナに、XX。
XXは、その幼い身体に見合わぬ憎悪と大剣を背負った復讐の戦士であり、尚且つ、どこぞのウェズア学派の偉大なる叡智の権化たる高次存在と同じで肉体が人間のものではない。
情報が錯綜していてどこまでが本当なのかは分からないが、とりあえずほぼ確定となっている情報としては腕を斬り落とされるとパワーアップするのだとか……いったいどこでどんな鍛錬を積めばそうなるのだろうか。
「それじゃあ、やっぱり『蛮竜』ですか?」
「かなあ……、心臓に悪そうでイヤなんだけどね」
トレイを抱えて小首を傾げたマコトに対し、マツが苦笑しながら告げる。
やはり常に成長し続けるプレイヤー相手よりは、定められた一定の強さからは変わらないモンスターのほうが楽だろう、と。
「本当はタンクが見つかってから行きたかったんだけどよ」
なかなか見つからんもんだね、と肩を竦めるタケ。
そんな彼は知る由もない……今こうして厄介な相手として挙げた『黒三華』のうちキリカとルオナがそのポジションに入る可能性が僅かながら存在していたという事実を。
そうなっていれば、きっとこんなにも悩むことはなかっただろう。
「号外号外ごうがーい! スピーディに仕入れた素敵な情報をお持ちしましたよーっ!」
それじゃあ、竜殺しといこうか―――と、四人が立ち上がりかけたその瞬間、拠点のドアが凄まじい勢いで蹴り開けられた。
スピーディに仕入れた素敵な情報を持ってくるのは構わないし有難いが、そのドアの開け方はどうにかならなかったのか? と、思わず全員が溜め息を漏らす。
「なあに、騒がしいわね。ブレンダさん」
「えっへへ! 凄い情報仕入れたので、テンション上がっちゃってまして!」
てへ、なんて言いたげな雰囲気で自分の頭を軽く小突いてウィンクをする少女―――自称『情報屋』であり、実力が突出するプレイヤーが多いこのゲームにおいて、そういった者達を『ゲームチェンジャー』と呼んで追い回している風変りな少女、ブレンダに対し再び全員は溜め息を漏らした。
テンションが上がったからといって、人の家のドアを蹴りやぶるヤツがいるか!
「おめぇ、そんな勢いよく突っ込んできたからには相当すげえ情報仕入れてきたんだろうな?」
ドアひとつぶち破っておいて悪びれる様子の一切無いブレンダをじろりとタケが睨むが、そんな視線を向けられてもブレンダは一切気にする様子を見せず……むしろ、ふふーん、と無い胸を張って腕を組んで見せた。
「そりゃあもちろんですよ! なんとなんとの難破船! 特殊ドロップの対象になっているダンジョンがこの周辺で発見されたんです!」
「なんだって!?」
そしてブレンダの口から出てきたのは驚愕の事実。
この地獄の水辺狩場争奪戦は『王都セントロンド』周辺以外にイベントの特殊ドロップの対象となっているクローズエリア、つまりダンジョンがあれば終わりを迎えると常に言われ続けており……この少女はそれが発見されたと言うのだ。
しかも、このハイラント周辺で……! マツは驚きのあまり思わず叫びながら立ち上がっていた。
「……それはどこで仕入れた情報だ? 本当だなんて、なんで言い切れる」
「え、だって私がログインしたら目の前に変なダンジョンの入り口が出来てて、近くの人に聞いてみたらそんな感じのこと言ってましたよ」
ひとつの戦争を終わらせかねない情報を、ただの野次馬根性で人を追い回しているだけのブレンダが早々手に入れられるわけがない……そう思ってタケは訝しむような目を向けるが、ブレンダはきょとんとした表情であまりにもあんまりな情報の出所を口にする。
「ブレンダさん、あなた、それ仕入れたって言わなくないかしら。まあ、別にいいんですけれども」
情報を仕入れたとかどうとかではなかった、ただ偶然目の前にあっただけらしい。
マドは呆れながら瞼を落とし、タケも無言で首を振った。
「それで、その入り口っていうのは正確に言うとどのあたりにあるの?」
まあ、その情報の出所はともかくとしても、それを聞かない理由はないと考えたウメは、これで指してみて、と言いながらテーブルの上に広げた地図の上に五円玉を置く。
先程ブレンダはこの周辺で、と言っていたのだし……そう離れた場所ではないのだろう。
ログインした時に目の前にあったとも言っていたし、もしかすれば門を抜けてすぐだろうか―――。
「ああ、ええと。この拠点出て真っ直ぐ進んだ所にある広場にありますよ、歩いて二分ぐらいの場所です」
―――否、外に出て目の前だった。
……なんだそりゃ、と思わずタケが漏らす。
「この周辺って、拠点の周辺ってことだったんだ……ハイラントの周辺ってことじゃなくて……」
マコトが苦笑し―――その瞬間。
ブレンダを除く全員が別にこの情報はブレンダがドアを蹴り破ってまで持ち込まずとも、『蛮竜』を倒すためにアイテムの買い出しにでも出れば手に入れられたものなのだと気付く。
気付くが……今更それを言ってもどうしようもないので気付かなかったことにする……でなければドアの犠牲が無駄になってしまう。
「いやー、街ん中にダンジョンってできるんですねー」
「やめろ、食いながら喋んな行儀悪ィ、っていうか勝手に食うなよ人んちのモノを」
地図上では指し示すのが困難な程近場だったお陰で使いどころを失ってしまった五円玉の穴を覗き込みつつ、ブレンダはこんな旧式貨幣なんてどこで拾ったんだろうなあー、なんて考えつつテーブルの上に置いてあった麩菓子(のような何か)を頬張りながら何かを喋る。
当然ながらタケは注意を飛ばすが、もぐもぐと口を動かし続けるブレンダが気にする様子は全くない。
「とりあえず、行ってみようよ。『キリカ一行』とか『蛮竜』とかとやり合うよりはよっぽどマシそうだ」
「まあ、それはそうねえ」
もうブレンダはどうやってもドアを蹴り破るのをやめたり、人の家のものを勝手に食べたりするのをやめなさそうなので、そこは諦めるとして。
マツは彼女が言う『特殊ドロップの対象になっているダンジョン』へ向かおうと告げた。
それに対し首を縦に振らないメンバーは勿論この『連盟』にはおらず……マコトとブレンダを除く全員が己の得物を手に立ち上がる。
「それじゃあ、行ってくるね。マコトちゃん!」
「はいっ、お気をつけて!」
「行ってらっしゃいませー!」
ひらひらと手を振る最後尾のウメに対し、マコトは立ち上がって綺麗なお辞儀を返し、ブレンダはブンブンと腕を振って見送る。
「…………」
「…………」
すると、その場に残ったのは当然ながらマコトとブレンダ。
……なんでこの人はまだここに居るんだろう? 少々人見知り気味なマコトは、決して深い仲であるとは言えないブレンダの存在が気になって仕方なく、ブレンダはブレンダで、もぐもぐと無言で麩菓子(に近いなにか)を咀嚼しながら無言でマコトを見上げている。
「あの、なにか……」
「お菓子食べたら喉乾いちゃいました! 私にも緑茶ください! あ、でも! あるならコーヒーのがいいです! ミルクと砂糖たっぷりの!」
「え? え、ええと……」
一体なにかと思えば、飲み物も寄越せとブレンダは言い出した。
あまりの図々しさに思わずマコトは、ここは食堂でもなんでもないんだけどな、なんて口にしそうになるが、持ち前の人見知りがその言葉を喉の奥に引っ込ませてしまう。
……とても息が詰まる。
……こんな時、あの子みたいに思ったこと全てを口に出来たらどんなに楽なんだろう。
なんて、マコトは密かに憧れる栗色の髪の少女を脳裏に浮かべつつ思う。
「珈琲はないので……緑茶、でいいですか……?」
「貰う側ですし、贅沢は言いません!」
「あ、あはは……」
「えへへっ!」
ただで貰おうとしてる時点で、相当贅沢なんだけどなぁ……なんて、思いながらも、それもまた喉の奥に押し込み。
『松竹梅を見る会』のお爺ちゃんたち、お婆ちゃんたちぐらいのんびりした人達なら頑張って話せるようになったけど、それが今の自分にはやっとであり、こういう同い年ぐらいの子とはまだまだ全然話せそうにもない……と、マコトが肩を落としたのは言うまでも無かった。




