074-侵蝕少年
そんな沈黙を否定だと取ったのだろうか、少年はがばっと顔を上げると、肩に掛かるほど伸びた髪を振り乱しながら叫ぶ。
「頼むよ! 頼む……っ! 俺も出来る限り強くなろうとした! けれど! 足りない……こんなんじゃ全然足りない! 届かないんだ! あいつに! アリシアに! 俺は勝ちたい! 一生このままで! 負けたままで生きたくないんだ!」
それは魂の叫び……両親を(ゲーム内とはいえ)目の前で惨殺され、家族で楽しもうという話になっていた人生初のVRMMOから秒で両親がリタイアし、自分も手を出すことを禁じられたこと(完全に無視し、別のゲームをやる振りをしながら続けているが)……それら全ての罪をアリシアに清算させたいという少年の、XXの叫びだった。
「えぇいや……たぶん君のがアタシたちより普通に強むぐぅ」
そんなものを聞いてルオナは少年の頼みを断ることにした。
当然だ……ルオナが言いかけたように既にXXは、男を追い回すばかりで決して効率的なプレイングをしてきたとは言い難いキリカやルオナよりも、レベルや装備が充実しているように見えるのだから……っていうかなんなら、なんか右腕が人間じゃなくなってる……どこまでアリシアを憎めばそうなるのだろうか。
ともかく、断ることにした……いや、断ろうとしたが、実際には断れなかった。
隣に立つキリカがルオナの口を素早く塞いだのだ。
「……いいよ、……別に」
「えっ!? キリカ!?」
急にどうしたのかとルオナがキリカに目をやれば、キリカはとんでもないことを口にする。
……ルオナは思わず考えてしまう……もしかしたらこの幼馴染は『弟子にする』という言葉の意味を理解していないのではないか? と。
だって、どう考えたって片腕が怪物へと変貌するようなイベントをこなしてしまう相手に教えることは……相手が子供だということを考えれば、情報収集では先手を行けるであろう自分はともかく、そういうことを一切しないし男の影を追うこと以外なにも考えていないに等しいキリカが教えることは一切無いように思えるのだが……。
「ちょ、ちょ、ちょっと! 待ってよキリカ!」
「……なにぃ? ……ダメだったぁ? ……好きでしょ、……小さい男の子、……ルオナちゃん」
「まあショタは好物だけど……じゃないよお! それ今はどうでもいいから!」
正確に言えば男の子が好きなのではなくて、小学生より上の男は怖くてまともに接せないのだが……ルオナはなんで隠していたはずの性癖をキリカにバレているのか不思議に思いつつ、とりあえずその手を引いてXXから少々距離を取る。
ちなみにキリカは、ルオナが小さい男の子が周囲を通るたびにそちらをガン見していたことから彼女の性癖を察した……というか、隠す気があるとは思ってなかった。
そうキリカが思ってしまう程ガン見していたのだ、ルオナは。
「……どうしたの」
「どうしたの、じゃないよっ、適当なこと言っちゃダメだって! どう見たってアタシたちより強そうだよ、あの子! 師匠なんかになっても教えることないじゃない!」
「……キリカよりは弱いよぉ? ……ルオナちゃんよりどうかは分からないけど」
身振り手振りまで加えながらルオナが先程のキリカの言葉を攻めると、キリカはお前はなにを言っているんだ、とでも言いたげな様子で小首を傾げ―――え? とルオナがキリカの言葉に困惑している間に、キリカはさっさとXXの下へと戻っていってしまう。
……どういうことだろう? 確かにキリカはゲーム慣れしてないが、とはいえ彼女は彼我の力量差を察せないようなバカではない。
察したとしても、想い人のためとあらばアリシア・ブレイブハートにすら単独で戦いを挑もうとするようなところもありはするが……。
「……おまたせ、……いいかな、……とりあえずキリカたちの『連盟』に入ってもらっても」
「ああ、構わない―――と言いたいんだが。……気を悪くしないでくれ、疑うわけじゃないんだが……その、一応実力を見ておきたいんだ」
キリカの言動が理解出来ずに困惑するルオナ、彼女が硬直している間にキリカはXXをルオナが立ち上げようとしていた『連盟』へと誘い……そこで最悪の事態として想定していたことが起きた。
まずい、としか言いようがなかった。
どうやらXXは誰かから自分達のことを余程強いプレイヤーだと聞いて探していたようだが……それを鵜呑みにするほど愚かではないらしく、自分達の実力が見たいと言い出したのだ。
非常にまずい……自分達を彼に紹介した誰かがどう紹介したかは分からないが、間違いなくそいつの紹介よりも自分達は大したことはない……確かに第一回イベントでアリシア・ブレイブハートに対し一瞬優勢にはなったが、それだけで別に勝ったわけでもなければ結局一撃与えることすら出来ていないのだから。
……どうする? いや、別に彼が思うほどの実力を自分もキリカも持っていないのが露呈したとして、なんら問題はない……というか、面倒事から逃れられて万々歳ではあるのだが。
やはり、ルオナも人の子であり……子供にいい様にやられるのは少々避けたいのだが―――。
「―――ッ!?」
―――なんて、ルオナがゴチャゴチャと考えている間に物事は決していた。
一瞬の間にXXの眼前へと突き出されたキリカの拳……それは音も無ければ事前動作すら見えない瞬速の拳……それでいてXXの前髪を大きく揺らす程の風圧を纏うだけの威力を持っている。
……もし、これが戦闘中であり、これが眼前で止められることなく命中していれば……!
XXは思わず息をのんだ。
「……必要ぅ?」
「いや、いい……どうやら俺、新しい力を手に入れたばかりで調子に乗ってたみたいだ……ありがとう、キリカさん。いや、先生! 気付かせてくれて……!」
「……いいよ、……別に」
先程までの復讐に囚われた鬼のような形相から一転して、少年らしく明るい笑顔となったXXが自らを先生と呼ぶと、キリカは彼の目の前に突き出していた拳をパッと開いて下げる。
……なんということだろうか、ルオナは戦慄した。
どう考えてもXXと自分達では大きな力量の差があり、そしてそれは間違いなくXX側に傾いている……それは装備を見れば分かることだ。
だが、それをキリカは自らのプレイヤースキル……『陸地の黒いシャコ』と幼い日に呼ばれた自らの拳一つによるハッタリでひっくり返した。
……もし、あれが戦闘中であり、あれが眼前で止められることなく命中していれば。
間違いなく互いの力量差に気付きXXは失望したことだろう。
「ま、マジ? マジで弟子に取るの? キリカ、この子……」
「……マジもマジ、……便利そうだし、……アリシアは殺したいし、……キリカも」
「うわあ……」
とはいえ、ここから先ずっと騙し続けるのは相当骨が折れる……だから、思わずルオナはキリカへと耳打ちし、そして返ってきた言葉に思わず引いてしまった。
……便利そうって言ったよ、この子。
間違いない、キリカはXXのことを自分達の知名度を上げ、自分好みの男をおびき寄せるための道具、そして憎きアリシア・ブレイブハートを討つための道具としか見ていない。
なんと恐ろしい少女だろうか……、思わずルオナはXXを憐れむ目で見てしまった。
「……分かってるよ、ルオナさん。俺が邪魔なんだろう? けど……頼む! 絶対あなたにも気に入られてみせるから!」
「え? あぁ……うん……そうね……」
そんなルオナの目をどう解釈したのかは分からないが、XXが地面に頭を叩きつけそうな勢いで下げ始めた……どうも完全にキリカのハッタリに騙されているようで、なぜかルオナまで遥か雲の上の存在だと認識している。
……そういうところは、なんというか良い意味で子供っぽくて可愛らしい……ルオナは急速に落ち着きを取り戻し、そしてようやっと自分がキャラ作りを忘れているのを思い出した。
「まぁ本気で邪魔だと感じたら捨てるから、そのつもりで」
「はいっ!!」
どうにもXXは正直で真っ直ぐな少年らしく、この手のハッタリに死ぬほど弱い……であれば、ルオナが自信の無さを隠すために作っているダークなクールビューティーっぽいキャラもまた効果抜群であるのが道理。
事実、XXは見下すような表情を自分に向けてきたルオナを完全に上位の存在と見なしてキラキラとした目で見上げてきた。
悪い女に騙されないでね……そんなXXの姿を見て、悪い女みたいなキャラで騙しているルオナは心の中で彼を密かに心配する。
「よろしくお願いします! キリカ先生、ルオナ先生っ!」
そんなルオナの心配など知る由もないXXは、再度頭を下げながら思わず心の中でガッツポーズを取った。
カナリアに教えられた二人組の存在……それについて彼が他のプレイヤーに聞き回って調べるうちに分かったことは、彼女たちと交戦経験があるプレイヤー曰く、ふたりは『ヤバいキレた女たち』と呼ばれる程には苛烈であり『その実力はこのベロウ様が保証するぜ』と……接戦の末に敗れたというその男が胸を張る程度には高い実力を持つということ。
かの有名なPK二人組『フロストバーン』の片割れこと『瞬間凍結のベロウ』と接戦……だけに留まらず、勝利するまでに至るのだというキリカ。
そして、アリシア・ブレイブハート戦以外で剣を抜いたところを誰も見ておらず、あのアリシア・ブレイブハートと互角の剣技を持つルオナ。
そのふたりが自分を鍛えてくれるとは、なんたる幸運か……! XXは喜びに打ち震えた。
(やっと、やっとだ……ここから始まるんだ、俺の復讐が!)
XXは心の中で再び憎悪の炎を強く燃やす……目の前のふたりこそが自分の求めていた師なのだと信じて。
……ちなみにもちろんキリカもルオナもそんな大それたものではない。
キリカは片想いの相手をストーキングし続けていただけだし、ルオナも片想いの相手がストーキングしてるのを横で指を咥えて見ていただけだ。
キリカに関してはベロウが話を盛りすぎただけだし、ルオナはただ単に交戦する機会が少なすぎて実力を計られてないだけである。
尚、ベロウが態々キリカを『実力者』と言いふらすのはそれで興味を持った誰かが自分の代わりに挑んで倒してくれないかな、という小さく卑屈な復讐心があるからなのは言うまでもない。
「うぎゅううう……んぎゃわわぁ……」
「……うわぁ」
兎にも角にも、いろいろと誤解があるとはいえ、ようやっと教えを乞うべき相手が見つかったことを喜ぶXXの姿を見てルオナは思わず目にハートを浮かべて口端を濡らし、その様子を見てキリカは全力で引く……。
―――と、ここで三人の耳に同時に軽快なベル音が飛び込んできた。
それは運営からのお知らせが届いたことを通知するものであり……いったいなんだろうか、緊急メンテナンスでもするのだろうか? なんて考えながら三人は運営から送られてきたメッセージを開く。
「第二回イベントのお知らせ……? えぇと、第二回イベント『立夏! 海に備えろ水着狩り』を三日後のメンテナンス終了後から、次回のメンテナンスまで開催致します。イベント期間中は、水や海に関連したモンスターから今年の夏を楽しむのに必要な『水着』や、それを作るための素材がドロップするようになり、更にごく一部のイベント限定モンスターからは特定のエリアで強力な効果を発揮する『水着』がレアドロップするようになります。また『連盟』に所属している方が特別なドロップの対象となっているモンスターを撃破した場合、イベント中に豪華賞品と交換可能なポイントが『連盟』に与えられます。奮ってご参加ください……」
するとそこには新たなイベントの告知が載っており……XXはそこに書かれた文章を一息で読み切りながら思う。
ポイントで交換できるというアイテム次第だが、あまり自分や先生たちには関連はないイベントだな、と。
なにせ、自分はアリシア・ブレイブハートへの復讐に囚われた存在であり、先生たちことルオナとキリカは俗世を捨て、力を追い求めるだけの存在(……ということに彼の中ではなっている)。
水着など興味ないだろう―――。
「……水着、……夏、……海、……男っ!」
「水着……? 水着……!? いいの、そんなことして……水着!? ……水着姿を!?」
「あれっ」
―――いや全然興味アリアリだった。
キリカは水着……というか、そこから連想されるワードの行き着く先に大変興奮し、逆にルオナは誰かの水着姿を想像して興奮しているようだ。
普段の生気の籠っていない気だるげな顔付きはどこにいったのやら、キリカはジャーキーを目の前にぶら下げられた犬の如く目を爛々と輝かせ、ルオナは震える手で自分の視界の中のキリカの身体の一部を隠したりなんだりしては信じられない! とでも言うように口元を手で覆っている。
「あの、先生たち? もしかしてこれ参加する気なんですか……?」
「はァ?」
「……殺されたいのぉ?」
「あれっ」
てっきりこれには参加せず、山に籠って修行でもするものだと思っていたXXは、予想と遥かにギャップのあるふたりのリアクションを見て思わず遠慮がちにキリカたちに聞き、するとルオナには心の底から失望したような表情で睨みつけられ、キリカにはあろうことかいっぺん死ぬか? と言われてしまう。
……なにもそこまで言うことないじゃないか、と一瞬XXは思い、次に疑問に思う。
どうして彼女たちは水着に……いや、このイベントにそんなに興味を示しているんだ―――?
「はっ! そうか……! 普段戦い慣れない水場、更に人が集中することによる混沌とした戦場は自らの力を蓄えるにうってつけ……! そういうことですね!?」
―――そして気付く。
そう、人がごった返す水場での戦闘は困難を極め、その中で得られるプレイヤースキルがあるに違いないのだと……!
XXは理解した……効率の良い経験値稼ぎでレベルを上げるだけが修行ではない。
むしろ、経験値など稼げなくて良い……経験値が稼げる場所というのは、即ち楽に敵を倒せる場所なのだから。
そんなところに甘んじていてはプレイヤースキルが向上するわけもない。
だからこそ、このイベントをふたりの先生は喜んでいるのか……!
「……うん、……それでいいよ」
「水着……水着水着水着……!」
無論違うが、キリカは適当に頷きを返し、ルオナは水着以外の言葉を脳から奪われてしまった。
彼女は大丈夫であろうか、水着を作れる……あるいは手に入れられるかもしれない、という段階でコレなのに、実際キリカの水着を見たら死に至ってしまうのではないだろうか……。
まあ、それはともかくとして。
この日、こうして結成された『連盟』の名は『黒三華』。
復讐に囚われた悲しき少年と、良い男を探し続ける少女と、良い男を探し続ける少女を求め続ける少女で構成された『連盟』である……。
 




