064-一人で沈む湖底にて。 その2
カナリアは妹である海月から幾度となく聞かされていた、この世で最も冒険者を殺しているであろう宝箱に擬態したモンスターの存在を食されながら思い出し……そして瞬時に彼が自分の身体を食い千切るだけの力は無いのだと察した。
「……この感じは妖精ですわね……妖精ってなんなのかしら……」
腰辺りをあぐあぐと噛まれながらも一切HPが減らないことに気付いたカナリアが、とりあえず彼の体内を見回して調べてみる。
いくつもの赤黒い触手がうぞうぞと蠢くミミックの体内は非常に気味が悪く、流石のカナリアも若干引き気味であったが、彼女はゲーム内の出来事ならばなにも気にしない性質だし、実際ノーダメージなので恐怖心はまるでない。
「はあ、酸欠待ちかしら……」
そして分かったことは綺麗に上半身と二の腕までを齧られているため上半身が一切動かせず、ミミックを振り解けないことだ。
となれば特にやる事もないので、窒息死するまでこのままの姿勢で居続ける他無い。
宝箱に上半身だけ突っ込んで尻を突き出している姿は相当に情けないとは思ったが、幸い今日はひとりだし、ここはダンジョン内でクローズエリア、誰も来ないのだから気にすることはない。
「んー…………」
しばらく無言でミミックの体内を蠢く触手を観察しつつ、人がひとり入るぐらいにはスペースのあるその体内を見て、じゃあこの子は臓器とかどこにあるのかしら……等と考えてカナリアは思う。
そもそもこのミミックは生物―――かつて海月が言っていたような宝箱に擬態している生物なのだろうか? それとも宝箱が魔に変貌して人を襲っているだけで実際には無機物なのか……?
「…………そうですわ!」
それを確かめる方法が不意にひとつ思い当たり、カナリアは楽しそうな声を上げた。
「『夕獣の解放』!」
ミミックはどうせ張ってある障壁を突破できないようなので、カナリアはHPを200残し全てSTRに変換する……と、途端に先程まで自由が利かなかった上半身が動く気配を見せた。
どうやらミミックからの束縛は一定以上のSTRがあれば抜け出せるらしい……それと、もしかすれば似たような役割であるDEXでも。
……ともかく、STRが急に246に増加したカナリアはミミックから抜け出す―――。
「せーの、よいしょッ!」
―――訳ではなく、己の上半身をむしゃぶりつくミミックごと持ち上げた。
STRを246確保していてもミミックの身体は持ち上げるのがようやくといったほど重く、少しでも気を抜けば倒れてしまいそうだ。
しかし、立つには立てた……そして、立てたということは移動が出来る。
カナリアはミミックに捕まる前の自分の位置を思い出しながら、慎重に身体を動かす。
視界が肉塊一色のままなのは変わらないので、ゆっくり、ゆっくりと……。
「おっ、手すりですわ! ならここから……」
そうして見つけたのは螺旋階段の横に位置する、下から見上げる際に見えていた手すりだ。
……そう、下から見上げる際に見えていた手すりだ。
つまり、エントランスホールが吹き抜け構造になっている関係上、ここを超えれば一階まで真っ逆さまということになる。
「まったく、ミミックさん。あなた賢くない判断をしましてよ。ふふふ……」
なんだか懐かしい気分になりながら……なんの迷いもなく、カナリアはその手すりから身を乗り出して落ちる。
STR246の筋力で無理やり持ち上げていたがミミックの体重は相当なもののようで、落下する最中にミミックが下、カナリアが上の位置関係となり……そして、そう時間を掛けずに地面へと彼の身体が激突―――彼に囚われていたカナリアの身体も結構な衝撃が襲うが、ダメージは無い。
「お、死にましたわね」
それから間もなく、ミミックは全身から力が抜け落ちたように口を開き、カナリアは自由の身となった。
自身の真の奥義ともいえる万物に等しく死を齎す攻撃……ありとあらゆる防御力・属性耐性・不死性……それらを完全に無視する最強の矛こと『高所からの突き落とし』によってHPを全損し、地面にどす黒い血を撒き散らしながら僅かに痙攣して粒子化していくミミックを興味深そうな目で見つめてカナリアは結論を出す。
「高所から地面に叩きつけられれば生物は等しく死ぬ……つまり、あなたは生物でしたのね」
ミミックは、有機物である、と。
……別に無機物でも高所から叩きつけられれば壊れるとは誰もが思うだろうが、残念ながら今日は久々にそのことを彼女に教える人間がこの場におらず、カナリアは、うぅん、と謎の声を発しながら満足げに頷くばかりだ。
どうやらレプスを殺害した時以来に使った『高所からの突き落とし』の相変わらずな切れ味にご満悦らしい。
「……あら?」
さながら、石の下にガムテープで張り付けられて地面に叩きつけられた蟹のような死に様を晒す哀れなミミックが完全に粒子化すると、そこには一冊の古ぼけた本が残った。
それは最近よく目にするアイテムであり、その効果が非常に強力であることをカナリアはよく知っていた。
「もしかして『導書』? へえ、流石はミミック……レアなものを持ってますのね!」
間違いない、それは『導書』―――ちょっと見せてやればクリムメイスが涎を垂らして食い付く程のレアアイテムである『導書』だ。
予想外に(その見た目に反して)凄まじいレアリティを誇るアイテムを入手し、ぱん、と手を合わせて目を輝かせるカナリアは、ふと妹である海月が度々『ミミックは強いけどレアアイテムを持っている』と言っていたのを思い出し、うんうんと頷く。
……実際のところは、ミミックに捕食されながらもミミックを振り解かず、ノーダメージかつ一撃かつ単独で、しかもミミックよりも低いレベルで死に追いやった彼女の先の戦闘が評価されただけであって、別にミミックがいつでもレアなアイテムを……『導書』などを持っているわけではない。
他のゲームはどうかは知らないが、少なくともオニキスアイズのミミックは制作陣によるただの殺意の投影なのでプレイヤーへの旨味は通常無いのだ。
「ええと……『召喚の導書:擬態者』? あらやだ、お待ちになって、それってまさか……」
だとかなんだとか、そんなことは一切知らないカナリアが期待に胸を躍らせつつ拾った『導書』のタイトルを見て、確かな予感を覚えつつも最初のページを捲って『欲狩』―――先程のミミックのことのようだ―――を撃破するという簡単な条件で入手できるスキルノート『召喚:欲狩』を発行し、即使用。
スキルの効果は見なくても大体理解できるので、とりあえず使ってみることにした。
「んー……『召喚:欲狩』! ……いやなんかしっくり来ませんわね……。……っと、あら……?」
どうやら本人的には使用時の掛け声が不満足な出来だったらしいが、しっくり来ないとはいえ、意識していた『召喚:欲狩』のスキルはきちんと発動―――すればよかったのだが、それすらせずにカナリアは小首を傾げる……どうやら、最低限の消費MP(HP)が確保出来ていないと使用できないらしい。
仕方が無いのでインベントリからポーションをいくつか取り出して服用しつつ再度『召喚:欲狩』を使用していくと、HPを2000消費して、ようやくそれは発動した。
すると、カナリアの前方に黄色い魔法陣が現れ、中から先程落下死させたミミック……もとい、欲狩と同じデザインの宝箱が出現する。
それを見てカナリアは自分の予想が正しいと思いつつ、宝箱の正面に回って開け放ってしまう。
瞬間、中から悍ましい数の触手が飛び出し―――。
「にゅおお! こら、わたくしはあなたのご主人様で……って、あら?」
―――それらが再び上半身に絡みついて引きずり込まれるのだと思い、呼び出した直後に飼い主の手を噛みにかかった欲狩を殺処分に掛けようとダスクボウを構えたカナリアだったが、飛び出してきた触手たちはカナリアの予想と違って絡みついてはこない。
なんだか嬉しそうにワチャワチャと蠢いて、カナリアの頬をべろりと撫でる。
撫でた。
「やだ、ちょっと……あははっ! じゃれてますの? くすぐったいですわ!」
正直くすぐったいとかじゃなくて気持ち悪いという感想を抱くのが普通だと思われるが、カナリアはさも大型犬に顔をなめ回されてるぐらいのリアクションを取り、そして暇を持て余してる他の触手を手に取り、さも自分に飛びついてきた大型犬の前脚を握ってじゃれつくぐらいの雰囲気で弄んだ。
すると、欲狩もさも自分はただの大型犬だと勘違いしたかのように楽し気にガタガタと揺れ、しゃがれた老人の鼻歌のような鳴き声を上げて喜ぶ。
「かっ、可愛いですわーっ!」
そしてカナリアは子供のように目を輝かせ、開いた欲狩の口の中に自ら飛び込み、さながら寝転がっている大型犬の腹へとダイブして頬ずりをするかのように触手のベッドへと身を任せた。
普通に考えて生物であれば口の中に突っ込んでこられたら苦しいはずだが、流石は妖精……欲狩も欲狩で口の中にご主人様が飛び込んできたのが嬉しいらしく、内部の触手をワチャワチャと動かして歓待する。
……どうやら半分生物、半分無機物という表現が正しいらしい欲狩は、自らの口の中にはなにかがあったほうが嬉しいらしく、喜びのあまり開いていた蓋をばたんと閉める。
結果としては先程となにも変わらない……というか、完全に閉まってる分先程よりも酷い光景が出来上がったのは言うまでもないだろう。
その後、十分近くもカナリアは欲狩の内部で触手とじゃれつくという女子らしからぬ遊びに興じ、ようやっと落ち着いたのか蓋を少し開けて上半身を箱から出し、湯船にでも浸かってるようなリラックス具合で『召喚の導書:欲狩』と『召喚:欲狩』の詳細へと目を通す。
■□■□■
【召喚の導書:擬態者】
【いにしえの時代に失われた術、『召喚』を読む者に授ける導書。『召喚』とは即ち、妖精との対話である。どうやらこれは無機物と同じ姿を好む『擬態者』との対話手段を記した導書のようだ。彼らは妖精の中でも特に程度の低い存在として知られ、飼いならすのはそう難しくないだろう】
『召喚:欲狩』
:妖精『欲狩』を召喚する。召喚された存在はHPがゼロになると消滅してしまう。
:召喚する存在に対し追加で対価を支払い、強力な個体を呼ぶことが出来る。これに必要な対価は『MP』。
■□■□■
「へえ~、追加でMPを……、……いやHP、どうしましょう……?」
別段難しいことは書いてないので、非常にオーソドックスな召喚系のスキルなのだろうと判断したところでカナリアは、欲狩を落下死させる際に全てSTRに変換してしまったHPを回復するのが困難であることに今更気付く。
一瞬、『召喚:欲狩』を使用した時のようにポーションを使うことも考えたが、探索を続行することに決めたので残りは緊急時に取っておきたい……だが『緩やかな回復』で25000ものHPを回復するのは面倒極まりない。
「……そういえば二階に騎士がうろついてましたわね」
ここでふと、先程はゴミと言い放った『ハートアブゾーブ』を使えば全回復できることにカナリアは気付く。
もしかしなくともゴミは言いすぎたかもしれない……例え30秒の隙が生まれるとしても膨大なHPを全回復できるというのは非常に大きい。
……いや、普通はゴミでいいのである。
一撃でHPを8割持っていく相手に対し、悠長な心臓破壊パンチを打ち込んで極僅かなダメージと30秒のクールタイムを引き換えにHPを全回復するスキルは間違いなくゴミだ。
それがゴミではないように感じるカナリアの性能がおかしいだけである……とは本人が知るわけもなく。
そうと決まれば早速回復しに行かねば……ついでに二階の探索も終えてしまおう、案外この城は中身がスカスカのようだし―――なんて暢気に考えるばかり。
「……そういえば、あなたって動けますの?」
相も変わらず殺人級にマイペースなカナリアは、その口から自分が出たことを名残惜しそうにし、腰に触手を絡みつけてくる欲狩をペチペチと叩いてあしらいつつ聞いてみるが、どうやら会話を理解するほどの知能もないらしく、欲狩は名残惜しそうに触手を伸ばしてくるばかり。
……この見た目でとんでもない甘えん坊のようで、もしも習得したのがカナリアでなければ、あまりの気味悪さに封印されたことだろう。
とにかく、返事が無いのならば仕方がないとカナリアが歩き出せば、欲狩は口から伸びる触手を四肢代わりとして器用に動かしてその背を追ってきた。
どうやら普通に動けるらしく……そしてカナリアは、先程自分を襲った欲狩も最初からあそこに居たのではなく、自分が見ていない時に移動していたのだと理解した。
「んー……戦わせてみようかしら」
このサイズの宝箱を自分が見逃していた、という事実に納得の出来る理由付けが出来たことに少しばかりの満足感を得つつも、カサカサとした虫めいた気持ち悪い動きで自分を追う欲狩に対し、犬みたいですわね、という現実世界で犬を見たことが無さそうな感想を抱いたカナリアは螺旋階段を上がり切ると同時に最初に見かけた徘徊する騎士を発見。
そして、ふと自分の後ろの欲狩の戦闘能力を知りたくなった。
なにやらHPがゼロになると消滅するとのことだが、60秒というクールタイムさえ我慢できるならばいくらでも出せるのだし、少々手荒に扱っても問題ないだろうし。
「さあ、お行きなさい!」
というわけで、カナリアは自分の後ろで楽しそうにワカメめいてゆらゆら揺れている欲狩の背後に回ると、なんとも無慈悲なサッカーボールキックで欲狩を騎士の前へと蹴り飛ばした。
先程まで大型犬でも可愛がるように愛でていたのに、いざとなったらこれである。
絶対にカナリアにペットを飼わせてはいけない、誰かが見ていればそう思ったことだろう……誰も見ていないのが問題なのだが。
しかし、流石は程度の低い妖精こと『模擬者』―――主人に蹴り飛ばされたというのに、なんだか楽しそうな声を上げて騎士へと突っ込んで行き……飛び掛かり、噛み付く。
ミミックといえば多種多様な魔法を扱うテクニカルな戦闘スタイルをするタイプもいるが、どうやらこのオニキスアイズにおけるミミックは自在に動く触手と強靭な咬合力、そして財宝がぎっちり詰まった宝箱めいた体重で勝負するパワーファイターらしい。
「……あら?」
先程のカナリアがそうだったように、上半身を欲狩に噛みつかれてじたばたともがく騎士だったが、一向にそのHPが減る様子はない……逆に、抵抗されている欲狩のほうは少しずつHPが減っていくものの、3秒ほどの間隔でHPが全快する。
少々気になったカナリアはしばらくの間その光景を見続けていたが……一向に欲狩の拘束が解ける気配はなく、そしてカナリアは欲狩の細かな仕様を大体察した。
「ああー、なるほど。ステータスは召喚者と同じになって、そして3秒毎に最大HPの数%を回復していて、欲狩の拘束はそのHPを切らさないと解除されませんのねえ……」
つまり、彼女が生み出した欲狩はHPは25000あるものの、COR、STR、DEX、INT、DEVは全て0というカナリアと同じ謎のステータスをした存在であり、その膨大なHPを削り切られない限り一生相手を拘束し続ける恐るべきトラップなのだ。
使いどころは難しそうだけども、なんだか便利そう……そう思いながらカナリアはじたばたと暴れる騎士へと『ハートアブゾーブ』を使い、尻側から心臓を狙って緑色に輝く腕を突っ込んで生命を吸収して全快。
とんでもない絵面ではあったが、そうしないと『ハートアブゾーブ』の効果が発動しないのだから仕方がない。
「……いや、お待ちになって!? あなたまさか、そのまま動けたり……」
ここでふと、恐るべきことに気付いたカナリアは相手をダメージはゼロなのに一切の身動きは取らせない謎の拘束攻撃で縛り付ける欲狩から距離を取ってみる。
……すると、どこに目があるのか知らないが、それを察知した欲狩が口からはみ出ている触手を用いて器用に動いて付いてくる。
なんということだろうか、いま此処に死ぬまで『ハートアブゾーブ』で尻から生命を奪われるだけの存在が誕生してしまった。
「ヤバいですわ!!!!」
カナリアは絶叫する。
欲狩が拘束できるサイズの相手―――恐らくは人型のモンスター―――が存在し、それが欲狩の拘束を振り解けない場合に限るが、問題であったHPの回復手段を解決してしまった……とはいえ、合わせて90秒ものタイムラグがあるので緊急時には使えないが……これは一種の革命である。
「これはもう少し突き詰める必要がありますわね!」
思いがけない強力なシナジーを発見したカナリアが、宝箱から突き出ている騎士の腰目掛けて肉削ぎ鋸を振り下ろしながら目を輝かせる。
実にウキウキとした様子で大変可愛らしいのだが、残念ながらその顔は騎士の返り血でぐっしょりであるし、彼女の隣には楽しそうに揺れる欲狩がいるせいで、完全に悪役めいていた。




