063-一人で沈む湖底にて。 その1
「相変わらず容易いですわねえ~……」
独り言ちながら目の前のヘヴィクロコダイルを得物である鉈で真っ二つに裂く少女がひとり……もちろん、カナリアだ。
結局、クリムメイスがウィンとダンゴのストーキングに入ったので、単独で『大鰐の棲家』を訪れている。
……訪れた拍子に鰐が一匹死んだが、今回は別にストレス発散のために鰐を虐殺しに来たわけではない。
「『小鬼道』に『王立ウェズア地下学院』があったように……消え去った『蛇殻次』はともかく、『古貯蔵庫』とここにはなにかあるかもしれませんわよね!」
ウィンと初めて一緒にプレイした際、カナリアは『小鬼道』のボス部屋前で『王立ウェズア地下学院』へと続く道を開け放ち、そこにウィンを連れ込むことで高次元生命体に作り替えた。
その当時は目新しいものばかりが目に入って、既に攻略済みであった、この『大鰐の棲家』に気を回す余裕がなかったのだが、ある程度落ち着いてきた最近、よくよく考えればこのダンジョンの中で一ヵ所だけノータッチでスルーしてしまったポイントがあることに気付いたのだ。
なので、そこを調べるべく暇な時間を使って『水泳』や『潜水』といった探索範囲を広げるスキルを集め―――今日、こうしてカナリアは『大鰐の棲家』を訪れ、自分に襲い掛かるヘヴィクロコダイルたちに目もくれず、目的地である洞窟の最深部へと足を進めている。
「懐かしい顔ですわね!」
無論、今更ヘヴィクロコダイル程度でカナリアが足を止めるわけもなく、あっという間に辿り着いた最奥で―――相変わらずの不気味な音を立てながら開いた扉の先、青白く輝く神秘的な池の中から現れる、本当の意味で一番最初に自分の犠牲になったと言える存在……『大鰐の棲家』のボス、グロウクロコダイルの姿を見てカナリアが微笑む。
「『夕獣の解放』からの『八咫撃ち』、と」
懐かしい相手ではあるが、別にまともに取り合ってやる必要はない。
微笑みを湛えたままにカナリアはHPを適当に8000ほどSTRに変換し、即座に近頃出番の多い主力スキル『八咫撃ち』でグロウクロコダイルへと3つの大矢を撃ち込んでやる。
当然ながらこのカナリアの攻撃に耐えれるようにはグロウクロコダイルは設計されておらず、秒で死体と化して這い出てきた池に落ちて沈んでいく。
「……で、あの池。明らかにおかしいですものね……」
秒で死んだグロウクロコダイルに関してなんの感想も抱かずに、カナリアはグロウクロコダイルが這い出てきた池へと視線を向ける―――そう、カナリアが気になっていた場所とはまさにグロウクロコダイルが沈んでいったそこ……青白く輝いているその池だった。
とはいえ別に青白く輝いていることが気になっているのではない。
気になっているのは……ここからグロウクロコダイルが這い出て来るのであれば、この奥には彼女のような大柄な生物が住める程の巨大な空間があるのではないか? そうであれば、そこは探索に足る場所なのではないか? というところ。
……まあ、ゲームなのだからそんなものはない……と、言われればそこまでだが、王都セントロンドを吹っ飛ばしてイベント1位取っても、それも想定内と言わんばかりに大して驚きもしない運営だ、なにかがあると考えてもおかしくはないだろう。
「ボスより後ろなんて、中々見ませんものね!」
支払ったHPを取り戻すべく『緩やかな回復』だけ使用しつつ、入り口への片道切符である魔法陣を避けて更に奥へと向かい、池の中を覗いてみる。
青白く神秘的に輝いているくせして、その底はまるで見えず……カナリアは確信した、この奥にはなにかがあると。
「死体以外があればいいのですけれど」
オニキスアイズにおいて、プレイヤーやモンスターが死亡した際に肉体は消滅する。
NPCはその限りではなく、ある程度の距離を離すまでは死体が残り続けるが……それは今は関係ない。
ともかく、モンスターが死亡した場合に肉体は残らない……が、しかし、それでもカナリアは気になってしまうのだ。
自分が、あるいは、別の誰かが殺し続けたグロウクロコダイルの死体がこの池の底に積み重なっているのではないか? と。
「……うふふ。ゲームですもの、そんなことはありませんわよね!」
少しばかり恐ろし気な想像をしてしまうが、馬鹿げた考えだと思いなおして池の中へと飛び込む。
……だって、ここはゲームの世界だ。
見せてくる美しさも醜さも、どれも〝楽しい〟ものばかりで……ならば、なにも恐れる必要はない。
そう結論付けたカナリアが、なにかに引き寄せられるように沈んでいくと……グロウクロコダイルが出現した池は、『大鰐の棲家』が山の中腹にあったことを考えれば、絶対に存在しているわけがない広さを誇る、巨大な貯水池の入り口だったのだと分かった。
……もしかすれば、このままどこまで潜ってもなにも無いのではないか?
流れに身を任せて沈んでいくカナリアが、眼前に広がっていく果ての見えない闇を前に、そう思い始めたあたりで、ようやく底が見え始める。
どうやら、そこにあったのは海底のような砂と石造りの床であり―――人工物! カナリアは自らの推測に確信を持った。
「……!」
その床が続く方へ方へと泳いでいけば、やがて姿を現したのは黒い太陽と、その中心に見開かれた眼が描かれた扉……かつて『小鬼道』から『王立ウェズア地下学院』へと入った際に通ったものと同じと思われる扉だ。
つまり、レプスを殺さなければ突入できない場所であり、ウィンが高次元生命体と化したように強力なものが手に入ると思われる場所でもある。
であれば、これを前にして入らないという選択肢はないだろう。
カナリアは扉に手を当て、その石造りの扉が開かれるのを待つ……。
「わあ、ダンジョンの中は水が入って来ませんのねぇ……」
……開け放たれたダンジョン内ダンジョンの入り口を通ると、そこで不自然に水は途切れており、続く石造りの建造物の中は地上と同じく呼吸が出来るようになっていた。
カナリアは体に張り付いた髪を軽くまとめて簡単に結いながら辺りを見渡す―――ここは言うならば『湖底城』……といったところだろうか。
大理石で作られた床や、敷かれた赤い絨毯……真っ暗であるはずの城内を照らす青白い炎が点いた燭台、所々に設置された色々な男の絵画……。
それらの内装はやや時代を感じさせるが、その全てに一切古ぼけた様子はなく……今でも誰かが、あるいは何かがここに住んでいるのだと、静かにカナリアへと教える。
「まあ、なんにせよ、色々な男をとっかえひっかえしてるのは違いありませんわね……」
一本道の廊下を進みながら壁に並ぶ絵画たちを見回したカナリアがぽつりと呟く。
絵画はいくつもいくつも飾ってはあるが、そこに女性や子供が描かれたようなものは一切あらず、あるのは男性の……それも、活力に満ちた若い男達のものばかりで、誰もが騎士を彷彿とさせる鎧を身に纏っていた。
……どうやらここの城主は若い男騎士に目が無いらしい。
果たして、この絵画の騎士たちは犠牲者なのか、功労者なのか―――なんて考えながらカナリアが廊下を進むと、開けた吹き抜け構造の大部屋に出た……どうやらここがエントランスホールらしい。
二階……三階まで続く螺旋階段と、奥へと繋がるのであろう3つの扉、少し離れたところには地下へと降りられると思わしき階段まである。
「これをひとりで探索するのは骨が折れそうですわね……」
床から天井までを見上げながらカナリアは少しばかり眉をひそめた。
この広大な城内、なにがあるか分からないが、それを一日で調べるのは無理だろう……出来たとしても1フロアが精々だろうか。
「三階から調べましょうか」
であれば、今日はとりあえず上を潰すことにする……ちなみに特に理由はない。
ないのだが、そうと決まればカナリアが行動に出るのは早く……早速最上階目指して螺旋階段を上がっていく。
その最中、二階の奥で動き回る影を見掛け、きちんと敵も配置されていることを確認したカナリアは、ここまで来る手間を考えると、敵がいるならば慎重に進まざるを得ないだろうと判断する。
「それならば……『夕闇の障壁』」
久々の単独での新エリア探索に少々緊張感を覚えつつ、カナリアはHPを6000ほど代償にして『障壁』を使用する。
以前、自分のことをクリムメイスが回復した際に、現在のトッププレイヤー達のHPは5000程度だと言っていたのを覚えていたので、それを上回るダメージは早々出ないのだろうと踏んでの選択だ。
「む!」
使用したHPを回復するべくポーションを口にしつつ、階段を上り切ったカナリアへとひとつの影が急速に迫る。
カナリアはまだポーションを飲み切っておらず、口と右手が使えないため急いで左手のダスクボウで狙いを定めて駆け寄ってきた影……先程階段の途中で二階で動いているのを見たものと同じらしきモンスターへと放つ―――が、その正体は中身のない騎士。
形状が人型ということもあり問答無用で額を狙って放ったダスクボウだったが、乾いた音と共に弾かれてダメージが与えられない。
「むーっ!」
放ったボルトが綺麗に命中したにも関わらず弾かれたことに対しカナリアは抗議の声を上げるが、それで騎士が止まるわけでもなく―――自らの得物の範囲まで近付いた騎士は、中に肉体が詰まってないとは思えない力強い動きで剣を振り抜いて見せる。
その一撃は現在のトッププレイヤーのHPを一撃で8割ほど削る強力なものであり、当然だが、カナリアの障壁は破れずに弾かれた。
……カナリアには即死かノーダメしかない。
8割削ろうがなんだろうが、小数点以下しか与えられないならそれはゼロと同義だ。
「まったく、人がものを飲んでいる間に……あなた、常識がありませんのね?」
カナリアが一切の構えすら見せてないにも関わらず、攻撃が一切通らなかったというのに、それでも怯まずに攻撃の手を緩めない騎士に対してカナリアは呆れたように肩を竦めると、お返しとばかりに肉削ぎ鋸で頭を刎ね飛ばしてみせるが……騎士は、頭部を失っても平然と動いていた。
流石は鎧だけの存在、頭などあろうがなかろうが関係ないらしい。
「……もうっ! 面倒ですわね! 『夕獣の解放』!」
仕方がないのでカナリアは多大なHPを代償にSTRを跳ね上げて鎧の中に手を突っ込んでみることにした。
……いや常識がないのはどっちだ。
「おっ……なんだか暖かい……生命を感じますわねフンッ!!」
そこになにがあったかは分からないが、鎧の中に突っ込んだ手が暖かったので、なんらかの重要な器官に手が触れたと察したカナリアは内包物を力強く掴んで引き抜く。
すれば、人が入っていないだけであり、なんらかの中身はあったらしい騎士はガクガクと震えながら仰向けに倒れて死に至り。
それを確認したカナリアは引き抜いた右手が握っていた黒くてドロドロとした謎の物体を一瞥だけして放り捨てた。
……生命を感じたナニカを容易く捨てるのはどうなのだろう。
『称号獲得:心臓抜き』
「あら、ちょっと久しぶりですわねえ」
その行動が引き金になったのか、なにやら不穏な雰囲気を漂う名前の称号をカナリアは獲得。
思いがけないタイミングでの新たな称号獲得に少々興奮しつつ詳細に目を通してみる。
■□■□■
心臓抜き
:その手で心臓を抜き出したものに与えられる称号。
:自分よりもレベルの高い相手を心臓を引き抜いて殺害する。
:スキル『ハートアブゾーブ』を習得する。
ハートアブゾーブ
:拳を用いて、STRと同じ値を基礎攻撃力とし、最大HPの1%を加算した攻撃を放つ。
:命中した際にHPを全回復する。
■□■□■
「えっ、いいんですのこれ!? ヤバいですわよ!?」
そして、直後カナリアは驚きのあまり真顔となった。
……得た称号『心臓抜き』は新たなスキル『ハートアブゾーブ』を習得する効果を持ち、その『ハートアブゾーブ』は敵に命中させた際にHPを全回復するスキルだった。
なんということだろう、HPの回復方法に困っていたところにこれはまさに渡りに船。
よもや最強プレイヤーの誕生か―――。
「ゴミですわねコレ……」
―――そう思った数分後、出会った騎士たちに対し何度か『ハートアブゾーブ』を試したカナリアは、最強に思われた回復スキルがゴミと呼ばざるを得ない性能だと気付き、微妙な表情を浮かべていた。
まずは火力。
STRと同じ値を基礎攻撃力とし、最大HPの1%を加算するということで、現在のSTRが0でHPが25000であるカナリアが普通に使用すると基礎攻撃力250。
……まあ、極端に低い火力ではないが、普段用いている肉削ぎ鋸の攻撃力が現在530(450+40×2)だと考えると使う意義は薄い。『夕獣の解放』を用いることで更に124を基礎攻撃力に加算出来るが、それでも374……高い数値とは言えない。
次に攻撃範囲。
……これが酷くて、『ハートアブゾーブ』はただのパンチなのだ……しかも、敵の心臓部に当てなければ命中とならない仕様。
人型かつ速度がそれ程でもない相手に当てるならばともかく、そうじゃない相手には使い物にならないだろう。
そして最後にクールタイム。
なんとカナリアの持つ必殺技とも呼べるスキル『八咫撃ち』の実に3倍……30秒である。
いや、このゴミが30秒使えないだけならばいいが、オニキスアイズの仕様の関係上『ハートアブゾーブ』を用いれば30秒間『夕獣の解放』も『夕闇の障壁』も『緩やかな回復』も当然ながら『八咫撃ち』も使用できない。
ただ回復能力だけは本物なので、極限の窮地に陥った際に最後の悪足掻きとして使える……かもしれない。
「そして三階はなにもなし、と……」
カナリアが色々と残念な雰囲気のある『ハートアブゾーブ』の性能を大体把握すると同時、三階の探索が終わりを告げた。
なんと、三階には換金アイテムや回復ポーション、今更カナリアが手に入れたところで使いどころの無さそうな少々強めの防具や武器などが転がっていたものの、別段キーアイテムらしいものやスキルノートなどは手に入らなかったし、なんらかのギミックによって開く扉や、ギミックになってそうなオブジェクトもなかった。
「いや、なにもないのはどうなんですの」
思わずカナリアは誰かへとツッコんでしまう。
……どうやらこの城は確かに広くはあるが、広いだけで別段なにもない部屋が非常に多いらしく、探索に思ったよりも時間が掛からない類のダンジョンのようだ。
カナリアはそんな感想を三階を探索し終えたタイミングで抱きつつ、最初に見た探索に骨が折れそうな雰囲気と、実際のハリボテキャッスルっぷりに少々落胆を覚えるが、この場にウィンが居ればテンションを上げて騒いだだろう―――『これこそはクロムタスク名物! めっちゃ広そうに見えて全然探索し甲斐のない城!』と。
兎にも角にも、この分ならば今日中に全ての階層を回れるかもしれない、なんて思いながらカナリアは上ってきた螺旋階段を下りようと来た道を引き返す。
「……あら? 取り逃したのかしら……」
すると目的の螺旋階段の手前で一つの大きな宝箱が視界に飛び込んできた。
目についた宝箱は全て開け放ってきたはずだが、『心臓抜き』やら『ハートアブゾーブ』やらの説明を読んでいたせいで見逃した……のかもしれない。
カナリアはこんなにも大きな宝箱を自分が見逃したという事実が少々腑に落ちなかったものの、実際取り逃しているのは取り逃しているのだからと宝箱の蓋に手を開け、勢いよく開け放ち―――。
「んにゃあ!?」
―――直後、宝箱の中から飛び出した夥しい数の触手のようなものに上半身を絡めとられ、引きずり込まれた。
……ミミック……!




