042-闇の底で吠える。 その2
「彼らは当時未だ発展途上だった仮想現実の世界の中で、現実世界の姿とは乖離する美男美女の肉体を得て活動していた存在だよ。『バーチャル』、『美少女または美少年』、『受肉』……略してバ美肉なのだと、僕達はその言葉をそう解釈した」
「カミサマと親から与えられた自分の〝性〟を放棄……いや、超越し! 現実の全てから解放された存在だ! 最ッ高に狂気的で冒涜的だろッ!?」
……いやただのネカマだろ!
犬歯を剥き出しにして笑うシェミーに対し、クリムメイスは思わず言いそうになったが、目の前のふたりは超古代電子世界を漁るような狂人二人組。
下手なことを言えば現実世界で殺されかねないので、ここは黙っておくべきだろう、とクリムメイスは瞬時に判断した。
「そして僕達はこの存在によって……バ美肉によって得られる啓蒙を広めたいと思っていてね」
「そのためには名前を売る必要があるってワケだ。んで、名前を売るためには金やら力やらいろいろ必要だろ? つまり、お前はそのための犠牲ってこと」
クリムメイスがじっと押し黙っている間に、フレイとシェミーが聞いてもいない事をぺらぺらと連ねる……どうやら配信活動もまた、彼らの啓蒙活動の一環らしい。
だが、どうなのだろうか、それは? 果たして彼女……彼……彼女……彼……? 達が伝えたいことは、視聴者達には伝わっているのだろうか?
……クリムメイスはそうは思えなかった。
このふたりを見ている視聴者達は、男なのか女なのか良く分からない美少女の形をした謎の生命体を面白がって見ているだけなのでは、と、どうしても思ってしまう―――。
「話が長くなっちまったな、とりあえずは……俺達の身体をいやらしーい目つきで見てくれていたお前のご尊顔をアーカイブに残させて貰うぜ」
「ほんとはこんなことしたくないけど、リスナー達が僕達の身体に篭絡されてたバカなヤツの顔を見たがってて仕方ないんだ」
「や、やめろーッ!」
―――だなんて、悠長に考えている場合ではない!
言われてクリムメイスは思い出してしまう……フレイの縦揺れやフレイの縦揺れやフレイの縦揺れやフレイの縦揺れ、そしてフレイの縦揺れに秒で籠絡された愚かな人間こそ自分であったのだと。
くそっ! なんでよりによってバカしか引っ掛からなそうなロリ巨乳とかいう分かりやすい地雷外見のフレイに引っかかってしまったんだ! せめてシェミーならまだ……それはただのロリコンだ! どっちもどっちではないか……!
悔しさから歯を食いしばって目を閉じたクリムメイスの兜をシェミーが引っぺがす―――ちなみに彼らの配信のコメント欄は『いwらwなwいwよw』『別に足りてる』『流石にかわいそう』『美少女オッサン共ウッキウキで草』といった言葉で溢れていた。
「なっ……おい、嘘だろ?」
「やたら声高いし中学生かそこらの子供かと思ってたんだけど、まさかね……」
完全にクリムメイスの顔を隠していたフルフェイスの兜……それを奪ってみれば、今度はシェミーとフレイが驚きの声を上げる番だった。
あまりにも武骨で威圧的なフルフェイスの兜を外された先にあったもの、それは―――。
「くっ……殺せ……!」
―――悔しさのあまり、目尻に涙を滲ませる少女の顔であり……それこそはクリムメイスの顔だった。
下手すれば少年の声にも聞こえるような、少女として見ればやや低めの声に違わず、切れ長な眼が与える中性的なイメージが特徴的なその顔は大変美しく……クリムメイスは分かりやすく〝美少女〟だった。
シェミーやフレイのような、完璧に男を落すためだけに作り上げられた人工的な美しさではなく、自然な美しさを持った、恐らくは生粋の。
「カナリアとかアリシアとかでも思ってたけどよ、このゲーム、なんか強いヤツら可愛い女子率高ェよな。俺らも含めて」
「もしかしたらバ美肉の宝庫かもしれないね」
ちょっとマセた少年だと思っていた相手が、図らずも拗らせまくった美少女だった事態に思わず唸ったシェミーとフレイが口にした、ひとつの恐ろしすぎる仮説を聞いてクリムメイスは思わず叫びそうになる―――そんなものは貴様らだけで十分だ! と。
……だが、下手なことを言えば逆上したこのふたりがなにを仕出かすか分からない……自分だけならばともかく、家族まで危険な目には遭わせたくない。
なにせ、相手は超古代電子世界を漁るような狂人だ、なにをしてもおかしくはない。
「つーか! その装備女モンかよ!? ウソだろ! 色気もへったくれもねえな!」
「でも凄い防御力高そうじゃない? シェミー、貰っとけば?」
「……んまあー、それもそうだな。流石にこのデザインのままじゃ、使う気起きねえし改造は必要だろうが、とりあえず頂くか!」
再び下唇を噛んで叫びを飲み込んだクリムメイスへ向けて、にやり、とイヤな笑みを浮かべたシェミーが再び近付いてくる。
どうやらクリムメイスの防具を奪う気のようだ―――恐らくは、クリムメイスの勝機を限りなく減らす為に。
「なっ! やめろ! 貴様ら! 仮にもネットアイドルのくせにそんなことしていいと思っているのか!?」
ガチャガチャと音を立てながら、自分の装備する鎧を外し始めたシェミーとフレイに対しクリムメイスは叫ぶが、それに対しシェミーがバカでも見るような……今まで一度たりとて見せなかった、冷え切った目を向けて返す。
「あのなあ、アイドルってのは性格が良い奴から死んでくんだよ」
クリムメイスを容赦なく見下す、一片の光すら刺さない、氷獄の奥底のようなシェミーの瞳……その目には非情な現実をいくつも見て、数々の同胞や好敵手の屍を乗り越えてきた修羅の色が見えた。
……まあ! それは確かにそうかもしれんが……! 少し昔の自分の姿を思い出してクリムメイスは悔しいながらも納得してしまう……そして、納得できてしまったことが悲しくて自分の装備を剥ぐ彼女たちから視線を逸らした。
まるで死体を荒らすハゲタカのような彼女たちから……。
「さて、と。武器は俺達の趣味じゃねえから盗らないが……勝機だけは完全に奪わせてもらうぜ。おい、そっち持て」
「はい、はい」
「ま、待て。なんだ……放せ! どこに連れて行く気だ! やめろ!」
全ての防具を奪われ、下着姿となったクリムメイスの両足をふたりが持ち上げて引き摺る。
このまま件のドラゴンの餌にされるのか……!? クリムメイスは嫌な想像を膨らませながらも、麻痺によって抵抗はできない……!
……と、そこで、麻痺の状態異常を示すアイコンの横に並ぶ、寒冷への耐性を得ている証となるアイコンを見てクリムメイスは今更気付いた……恐らくあのポーションは元より寒冷に耐性を得れる代わりに麻痺の状態異常が付与されてしまうポーションなのだろう、と。
そして、CBT勢であるこのふたりは、CBTの際にあのポーションと、それを使って攻略を楽に進められる雪原エリアの存在を知っていたので、あらかじめ〝麻痺を無効にする〟ような効果を持つ称号を得ていたのだろう、と。
だとすれば、警戒して差し出されなかったほうのポーションを飲んだりしたのは完全に無意味だった……なにせ全部毒入りといって差し支えなかったのだから。
「どこって……楽しい楽しいダンジョンだぜ!」
「美味しい狩場の話はしただろ? 実は、飛び降りれる崖ってのは六ヶ所あってさ。ひとつは話した通りドラゴンの夫婦の寝床で美味しいんだけど。他は……。……まっ、自分の目で確かめてくれ」
最初から回避不能の破滅へと向けて自分が追い込まれていたことを知り、思わず胸の中を後悔で満たすクリムメイスへと向けて、嗜虐的な表情を浮かべたフレイがなんとも恐ろしいことを言い―――そこで、ようやっとクリムメイスは『ドラゴンを狩り放題』等という夢のような狩場が存在していることに合点がいった。
その狩場へは6つの崖の中から正解を引けた者だけが辿り着けるというのならば、確かにボーナスステージめいた狩場が存在していることにも頷けるからだ。
……頷けるが、それは即ち、残りの5つの崖の下が相当な地獄なのだろうという答えにも直結してしまう。
「やめろっ、くそっ……放せ!」
「そう嫌がんなって! 安心しろよ! 入った瞬間にクリアするまで脱出不可にしてくれる、包容力たっぷりのママみてえなダンジョンだからよ! ハハハッ!」
心の底から嫌そうな声をあげるクリムメイスを見て、心の底から愉しそうに笑うシェミーが口にした言葉が―――入った瞬間にクリアするまで脱出不可能という言葉が―――脅しでもなんでもなく、単なる事実であろうことはクリムメイスにも簡単に察せられた。
なにせ、そういったダンジョンはクロムタスクの作品に毎回ひとつは用意されていることが多く……恐らく今回の場合はシェミーとフレイが自分を投げ入れようとしているところがそうなのだろう。
とはいえ、そういったダンジョンはリスポーン地点が最奥に設定されている代わりに、詰み防止のためにボスがスルー可能であったりとか、あるいはギミックを使えば簡単に倒せる等が通例なので、例え防具もアイテムもロクに準備していない今の状態で入れられてもいつかは抜け出せるだろうが……。
今は競技中であり、ただひたすらに時間が惜しい。
『いつかは抜け出せる』では困るのだ……!
「ほら! 着いたぜ! それじゃあ、達者でな!」
「下のヤツによろしく言っておいてよ、ハハッ!」
なにかの間違いで麻痺が解除されないかと願うクリムメイスだったが、残念ながら神は彼女を見捨てたらしい(そもそも神に拾われるほど善行を積んでるとは言えないが)。
崖から上半身を放り出され、宙ぶらりんの状態になったクリムメイスの視界に、赤黒い地面と大量の骸が積み上げられた不気味な光景が逆さまに広がる。
「ひっ……!」
眼前に広がる光景から自分が今から突き落とされようとしているダンジョンはやはり平穏なものではないと分かったクリムメイスが短い悲鳴を上げる―――それは、底に叩き落されるということよりも、底にて骸を積み上げている〝なにか〟への恐怖心から来る悲鳴だ。
怯えたクリムメイスのあげたなんとも可愛らしい悲鳴がシェミーとフレイの耳に届くかどうかのタイミングで、ふたりはクリムメイスの脚を放し……クリムメイスは重力に従って底へと一直線に落下していく。
「ぐえっ!」
そして、クリムメイスは積まれた骸の山……というよりは、残飯の山に頭から叩きつけられ、美しい顔に似合わない醜い悲鳴を漏らすことになった。
オニキスアイズはプレイヤーにフィードバックする感覚にはかなり気を使っており、当然ながら痛覚が刺激されることはないが、コントローラーを握ってた時代から自キャラの被弾に合わせて声が出る人間はいるし、クリムメイスもその類だ。
「くそッ……」
舌打ちをしながら起き上がったクリムメイスが自分の状態を確認する。
麻痺は……親切なことにダンジョン突入時に消えたようだ。
更に高所から落ちたにも関わらず、ダンジョン突入のために必須である落下だったからかHPは満タンのままで―――フレーバー的には、結構な高さから落ちたものの下敷きになった骨や肉のベッドのお陰かダメージはない、といったところか。
クリムメイスはとりあえず周囲に目をやり、近くになにもいないことを確認し―――。
「ウオーーーーーーーーーッッッッッ!!!! 殺すぞーーーーーーーーーッッッッッ!!!! 似非メスガキ共がーーーーーーーーーッッッッッ!!!!」
―――そして蛮族の如く、自分を落した二人組がいるであろう、丸く切りぬかれた空へと向かって叫ぶ。
自分の麻痺が消えた後に、あちらが一切手を出してこない場所から叫ぶあたりにクリムメイスの小者さが十分に出ているのは言うまでもないし、骸の上にて血みどろな下着姿で絶叫するクリムメイスが恐ろしいほどシュールなのも言うまでもない。
なまじ顔が良いせいで絵面がより一層酷い。
「殺すッ! あいつら絶対殺す……殺してやる……! うぶっ!」
一度大声で叫び、それでも当然ストレスが全然発散できなかったクリムメイスは、呪詛の言葉を吐きながら立ち上がろうとするが足がもつれてしまい骸の山に突っ伏してしまう……べちゃり、という不快な感触が全身に広がった。
間違っても心地の良い状態とはいえないので、クリムメイスはさっさと立ち上がろうとして―――ふと視界に大きな影が飛び込み、思わず呼吸と共に動きを止めた。
……薄暗い洞窟の影の中で蠢くそれは、異常なまでに発達した顎と二本の後脚、それと反比例するかのようにこじんまりとした前脚を持っている巨躯。
現実世界の生物でいえば獣脚類が近いだろうか……もっと言ってしまえば、ところどころの皮膚がべろりと剥がれたティラノサウルスといった風貌だろう。
大きく垂れ下がった皮膚は動きに合わせて揺らめき、濡れた鴉のように黒い表面と、腐ったトマトのような裏面が不規則に乱れる様は、さながら黒と赤の残光のようで……影の中の巨躯を現実離れした存在に思わせる。
「ひぃ……」
……正直、死ぬほど怖い―――クリムメイスは思わず冷や汗を流して引き攣った悲鳴を小さく漏らす。
あの巨躯こそ自分が今横たわる骸の山を作った存在だろうし、フレイが自分を落す前に言っていた『下のヤツ』というのもアレのことだろう。
防具があれば多少は恐怖心も和らぐものの、残念ながら今クリムメイスは下着一丁だ……あの大顎で食い掛られては即死は免れないだろう……だからこそシェミーは防具を全て奪ったのだろうし。
「……っ、あまりこのクリムメイスを舐めるなよ」
……だが、どれだけ怖くとも―――この場で無為な時間を過ごす暇など、クリムメイスには存在しない。
静かにクリムメイスは手元に唯一残った得物……大槌を握りしめ、立ち上がった。




