037-お前か、ゴーレムか その2
「なにやら恨まれているようですが、私、あなたになにかしましたか?」
恐らく、アリシア・ブレイブハートは鏡を見たことが一度もないのだろう。
獰猛な笑みを浮かべたキリカに少しばかり怯え、二歩程下がり、思わず聞いてしまった―――なぜ、そこまで自分に対し敵愾心を抱いているのか、と……。
そんな理由はいくらでも思いつきそうなものだが、残念ながらアリシア・ブレイブハートは自分が恨まれるようなことをしているつもりがなかったらしい。
……いや、だとしても確かにキリカの恨みようは頭一つ飛びぬけているが。
「……殺したの、あなたは。……キリカの大切な人。……追ってここまで来たのにぃ!」
アリシア・ブレイブハートの問いに対し、叫びながら駆けるキリカ。
その舌足らずな言葉ではアリシア・ブレイブハートへの彼女の恨みを完璧に理解することは出来ないが、その言葉を単純に受け止めるとすると『恋する相手を、彼が遊んでいるゲームの中でまでストーキングしていたら、その相手がアリシア・ブレイブハートに第一戦で惨たらしく殺されて脱落した』ということだろうか……?
アリシア・ブレイブハートは初めて目にした怒れる恋する乙女に恐怖した……そう、キリカは現実的にヤバい女であった。
そのルックスの高さとおとなしめの性格、なぜか無意味に美味い手料理から学園のマドンナ的存在として扱われているが、その異常な執着心からパートナーが出来ても一ヵ月と持たない挙句に、半年以上は自分から逃げた男を追い回すらしい……という話が学校の七不思議の一つとして、まことしやかに囁かれ、実際そうであるヤバい女である。
ある意味で青春を全力で謳歌しているので、アリシア・ブレイブハートの対極に位置する存在ともいえるか。
「知ったことですか!」
心に芽生えた恐怖心を誤魔化すようにアリシア・ブレイブハートが吠える―――当然だ。
死んだのは彼女の想い人の責任であり、殺した側である自分に責任はない……彼が強ければ死ぬことはなかったのだから。
……冗談でもなんでもなく、アリシア・ブレイブハートは本気でそう思っている、やはり彼女はキリカに負けず劣らず危険な思考の持ち主といえるだろう。
もしかすると力こそが全てであった混沌の西部開拓時代からタイムスリップしてきた人間なのかもしれない。
「……知らなくていい、ただ、死ねぇ!」
怒号と共に打ち込まれるキリカの鋭いストレートを右手の中盾で防ぐも、アリシア・ブレイブハートは腕を襲うびりびりとした衝撃に目を剥く。
これは、単なるSTRの高さからくる攻撃力ではない、キリカが効率的な殴り方を知っているが故の高火力……所謂システム外スキルによる高火力だ! 恐らく彼女は現実世界でも何かしらの戦闘技能を持ち合わせているに違いない……!
アリシア・ブレイブハートは幾度となく叩き込まれる拳を盾で防ぎつつ、異様な火力の高さを見せるキリカの拳をそう分析し……そして、実際その通りだ。
キリカはその大人しげな喋り方と容貌からまるで想像できないが、幼き日の多くをボクシングジムで過ごし、将来は数多のライバルをマットに沈めるハードパンチャーになることを期待され『陸地の黒いシャコ』と呼ばれていた過去を持つ少女だ。
肉に血が詰まった動く袋を殴り飛ばすことよりも、自らの美貌を用いて異性を自らのモノにすることに興味を抱いた中学時代に周囲から惜しまれつつボクシングの世界から身を引いたとはいえ、その才能は一切の衰えを見せてない。
「そうよ? アンタには是非とも死んでもらわなきゃ」
仮想現実の世界にて蘇る『陸地の黒いシャコ』による一切の隙を見せない拳の数々に、アリシア・ブレイブハートが防戦一方になる中、苦戦する彼女の耳元で不意に女の声が響く。
「なっ、くっ!」
瞬間―――凄まじい恐怖感に襲われたアリシア・ブレイブハートは姿勢を屈め、目の前のキリカの脇下を潜りぬける形で前方に跳んだ。
……その背中を鋭い刃の切っ先が掠めたことを考えると、あの位置から動かなければ今頃アリシア・ブレイブハートの腹からは刃が突き出ていたことだろう。
「あら、避けられちゃった。ざんねーん……クククッ……」
素早く距離を取りつつ身体を反転させれば、ひとりの少女が嗜虐的な笑みを浮かべてアリシア・ブレイブハートを見ていた。
その少女は右手の直剣をくるくると弄びながら天を仰ぎ、残念と口では言いながらもどこか楽し気で―――何より恐ろしいことに、アリシア・ブレイブハートは彼女に一切の見覚えが無かった。
自分に不意打ちを仕掛けられるような相手ならば、間違いなく顔を把握しているはずだが……第一戦を抜けた際には雑多なプレイヤーの中に混じっていたのだろうか?
だとしたら相当なやり手かもしれない……盾を構えなおして警戒を高め、新手の動向に注意する。
「……付き合ってくれるの。……ルオナちゃん」
「別にアンタに付き合うわけじゃないわ。アタシもヤりたいからヤるだけ!」
「……ツンデレぇ?」
「誰が。馬鹿なこと言ってないで、とっととヤろうじゃないの!」
だが、とりあえずその少女とキリカのやり取りを見るに、この急襲を仕掛けてきた新手はどうやらキリカの連れらしい。
なるほど、それならばやり手なのも納得できる……彼女は恋する相手をVRMMOの世界にまでストーキングする女を更にストーキングする女だ。
もしかすればそのヤバさはキリカをも上回るかもしれない―――アリシア・ブレイブハートは自分の目に間違いがあったことを理解し密かに恥じる。
そう、確かに第四チームは目立ったプレイヤーが集められていたが、目立たなかっただけで高い実力を持つプレイヤーは他のチームにもいたのだ。
……第一チームに関しては不意打ちで完全に壊滅させられたため誰がどうだったのか一切不明だが。
「……キリカ達が殺すのと、……あなたのゴーレムが死ぬの、……どっちが早いかなぁ……? にひひっ♥」
「流石にあっちでしょ! ねぇ、アンタ! ……そう簡単には死んでくれないでよ? クククッ!」
ふたりの現実的な目線から見てヤバい女に対面する、仮想空間という無法地帯をこの世で最も謳歌するヤバい女ことアリシア・ブレイブハートは、彼女たちの肩の先にて残りの第二チームの面々を抑えるクリムメイスへと無言で目を向ける。
ルオナの言う通り、自分はそうそう簡単には敗れない……最初こそキリカの素早い動きにテンポを奪われたが、一度場をリセットした今ならば対応は可能な範囲内だ。
倒すならともかく耐えるだけならば難しくはない……。
だが、ゴーレムの足元で防衛をしているクリムメイスは? 他のチームを潰しに回ったカナリア鏖殺班は? アリシア・ブレイブハートは第三チームのゴーレムへと目を向ける……そこではゴーレムが爆発四散し、足元には血だまりと肉塊の盛り合わせが形成されていた。
どうやらあちらは自分を信じて己の役目をこなしてくれている……ならば、自分もあとはカナリアたちとクリムメイスを信じ、ここを耐え抜くだけだ。
「さあ、死ぬ準備は出来たかしらッ!」
状況を把握し、ここから先の動きを決めたアリシア・ブレイブハートへとルオナが距離を詰めてくる。
彼女はアリシア・ブレイブハートと同じく中盾と直剣を装備した非常に標準的な装備構成をしている……が、どうしても変わったモノや派手なモノを装備しがちなVRMMOにおいて、こういった堅実な装備構成をしているプレイヤーは逆に危険である場合が多い(アリシア・ブレイブハートこそが良い例だろう)。
「『シールドチャージ』!」
「『シールドバッシュ』!」
突撃してくるルオナへと、アリシア・ブレイブハートは盾を利き手に装備することで利用できる盾用攻撃スキル―――『シールドチャージ』を使用し、ルオナはそこに合わせて利き手ではない腕に盾を装備した場合に利用できる盾用攻撃スキル―――『シールドバッシュ』を見せつけるかのように使用する。
与えるダメージは当然ながら利き手に装備した際に扱えるアリシア・ブレイブハートの『シールドチャージ』のが遥かに高いが、このふたつのスキルの性能は似ている。
どちらも盾を構えて直進しつつ加速して盾で相手を殴りつけるもので、防御判定を前方に持ちながら高速で接近しつつ相手の姿勢を崩せるのが特徴だ。
「ククッ、アンタのこと良ぉく見てるでしょ? アタシ!」
「っ!」
お互いの盾をお互いの防御判定へとぶつけ合う中でルオナが楽しそうに目を細めながら言う。
……その言葉を聞き、アリシア・ブレイブハートは彼女が今こうして自分と刃を交えている理由に気付いた。
キリカの言う通り『キリカに付き合う』というものもあるかもしれないが、それ以上に彼女は第一戦のアリシア・ブレイブハートの動きを見て、彼女が自分と同じ装備をするプレイヤーの中で頭一つ抜けた存在であることを理解し、〝その戦いを盗みたい〟と考えたのだろう。
「……あなたのレベルでは無理ですよ。私の〝剣〟を真似るのは」
「クククッ! どうだか!」
非常に厄介な理由で対峙されていることに不快感を抱きながら、アリシア・ブレイブハートは振り下ろされる刃を盾で受け流して胴体目掛けて剣を振るが、ルオナはそれを後ろに反るようにして回避する。
……おかしい、自分であればそこは盾で受け止めている……そんなにも態勢に無理が出る回避は―――。
「『サマーソルト』!」
「やはりっ!」
―――なにかを仕掛けてくる合図に違いない! そう決めて後ろに跳んだのが功を奏し、ルオナが後ろに仰け反る勢いを利用して放った鋭いサマーソルトキックをアリシア・ブレイブハートはギリギリのところで回避した。
……回避から攻撃を展開する攻めに重点を置いたその行動は、どちらかといえば盾で相手の攻撃を受け流して態勢を崩すことに基準を置くアリシア・ブレイブハートの戦法に反している。
どうやらルオナはただ単純にアリシア・ブレイブハートの猿真似をするだけではないらしい。
「……えい」
崩れかけた姿勢を、そのままバック転に繋げることでルオナと距離を取ったアリシア・ブレイブハートの横顔へと、急速に接近してきたキリカのストレートが向かう。
「甘いッ!」
「……うッ」
だが、アリシア・ブレイブハートはキリカの拳を盾で受け流し、脇腹に一撃加えながら通り抜けつつキリカの背を蹴り飛ばして距離を稼ぎ、再びルオナに接近する。
ルオナの目的が自分の戦い方を盗むことだと分かった以上、彼女の目の前でキリカの相手をして情報を与えることは避けた方が良く、であれば先にルオナを潰す他ないのだから。
「アタシじゃ真似できないって言う割には必死じゃない! のよッ!」
先の言葉と反するように、キリカよりも先に自分のことを片付けようとするアリシア・ブレイブハートに対し、ルオナが嘲笑の多分に混じった笑みを浮かべた。
アリシア・ブレイブハートはルオナの言葉に確かなストレスを感じ―――ただ、それで自分の動きを乱そうとしているのは分かるので、気にせず―――、一刻も早く彼女を退場させるべく、素早く肉薄して剣を振るう……が、それに対しルオナは動きを完璧に予測した防御を繰り返してみせる。
なるほど、確かに……ここまでこちらの動きを予測できているのならば第一戦で自分の目を掻い潜ったのも納得できる。
だが―――!
アリシア・ブレイブハートはこちらが次に出す頭上からの振り下ろす斬撃に対して、素直に防御で応えようとするルオナの姿を見て思わず笑みを浮かべた。
「あッ……!?」
その笑みの意味をルオナが理解する前に、アリシア・ブレイブハートは右手に持っていた直剣を三倍以上のサイズはあるであろう特大剣へと装備変更し、思いっきり振り下ろす。
当然、今更回避する暇もなくルオナは迫る特大剣を盾で受けとめる……しかし、その衝撃と重量は尋常なものではなく、思わず膝を折ってしまった。
「だから言ったじゃないですか。私の〝剣〟はあなたのレベルでは真似できないって」
「それ単純にステータスの差で真似できないってこと……!? 分かりづらいわね……!」
自分を地面へと縫い付けながら微笑むアリシア・ブレイブハートに対し、恨めしそうな目をルオナは向ける。
先程のアリシア・ブレイブハートの『ルオナのレベルでは自分の〝剣〟を真似できない』という言葉をルオナは『プレイングスキルの問題』だと捉えたが、違う。
単純に自分とルオナのSTRとDEXの値の差故に、同じ戦術を取ることは出来ないのだとアリシア・ブレイブハートは言っていたのだ。
実際、ルオナの今のステータスではこんな大きな武器を片手で十全に扱うことは出来ない。
「……無視しないでぇ?」
アリシア・ブレイブハートがルオナを地面に縫い付けることで戦況が硬直した間に、離された距離をようやっと詰めたキリカがその背へとストレートを狙うが、絶妙なタイミングで大きく横に跳ばれて回避されてしまう。
……確かにキリカはクロスレンジにて無類の強さを発揮するが、距離を詰められなければ関係はなく、それに気付いたアリシア・ブレイブハートは彼女との間に常に自らの得物以上の距離を保つことを選ぶことで無力化することにしたようだ。
「……むぅ」
「ちょっと、もう見切られてんの? 情けないわね」
「……まだ全力じゃないし。……『獣性の解放』」
キリカの攻撃は不発に終わったが、アリシア・ブレイブハートが距離を取ったことで大剣による攻撃から解放されたルオナが息を整えるのと同時。
不満そうにぷくっと頬を膨らませながらキリカがSTRを上昇させるスキル『獣性の解放』を使用する。
瞬間、キリカの身体を赤いオーラが覆い、そして更に青い燐光を撒き散らし始める―――それはアリシア・ブレイブハートが知らないエフェクトだった。
その効果こそ分からないが、アリシア・ブレイブハートは自らに上昇効果が発動した際に、それに追加効果を与えるパッシブスキルをキリカが所持していることだけは理解し、警戒心を強める。
ここで選択を間違えれば容易く屠られかねない。
「……逃げられなければ関係ない、……よねぇ♥」
そして、そのパッシブスキルの効果を理解するまでに時間はそう掛からなかった。
尋常ではない速度で距離を詰めてくるキリカの動きを見て、アリシア・ブレイブハートは彼女が得た追加効果が『自らの速度の上昇』であると結論を出す。
このゲームにはAGIというステータスが存在していないことから察せられるように、基本的にオニキスアイズにおけるプレイヤーの機動力というのは一律だ。
故に、アリシア・ブレイブハートのようにHPに一切数値を振らなくとも、盾での防御を極めれば凡そ全てのモンスターの攻撃に対応することができるし、キリカが今発動させたパッシブスキルのように、自らの機動力を上昇させるスキルはそれだけで強力なのだ。




