030-第一回イベント、開幕! その2
―――そんなクリムメイスの祈りが届いたのか。
突如として大地が揺れ始めて会場にどよめきが広がる……恐らくはイベント開始の演出なのだろうが、自分の立っている地面が揺れるとなれば人が恐怖を覚えないわけがない。
クリムメイスは無言ながらも学校で幾度となく行った避難訓練で学んだ知識に従いしゃがみ込む。
安全第一だ。
「思ったより凝った演出をするのですね」
無言でしゃがみ込んだクリムメイスと違い、揺れに一切動じずに立っているアリシアが嬉しそうにぱん、と手を合わせて目を輝かせる。
どうやら彼女には恐怖心というものがないらしい、クリムメイスは揺れよりもアリシアのほうが恐ろしいことを再確認した。
それと同時だろうか、大地が悲鳴のような音をあげて裂け始めて深い裂け目が出現する……深く深く、底のまるで見えない裂け目が。
突如としてプレイヤー達の前に現れた巨大な裂け目、その中から赤い血管が走る不気味な黒い触手がずるりずるりと這い出してきた―――この場のプレイヤーの八割方が考えていたより何倍も恐怖演出が激しい……当然ながら親連れの幼いプレイヤーなどは泣き始めてしまったし、クリムメイスも猛犬に睨まれた猫のごとく硬直した。
悍ましい触手の群れにプレイヤーが怯える中、続いて毛むくじゃらの巨大な四本の腕が更に裂け目から姿を現し、そして現れる……八つの目を持ち、首元まで裂ける大きな口を持つ巨躯が。
「ごきげんよう、諸君!」
巨躯が甲高いような、野太いような、聞くに堪えないほど悍ましいようで、どこか人を落ち着かせるような柔らかさを覚えさせるような、なんとも形容しがたい声色で巨躯がプレイヤー達に気さくな挨拶をする。
「私は妖精王、メガロ・マニア。あなた達、旅人の案内をするものですヨ」
その容姿から抱く印象に著しくそぐわない言葉にプレイヤー達は一人残らず困惑するが、自らを妖精王と称する黒い巨躯……メガロ・マニアは胸に手を置いて柔らかな声色で告げる。
お前のような案内人がいるか! クリムメイスは立ち上がりながらメガロ・マニアを睨みつけた。
「この度はお集まりいただきありがとうございます。私、人間の皆様とは少々感性が違いますからネ……開く催し物が受け入れられるか心配だったのですヨ。あぁっ、受け入れられるといえば、どうでしょう? この姿。なるべくあなた達人間の感性で〝愛らしく〟見えるような姿をとったのですがネ」
どこが……? 愛らしいの意味分かってるかお前……? クリムメイスは順当に疑問に思った。
全然愛らしくはない。
そしてそれは、この場のプレイヤーの大方の総意だった。
「まア。構いません。そんなものは細事ですしネ! それより! 第一回イベント『フリュウム縦断、大競技大会!』を開催しましょう!」
場を盛り上げない方向に振り切らせているメガロ・マニアの登場演出によって完全に冷め切った会場に、第一回のイベント開催の宣言がされる。
だが当然この場の空気はメガロ・マニア自身の手で殺されており、歓声のひとつもあがらない。
「これからあなた達には3つの〝戦い〟に挑んで頂きます。そして、最後の〝戦い〟が終わった時、良い戦績を残した三組の旅人たちには私から至上の〝贈り物〟を差し上げましょう」
続いてメガロ・マニアが語った内容は、今回の第一回イベントの開催が決定した時に公式ホームページやゲーム内で告知されていたものと同じであった。
であれば、そこに盛り上がる要素は一切なく、再び歓声のひとつもあがらない。
「では、早速ですが。最初の〝戦い〟を始めましょうかネ!」
完全に冷え切っているプレイヤー達と違い、段々とテンションを上げてきたメガロ・マニアがパチンと指を鳴らす。
瞬間、クリムメイスは淡い光に包まれる……転移による強制的な移動だろう。
「最初の〝戦い〟は 競走……ルールは簡単ですヨ! この森を抜け、ゴールである『鰐村』へと向かってもらうだけですから」
プレイヤー達を包んでいた光が散らばると同時、目の前に広がったのは大多数のプレイヤーにとって見たことのある光景―――初心者向けのダンジョンとして広く知られる『大鰐の棲家』へと向かう際に通ることとなる鬱蒼とした森だ。
そして、この森を抜けた先をメガロ・マニアは指し示す。
「あア、ルールは簡単ですがネ、ルートは簡単ではありません。今回の催し物のために、特別な魔物を放たせて頂きました。……珍しいからって、魔物を追い回すのに夢中になってしまってはいけませんヨ? 次の〝戦い〟へ進めるのは100組だけですから! しかし、かといって。急ぎすぎも良くありませんかネ! フフフ、どうしましょうか」
なんとも楽しそうな様子で〝戦い〟の詳細を語るメガロ・マニア……それを聞いてクリムメイスはこの〝戦い〟が思ったよりも複雑なものだと理解する。
次のステージに進むことが出来るのは先着100組だけだが、先行すればメガロ・マニアが用意したという〝特別な魔物〟と顔を合わせることになるだろう……上手い具合に他のプレイヤーを先行させて〝特別な魔物〟にぶつける必要がありそうだ。
しかし、他者を先行させればそれだけ自分が遅れるのには違いない。
「さて! お喋りはこれぐらいにしましょうか! 花火が打ち上がったらスタートですヨ!」
言いながらメガロ・マニアは黒い謎の球体をプレイヤー達の前に設置する。
ドクドクと脈打つソレは間違っても花火などという華やかそうなものではない気がするが……いよいよもってレースが始まろうとしている。
その雰囲気はこの場の全員が当然感じており、つい先ほどまではメガロ・マニアにテンションを殺されていたプレイヤー達もにわかに盛り上がり始め、そして再び静けさに包まれる。
……だが、それは先程までの静けさとは違う。
白けたような静けさではなく、張り詰めた静けさだ……この場の全員が、〝戦い〟の始まりを前にして息をのんでいるのだ。
ドクン、ドクン、と次第に謎の球体の鼓動が大きくなり、間隔が短くなる。
花火はそういう類の物体ではないとクリムメイスは思うが、メガロ・マニアのやることなすことにいちいちツッコミを入れていては勝てる勝負も勝てない。
この場所に転移させられた時にはぐれたものの、このイベントに参加しているのは周囲の一般家庭の母父子供だけではなく、アリシア・ブレイブハートのような狂人もいるのだから。
ともかく、いよいよ謎の球体が破裂して〝戦い〟の火蓋が切って落とされる―――。
「あア、忘れていました。この〝戦い〟、他者への妨害は自由です」
「!?」
―――瞬間、とんでもない爆弾発言がメガロ・マニアの口から漏れる。
なんということだ、まさかの妨害自由……! クリムメイスがそこを気にする前に謎の球体が破裂し、子供の悲鳴のような聞くに堪えない音と共に閃光と血飛沫を撒き散らした……その演出は本当に必要なのだろうか?
いや、そんなことを考えてる場合ではない! クリムメイスは走り出す。
「死亡した場合は、このスタート地点……あるいは、通過したチェックポイントからの再スタートになります。チェックポイントの間隔は大体500m、ちなみにゴールまでは2km程ですネ!」
とりあえずは全速力でスタートしたクリムメイスの背に、意地の悪そうなメガロ・マニアの声が届く。
どうやらわざと開始後に一番重要なことを喋っているらしい……! なんと性格が悪いことか!
ちらりと視線をやればメガロ・マニアは大きな口を引き裂かせて楽しそうに笑っている……奴は妖精ではなく悪魔なのでは? クリムメイスは訝しんだ。
「あぁっ、先輩! ダメだってば! ちょっと下がって様子見よって先輩!」
「いいえ! 先んずれば人を制す、ですわ! 全速前進ですわよ!」
クリムメイスがメガロ・マニアへと視線をやっている間に、二人組のプレイヤーがクリムメイスを追い抜いていく。
慌ててクリムメイスが自分を抜いたプレイヤーたちに目を向けると、追い抜いた二人組のプレイヤーは少々奇妙な出で立ちをしていた。
片や、想像を絶するレベルで背中が開いた装備を身に纏い異形な大弓を背負ったプレイヤー、片や、やたら体のラインが浮き出るピッチリとした光沢の激しいぬめついた装備を身に纏い不気味な生命体の死骸が取り付けられた長杖を手にしたプレイヤーだ。
……若すぎるな、と、クリムメイスは心の中でふたりの少女を見下した。
その口振りからして後輩なのであろう、ぬめついた装備の少女の言う通り最前列を走るのは賢明とは言えない……なにが待ち構えているのか分からないのだから、少し引いた場所から全体を俯瞰するのが固い選択といえる。
ややスピードを落としながらクリムメイスは最前列を突っ走る二人組の背を見ることに決めた。
「……なんだと!?」
しかし、クリムメイスの目の前に広がったのは理解しがたい光景だった。
最前列を突っ走る二人へと木々の間から飛び出した大蛇らしきモンスターの大顎を、それもひとつやふたつではないそれを、例の二人組は危うげながらも全て回避していったのだ。
さて、普通であれば最前列を走ったものが餌食となり、その後を追う者たちが有利となるはずのこの配置で、最前列の走者が容易くモンスター達の間を通り抜けてしまうとどうなるか―――簡単なことだ。
「くそっ! ふざけるなよっ!」
すぐ後を追っていたクリムメイス達が狙われるのである。
異常なまでに長いその首を木々の間から走者たちに向けて伸ばしている、恐らくはヒュドラーのような多頭の怪物なのであろうそのモンスターの攻撃を丁寧に回避し、通り過ぎるその頭部に己の得物である大型のメイスの一撃を食らわせながらクリムメイスは悪態をついた。
「ぬわーっ!」
「父さァーッん!」
そんなクリムメイスの横で父親らしいプレイヤーが大顎の犠牲となり頭部からぺろりと平らげられてしまい、その光景を目の前にした息子らしいプレイヤーが絶望的な表情で悲鳴を上げた。
……地獄絵図! クリムメイスは目を剥き、メガロ・マニアの趣味の悪さに憤った……これがお前のやり方か!
「あのっ! 助けてっ! パパもママも死んじゃった!」
「うっ!?」
多頭のモンスターによる攻撃によって一気に地獄と化したコース内にて、親を食い殺されたらしい幼いプレイヤーがクリムメイスの腰に抱き着いてきた。
その衝撃に思わず倒れそうになりながらクリムメイスがプレイヤーを見れば、それはレースが始まる前にクリムメイスに衝突してきた子供であった……短いおさげの可愛らしい女の子である。
「邪魔だァーッ! 親と同じ地獄にでも落ちろーッ!」
「ぎゃん!」
秒でクリムメイスが少女を蹴り飛ばす! 残念ながらクリムメイスに子供を救うほどの心の広さはない。
いや、もしもこれで抱き着いてきたのがレース開始前に言葉を交わしたアリシア・ブレイブハートであれば、そのギャップに萌えてしまい逆に助けたかもしれない。
だが、いま抱き着いてきたのは家族でギャーギャー騒ぎながらVRMMOをプレイしている、クリムメイスが最も憎悪する幸福な一般家庭プレイヤーの子供である。
普段幸せなんだからたまには人間全てを憎悪したくなるような陰惨な目にあっておけ! クリムメイスは蹴り飛ばされて転がった少女に己の得物である大型のメイスでトドメを差して親元に送り返し再び走り出した。
……一見して非道極まりないプレイに見えるが、先に死んだ両親の元に送ってあげているので実のところ良心的である。
実際、横で似たような状況に出くわしたアリシア・ブレイブハートは、相変わらずの可愛らしい笑顔で子供の両足を切断した挙句に多頭のモンスターの目の前に突き出し、さながらカマキリに捕まえたトンボを与えて遊ぶ子供のような姿を見せている……あれが本当の悪魔だ。
悪魔の所業を横目に、多頭のモンスターによって食い散らかされる阿鼻叫喚のエリアをクリムメイスが抜け出して走り出すと、クリムメイスたちの更に後方を走っていたプレイヤー達が、食い荒らされる先駆者たちを尻目に追いついてくる。
卑劣な臆病者どもめ……! クリムメイスは自分がやろうとしていたことを棚に上げて後ろを追ってくる者達に憤った。
「いやあ、ラッキーね! フレイ!」
「そうだね、お姉さま!」
「このまま勝っちゃうからねー! 高評価よろしく! ぶい!」
特に、どうにもレースの様子をライブしているらしい二人組の配信者に……男に媚び諂うために生まれたかのような白髪貧乳と金髪巨乳の少女のコンビに深く憤る。
クソが! どうせ中身は媚びた高音ボイス以外に取り柄のない顔面偏差値底辺クラスの声優崩れなのだろう!
血走った目でクリムメイスが睨む……そこには明らかな私怨の炎が燃え盛っていた。
「マツさん、マツさん、よかったねえ。ゆっくりめに走って」
「うん、よかったよ。タケさんの作戦に従って正解だった」
「たりめぇよ、おれァ第二次生き延びてるからよ」
「あなたまたそのジョーク? フフフ、いい加減飽きてきてよ? オホホ……」
そして、軽口を叩きながら地獄を抜けてくるお爺ちゃんとお婆ちゃん四人組のプレイヤーにも深く……深く深く憤る。
ふざけるな! 年金暮らしのジジババ共が本腰入れてVRMMOなんかやるんじゃない! 無限の資金と無限の時間を持つ貴様らが本気でこの手のゲームに手を出したら時という死神以外お前らを止められないだろうが! 大人しくゲートボールでもやっていろ!
クリムメイスは更に血走った目で睨む……! クリムメイスはきっと目についたもの全てを憎まないと気が済まないのだろう。
「はあ、楽しんでいたら少々遅れてしまいましたか。ふふっ、あんなにも可愛らしい死に顔をするから……」
続いて悪魔こと、アリシア・ブレイブハートが恍惚とした表情を浮かべながら地獄を抜けてくる……なぜか血塗れだ。
クリムメイスは後ろを気にするのを止めて全速力で前へと向かって走った。
地獄から悪魔が追ってくる……! あいつに追いつかれたら惨たらしい死を迎えることに違いない……!!
クリムメイスは密かに兜の中で涙を零す。
あまりにもアリシア・ブレイブハートは恐ろしかった……。
 




