003-チュートリアルにて。その3
「よかった、ちゃんと覚えていたか」
安堵したような柔らかい笑みを浮かべるレプス。
だが、直後に彼女は少々意地の悪い笑みを浮かべる―――よりも先に、無言でカナリアはレプスの両足を肩に担いで持ち上げ馬車から落とした。
……訪れる静寂。
悲鳴すら上げずにレプスは馬車から落とされ、崖で幾度となく体を跳ねらせて落ちていく。
「…………」
その様子を固唾を飲んで見守るカナリア、気付けば馬車もその足を止めていた。
「どうか、しましたかぁ?」
今まで一度たりともこちらに話しかけてくることのなかった御者が、振り向きながらカナリアに問う。
そしてそれは、カナリアに物語が進展したことを実感させた。
いや、正確には物語がいまひとつ終わったんだとは思うが。
「ちょっと! 荷物を落としましたわ! 下まで見てきますので待っててくださる!?」
「えぇ。少し戻れば緩い坂があるんで、そこから行くといいですよ」
興奮した様子のカナリアに対し、御者は柔らかな笑みを浮かべて下へと降りる道を教えてくれる……おそらく彼は、カナリアの言葉に対して最適なアドバイスを返したのだろう。
惜しむべきは、(故意か過失か)乗せていた乗客の数を把握するプログラムを組み込まれていなかったことか。
「ふ、ふふふ……! うふふふふふ……! やった、やった……! やりましたわよ……!」
抑えきれない笑いを零しながらカナリアが坂を下っていく。
その姿は完全に標的を殺害して喜ぶ猟奇的殺人者のソレのよう……というかそのものだった。なにも間違ってなかった。
なんということだろうか……カナリアは猟奇的殺人者であった。
「はぁあー! わたくしはやったんですわーっ!」
そして辿り着いた崖下……そこには五体があらぬ方向に捻じれ曲がって動かなくなったレプスの遺体があった。
カナリアは思わず頬を紅潮させて両手を頬に添え、涙と共に満面の笑みを浮かべる。
やった、やったのだ。
ついに、ついにあの宿敵を……レプスをその手で殺害したのだ。
本当にやってしまったのだ、ついに。
なんということだ、本当に殺してしまったのか。
「まったく、レプス。あなた賢くない判断をしましてよ。最初からこの指輪を渡して下さればこんなことになりませんでしたのに……ふふふ」
さながら金目のアクセサリーを手に入れるために人の命を奪う残酷な悪女のような台詞を言いながら、金目のアクセサリーを手に入れるために人の命を奪う残酷なカナリアはレプスの遺体へと迫っていき、その右手を踏み躙りながら中指に着けられた指輪を掴み、入手しようとする。
「……うんっ!? あれ!? 外れませんわよ!」
が、指輪はピクリとも動かない……どういうことだろうか?
と、ここでカナリアは思い出す―――。
『……すまない。この指輪は一度着ければ永遠に外すことの出来ない呪われた指輪でな。いくらお前の頼みといえど、あげることはできないよ』
―――生前のレプスの言葉を。
「えーっ! 死んでも外れませんの!? それはお話が違いましてよ!」
……確かに『死ぬまで外れない』ではなく『永遠に外れない』とは言っていたが、まさか死んでも外れないとは!
特に根拠もなくレプスを殺せば指輪が手に入ると思っていたカナリアは大きな溜め息と共に肩をがっくりと落とす。
「じゃあなんでしたの……この4時間は……」
ここまで苦労したのに、別段得るものは無し……なんと虚しい結果であろうか。
カナリアは道端の小石でも蹴るようにレプスの頭を蹴り飛ばし、大きな溜め息をひとつ吐き、とりあえずレプスの地面と平行線を描いている胸部に得物の直剣を突き立ててグリグリと動かし始めた。
「え、いや、でも指輪が手に入らなかったらわたくしストーリー進められませんわよね?」
そして気付く……死んでも外れないんじゃあ、どうやってこの先ストーリーを進めればいいのだろうか? ストーリーを進めるためにはレプスの唯一の存在意義であった指輪が必須なのだが……。
常人であれば勿論崖の上に戻って投身自殺を図り、レプスを殺してしまうという悲しき未来を変えようと思うだろう。
だが、カナリアは違った。
「ああ! 指輪が外れないのならば指のほうを外せばいいのですわ!」
ぱん、と手を合わせて目を輝かせるカナリア……どうやったらそんな悍ましい考えがパッと思いつくのだろうか。
思い立てば即行動、カナリアは手持無沙汰のあまりレプスの胸部に突き刺していた直剣を引き抜き、代わりに右手の中指へと突き立て、その指を切り落とす―――と、彼女の右手から離れた中指は赤黒いポリゴンの集まりと化し、風に乗って消えていく。
「ほら! やっぱり! ふふふ~ん、わたくしってば冴えてますわねえ~」
からん、と音を立てて地に落ちたレプスの指輪を拾い上げてカナリアは満足そうに笑い、その指輪を自らの中指へと装着する。
『称号獲得:簒奪者、暁の継承者、夕闇の契約者、ハイエナ』
瞬間、カナリアの耳元でシステムボイスがなにかを告げる。
それがなんなのかをカナリアが理解するまでには少々時間を要したが、レプスと過ごした僅かな時間の間に、ステータス画面で様々なものが確認できるということを教わっていたことを思い出し、1/3ぐらいはやったチュートリアルで習った通りの操作をしてステータス画面を呼び出す。
すると、ずらずらと様々な情報が宙に並べられていく……『名前:カナリア』、『レベル:5』、『職業:強盗』……。
「って誰が強盗ですの! 失礼ですわね!」
どう見ても普通に強盗のカナリアが空中に投影されるステータスに表示された職業を見て不満そうな声を上げる。
いったいなにが不満だと言うのだろうか。
「しかし、これ。よく分かりませんわね、もっと細かい説明は出ませんの?」
謎の不満を漏らしつつ視線を下に落としていくと、『HP:500』、『MP:50』、『STR:0』……『アクセサリー:シュテレーの指輪(呪)』、『称号:簒奪者、暁の継承者、夕闇の契約者、ハイエナ』、『スキル:夕闇への供物』……と、いろいろな数字といろいろな言葉が並んでいるのにカナリアは気付いたが、ゲーム初心者である彼女にはその意味がいまひとつ理解できない。
なので、カナリアは細かい説明が出ますように、と祈りつつ並ぶ単語のひとつ―――簒奪者をタップしてみる。
■□■□■
簒奪者
:誰かの運命を終わらせ、その運命を奪ったものに与えられる称号。
:主要NPCを殺害する。
:あらゆる補助効果が5%加算される。
■□■□■
「……ええ~、まるでわたくしが悪いみたいな言い回しですわね……」
確実に間違いなく全面的に悪いカナリアが唇を尖らせながら簒奪者の説明に目を通す。
意味を全ては理解できなかったが、上昇すると書いてあるのだし、きっとこれはいいものなのであろうとカナリアは考える。
そして、やはり苦労してレプスを殺害して良かったとも……いや、そこはそうじゃないと思うが。
ともかく、タップをすれば細かい説明を見れると理解したカナリアは次々と画面をタップしていく。
■□■□■
暁の継承者
:暁の神子、レプスを殺害したものに与えられる称号。
:特に理由もなくレプスを殺害する。
:HPを代償とするスキルの効果が2倍となる。
夕闇の契約者
:夕闇の悪魔『シュテレー』と契約を交わしたものに与えられる称号。
:呪われた装備『シュテレーの指輪』を装備する。
:スキル『夕闇への供物』を習得する。
ハイエナ
:不運に見舞われたものから、生き抜く糧を得た証。
:発見した死体から躊躇いなく金品を奪う。
:人族の死体を漁るたび、1分間LUCを+50する。
夕闇への供物
:他のスキルを使用する際に、MPの代わりにHPで支払うことが可能となるスキル。
:HP2の支払いにつきMP1と同等。
:使用する際はMPを使用出来ない。
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「なんだか不当な評価を受けている気もしますけれど……どれも良さげですわね!」
まったくもって正当な評価を受けているカナリアが、ぱん、と手を合わせて喜ぶ。
彼女が特に気に入ったのはスキル『夕闇への供物』だ……なんとMPの支払いをHPで代替していいらしい。
ということはMPが実質不要だし、HPのステータスを上昇させるだけでMPを上げたも同然……なんともお得である……いやお得であろうか? 少なくともカナリアはお得であると感じた。
「STRやDEXなどを上昇させるスキルがあったりすれば、もはやHPさえ上げておけば他は必要ないなんて……助かりますわね~」
大変短かったレプスとの平穏な時にチュートリアルで説明されたステータスとレベルアップの意味を思い出しながら『どのステータスをレベルアップさせればいいのか分からない』という初心者にありがちな悩みが無くなりそうなことをカナリアは喜ぶ。
同じくチュートリアルで一部のスキルはMPを多く支払えば支払うだけ効果が上昇する……とも習ったし、他のステータスを上昇させるスキルが本当にあるのならば、本格的にHP以外のステータスが不要そうだ。
「さて、他の戦利品は……」
とりあえず自らの状態を把握したカナリアは、無残な死体と化したレプスへと向ける。
なんということだろうか、彼女はこんな酷い姿になったレプスから指輪をくすねるだけでは飽き足らず、その防具や武器なども奪い取ろうとしているのだ。
「おぉお~! たくさん手に入りましたわね~!」
そうして数分後、そこには下着姿の惨い死体と化したレプスと、彼女が装備していた鎧・武器を全て装備した残酷なる簒奪者・カナリアの姿があった……本当にカナリアはレプスの役割を簒奪しようとしているのだろう。
「この剣とクロスボウには苦しめられましたわ……」
散々苦労したんだから、別に死体から引き剥がしても問題ないよね? とでも言いたげな雰囲気で瞼を落して、苦しい戦いの数々を思い出すカナリア。
まるでなにか強力なモンスターを頑張って撃破して、その報酬としてレアな装備を手に入れたような雰囲気を出しているが、彼女はメインヒロインを理不尽な理由で殺害した挙句に装備を剥いだだけである。
「さて! 今日は疲れましたし、とりあえずこんなもので」
「ひ、ヒィイイッ!」
ログアウトして、寝ましょう! と続けようとしたカナリアだったが、突如として男の悲鳴が聞こえて振り返る。
すると、そこには先程まで馬車を引いていた御者の男がおり、青ざめた顔でカナリアを見ているではないか。
どうやら戻りが遅いカナリアを心配して様子を見に来たらしい……なんと優しい男だろうか。
「ひ、ひとごろしゅっ」
彼が震えた指でカナリアを指差すと同時、カナリアの左手に握られた真鍮色と黒い薔薇の意匠が実に美しい、非常に高価そうなクロスボウ―――レプス愛用のクロスボウ、ダスクボウから放たれたボルトが彼の喉を容易く貫く……なんと素早い殺害行為だろうか。
「……ふぅ。あやうく殺人犯になるところでしたわね」
ゴボゴボと息苦しそうな声を出しつつ、口から血を吐き続ける御者へと近付いて頭部に三発ボルトを打ち込んだカナリアが安堵したように呟く。
……いや既に十分殺人犯だろ、いったいお前はなにを言っているんだ?
常人が近くにいれば間違いなくそうツッコミをいれるところだろうが、残念ながら彼女の周りにはふたつの元々は人間であった肉の塊が転がっているばかりで、誰も彼女の間違いを指摘できない。
「えーっと、アイテムはっと」
間違いなく〝バレなければ犯罪ではないのだから、人を殺しても目撃者がいなければ殺人犯ではない〟とか、そんな感じのことを考えているのだろうカナリアが足元に転がる御者の死体を漁る。
そこには一切の躊躇いがない……彼女は生粋のハイエナであった。
「まあ! 荷台の鍵、ですわ! 素晴らしいですわね!」
そして、ちょっとした小遣いを拾った! ラッキー! みたいなノリで殺した御者の懐から鍵を抜き取るカナリア。
なんて恐ろしい女だ。
「上の荷台のアイテムだけ確認して寝ましょうか!」
無残なふたつの死体を作り上げた罪の意識など一切感じてないであろう様子で、鼻歌交じりに坂を上って馬車へと戻っていくカナリア。
なんて、恐ろしい女だ。
……そう、この瞬間、間違いなく誕生したのだ。このオニキスアイズの世界に―――。
「……自分のペースで遊べると、意外とゲーム楽しいですわねっ!」
―――恐るべき簒奪者、カナリアが。