026-蛇殻次の毒蛇 その3
「……できた」
「うん、良かった」
カナリアとウィンが結論を出すのとほぼ同時に、ハイドラのパズルも完成したようだ。
ひとつのピースも余らず、綺麗に図の通りになった謎の立方体を見てダンゴも満足そうに頷き、ハイドラの頭をぽんぽんと撫でる。
「……めっちゃお兄様度高いですわね」
「……ヤバい、ちょっと欲しいかもしれないあの兄貴」
「えっ」
急なアレ欲しい宣言を聞いてカナリアは思わずウィンを見てしまう……そこには、口元を手で覆って真剣な表情を浮かべるウィンの姿。
ウィンこと新葉 初香には二人の小さな弟がおり、その反動かは知らないが『たまに兄が欲しくなる』と(たまにと言う割には高頻度で)常々口にしていたことは知っているが……。
カナリアは戦慄する。
もしや、ウィンとハイドラでダンゴを取り合う恐るべき修羅場が待っているのか、と……。
「……いちおう、言っておくけど。別にひとりでも……出来たから」
「うん」
「でも……ありがと……」
「うん」
外野がそんなことになっているとはつゆ知らず……といった雰囲気でベタベタとし始めるダンゴとハイドラ……これはヤバいですわね、とカナリアはそんなふたりを見て思う。
ダンゴが絶望的に兄に向いていない容姿や声をしているのは当然ヤバいが、それ以上にヤバいのが、あのハイドラの兄への依存っぷりだ。
……ハイドラがダンゴを見る目を見ていれば分かる。
この世の全てが自分の兄を女の子として扱い、時には妹とすら言っているせいで、もう彼女にとってはダンゴは『私だけが知っている私だけのお兄ちゃん』状態なのだ。
だから(無意識かもしれないが)普段は兄を小馬鹿にするような言動を取って兄の『兄っぽい部分』を隠そうとするし、今回の彼の外見についても否定的なのだろう。
元々の容姿ならば、まず誰も自分の隣にいる彼を男と見ないだろうし、自分だけの『兄』を独占できるから……。
「……ウィン、あれはやめた方がいいですわよ、血で血を洗う惨い戦いになりますわ」
「……いや、さっきの頭ポンポンにはめっちゃ惹かれたけど、冷静に声聞いてたらやっぱ無いなって思ったから大丈夫」
そう分析したカナリアがウィンへ警告を飛ばすが、ウィンはウィンで冷静にダンゴの声を聞き続けていたら、これが兄は少々無理があるな……という結論に着地したらしい。
良かった、とカナリアは、ほっと胸を撫でおろす……惨劇は回避されたのだ。
「えー、こほん。そろそろよろしくて?」
「あ、はい。ごめんなさい、急に」
「…………ごめん……」
さて、このまま放っておくと永遠に二人の世界でベタベタしてそうなので、とカナリアが咳払いひとつすると、先程まであんなにべったりとくっ付いてたダンゴとハイドラがパッと離れて向き直る。
ダンゴは普通に苦笑しながら、ハイドラは今更になって自分の姿全てをカナリアとウィンに見られていたことに気付いたのだろう……顔を真っ赤にしてそっぽを向いている。
「どうせならボスも倒していこうと思うのですけれど……どうでしょう?」
「お、いいねえ」
そんなふたりへとカナリアが提案するのは、互いに一応の目的は果たしたのだし、最後にボスモンスターも撃破していかないか? というもので、特に反対する理由を持ち合わせていないウィンは素直に首を縦に振るが、一方でダンゴとハイドラは少々気不味そうな表情を浮かべる。
「いいんですか? 僕達、お力になれませんけれど」
「むしろ足引っ張るかもしれないし」
理由は明白で、まあ、その通りだろう。
どう考えたってこのふたりがカナリアやウィンの役に立つとは思えない……ハイドラは非常に器用に動けるが、残念ながら現状戦力に数えられるほどは研究が進んでいない生産職だし、ダンゴは論外だ。
……なんなら提案したカナリア本人ですらこのふたりは別に役に立たないだろう、無理矢理役立てるなら肉壁にするしかない、と心の中で評価している。
「んまあ、戦力云々の話は抜きにしまして……折角ですから、思い出作りだとでも思ってお気軽に」
だが、別に力を貸して欲しくて誘ったわけではない、言葉の通り思い出作りとして誘ったのだ―――なんせ、カナリアにとってはこれが初めての全く知らない相手とのパーティープレイだったのだから。
……そう、そもそも相手のための思い出作りというわけですらなく、半ばカナリアの我が儘だ。
故に、ダンゴとハイドラの強さはどうでもいいのだ。
彼女は単純に、初めてのパーティープレイで一緒にボスを撃破した、という事実が欲しいだけなのだから。
「なら、まあ……はい。ぜひ」
「じゃあ、せめて、自分の身ぐらいは守るから。私たちのことは気にしないで戦ってくれていいよ」
カナリアのそんな考えなど知るはずもないダンゴとハイドラは、そこまで言ってくれるならば断るほうが失礼か、と考えて首を縦に振る。
では、向かうは中央の本堂だ。
恐らくそこにこのダンジョンの主が潜んでいるのだろう……だがしかし、一切なにが潜んでいるか予測できない。
なんせマジでモンスターとの戦闘が殆ど起こっていないし、蛇術師1体以外見てすらいないのだから。
これじゃあ、それは当然生産職以外来なくなるわけだ、と、この場の全員が思う。
「あれ、そういや。気にしてなかったけど、ボスの情報なんも出てこなかったな……」
ふと、ウィンが小さな違和感に気付いて呟いた。
普段、情報の収集にはSNSを使っているウィンだったが、蛇殻次のボスに関する書き込みを一切拾った記憶がないのだ。
そういった情報……俗に言うネタバレというものは積極的には拾いたい情報ではないとはいえ、そういうものも目に入ってしまうのが攻略情報のリサーチであるはずなのだが……。
「というか、わたくしとしてはまず世界観が違いすぎていることが気がかりなのですけれど」
頭を捻るウィンに続き、どうして誰もなにも言わないのかが不思議だ、といった様子でカナリアが言う……確かに、言われてみればそうだ。
この蛇殻次は思いっきり和テイストな荒れ寺だが、今までこのゲームは基本的に西洋ファンタジーの世界観……ちょっと肥大化し過ぎて頭部から外れてしまった脳が這い回ってたりしたが、どこにでもある剣と魔法のRPGだったはずなのだ。
「言われてみれば確かに……」
「……よく見たら、なんか空さ、変じゃない?」
カナリアの言葉で色々と気になったらしい双子がきょろきょろと辺りを見渡し、ハイドラはなにかに気付いたらしく空を指差す。
一同がつられて指差す先に視線をやると……確かに、見るからにおかしかった。
夕焼けの空、流れていく雲がある一定のラインで虚空へと消え去っている……まるで、この荒れ寺の上に広がる空だけは別の空間から切り抜いているかのように。
先程まではただ単に閑散とした荒れ寺だと思っていたが、こうして奇妙な点を挙げ始めてみると途端に不気味に思えてくるものだ。
単純に旨味が無いとしか思わなかった『蛇術師以外のモンスターが存在しない』という点までもが薄気味悪い……。
とはいえ、やはり遮るものもなにもないので、幾分か足取りが重くなったとはいえ、そこまで時間も掛からずに一行は中央の本堂へと辿り着く。
「入口ないし」
……が、周囲をぐるっと一度回って探すも、その本堂には入り口が無かった。
ゲームシステム的に戸が開かないとかではない、そもそもそんなものがないのだ……窓さえも。
この本堂の中にボスがいるものだと思い込んでいた一同は揃って首をひねり、じゃあどこに行けばいいのさ、と誰かが呟こうとした瞬間―――ウィンが唐突に素早く振り向く。
「なに、どうしたの? ウィンさん」
「えっ、あ。いや……あはは、なんか気になっちゃって」
「ちょっと……気味悪いからやめてよね? そういうのさ……」
自分の方に向き直りながらも、ちらちらと横目で後ろを気にしながら恥ずかしそうに頬を掻くウィンを見てハイドラが肩を抱いて顔を青くする。
そして一方でカナリアはウィンが気にした方向へとダスクボウを無言で射出していた。
「あら? なにもいませんわねえ」
「それ撃って確認するんだ……」
おかしいですわね、とでも言いたげな様子で唇を尖らせるカナリアを見てダンゴが苦笑する。
……もし触れてはいけない相手じゃなかったらどうするつもりだったんだろう、この人。
とは思うが口にしない……ダンゴはカナリアとは違い、触れてはいけない相手をむやみやたらに刺激したりしない男だ。
とにもかくにも、完全に目的を見失った一行はウィンが作成した蛇殻次のマップを見て頭を悩ませた。
このマップにボスの場所まで記してあればいいのだが、残念ながらこのマップに記してあるのは入口、ランダムで配置が変わる『武器組み立て』を習得するための祭壇の場所、そして中央の本堂だけなのだ。
「あれ、待って。これ、見たな」
もう虱潰しに歩いてみるしかないか、という雰囲気が漂い始めた頃……不意にダンゴがウィンのマップを見ながら呟く。
それはマップとはいえ、所詮は素人の手作りなので、入口、中央の本堂、五つの祭壇の配置場所……それが大まかな距離と方向で描かれ、外側を線で囲ってあるだけの簡素なものだが、ダンゴはどうもこれに既視感があるらしい。
「見た、とは?」
「うん、なんだろ……少なくとも今日どこかで見た気がするんだけどな」
「それなら、先程のパズルぐらいしか無さそうですけれど……」
顎に手を当てて考え込むダンゴにカナリアが言う。
確かに……このダンジョンの中で見たならば、そこぐらいしか記憶に残りそうなものは無かったと思える……ならば、と一行は踵を返してパズルを解いた祭壇へと戻ることにした。
無駄足になるかもしれないが、どのみち本堂に入れないのではここにいる意味もないだろう。
相変わらず生き物の影すら見えない道中を無言で進み、件の祭壇まで戻ると、四人はハイドラが組み立てた立体パズルの表面に描かれた模様をじっと観察したが……特にウィンの描いたマップに似ているようには思えなかった。
「これ、さ。小さいのが祭壇で、大きいのが本堂じゃない?」
しかし、唯一そうは思わなかったらしいハイドラがパズルの一面を指差しながら言う。
彼女が指差す面の模様は左下側に歪んだ小さな円が描かれていて、右上側には綺麗な四角形が描かれている。
確かに、ウィンのマップを入口が真南を向くように回してみると、左下側……ちょうど自分達がいる祭壇と本堂を並びが模様と一致する。
もしかすると、他の面も? と、思って別の面を見てみると……やはり、祭壇の出現位置と本堂のおおよその位置関係が一致する。
「やっば、私ってば天才かも……」
「いや割と普通に天才じゃん!? やばー!」
思わずといった様子でハイドラが呟きながら顎に手を当て、なにか謎っぽいものが解けそうな雰囲気を感じ取ったウィンは大はしゃぎでパズルを回してハイドラの仮説が当たっていることを確認していくが、ふと気付く。
祭壇の出現位置は五ヵ所……対するパズルは立方体に近い形状できっちり六面だ……となると、一面だけ余る。
じゃあ、そこにはなにが描かれているのかな、と、気になったウィンがくるくると回して探すと明らかに異質な模様の面がひとつだけあった。
綺麗な四角形の中に、〝眼〟のような模様が描かれた面―――サインボードに描かれた図と同じ向きにパズルを向けると丁度真下に来る面だ。
「ひゃっ!」
描かれた〝眼〟と視線を交わしたウィンは、なんだかパズルに睨まれた気がして思わず取り落とす。
そして、そのまま蛇に睨まれた蛙のように硬直する彼女を見て、本当に怖がりですわねえ、なんて言いながらカナリアがパズルを拾う……拾って、頭上に掲げてみた。
パズルはご丁寧に〝眼〟の面が真下に来るように落下していたので、回さずにその面を見るためにはそうせざるを得なかった。
しかし、これはなにを現しているのだろうか? 図の通りに置くと真下を向く、〝眼〟が描かれた面……そしてそれは他の面では本堂を示していた四角形の中に……正確には下に描かれている。
「……いいえ、上かもしれませんわね」
または、それは本堂の中から屋根越しに空を見上げた場所に〝眼〟が位置しているようにも見える。
そして『小鬼道』での経験を鑑みるに、このゲームにおける〝眼〟のシンボルは凶兆だ。
なので、上? と他の三人が繰り返すよりも早く、カナリアは殺爪弓を構えて本堂の直上目掛けて大矢を放つ。
それは空中に突き刺さり、続いて赤い雨が本堂の屋根に降り注ぎ始めた……いや、雨などではない。
あれは、血だ。なにかが、本堂の上には……目には見えない〝なにか〟が居たのだろう。
「うっわ、それマジ?」
なにかが、その〝なにか〟が徐々に姿を現し始め、それを目にしたハイドラは眉をひそめながら誰に言うともなく呟く。
本堂の直上、このダンジョンの中央に位置する場所の真上には図に描かれた通り、巨大な〝眼〟があった……サイズから分かる通り当然ながら人のものではなく、また、瞳の中には幾何学模様が浮かび上がっている。
そして今、それは血の涙を流しながらカナリアたちを真っ直ぐに睨みつけている。
「もしかして、入った時からずっと見られてたの……?」
突如出現した不気味な〝眼〟を見て思わず顔を青くするウィンの疑問に答えるかのように、全員の目の前にあの〝眼〟の名前と、そのHP残量を示す赤いバーが現れる。
「『蛇殻次の呪眼』? まんまね」
恐怖からカナリアの後ろに隠れ始めたウィンとは違い、生産職にも関わらず護身用の小剣を構えて戦闘態勢に入る勇ましいハイドラがその名を読み上げる。
ちなみに実際の読みは『蛇殻次の呪眼』だが、間違いなく初見で読める人間はいないだろう。
「まじないまなこ、じゃん? クロムタスクならそう読ませるっしょ」
いや、ここにひとりいた……勿論、クロムタスクガチ勢のウィンである。
……まあ、とはいえ今回の読みに関しては、過去作で似たような字面で『呪』と読ませてたボスがいたので、蛇殻次ほどの難読っぷりではなかったと思われる。
「いやいやいや、そんな読みある? ないでしょ、ねえ、兄貴」
「のろいめ、かもしれない……」
「もう! じゅがん、でも、まじないまなこ、でも、のろいめ、でも、カースドアイズでもなんでもいいですわよ! 死体にする相手の名前なんて!」
全員が綺麗に別々の読み方をしていたことが発覚する中、カースドアイズと読んでいた可能性もあるカナリアが頬を膨らませながら、いいから構えろと遠回しに言い、呪眼という読みを聞いたハイドラは静かに妙な高揚感を覚えていた。
そう、ハイドラは名前から察せられる通り、『聖』とか『邪』な雰囲気が漂う漢字や英単語に惹かれるお年頃だった。
しかし、分からないといえば読み方だけではない……なにをしてくるかも一切不明だ。
宙に浮く、こちらを睨みつける〝眼〟……そういった容貌のモンスターは大概光線などを放ってくるものだが、そこは呪眼と読ませずに呪眼と読ませるクロムタスクだ。
そうそう想像通りの攻撃はしてこないだろう―――そんな一同の予想に応えるかのように、蛇殻次の呪眼の瞳よりずるりずるりと巨大な大蛇が這いずり出てくる。
鈍い白色と生傷のように艶やかな桜色の鱗を夕焼けで彩り、ちろちろと舌を出しながらゆっくりと。




