018-毒蛇との邂逅 その1
「ねえ先輩さ、ちょち聞いてい?」
「はい?」
ウェズア学派の偉大なる叡智の権化たる高次存在となった翌日、ウィンはくるくるとコップの中の氷をストローでかき混ぜて遊ぶカナリアへと思わず聞いてしまう。
「なんでハイラント滅びてんの?」
どうして、いかにも『最初の街!』といった平和で牧歌的な景色が特徴的であった街、ハイラントの家々を踊り狂う炎が焼き尽くし、人々の死骸が吐き捨てたガムのように地面に転がり、硝煙と血の臭いに満ちているのかと。
「いえ、別に滅びてはいませんわよ? わたくしの占領下にあるだけで」
「ふーん」
きょとんとした表情で答えるカナリアをジト目で見ながら、それを世間一般では滅びるって言うんじゃね? と思いつつもウィンは口にしなかった。
だって、聞いたところでなんになるというのか……それで失われたハイラントの人々の命が戻ってくるわけではないし、今日はそれよりも重要な話がある。
「……あっ! そういえば気になっていたのですけれど、わたくしがハイラントをちょっと荒らしてしまったこと……別に他のプレイヤー様には関係ないのですのよね?」
ウィンが改めて本題を切り出そうとする前に、周囲をチラチラと気にしながらカナリアがウィンへと小声で尋ねてくる。
まるで知人の花壇に足を突っ込んでしまったぐらいの感覚でハイラントを滅ぼしたことが咎められるかどうかを気にするカナリアに対し、ちょっとでもそれを気にする心があるならこんなことしなければいいのになあ、と思いつつ。
ウィンは珍しく不安そうな表情を見せるカナリアに3つの〝エリア〟の説明をすることにした。
「ないよ。こういう街みたいな狭い括りのエリアは〝オーナーエリア〟って言って、状態がプレイヤー個人個人で管理されてる場所だから」
ウィンのハイラントも先輩とパーティーを組んだうえで、先輩をリーダーにしてなければ平和なままだしね、と続いた言葉を聞いてカナリアがほっと胸を撫でおろす……その様はまるで悪戯がバレないことを悟った小さな子供のようで少々可愛らしい。
が、こんな可愛い顔してハイラントを火炎地獄にしてるんだよな、この人、とウィンは真顔で思ってしまう。
真顔のままでいるあたり大分ウィンの感覚も擦れてきたようだ。
「あとはダンジョンとか、一部の村とか……そういう〝クローズエリア〟って場所もそうだね。そこは追加でパーティーメンバー以外のプレイヤーとはマッチングしなくなるんだ。ほら、『大鰐の棲家』の前に小さい村あったじゃん? ナルアちゃんがいたとこ。あそこもそう」
「ああ! だから誰もいませんでしたのねえ、あの村!」
続いたウィンの説明を聞いて、密かに気になっていたカナリアの疑問がひとつ解消される。
『大鰐の棲家』へと向かう道中で訪れた小さな村……ナルア及び老若男女問わず村民全員と聖竜騎士団全員が犠牲となりながらも、なんとかゴアデスグリズリーを撃破したあの村に誰もプレイヤーがいなかったことがずっと気掛かりだったのだ。
思わずカナリアは、ぱん、と手を合わせて納得がいったようにうんうんと頷く。
「ちなみに、それ以外の平原とか、一部のダンジョンとか、広い括りのエリアは〝オープンエリア〟って言うのね。そこはサーバーで管理されてる場所だよ。あんま変なことしちゃダメだかんね?」
「しませんわよ、いやですわねえ。人をいたずらっ子みたいに」
そして最後の説明を聞いて、もういたずらなんかする歳ではなくってよ? なんて、ころころ笑いながら言うカナリアを見てウィンは思わず微笑んでしまった。
ねえ、先輩。
先輩がやってるのは悪戯じゃなくて虐殺だよ。
と、心の中でだけ教えてあげる。口にはしない、話が進まないから。
ウィンはウェズア学派の叡智の権化たる高次存在になったことでそれを理解した。
「んでさ、先輩。お知らせ読んだ? 第一回のイベントが開催されるってヤツ」
「あー見てませんわね、占領中だったので通知即閉じしてしまいましたの」
というわけで、カナリアがまた変なことを言いだして脱線する前に、とっとと本題に入るべくウィンは無理矢理話題を変え、それに対しカナリアは、鬼気迫る表情で自分に向かって突撃してきた刃物を振り上げているボロボロの男を一瞥だけしてダスクボウで射殺しつつ首を振る。
返り血がウィンの顔と口元に運んでいたサンドイッチにびしゃりと赤を足す。
ウィンは無言でサンドイッチを皿に戻した。
「詳しい情報は伏せられてるけどさ、なんでも3つの〝戦い〟をやって、上位3チームには特別な報酬があるとかなんとか」
「いや詳しいというかほぼほぼ全部伏せられてるじゃありませんの」
頬をハンカチで拭うウィンへとカナリアがぴしゃりとツッコミを入れるが、そうは言われても第一回イベント『フリュウム縦断、大競技大会!』について公式からの告知に載っていた情報が『3つ〝戦い〟をする』、『そよかぜ平原が開始会場』、『上位3チームには報酬を用意していること』しかなかったのは本当なのでどうしようもない。
……クロムタスクについて良く知っているウィンからすれば、この垢抜けない感じが好きなのだが。
「まま、そこは出れば分かることだし……あっ、出るよね? 休日だしスケジュールも大丈夫だよね?」
「ええ、それはもちろん」
ウィンの言葉に考える素振りも見せずに首肯するカナリア。
カナリア―――勇 小鳥は休日に友人と出かけるタイプではないし、そもそも出かけるような間柄の友人もいない。
クラスで孤立しているわけではないが、完全に気を許せる相手がいるわけでもない存在……俗に言うぼっちでもある。
とはいえ、妹である海月は未だに自分にべったりだし、海月が初香を始めとする同学年の友人と遊ぶ際にもなんだかんだと連れ回されることが多いので、寂しさを覚えたことはないが(ちなみに両親はそんな小鳥の交友関係を少々心配している)。
「でさでさ、イベントの前に出来る限りパワーアップしときたくない?」
「それは勿論! なにか良い場所でも見繕ってたりしまして?」
「ふふーん、そうなんだな、これが!」
じゃーん! と口で擬音を付けながらウィンが一枚の地図を取り出す……それはカナリアが滅ぼしたハイラントを中心とした地図のようだ。
そこには近くに存在するいくつかの村や、4つのダンジョンの名前と場所が記されており『大鰐の棲家』と『小鬼道』、そして『古貯蔵庫』の3つにはバツ印が入っている。
「これ、ウィンお手製のマップなんだけど~、ネットに散らばってた情報から4つめのダンジョン! 『蛇殻次』の大体の場所、割り出しちゃいました! はい拍手!」
パチパチ! と自分で手を叩きながらふふーんとウィンが胸を張る。
だが、それよりもカナリアはどうしても気になってしまう点がひとつあった。
「あの、この……『古貯蔵庫』というダンジョンはお一人で攻略しましたの?」
それは『古貯蔵庫』というダンジョンを自分が知らないのに、攻略完了を示しているらしいバツ印が入っているという点。
思わずカナリアはちょっと不貞腐れた表情でウィンを見上げる。
どうにもウィンが新たな力を手に入れた後、その力を試す目的かなにかで自分の知らないダンジョンを黙って攻略してきたと考え、そして、それが面白くないらしい。
だが、珍しく人間らしい表情を見せるカナリアへとウィンは思わず、えっ、と素っ頓狂な返事を返してしまう。
「いやそこレプスちゃんとチュートリアルで入った……ううん、なんでもないや、あはは」
「あっ」
それも当然だ、そこはレプスとチュートリアル代わりに入るダンジョンである……知らないほうがおかしい……。
が、残念ながらその通り、カナリアはおかしい。
そのチュートリアルダンジョンに入る前にレプスを殺害し、メインストーリーを崩壊させてハイラントの街に来ており、そしてそのままハイラントを滅亡させているのだから。
「……あとでサクサクっと攻略してきな? いや、別にあそこなんもないけどさ……」
「まあ……はい……暇を見て……」
勝手に勘違いしてむくれたのが恥ずかしくなってしまったのだろう……カナリアは肩を縮こまらせて赤面しながら俯き、そしてそのまま自分に駆け寄ってきたボロボロの男第二号の頭を肉削ぎ鋸で叩き割る。
飛び散った血飛沫でウィンお手製の地図に赤いまだら模様が足される。
ウィンは目を一瞬で死なせつつコートの袖でぐしぐしと血飛沫を拭うとそそくさと地図を懐にしまった……自慢のお手製地図はこれ以上汚されたくない。
「さ、さあ! 気を取り直して向かいますわよ! 蛇殻次! ……ジャガラスガラって凄い名前ですし、これ絶対読めませんわね」
「……実は誰も正しく読めてないし、公式からの回答もないからジャガラスガラで合ってるか分かんないんだけどね。なんかそれっぽい雰囲気だしオシャだからウィンはジャガラスガラって読むけど……」
頬を掻きながらウィンが苦笑気味に言う。
難読すぎる名前が散々出てくる上に、その読み方が終始分からないなんてクロムタスクではよくあることなので深くは気にはしていないが。
まあ、読めない漢字は読めないのだからどうしようもないのだし、このままここに居たら次は誰の返り血を浴びるか分かったものではない。
というわけで、そんなこと置いておいていざ行こう、蛇殻次へ―――。
「あの、ごめんなさい!」
―――といったところで、立ち上がったふたりを呼び止める声がひとつ……少女の声だ。
ふたりは急に声を掛けられて少々面食いつつも目をやると、そこには一組の男女。
片やウルフショートの髪型が荒々しさと凛々しさを醸し出す男性、もう片方は活発そうなポニーテールが可愛らしい少女だ。
中々の美男美少女のコンビで……少々歳の離れた兄妹だろうか? カップルだとすれば……犯罪かもしれない。
「えーっと、どういったご用件でして?」
とりあえず二人が自分達へと声を掛けた理由を知りたいカナリアが、声の主であろうポニーテールの少女へと向き直り、要件を訊ねてみる……と、それのなにかが癪に障ったらしい。
少女は、はぁーっ……と、深い溜め息を吐いてガシガシと自分の頭を掻く。
露骨に機嫌を損ねている……なにか間違えたか? そう思ってカナリアはウィンを見るが、ウィンも不思議そうに首を傾げるばかりだ。
「ごめん、話し掛けたのこっち」
「えっ」
困惑するふたりへ向かって、ぶっきらぼうにポニーテールの少女は言い放ちながら自分の隣に立つ男性を指差す。
当然カナリアは間抜けな声を上げながら、隣の男性へと目をやる。
「ああっ、その、ややこしくてごめんなさい……」
「えっ」
すると、その男性はなんとも可愛らしい少女の声で喋りながらあわあわと手を振った。
先程一瞬感じた荒々しさと凛々しさを兼ね備えたクールワイルドイケメンの雰囲気はどこにいったんですの、と心の中で思わず考えるカナリア。
「あー、あぁー、ご姉妹? 妹さんは男アバター使ってる感じ?」
想定外の展開にフリーズするカナリアと違い、合点がいった様子でポンと手を叩いたウィンが言い、それを聞いてカナリアもなるほど、と思う。
姉妹でプレイし、姉は普通に現実と同じ性別のアバターでプレイし、妹は凛々しい男のアバターでプレイしているのか。
変わってはいるが、別に有り得ない話ではない……いや素直に元にそった性別でプレイしろよ、とは思うが。
「いや違うし。兄妹だし。しかも妹は私、こっちは兄貴」
「「えっ」」
思わずハモって硬直するカナリアとウィン。
なんということだ、普通に素直に元にそった性別でプレイしていた。
そのせいで訳が分からないことになってしまっているらしい。
「ご、ごめんなさい、あは、あはは……」
後頭部を掻きながら兄のほうがペコペコと頭を下げて謝る……が、どうやって聞いても、どんだけ頑張ったとしても、その声は……いや、言われればなんとかギリギリ少年の声で納得できないこともないかもしれないが、それよりは女性が少年のような声を出していると言われたほうが余程納得できる。
これならば、普通に姉妹で姉が男のアバターでプレイしていた方がまだ理解の範疇にあるというものだ……。




