017-ダンジョンにて、後輩と その5
「うーん……」
「どーする? これ……」
オルフィオナから十分に距離を取った後、どうしたものか、と、ふたりは頭を抱えた。
こちらの遠距離攻撃は相変わらず丁寧に回避し、近付けば彼女は再び腹から生えた腕を振り回すだろう。
そして、カナリアが盾になっているので無効化されているとはいえ、当然魔力の矢と触手による弾幕的な攻撃も続けて繰り出されており、あまり大きく動けない状況なのは間違いない。
……正直なことを言えば、ウィンはカナリアの強さが運営の想定を超えている、だから楽にこのボスも倒せるだろう―――と、若干ながら思っていた……なにせ、カナリアはここに至るまでほぼ全ての攻撃を無力化してきたのだから。
そんなものは普通に考えれば異常であり、バランスが壊れている……少なくとも、そう見えていた……が、現状こうして戦況が硬直しているのを見れば、全て想定の範囲内だったのだろうし、よくよく思い出せば兆候はあったとウィンは今更になって気付いた。
這脳によるのしかかり攻撃、自分のスキルである『脳吸い』―――そう、カナリアの『夕闇の障壁』はダメージを伴わない接触攻撃……〝掴み攻撃〟などを無効化しない。
もしかすれば、その後に発生するダメージは無効化するかもしれないが、少なくとも掴まれて投げ飛ばされることは間違いない。
「遠距離攻撃はしっかり避けるし、近付かれれば投げ飛ばして……、完全に対策されてる……」
普通の実力をもってここまで辿り着いたパーティーならば攻略する手立てはいくらでもあるだろうが、カナリアとウィンは完全にカナリアの防御性能でゴリ押して此処まで来たに過ぎない。
故に、カナリアが近付けないのであれば勝ち筋はないに等しいのだ。
勿論ウィンは、自分が近距離で魔術を放つことも少々考えたが、魔術というものは放つまでにいくばかの時間が掛かるものであり、カナリアを投げ捨ててからでもウィンに対応する時間が十分にオルフィオナにはあるだろう……現実的とは言えない。
「……あ! そうですわ!」
よもや詰みなのではないだろうか、とウィンが考え始めたと同時。
カナリアが目を輝かせて声をあげ、ウィンは途轍もない嫌な予感に襲われる……今までカナリアが起こしたアクションで自分の心が平静のままであったケースがない。
「必要なものは全て今までの戦いの中にあったんですわ! さあ、ウィン! あの女の脳を吸い尽くしてやりましょう!」
「……………………………………えぇ……いや、まあ、うん……そうだね……」
そして、当然ながら嫌な予感は当たっており、カナリアがロクでもない提案をする……どうやらオルフィオナに対して『脳吸い』を使えということらしい。
確かに、オルフィオナの頭部は這脳と同じ構造をしている。
であれば、フレーバーテキストの通りなら、あれは肥大化した脳が露出しているのだし、そこにピンポイントで影響を及ぼしそうなスキルが有効である可能性は高い。
それにこの露骨にまで手の出しようがない状況は、なんらかのギミックによって打開できるとも考えられる。
しかし、とはいえウィンは脳を啜るのにいまだ当然抵抗があるし、それがあんなバケモノのものとなれば殊更だ。
とはいえ、カナリアの提案以上のものはウィンも思いつかず、同意することしかできない……このままでは埒が明かないのは確かだ。
「それでは、わたくしが掴まれて時間を稼いでいる間に『脳吸い』を仕掛けてくださいまし!」
「はぁあああ……せめて脳漿がチョコみたいな味なら……いやそれはそれでヤだなあ……」
カナリアが再びオルフィオナへと向かって突撃していき、ウィンも深くため息を吐きながらそれを追う。
いやでいやで仕方がないが、ここは腹をくくるしかない。
ここで諦めて死に戻りなどしてしまっては、今まで怖い思いをしてきたのが全て無駄になってしまうのだから。
それになにより、この試練を乗り越えた先には間違いなく自分に力を与えてくれる〝報酬〟が待っており、それによって、きっと明日からのオニキスライフは今日までよりも、ちょっとだけ豊かになるのだから。
だから、ウィンは心を奮い立たせ、宣言通りオルフィオナの巨腕に捕獲されたカナリアの後ろから躍り出て、驚いた様子でこちらを見るオルフィオナを正面に捉えて高らかにスキル発動の宣言をする。
「『脳吸い』っ!」
直後ウィンの身体が跳ね、4m近くはあるオルフィオナの体躯を軽々と超える。
カナリアに『脳吸い』を使用した時と同じだ……〝フェイタルムーブ〟と同じような機械的なアシストにより、ウィンの身体が制御されてオルフィオナの頭部に綺麗に着地すると同時、変形したウィンの舌がオルフィオナの脳へと突き刺さる。
響くのは絶叫……今までのものとは比べ物にならないほどに苦悶に満ちたオルフィオナの絶叫。
そして、その絶叫の合間に響くじゅるじゅるという悍ましい音。
ウィンがオルフィオナ脳を啜る音だ。
「効いてますわよ効いてますわよ~! そのまま脳を吸い尽くすのですわ!」
自分の妹の幼馴染がバケモノの頭部にバケモノめいた様子で張り付いて脳を啜っているというのに、カナリアは表示される『学院長、オルフィオナ』のHPゲージの減少具合を見て手を叩いて喜ぶばかり―――まあ、少し引いてしまって顔を青くしてみたりする、なんて年頃相応のリアクションはカナリアに求めるだけ無駄なのだが。
そんな、相変わらず殺人的にマイペースなカナリアのことなど一切眼中に置かず、オルフィオナは自らの頭に張り付くウィンを払い落とそうと暴れ始める。
だが、その二本の巨腕は素早くカナリアが殺爪弓にて放った二本の大矢によって射抜かれてしまう……流石に脳を吸われている状態では遠距離攻撃に対応できないらしい。
それでもオルフィオナは負けじと頭を振ってウィンを払い落とそうとするが、カナリアがそうはさせまいと『夕獣の解放』を用いてSTRを大幅に上昇させながら足元に素早く潜り込み、歩行する生物全てに存在する弱点……アキレス腱を切断し、その体勢を崩す。
「諦めが悪いですわねえ、はやくお死にになって?」
唇を尖らせて不満げに呟きながらカナリアは倒れ込んだオルフィオナの頭部へとオマケと言わんばかりに肉削ぎ鋸を振るい、その顔にオルフィオナの青い血が掛かった……怖い。
倒れ込んでもなお、なんとかオルフィオナは自らの脳を啜るウィンを払いのけようとするが、カナリアは当然それを許さない……残った二本の腕も刎ね飛ばし、その首を踏み付けて動きを抑制する……凄く怖い。
腕を全て封じられ、アキレス腱を切断され、首を踏み付けられる―――そうなってしまえば、ウィンが『脳吸い』によってオルフィオナの脳を啜り切り、そのHPを削り切るのには早々時間は掛からなかった……やはり『脳吸い』はピンポイントで有効な攻撃だったらしい。
「……はぁ、なんかさ……この味に慣れてきた自分がヤだよね……」
一際甲高いオルフィオナの絶叫の後、ようやっと攻撃モーションが終わり、変形した舌をオルフィオナの頭部から引き抜いたウィンが口を裾でぐしぐしと拭いつつ遠い目をしながら呟く。
なんと悲しいことだろう、彼女はもう脳漿の味に嘔吐感を覚えなくなってしまったのだ……すっかり脳漿の味に慣れてしまった。
……しかし、よもや、ここまで来て。
まだ、ウィンは自分が元の剣と魔法のRPGの生活に戻れると思っていたのだろうか?
脳漿の味を覚えても引き返せる、と……。
オルフィオナの死体が光の泡となって消滅すると同時。ウィンの視界に見慣れたポップウィンドウが表示される。
『称号獲得:叡智【妖精】』
そこには称号を獲得したことが記してあった。
その称号のとてもシンプルな四文字の名前にウィンは謎の恐怖を覚え……非常に不安な気持ちを抱きながら、いま手にした称号、そしてそれによって得られたスキルを確認する。
■□■□■
叡智【妖精】
:『学院長、オルフィオナ』の脳を食らった者に与えられる称号。
:『学院長、オルフィオナ』を『脳吸い』にて撃破する。
:スキル『妖体化』を入手する。
妖体化
:発動から死亡するまで、その身体を高次元の妖精へと近付け、身体能力と魔法への適性を著しく上昇させる。
■□■□■
「……………………へへっ」
そして思わず笑い声を漏らした。
だが、それは間違っても嬉しそうな笑い声ではない……というか、実際、嬉しくない。
なぜこんなスキルばかりが手に入るのだろうか? どうしてこんなことになってしまったのだろうか……。
順当に順当な正統派の魔法使いになって、近距離職のプレイヤーに守ってもらいながら、クロムタスク作品における遠距離職特有の超火力で敵をジェノサイドしたかっただけなのに……。
「どうしましたの? なにかいいことありまして?」
間違いなくウィンが道を違えることになってしまった最たる理由であるカナリアがニッコニコでウィンに声を掛ける。
「あはは、この反応からいいことあったように思える先輩の脳みそが羨ましいじゃん。栄養価高そうだね。食べてい?」
「いやダメですわよ、常識的に考えてくださる?」
……常識ってなんだ? とウィンはカナリアを見ながら笑顔で疑問を抱き、とりあえずそれは置いておいて自らが今習得したスキルについて考える。
妖精、妖精と来たか……普通のファンタジーであれば、その単語は可愛らしい少女などを示したかもしれない。
だが、待ってほしい……そもそもとして今ウィンが手に入れた称号が『叡智【妖精】』である。
もしかしなくとも、このゲームはオルフィオナを……あるいは、それに近いなにかを……または、オルフィオナがなろうとしていたなんらかの生命体を妖精と称しているかもしれない。
更に言えば、この〝高次元〟という表現が怪しすぎる。
高次元、とは? 高次元……。
考えるだけ無駄だ、理解できない……それに、したくもない……。
だが、ひとつだけ分かることがある。
きっとこのスキルを使用すれば、自分はその身が朽ちるまで、高い身体能力と魔法への適性を持つ超常的存在になれるのだろう……もしかしなくとも、見た目ごと―――。
「はあ、まあ、いいや……アイテム報酬はなにかな……スキルノートとかだといいなあ……」
ウィンは気を紛らわすために、目の前に出現した巨大な宝箱を開け放つ。
すると、姿を現したのは何点かの装備と、少々の金銀財宝の類……恐らくは装備のほうがメインの報酬であり、金銀財宝の類は換金アイテムだろう。
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晶精の錫杖
基本攻撃力:100
魔法適性値:20
STR補正:-
DEX補正:-
INT補正:S
DEV補正:-
耐久度:150
:魔法を使用する際に追加のMPを支払うことで、魔法を結晶化することが出来る。
:結晶化された魔法は通常の攻撃力に加え、同等の物理攻撃力を得る。
:譲渡・売却不可
:使用可能な魔法は『魔術』と『闇術』の一部。
濡星の防具(胴体・腕・腰・足)
基本防御力:15+X
耐久度:300
:MPを自動で回復する。
:譲渡・売却不可
:回復のクールタイムは3秒。
:一度に回復するMPは1部位につき2。
:Xはレベルの1.2倍に等しい。
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「おおおっ、なんだか強そうですわよ!」
「む、確かに……」
四つの濡星の防具のうち、最も大きな装備である『濡星のローブ』を摘まんで広げるカナリアの声を聞き、ウィンも装備の性能を確かめて思う。
強い、明らかに、強い……3秒ごとにMPが8回復する程度、あまり大したことないように思えるかもしれないが、60秒経てば160、180秒経てば480回復している。
地味に思えて、案外こういうものはシャレにならないものだ……特にMP回復手段が限られているゲームにおいては。
だが……不安なのはその二種類の装備の外観だ。
晶精の錫杖は杖の先端に謎の生命体の頭蓋のようなものが括り付けられていて、目に見えて順当に順当な正統派の魔法使いが使う杖ではないし、カナリアの広げる濡星の防具は見るからにボディラインが浮き出そうな、ツルツルとした伸縮性のある素材だし、青白い模様は発光しているし、てかてかとした表面はなんだかぬめぬめしていそう。
……でも強い、明らかに、強い……だが、これを身に着ければ……きっと、もう戻れない気がする。
もう、こんな……普通の魔術師のローブ着て、マジックアロー! とかやってキャッキャしていた平和な世界には。
たぶん、もっと酷いことをいろんな人にする……それこそ目の前のカナリアのように様々な酷いことをいろんな人にする世界に飛び込むことになるだろう……そして、二度と順当に順当な正統派の魔法使いにはなれない。
一度道を踏み外せば転がり落ちるだけ。
トマトを調理して作ったトマトスープからトマトは作り出せないのと同じだ。
でも、いや、待てよ? とウィンは気付く。
脳漿啜ってボス倒して、なんか高次元の妖精に体が近付けられるように既になってしまっている。
もはや、自分は普通に戻るには遅すぎるところまで来てしまったのでは? 既に道から転がり落ちている最中なのでは? もはやトマトスープに既になっているのでは?
「あはは、まあ、いいや。強そうだもんね」
濁った眼でウィンはカナリアから濡星の防具と晶精の錫杖を受け取って装備をして―――まあ、いいや、なんて言った直後だというのにウィンは思わず頭を抱えた。
装備するだけで分かったのだ、濡星の防具が想像通りのものである、と。
カナリアの装備と違って露出こそ顔以外にないものの、伸縮性に富むせいでやはり肌にぴっちりとフィットする上に、ぬめぬめてかてかとした湿っぽいくて妖しい輝きを放つ不気味な皮で作られたその防具は、ウィンの身体のラインを完璧なまでに浮き上がらせている……もはや全裸に近しい。
ウィンの身体にはカナリアのような女性的凹凸こそないが、だからといってバッチリ出ているものはバッチリ出ている……むしろ、ウィンのやや幼い体付きだからこそ、より一層不健全だ。
胴体の装備である『濡星のローブ』には、そんなデザインを覆い隠すようなフード付きコートの部位があったが、そこの裏生地が例の発光する謎の生地のせいで、ローブの内側に影すら生まれないのがむしろ逆に体のラインをはっきりさせるのに拍車をかけている。
「いやちょっとエロいですわね」
見るからに特殊な性癖拗らせたデザインの防具を装備したウィンを見ながらカナリアが顎に手を当てて思わずといった様子で呟く。
「~~~~~っ! 『妖体化』! ポワァアアアーーーッッッ!」
「いや! え、あなた! それ……照れ隠しでやるような悍ましさでにょおあああーーーっっっ!!!!」
そのカナリアの呟きでついに羞恥心が我慢の限界を迎えたらしいウィンが、顔を真っ赤にして『妖体化』を使用。
すると、ウィンは突如として異様に伸びた指と、無数の触手を髪代わりに伸ばすヌメついた黒い肌ばかりを持つ怪物と化し、その顔面を花のように割いて中から無数の赤くぬめつく触手を蠢かせながらカナリアに飛び掛かり、覆いかぶさり顔を丸かじりにし、そしてその両耳から触手を外耳道に突っ込んで脳を啜った。
マウス・トゥ・マウス、ならぬ、マウス・イン・マウスである。
いや正確にはフェイス・イン・マウスなのだが……些細な違いだ。
なにせ、一度死に至るまでウィンは妖精であり、人ではないのだから……更に言えばフェイス・イン・フェイスなのだし。
―――ともかく、こうして、ウィンというひとりの少女はカナリアの手で死んでしまった。
代わりに残ったのは、高次元の妖精に限りなく近い肉体を持つことが可能となった、ウェズア学派の偉大なる智慧の権化である存在だけであった……。




