016-ダンジョンにて、後輩と その4
「随分と深くまで来ましたわねえ」
「逃げ道潰されたし、そろそろボスかもね~」
各々の抱いた感想を呟きながら、深層へと続くらせん階段をふたりは進んでいく。
そして、より深い場所へと進むたびに橙色の明かりは徐々に青白くなり明るさを更に増していった。
やはり『王立ウェズア地下学院』は、深くに潜れば潜るだけ明るさを増すようだ……加え、だんだんと床や壁が湿り気まで帯びてくる。
それに気付いたウィンはそっと壁に触れ、壁が湿り気だけでなくぬめりを帯びていることに気付き、顔を青くしてコートの裾で指を拭く。
「先輩さ。やっぱ海月のお姉ちゃんだけあって上手いねえ、VRゲーム」
「ほ?」
進めば進むだけ増していく『王立ウェズア地下学院』の不気味さから目を逸らすように、ウィンはカナリアに話しかけながら脳無したちを捌いていた先程の姿を思い出す。
あの状況において最も効果的であろう脚部への素早く正確な射撃……、迫りくる敵の順番を完璧に把握する能力……、凄まじい速度で迫りくる敵に対し一切怯まずに刃を振るえる胆力。
その姿はウィンが普段画面越しに眺めていたVRゲーム内でのカナリアの妹―――小鳥の妹、海月の姿に瓜二つであった。
「へえ、確かによくやっているとは思っていましたけれど。海月は上手なんですのね、ゲーム」
「いやあ~、上手なんてレベルじゃないよ。海月。『わからせてやりたいVRMMOのメスガキランキング』でずっと1位だし」
「いやお待ちになって? なんですの、その如何わしいランキングは」
さらりとウィンの口からこの世の終わりのようなランキングの名前が出たことに思わずカナリアはツッコミを入れる。
だがそれに対し、なにが面白かったのか分からないが、ウィンはくすくすと笑いながらひらひらと手を振る。
「大丈夫だよ。ただの強い女性プレイヤーランキング未成年部門みたいなものだから」
「本当に大丈夫ですの? あなた達、大人の悪意を甘く見過ぎではなくて?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。どーせネットでイキってるだけのオッサン共の考えたランキングだから」
「そういう輩が一番危ないんですのよ、なに考えてるか分かりませんもの。抑圧された弱者ほど恐ろしいものはありませんわ」
なんともわからせられそうなメスガキめいた言葉をウィンが口にし、それに対し独裁者めいた返しをカナリアがしたところで、ふたりは長く続いたらせん階段を下りきる。
「あ、エレベーターだ」
そして、そこに存在していたのは現代日本においてよく見る装置……昇降機だ。
「いやエレベーターは急すぎますわよ」
……そう、昇降機だ。
間違ってもファンタジー世界に存在しているべき装置ではない……そもそもつい先ほどまでカナリアたちはらせん階段を下ってきたのだから。
カナリアはなぜここに来て急にエレベーターなのだろうか、エレベーターに乗せさせるならば階段部分は不要ではなかったのか、という疑問を抱いて小首を傾げた。
「えっ、急な死体は気にしないのに急なエレベーターは気にするんだ先輩」
一方ウィンもそこらへんに転がる死体には無反応なのに、エレベーターの登場には疑問を抱くカナリアに疑問を抱いて目を丸くする。
「だって雰囲気ぶち壊しじゃありませんの」
「じゃあ先輩もエレベーターだね……」
「にゃ?」
鋭いウィンの切り返しを這脳ばりの鈍感さでスルーしたカナリアは小首を逆に傾けながらも、今までの警戒心の高さからは考えられないほど躊躇なくエレベーターへと乗り込んでいくウィンに続く。
「いやシリーズ恒例なんだよ、唐突なエレベーター。ロード時間分だけ下ったり上ったりするんだよね」
「ははぁ、なるほど確かに。ローディングの画面を出されるよりは雰囲気を壊しませんわねえ」
知った顔で喋るウィンを見てカナリアは唐突にエレベーターが現れた理由を理解し、そして警戒心が強いはずのウィンがエレベーターに一切警戒しなかった意味を理解した。
……そして、思う―――パターンを崩したくなるのが人間ってものですわよね、と。
毒まみれの塔からエレベーターで上がったら唐突に溶岩の上に浮かぶ城に辿り着いた時の話や、大きな洋館からエレベーターで上がったら天空に聳え立つ遺跡に辿り着いた時の話など、いろいろなエレベーターにまつわる話を安心しきった様子で続けるウィンを見ながら、なにかあってもおかしくはないな、とも。
「あーそうだ、このシリーズって下げたエレベーター自動で上がったりはしないから、エレベーターで下りた時は上げるのを忘れずひゅおっ!」
カナリアが得意げに語るウィンの話を話半分に聞きながらダスクボウを密かに構えると同時、ウィンがさながら爆竹に驚いて逆毛を立てて飛び上がる猫のように跳ねる。
「おっ、やっぱり来ましぃいいいーーーっ!」
毎度のことながら超能力者めいて身の危険を察知するウィンに対し、既に探知機としての信頼感を覚えているカナリアがウィンのリアクションからイベントの発生を察知したと同時、凄まじい音を立ててエレベーターが急降下し始める。
「やっぱりってなにぃいいいいい! 気付いてたなら言ってよぉおおおおお!」
揺れに耐えられずしゃがみこんだウィンが忙しなく目を走らせながら叫ぶが、流石にカナリアも答える余裕はあらず何とかダスクボウを構えなおす―――と、同時。
ガクン、と大きな揺れを一つ残してエレベーターの落下が急に止まる。
「んにゃあ!」
その衝撃によってカナリアは衝動的にダスクボウの引き金を強く引いてしまい、ボルトが思いがけず射出される。
それはカナリアと向き合うよう対角線上に位置取っていたウィンの顔面へと一直線に向かっていった。
「ひっ」
だが、相変わらずの驚異的な危機察知能力でウィンは素早く顔を傾けて自分へと放たれたボルトを回避する。
もしも、この場に居たのがウィンでなかったら恐らく脳無したちと同じような頭部を持たない死体がひとつ増えていたことだろう。
ウィンがボルトを回避できたことに安堵し、そして不用意にクロスボウを構えていたカナリアを一喝しようとした、まさにその瞬間。
「ひえ」
ボルトが突き刺さった場所の逆側から鋭い刃を持つ黒い触手が唐突に飛び出し、ウィンの頬を撫でた。
あまりの恐怖にウィンは身震いすらせずに固まってしまう。
「お、おお、やっぱりそういう! ほっ!」
自分の顔の真横で蠢く触手を見て硬直するウィンと違い、カナリアは大した驚きも見せることなくダスクボウで触手を素早く撃ち抜く。
「…………いや! 先輩! 流石にこれでもノーリアクションはヤバいっしょ!?」
「いやいやいや! エレベーターなんて十中八九こういう仕打ちをされる拷問部屋と決まってますわよ! ほら、中央に!」
「う、うん……」
壁際にへたり込んでいたウィンの手を引き、カナリアは中央に位置取る。
恐らく今、このエレベーターは宙吊りの状態になっているのであろう。
そして、周囲は先程の黒い触手に囲まれているに違いない……触手のような形状の存在は単独であるはずがないのだ。
「さあ、いらっしゃいな。殺して差し上げましてよ!」
「先輩ってさ、時々口が悪いのか良いのか分からないよね……あ、あっ! 十時十時! 十時の方向!」
ウィンが指差すのと同時か若干早いか、新たな触手がエレベーターの壁を突き破って顔を表す。
それをカナリアは素早く撃ち抜くが、続いて背後から新たな触手が現れる……カナリアは素早く振り向いて撃ち抜く、しかし更に次が―――。
「あー! まずいですわよ! 手が足りませんわよ! 手が!」
「まあ…………そうだろうねえ!! 間違いなく! ここ! 初心者二人が! 入るような場所じゃないもんねえー! ひぃーっ! 次八時!」
―――触手に続き、触手……いくら撃ち抜いても新たな触手が姿を現す。
それらは全てが鋭い刃を持ち合わせており、間違いなく自由にさせればカナリア……はともかく、ウィンには危害が及ぶだろう。
だが、しかし……自由にさせなかったとしても触手が顔を表すたびに危害が及んでいる存在がこの場にある。
「あっ、ああっ! 死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬ! エレベーターが死ぬ!」
このふたりが乗っていて、触手が何度も壁を貫いている昇降機こと、エレベーターだ。
「大丈夫大丈夫大丈夫ですわよ! 大丈夫! だって、それ……それはわたくしに防げませんもの!! イベント! イベントですわァーッ!?」
なにかが引き裂けるような、確実に多くの穴が空いているエレベーターの壁が引き千切れるような音を掻き消すようにカナリアが叫ぶが、音は消せても事実は消せない。
無情にもエレベーターの壁は引き千切れて上下真っ二つとなってしまう。
「まあああああ! 高い所から落ちてボス戦に突入するのはシリーズ恒例だからあああああ! でもVRになると流石にコレ怖いなあああああ!」
再び急降下を始めたエレベーターの中で、なくなった天井から放り出されないように姿勢を低くして踏ん張りながらウィンは自分に言い聞かせるように叫ぶ。
「先程から気になってましたけど……このゲームってシリーズものでしたの!?」
「えええええ!? いまそこ聞くのおおおおお!? 先輩ホントどういう神経してんのおおおおお!!」
それに対しカナリアは間違いなくこの場で聞くことではない疑問をウィンへとぶつけるが、ウィンは勿論そんな疑問に答える余裕がなく目を剥き、続いてふたりを襲った横からの衝撃に耐えられず床に額を叩きつける。
更に、そのまま無茶苦茶な回転に晒されて体中を何度も叩きつけた。
「ちょっ……ダメ、これ……酔う―――」
現実で体験すれば間違いなく死に至る回転に晒され続け、嘔吐感を催したウィンが顔を青くして呟くと同時……一際大きい衝撃と共にふたりはエレベーターの外に放り出された。
ぐるぐると何度も回転する視界にウィンは声にならない悲鳴を上げながら転がっていき、それは壁にぶつかるまで止まることがなかった。
「―――うっ、もう……やりすぎ、だって……!」
混乱した頭を落ち着けるためにウィンは床を見ながら呻き―――それを掻き消すような甲高い女の絶叫が響き渡った。
「な、なに!?」
自分のものでもカナリアのものでもない絶叫に驚いたウィンが素早く声の発生源へと目を向ける。
すると、そこには自分の五倍近くの体躯を持つ大女が体を仰け反らせており―――そして、その大女へと向けて殺爪弓で大矢を放つカナリアの姿があった。
「……いや! 先輩! 攻撃に移るまで早くない!?」
「先んずれば人を制すと言いますのよ! 先制攻撃は戦いの基本ですわ! ほら、お立ちになって!」
「えぇっと、あー……うん……」
いまだに座り込んでいるウィンの手を引いてカナリアは立ち上がらせ、再び大女―――この『王立ウェズア地下学院』の最深部にてプレイヤーを待ち受けるボス『学院長、オルフィオナ』へと向き直る。
そして、オルフィオナは異様に長いその指で己の胸に突き刺さった大矢を抜き取って放り捨て、ふたりへと威嚇するかのように吠えた……その声は鏡を引き裂くような異音だ。
無数の黒い触手をまるで長い髪のように揺らし、上層の水晶と同じ橙色をしたドレスを纏う彼女は遠目から見れば恰幅の良い中年女性のようだが、その頭部は這脳と全く同じ構造になっていた。
「こんな先生やだよぉ……」
この学院で見た恐ろしいものの集大成のようなオルフィオナの姿に、ウィンは泣きそうな声を出しつつも杖を構えた……ひどく不気味な相手だが、彼女を倒せば平和な剣と魔法のRPGの世界が戻ってくると思えば臆病者のウィンであっても流石に奮い立つのだ。
しかし、本当にウィンの平和な剣と魔法のRPGの世界を壊しているのはオルフィオナ……ひいては、この『王立ウェズア地下学院』なのだろうか?
もっと根源的な問題が隣にいるのではないだろうか。
「教師という存在をぶっ飛ばせるいい機会ですわね! 破ァ!!」
先日までは平和な剣と魔法のRPGの世界だったウィンの世界に今日参加したニューカマー、カナリアが殺爪弓を再びオルフィオナへと放つ。
もっと根源的な問題が隣にいるのではないだろうか? やはり。
二度目の射撃に対しオルフィオナはゆらめくように動いて大矢を回避した……当然のことだが、グロウクロコダイルほど簡単に倒せる相手ではないらしい。
「先輩! あの手のボスは遠距離攻撃は効きづらいじゃん! 近付かなきゃ!」
「なるほど、わかりましたわ!」
シリーズの経験が豊富らしいウィンのアドバイスを聞き、カナリアは殺爪弓を背負いなおして肉削ぎ鋸を構えて走り出す。
それをウィンは追いかけつつ、目の前のカナリアが自分へと向かってくる大量の青白い魔力の矢や触手を障壁で無効化しながら切り伏せる様を見て、今回の戦いにも自分の出番がないであろうことを悟った……なにせ、ウィンは近接攻撃手段を持ち合わせていない。
「とぉうっ!」
多種多様な遠距離攻撃を強行突破し、オルフィオナへと肉薄したカナリアが肉削ぎ鋸を大振りに振るう。
その一撃は綺麗な太刀筋をしているわけでも、狙い澄まされたわけでもなかったが……機敏に動けるタイプではないらしく、クロスレンジに持ち込まれて以降、急激に動きが悪くなったオルフィオナのHPを確かに削った。
……そもそもとしてオルフィオナはカナリアとウィンが接近する前にそうしていたように、大量の魔力の矢と触手による攻撃で相手を近づけないのが基本のファイトスタイルなのだろう。
そして恐らくプレイヤーはそこをなんとかして耐えながら苦労して懐に潜り込み、そこでようやっと反撃に出れる……というのが普通の流れなのだ。
一発一発の質よりは数と量で圧倒するタイプの攻撃に対する極端なカナリアの耐性のせいで開幕から一分も経たずに肉薄されているが。
「―――っ、危ない!」
ほとんど棒立ちの状態だったオルフィオナへと一方的な攻撃を続けていたカナリアを後ろで眺めていたウィンだったが、オルフィオナのHPが約70%に迫ったところで不意に凄まじい恐怖を覚え、カナリアの腰に掴みかかり半ば引き倒すような形でオルフィオナから遠ざける。
「んにゃあ!」
突如として背後から自分を襲った衝撃に驚き、情けない悲鳴をあげながらカナリアが倒れると同時に、オルフィオナは甲高い叫び声をあげ、その大きく膨れた腹を突き破って二本の巨大な腕が飛び出して宙を掴む。
……恐らく、ウィンがカナリアを遠ざけてなければ宙ではなくカナリアが掴まれていたことだろう。
「え、いや……無理……マジでそのデザインは……」
「手であのサイズって胎児デカすぎますわよ」
「あの、先輩さあ……いやいいや……」
腹部から生えた二本の巨腕を振り回して暴れるオルフィオナから距離を取りつつ、ウィンとカナリアはそれぞれの感想を漏らし、ウィンはやはりこの『王立ウェズア地下学院』に存在している全てよりも自分の隣にいるカナリアの方が恐ろしいという結論を出すが―――出した後にその結論を出すのはこれが初めてではなかったことに気付いて考えるのをやめた。




