159-智慧への冒涜 その2
「グルグル……ギャッ!? ぐぎゃあああっ!」
「ひゃあっ!?」
ああ、もうやっぱ前線なんか出てもロクなことない! 絶対、僕は、向いてない! ……そう考えながら、ゆっくりと迫ってくる化け物の産卵管を絶望的な表情で見ていたところ、突如としてダンゴの上に陣取っていた化け物は何者かによって殴り飛ばされ、壁に叩きつけられる。
ダンゴは急展開を迎えた眼前の光景に驚きの声を上げつつも、冷静に化け物を殴り飛ばした何者か、あるいはなにかの正体を見極めようと吹き飛んだ怪物と真逆の方向へと視線をやれば―――。
「ポワァアアア~!」
―――そこにいたのは、人間の頭部など簡単に包み込めるであろう大口を持ち、赤黒い三本の触手へと変形した異形の右腕を持つ、獣の後脚のような逆関節の脚で力強く立ちながら異常に関節の多い奇妙な左手をゆるゆると振ってこちらに挨拶する化け物だった。
というか、ウィンだった。
正確に言えば、妖体化したウィンだった。
「ウィンーっ! 助かったぁ~~~!」
「あたしもいるわよ、ちなむと」
化け物は化け物だが、味方に分類されるタイプの化け物が到着したことによりダンゴが安堵の表情を浮かべていると、妖体化したウィンが力任せに作り上げたらしい壁の大穴の端から、ひょいっ、とツインテールに見える特徴的な頭装備をクリムメイスが覗かせる。
「えぇ!? クリムメイスさんまで!? 絶対もう死んでると思ったのに!」
「おい」
カナリアだけが捕らえられていたのだから、当然、行動を共にしていたクリムメイスは先に犠牲者となったのだとばかり思っていたダンゴはウィンに続けて現れたその姿に驚愕し、一方クリムメイスは目を丸くして驚くダンゴへと呆れ顔でツッコミを思わず入れつつ、未だ宙吊りにされているカナリアの下へと足を進めた。
「痛いじゃないかァ、君ィイ……! この私を、偉大なるウェズア学派最後の学徒である私を、ぞんざいに扱うなど……許されざることだぞ! 智慧への冒涜だぞッ!! グルグル……」
全身をクリムメイスが劣情を覚えすらしないレベルで菌糸塗れにされていたカナリアが解放される中、壁に叩きつけられた化け物がフラフラとした足取りで立ち上がりながら吠える。
どうやら、この悍ましい肉体を持つ化け物はウェズア学派に関する存在らしく―――ウィンを除いた『クラシック・ブレイブス』の面々は一様にウィンと化け物を比較し……まあ、そうだろうな、とだけ思った。
「覚悟するがいい、君達はもう、帰ることなど出来やしない。悪夢を見せてやる、とびきりの悪夢をだ! その罪に相応しい、重罪に相応しい、悍ましい悪夢を―――」
「うるさいですわね」
「―――ギャアアアアアッ!?」
どうにもウィンに加えられた一撃によって、いよいよ本格的に殺しに来るモードへと突入したらしい化け物が、怒気に満ちた声で叫び全身をぶるぶると震わせたが……そんな彼へと向けて、怒気すら感じられない程静かに怒り心頭なカナリアがダスクボウによる射撃を行い、その脚の一本を見事撃ち抜く。
「まったく、あなた。賢くない判断をしましてよ。捕らえて甚振る暇があればとっとと殺せばよかったものを……こんなことをされる前に!」
「ひ、ヒイィイ……! や、やめ……ギャアアアアアッ!」
四本あるとはいえ、そのうちの一本が撃ち抜かれたとあらば当然化け物は体勢を崩し、そこにすかさずカナリアが駆け寄り、もう片方の前脚に肉削ぎ鋸が大きく振るわれた。
それは化け物の脚を一撃で刎ねることこそ出来なかったものの、決して軽傷とは言い難い傷を与え、刎ねられまではしなかったとはいえ、残っていた前足も薄皮一枚で繋がっているだけの状態にされてしまった化け物は完全に体勢を崩す。
「さて! どうしてくれましょうか、この悪趣味な蜘蛛男は……」
「ウィンに食べさせたらいいんじゃない? なんか変な進化しそうだし」
「……ポワァ!?」
完全に形勢を逆転し、倒れ込んだ化け物の首を踏み躙って抑えながらカナリアが、んーっ? と頬に指を添えて悩んでいると、頭の後ろで手を組んだクリムメイスが視線だけをもう一匹の怪物ことウィンへ向けながら何気なく提案し、ウィンはウィンで目の前のゲテモノと以外呼びようのない謎の怪物を食えと言われたことに驚愕し、絶叫しながらぶんぶんと首を横に振る。
……もちろん彼女を除く残りの三人が、えっ、食べるの嫌がるんだ、と当惑したのは言うまでもないだろう。
「ままま、ま、待ってくれェッ! 降参っ、降参だァッ! 降参するからッ……頼む、どうか、どうかぁ、命だけは、頼む、頼むよぉ、君ィイ……なあ、弱者を虐げるのはやめようじゃないか、そんなことにいったいなんの意味があるんだ? 分かるだろう? 分かってくれないのか? いいやそんなはずはない、ここに入れた君はそんな愚か者じゃないはずだろう? なあ?」
「えっ、嘘でしょ。先に手を出してきたのに」
「あ、謝る! 謝るとも! 君がそうして欲しいのならば、頭を垂れ、心の底から謝罪するとも! それにだ、私が出来ることならなんだってしよう! 心の底から奉仕するとも! だから、なあ? ノーカウント、ノーカウントといこうじゃあないかあ!」
ぐぐぐ、と首に掛ける力を強めつつ、まあウィンに食わせるにしろなんにしろ別に生きている必要は無いか、と判断したカナリアが(いつも通り)『とりあえず』で奪命に及ぼうとした時、それを察したらしい化け物がその醜い顔を更に醜く歪め、柔和な笑み(を浮かべようとした努力が見られる表情)を浮かべながら、媚び以外の何物も無い謝罪の言葉を口にし始める。
思わずダンゴはあまりにも身勝手な化け物の言動に、ぽかん、とした表情を浮かべるが、化け物の謝罪は止まるどころか勢いの衰えすら見せず……より一層、激しくなる。
「んー、どうする? ってか、どうしたらいいのよ、ウィン先生。クロムタスクのこういう場合って」
《クロムタスク的にはこういう輩は生かしてた方が得な事が多いかなぁ。こうやってプレイヤーのヘイトを買うような言動・行動をさせて殺させるように仕向けてるのが良い証拠じゃん?》
正しく命がけの謝罪を繰り出す化け物から、そんな化け物を見て何を考えているのかくぱくぱと開いたり閉じたりしているもう一体の化け物へと視線を移しつつ、クリムメイスがやたらクロムタスクに詳しい化け物ことウィンに意見を仰ぐと、ウィンは開いたり閉じたりしていた口をモゴモゴと動かしながらアップデートにより不快感の解消された念話能力で、こういった場合は見逃すのが通例であると答えた。
「へぇ。だってよ、カナリア」
「そうなんですの? まあ、別に後でも構いませんしね。確かに」
ウィンの言葉を脳内で直接受け取ったカナリアは、納得したような表情を浮かべつつ化け物の顎を鋭いサッカーボールキックで蹴り飛ばし、化け物は潰れた蛙のような悲鳴を上げつつも、解放されたならば近寄りたくもないと言わんばかりに残った脚でカサカサと部屋の隅へ逃げおおせる。
その化け物の気色悪い動きと、納得したのに意味もなく暴力行為を働いたカナリア、いったいどちらにツッコミを入れようか―――とダンゴは考えて、口を閉ざして自らの存在を消すことにした。
今、カナリアが若干ご機嫌ナナメなのは間違いなく全身を菌糸塗れにされたからだろうし……その原因の一端は自分も担っているのだから。
……実際は、彼女が今少々不機嫌なのは先程クリムメイスに対しやらかしてしまったからなのだが、当然ダンゴはそんなことを知るはずもなかった。
「ヘヘヘ……ありがとう、ありがとうよ。分かってくれて。やっぱり貴方達は賢い方々のようだァ……。で、どうだい? なにか困ってることはあるかな? 私は精一杯力になるよ、約束だからね。といっても、私にはこのロン・ウェズア図書館に蓄えられた智慧を授けることぐらいしか出来ないが……グルグル……」
カナリア達の自分への敵意が薄れたと理解した化け物……司書が、媚びた笑みを浮かべながら喉を鳴らした。
どうやら彼は色々な情報が得られそうで全く得られないこの図書館―――ロン・ウェズア図書館にて、何かしらの攻略情報を得るためには必ず介さなくてはいけない存在だったらしい。
「それじゃあ、『黒い炎』についての情報……とか、ありまして?」
「『黒い炎』……あァ、ガルヴェロの黒炎か。あの売国奴の、ウォールドーズの甘言などに惑わされた浅はかで意地汚い犬の……えぇ、えぇ、もちろん知っているとも。魂そのものを焼き焦がす暗い炎……『闇術』として今広く知られるそれの、その根源である呪い火のことは、よぉく知っているぞ、私は……グルグル……」
それなら、用済みになったから殺す、というのは難しいか、なんてさり気無く考えながらカナリアがサーフィアの用いる『黒い炎』について尋ねてみれば、司書は不愉快そうに顔を歪めながら、低い声で語り出す―――。
ガルヴェロという男は、かつて帝国であったオル・ウェズアにおいて最も優れた騎士のひとりであったが、そんな彼を【戦争の騎士】にしよう、という話が持ち上がった際、彼はそれを拒み、セントロンドへと亡命……その際、ガルヴェロは当時オル・ウェズアの王族が秘匿していた『操精の秘法』が記された禁書を持ち込み、オル・ウェズアが占有していた『妖精』を用いた技術を流出させ、当時は弱小国家であったセントロンドの発展に多大な貢献をした。
結果として、それが帝国であったオル・ウェズアの衰退、ひいては本格的かつ急進的な【黙示録の騎士】の開発の原因となり、それが帝国の消滅を引き起こし……また、彼も制御を失い暴走する【黙示録の騎士】と戦うために、かつて自分が施される予定であったものに近い術を用い、とある高位の『妖精』と一体化……、そして誕生したのが『黒剣』ガルヴェロであり、その末裔達は未だセントロンド王族に最高戦力として重宝されている。
そんな彼らが扱う『黒い炎』は言わば火のように燃え移る『死の言葉』であり、それを完全に防ぐ方法は無い―――形として炎の姿を取っているが、結局のところ妖精の呟く死の囁きであるそれは、鎮火することも出来ず、ありとあらゆるものに燃え移るのだから。
だが、防ぐことが出来ずとも、その力に抗うことまでが不可能なのではない。
人間がこの地に『妖精』を持ち込む以前から存在し、人知を超えた最高位の『妖精』がその指を咥えて次元を隔てた先に甘んじる理由そのものである……『古き竜』、それの力さえあれば。
もちろん、それそのものへと至ることは不可能だが、だとしても彼らの歴史を辿ればその力の一片でも手に入れられるかもしれないだろうし、それさえあればガルヴェロの『黒い炎』に耐えうることが出来るだろう……。
「『古き竜』は誕生したその瞬間より不死であり、生命の輪廻から途絶された存在であり、子を生さぬ代わり、傷付かず、衰えず、朽ちない……完成された生命体だ。だからね、君、求めたまえよ。南端にある、蛮族共の都……竜都『リィン』より続く道に眠る、『古き竜』の力を。……もっとも、常人に歩める道ではないがね……グルグル……」
「なるほど、リィンね……。それじゃあ、次はそこ行く?」
「いいですね! 実はちょっと気になってたんです!」
―――結局のところ『リィンに行け』という一言で集約される、長い語りを終えた司書が目を細めながら喉を鳴らし、それを聞いたクリムメイスは、顎に人差し指を当てながら何やら考えているらしいカナリアへと問い、ダンゴはクリムメイスの言葉に目を輝かせて何度も小さく頷いた。
なんせ、司書の言うところの『古き竜』こそ希少な存在らしいが、それ以外の古くもなんともないただの竜ならばリィン周りにウジャウジャと居るらしいことは周知の事実であり、また、どのような作品であっても竜の素材というものはひとつとして余すことなく使い道のある夢のような素材であり、そこに生産職であるダンゴが興味を持つのは当然なのだから。