155-血の繋がった姉妹 その3
「……ふう。これに懲りたら二度とわたくしに逆らわないことですわね」
「はぁーっ……はぁーっ……んぐっ……こ、この……鬼、悪魔、完全生命体……」
「人を怪獣みたいに言わないでくださいまし」
流石にこれ以上は自らの生命にも危険を及ぼしかねないと、そう判断した小鳥が一仕事終えたような雰囲気で自分の上から退いた後、海月は未だに口端がひくついてしまっている、間違っても人に見せられたものではない顔を自らの腕で隠しつつ小鳥を彼女なりに罵る……が、そんなものが完全生命体である小鳥に通じるわけがなく、小鳥は呆れたように肩を竦めてみせる。
「……そういえば、話は変わるけどさ。お姉ちゃん、最近、絵は描いてるの?」
その小鳥の姿から、自分と彼女のスタイルにあまりにも違いがありすぎることに関して、小鳥はなにがあろうと絶対に答える気がない―――あるいは彼女も分かっていない―――のだと(ようやっと)理解した海月は、言葉通りぐるりと一周話題を変え、やり取りの中で自然に『夕闇の障壁』という単語を持ち出す程『オニキスアイズ』に熱中してくれているのであれば、もうひとつの趣味である『絵』の方は近頃どうしているの? と、海月は上体を起こしつつ小首を傾げた。
別に、海月は小鳥の描く……あまり直視したくないタイプの『絵』は好きではなかったのだが、なぜか周囲の大人達は小鳥の『絵』に非常に好意的であり、彼女の作品を楽しみにしている層も一定数いるようなので、もしもそちらが疎かになっているようならば、少しぐらい息抜きで『オニキスアイズ』から離れるのもアリだと助言しようと思ったのだ―――なまじ、今日の始まりは『オニキスアイズ』で手詰まりになったらしい小鳥が苛立った様子で自室から出てきたことなのだし。
そして、そんな海月の心配はあながち外れてもいないようで、小鳥は海月の問いに対し特に言葉もなくふるふると首を横に振り、少しばかり困ったような笑みを浮かべ―――。
「こうもゲームに時間を取られると、あまりキャンバスに向かうことが出来ませんし。でも、だからこそ、より一層……以前より、制作意欲だけは湧くんですけれども……」
「けれども?」
「足りませんのよね。あの女の血のように、鮮明な赤色の絵具が」
―――とりあえず、今日ここに下りてくる理由となった『あの女』とやらを片付けるまでは何を言われようともキャンバスの前には座らないのだ、と……にこり、とした笑みと共に告げる。
「そっかぁ。絵具足りないなら仕方ないね」
「ええ、仕方ありませんわよ」
本来ならば先輩ゲーマーとして、息抜きをするべきだ……なんてアドバイスをするつもりだったが、ここまで物事にやる気を見せている小鳥を海月は見たことが無かったので、用意していた言葉は胸の内にしまい込み……起こした上体を元に戻して天井を見上げた―――。
「さて、と……」
―――少しばかりリフレッシュし、過熱した脳を幾分か冷ました小鳥は自室に戻るなりベッドに寝転がると、久々に自分の足を止めた相手について考える。
その名は『黒槍 サーフィア』……公式の告知した新要素『新次元:大名河』を遊ぶために必要な条件である『ウォールドーズ王との謁見』を達成するために、小鳥が、カナリアが絶対に倒さなければいけない相手だ。
そんな彼女が居るのは『王都セントロンド上層』の、『ファンレイン王城』前の広場……なので、真っ先にカナリアが思い付いたのは第一回イベントの時のように、『王都セントロンド下層』に存在する発電設備『フィオナ・セル』を破壊し、致命的なダメージを街そのものに与えることだった。
しかし残念ながら、第一回イベントではとんでもないポンコツっぷりを見せていた『黒槍 サーフィア』が、今回はきっちりと門番としての仕事を全うしているらしく、カナリアが意気揚々と『フィオナ・セル』へと足を運ぼうとすれば、その道中で彼女に出くわし……結局、真剣勝負に持ち込まれてしまった。
というわけで、どうにも『黒槍 サーフィア』は真っ向勝負をする他ないようだが―――。
「どうしたものかな……」
―――はあ、と思わず小鳥が溜め息を吐いてしまう程度にはサーフィアは強敵だった。
まず最初に考えたのは、超火力の長距離攻撃による即殺……カナリアが最も得意とする戦術だったが、サーフィアは長距離攻撃に反応し、黒い炎に紛れて姿を消した後、瞬間移動を伴うカウンターを放つようになっているらしく、逆に即殺されるばかりだった。
ならば、近接戦闘をするしかないのだが……そうすると、彼女の扱う黒い炎がネックになってくる。
それは触れれば3秒間相手を苦しめ、毎秒最大HPの10%に等しい膨大なスリップダメージを与えてくる強力な炎であり、当然ながら膨大なHPを有するカナリアにとっては、より強力な効果を発揮していた。
なにせ3秒で9150ダメージである……例え、どんなHPをしていようとも10秒で殺し切れる状態異常に変わりはないとはいえ、HPが5000程度のプレイヤーならば同じ3秒でも1500程度しか食らわず、それぐらいであれば一般的な回復アイテムで取り戻せる……しかし、9150ものダメージはどうしようもない。
なので、カナリアはサーフィアの攻撃に4回被弾するとHPが全損し、その後2回の被弾で『呪殺の首飾り』によるライフストップ効果も使い切り、計6回の被弾で確殺されることになるのだ。
しかも、直前で手に入った『ダイクロイック・アニュラス』は僅か5%ながらも、確かに炎属性の攻撃を通してしまう防御性能なので黒い炎を防げずに役に立たないと来た。
いくら全ての攻撃が一撃必殺だったゴアデスグリズリーや凡そ二撃確殺だったレプスよりは余裕があるとはいえ、そのふたつはどちらも周囲の環境を利用することによって容易に突破することが可能だったのに対し、今回は本当の本当に真っ向勝負をするしかないのは非常に厳しい。
勿論、小鳥は、オリア戦のように周囲の建物をローランに破壊させて圧殺することも考えたが、今日、ローランはオリアの手で殺害されてしまったため明日まで呼び出せないし、そもそもサーフィアは欲狩を戦場に連れ込むと遠距離攻撃へのカウンターに用いる瞬間移動からの攻撃で即殺してくるので、恐らくローランも同じように処理されるであろうことを考えると不可能だろう。
……とはいえ、そこそこ引き出しが多いのがカナリアというキャラクターであり、ならば、と小鳥は『溺愛の剣』を用いた近接超火力によるゴリ押しを決行したのだが。
「50回も、どうやって攻撃当てようかなぁ……」
思わず枕に顔を埋めながら小鳥がぼやく……そう、サーフィアの然程多くないHPを削った先に待ち構えていたものは、ダメージの代わりに表示された『49』という青い数字であり、かつてアリシア・ブレイブハート戦で一度だけ見たその青い数字は、パッシブ・スキル『アフター・グロウ』や、カナリアの『呪殺の首飾り』によって装備した呪いの装備の数だけ得られる『HPが0になるのを免れる』効果……ライフストップ効果を―――『エクスタント』を所持していることを表しており、数字通りに捉えるならばそれは、サーフィアが『エクスタント:50』というふざけた特性を持つことを証明していた。
そのことに気付いた時、小鳥は一瞬、クロムタスクが意味不明な難易度のボスを用意した……とも思ったが、今、多少なりとも冷静になった頭で考えてみれば、確かにサーフィアは自分にとって恐るべき死神であるが、少なくとも『クラシック・ブレイブス』の他のメンバーにとっては精々手応えのあるボス程度にしかならないと気付いている。
例えばウィンが対峙したとしても、彼女は魔術による遠距離攻撃の他に『妖肢化』を用いた中距離攻撃があるので、時間こそ掛かるだろうが撃破は可能だろうし、黒い炎についてもHPにあまり振っていない彼女にとっては然程痛いものではない(むしろ即死しない分有難い攻撃だとも言える)し、継続戦闘能力に極めて優れるクリムメイスなどにとっては容易い相手であろうし、ハイドラも切れる札の多さから苦戦こそすれど勝機が見えないわけではないはずだ。
「……戦略的撤退、かなぁ」
極め付けに、拠点である『悪夢の地下実験施設』に設置されてある『魔晶』の出血、苦痛、即死、そのどれもが有効打成り得ないのだから、もう本当に打つ手がない―――と、そこまで小鳥は考えて、問題があるのはサーフィアではなくカナリアであると気付き、このまま挑戦し続けることは不健全だと判断した。
一応、カナリアには振らずに取っておいてあるステータスポイントが22ポイントほどあるので、それをHPに全て注ぎ込めば41500までHPを伸ばすことが出来るが……だからなんだ、という話なのがいい証拠であるし、正直カナリア自身、このままHPを伸ばし続けるかどうか悩んでいるところもあるのだ。
確かにHPを伸ばし続ければ、それだけ膨大なMPを得られ、特定のステータスを上昇させることは可能だが、やはりINT、DEVのふたつが初期値なのは膨大なMPの出力先を狭めることもあって、致命的だ。
なんせ、多少なりともDEVを伸ばせばクリムメイスのように信術を扱えるようになり、自前でHPを回復し易くなるし、INTを伸ばせばウィンのように魔術を扱えるようになり、より優れた遠距離攻撃を行使できるのだ。
……事実、第三回イベントのバトルログを後から確認してみれば、第十三層でマッチングしたギルド『フィードバック』に所属していた『イーリ』という少女は、カナリアと同じく『夕闇の供物』によりHPを代償にして『死の魔法』を行使して戦っていたのだし。
だとすれば自分も、『イーリ』の扱う『死の魔法』に当たるものを探し、それに合わせたステータス振りをした方がいいのは間違い無いのだ。
「カナリアのシーズン2始動、ってところですわね」
三度、小鳥はぼやく。
よくよく考えれば序盤に手に入れたスキルを膨大なMPでぶん回しているだけで、よくもまあ、ここまで来たものだ。
そう思えば、むしろサーフィアというボスは、クロムタスクからカナリアに送られた賛辞であり、警告でもあるのかもしれない。
『ここまでよく頑張った。けどそこで停滞してはいけない』……といったところの。
余計なお世話だ、とは少ししか思わない。
なぜなら、第三回イベントでクリムメイスに教えられたように、小鳥が思うよりも人間達は『VRMMOに生きている』のだ。
間違っても命があるとは呼べない世界、だからこそ、人はありもしない命を賭けて全身全霊で戦うことが容易にでき―――更に詰めれば、悍ましい本性を曝け出すことも出来る。
それは得てして暴力という形で振るわれるのだから、抗う力はあるだけあって損ではない。
「とりあえず、クリムメイスに相談ですわね……」
運営なんてアテにしちゃダメ、自己防衛……なんて頭で考えながら、悍ましい本性を十分に曝け出して周囲に暴力を振るいまくっている小鳥がセブンスを再び被った。
そう、運営なんてアテにしちゃダメ、自己防衛……というわけなのだ。
こうして運営はカナリアに『もっと強くなれよ』と激励を送るばかりで、特別スキルのナーフを行ったりなどはする気が毛頭ないのだから。