149-黒い女からの誘い その2
仕方がない……だなんて、これまたなんともヴィーらしからぬ言葉であり、シャードルは考えてしまう。
まさか、なにか余程大変な理由があるのでは―――。
「だって!!!! カナリアさんの振る舞いは同じVRお嬢様として目に余りますわ!!!! 黙っていられませんわよ誇り高きVRお嬢様のひとりとして!!!! なにがなんでも行いを改めて頂かなくてはですわ!!!!」
「…………ああ、そう……」
「まァ、ンなところだろーよなァ」
―――なかった。
別に、なにもなかった。
いや、本人的には―――カナリアというお嬢様のガワを被ったテロリストの存在が自分達『VRお嬢様』の品位を貶めると考える彼女としては―――大問題なのだろうが……正直、シャードルにとっては(本当に)死ぬほどどうでもいい理由だった。
許せませんわ!! プンプンですわ!! と騒ぎ始めたヴィーからシャードルは(秒で)視線を逸らし、イコは分かり切ってたドラマの結末でも見るような落胆した目を彼女に向ける。
「……こほん。ところで、ですの」
そんなふたりの温度を感じ取ったのか、咳払いひとつしたヴィーが話題を切り替え、ふたりの視線を集めた後に花園の奥を指差す。
「あたくし、あのお方に見覚えがないんですけれども……あなた達はどうですの?」
そして、問う。
その指の指し示す先で、花々を愛でている少女に見覚えはあるか? と。
……シャードルは、ゆるゆると即座に首を振った……考えるまでもなく、まるで見覚えが無かったから。
それから少しして、多少は考えたらしいイコも肩を竦める。
すれば、ヴィーは、やはりそうか、とでも言いたげな様子で溜め息を吐く―――そう、今回声を掛けられた4人は全て『クラックダウン』の幹部級メンバーであり、互いに顔も性格も見知った相手だったはずなのに、今この花園には三人がまるで知らない少女がひとり、存在していたのだ。
で、あるならば―――。
「あれが、セブンティーン」
―――しゃがみ込み、鼻歌混じりに色とりどりの花々を指で愛撫するその少女こそ、セブンティーンで間違いないのだろう。
思わずといった様子で、シャードルは呟いた。
「ってェのが自然だよなァ。……ってか、ヴィー。なんで声掛けなかったんだよ」
「はぁ!? だって怖いじゃないですの! セブンティーンとやらは人の事テロリストにしようとしてるヤベー奴ですわよ!!」
(ほんの少しばかり、本当に少しだけ)身体を強張らせるシャードルを傍目に、あたくしは繊細な女の子ですのよ! あなたのような無頼漢と一緒にしないで欲しいですの! と騒ぐヴィーへ、……いやその喋り方で自分をお嬢様って呼べるお前のがヤベーよ、と心の中でイコはツッコミを入れつつ、件の少女に声を掛けるべく足を進め、それにシャードルと(恐る恐るといった様子の)ヴィーが続く。
「おい、お前がセブンティーンだな?」
「…………」
花園の隅にある、なんの変哲もない……故に、極めて不気味な少女の背に向けてイコが言い放つ。
それは……十分にドスの利いた攻撃的な色合いの強いイコの声は、下手をせずとも相手を委縮させるものだったが、件の少女はまるで動じることもなく、ゆっくりと立ち上がり、振り返ってみせた。
その堂々とした振る舞いは、間違いなくこの花園の主たる風格そのものであり、シャードルは確信した……やはり、この少女がセブンティーン―――。
「実に嘆かわしいのだよ。私の後ろ姿というものは遠目からでも、テロリズムに乗り気な連中を搔き集める大悪党に見えてしまうほど悍ましいのかね」
「……ア?」
「もしも状況から判断したのでなければ、きみの目は節穴だと言っているのだよ。違う。私はセブンティーンなどではない」
―――ではないらしい、シャードルは無言で羞恥に頬を染め、自然と小さく結んでしまった口元をパーカーの襟で隠した。
しかし、恥ずかしがっていられるのも数瞬だけで、すぐにシャードルは気付く。
……この少女が、セブンティーンではないことの重大さに。
「おいおい、そらァおかしいぜ? 今回呼び付けられたメンバーは4人……オレと、シャードルと、ヴィー。そして、ゼノコアラだ。んでよォ、オレの目が間違ってなけりゃあ、ゼノコアラはアホで間抜けなオタクの冴えない童貞野郎だ。お前がそうだとしたら、ちィと可愛すぎるんだよなァ?」
なにせ、この少女がセブンティーンでないというのならば、彼女がここに訪れる際に手に入れたであろう招待券は、元来シャードル達の仲間であるゼノコアラのものであったはずであり……彼女は、それを手に入れるために、もしかせずともゼノコアラに何らかの刃を向けた可能性があるのだ。
……別のゲームのトッププレイヤーのみが得ている力の片鱗を得られる(かもしれない)というチャンスをみすみす他人に明け渡すゲーマーなど、いないのだから。
「そうか? それは悪い事をしたのだよ。申し訳ないね、多少弄った程度では到底隠し切れない程に可憐で。これでも目立たぬよう、リアルよりは幾分か地味な外観にしているのだがね」
「あァ? おい、ふざけるなよ。お前、ゼノコアラになにをしやがった」
そういった所を考え、目の前の少女が自分達の敵であると仮定し、高圧的にイコが接したにも関わらず……少女は、可愛らしい微笑みを浮かべてみせる。
当然ながら、このタイミングでの可愛らしい微笑みなどイコの神経を逆撫でするだけであり、今にも掴みかかりそうな勢いでイコは少女に詰め寄る。
「なにもしていないとも。そもそも、なにもする必要がないのだよ。私ほどの存在ともなれば、欲するものを手に入れるのに労力など早々必要にならないからね」
互いの息が混じり合いそうな距離までイコに詰められたことにも動揺せず、その少女は湛えた微笑みを一切崩さずに、よりいっそう三人の疑問を大きくする答えを口にした。
……確かにゼノコアラはヴィーに心酔する程度にはチョロいオタクだった、だが、だからといってそのヴィーと共に別のゲームをロケットスタート切って遊べる機会を、この少女のためにみすみす手放すだろうか? あるいはそうだとしたら……なにかしらの拍子に彼からこの少女の存在が匂ってもおかしくないはずだのに、それなり以上の時間を共に過ごした自分達がそれを知らないのはおかしいのではないだろうか?
「まあいい。事情があったにも関わらず、自ら打ち明けなかった私にも落ち度はあるしな。ある程度の無礼は許してやるのだよ。私はヨリンデ。その名の通り、可憐なだけでなんら害のない……まさに、小鳥のような少女だ」
三人が少女―――ヨリンデに対する疑念を益々大きくする中で、ヨリンデは相変わらずの笑顔を浮かべたまま続ける。
その様子は、どう見ても噓を吐いているようには見えないし……そもそも、よくよく考えてみればゼノコアラが別の人物に入れ替わろうと大した問題にならないのは違いないので、イコは舌打ちだけひとつしてヨリンデから距離を取る。
「皆さん、既にお揃いでしたか。これはこれは、お待たせしてしまったようで」
イコに詰められても微動だにしなかったヨリンデへと、シャードルは訝しむような目を、ヴィーは感心するような目を向けたところで、花園に新たな人物が現れる。
その人物―――黒いローブに身を包み、車椅子に腰掛けた〝いかにも〟な容貌の人物は……第一声の内容を聞くに、恐らく、この人物こそ『セブンティーン』で間違いないのだろう。
それはこの場の全員が一目で察し、そして『セブンティーン』の出で立ちにも別段驚きもしなかったが、しかし、この場の全員は思わず自分の耳を疑う。
なにせ、『セブンティーン』の声は聞き間違えようもない程……―――。
「こりゃまた意外だ。まさか女とはな」
―――イコがゆるゆると首を振りながら大袈裟なリアクションと共に言う。
そう、セブンティーンはその声で判断するのであれば……若い女のようだった。
「えへへ。がっかりさせてしまいましたかね? でも私としては、なんていうか、そのー。ゼノコアラさん? あの鎧の中身がそれって方が意外ですけどね」
被っていたローブを外し、その素顔を―――聞いた声のイメージ通りな年頃の少女の顔―――晒しながら、セブンティーンはヨリンデへと視線をやり……彼女の目に、ぞくり、という薄ら寒いものをシャードルは思わず背中に感じた。
闖入者を見る、セブンティーンの目の、なんと冷たいことか!
「安心するのだよ。私はゼノコアラじゃあない。きみが想像する通り、あの鎧の中身は……どこにでもいるような、凡庸な男だ。特に価値を見出すことも出来ないような、ね?」
冷ややかなセブンティーンの視線を受けても、尚、一切の動揺すら見せないヨリンデが肩を竦めながら告げる。
一瞬、彼女のその言葉はセブンティーンの機嫌を損ねるのではないか―――と、シャードルは思い、(本当に、ほんの)少しばかり嫌な想像を膨らませた。
「まあ、ポーンの色が白だろうが黒だろうが、いっそ赤かろうが私には関係ありませんしね」
そんなシャードルの予想に反し、ヨリンデの言葉を瞬き三つ程で噛み砕いたセブンティーンは、ほぉ、と肯定的とも否定的ともとれる返事を口にし、早速本題に入りましょうか! ……と、続ける。
……確かにそれはシャードルの想像とは違う反応ではあったが、結局、シャードルはセブンティーンの言い回しに強烈な危機感を覚えた。
「待てよ! 分かってんのか知らねェが、お前、今から俺達に開示しようとしてる情報はよォ……ポーンをクイーンに変えちまうモンだぜ? いいのかよ、それがお前の望む色じゃなくてもさ」
思わず軽く身震いをしたシャードルが感じたものは、恐らくヴィー、そしてイコも感じていたのだろう。
顎を上げ、(わざとらしいまでの)高圧的な態度を取りながらイコが何らかの準備を始めたセブンティーンへ向けて問い、ヴィーはそんな彼の言葉に激しく首を縦に振って同意する。
なにせ、自分達を『ポーン』と表現した上で、『白でも黒でも構わない』と言い放ったセブンティーンは、当人たちからすればそれだけ不気味な存在だったのだ。
「構いませんよ? 所詮、ボード上の駒なんてプレイヤーがテーブルを倒せば全員死ぬんですから。それに、並ぶのが32個のポーンだろうが32個のクイーンだろうが、プレイヤーがその駒に正しい種類の役割さえ与えられていればチェスは出来ますし。駒なんて、ただ、ゲームを始めるのに必要な数が揃ってさえいればそれでいいんです」
普通の年頃の少女であれば、間違いなく委縮してしまう程の威圧感を放つイコの問いに対し、セブンティーンが、くすり、と(全くもって恐ろしい程、一切の無関心が見え隠れするような)小さな笑みを浮かべながら返した答えを聞いて―――シャードルは、自分が思っているよりも、何倍も、この件は危険なものかもしれないとようやっと理解した。
そしてそれは、ヴィーも……イコまでも同じなのだろう(唯一、ヨリンデはなにを考えているかは分からないが)。
だが、そうだと分かっても、ヴィーも、イコも、シャードルも、この場を立ち去ろうとは思えなかった。
そう、いくら彼女がゲームのプレイヤーであり、自分達が駒だとしても……。
「それに、あなた達も構いませんよね? 私に使い捨てられても……本望でしょう? ゲームチェンジャーとして才無き凡夫共を蹴散らせるなら」
……セブンティーンがクスクスと(明らかに見下す色合いに満ちた様子で)笑いながら告げる通り、自分達がクイーンであり、他がポーンなのだとすれば、振るう力の美酒に溺れることは出来るのだから。
「さあ。ちゃんと聞いてください、見てください。一回しか言いませんし、お見せしませんから。これが、私が仕入れてきた、完璧な、面倒が嫌いな人のためのお手軽凶鳥化チャートです」
黒魔女がちらつかせる美酒の香りに、脳を痺れさせた三人と、部外者の目の前に自らの叡智を広げる。
それは言葉であり、図式であり、杖だ。
シャードルが何気なく求めた、『世界をぶっ壊せるような力がこもった魔法の杖』。
それを渡して、黒魔女は優し気に微笑みながら、告げる。
さあ、好きにするがいい!