148-黒い女からの誘い その1
例えば、世界をぶっ壊せるような力がこもった魔法の杖を渡されて『好きにしろ』って言われたら?
間違いなく、私はその杖を振るってみせる―――、瞠月陽菜は教室の窓から青い空を見上げながら確信する。
……別に、陽菜は自分の人生や、その環境に不平不満を感じているわけではない。
両親は(今の時代珍しい共働きではあるが)一般以上の収入を持つサラリーマンだし、兄は誰の前に出しても恥ずかしくの無い美男子(だが正直、クラスメイト達は彼を美化し過ぎだとは思う)。
そんな兄を持つからか、はたまた、兄と同じく世間一般的には美形にあたる顔立ちのおかげか、(腹の内は知らないが)クラスメイト達も自分に友好的だし、(極めて幸いなことに)学業も苦にならないタイプなので学校は(絶対に認めたくないが)結構楽しい。
だけれど、陽菜は再び確信する……その杖を振るうことに躊躇いはないと。
理由は―――特に、ない。
ただ、この、あまりにも満たされた現実に胸焼けを覚えているのも確かであり、それを(人の手で壊されるのはゴメンだが)自分の手で一度ぶち壊してみたいのは確かなのだ。
そして、その杖は……。
「いっつも待たせてごめんねぇ、陽菜~」
「あーのセンセーホンットーに話長すぎっしょ……」
……手元の携帯端末、そこに記されたアドレスとパスワードに陽菜が視線を落とした所で、ようやっと待ち人(彼女達の担任は帰りのHRで異様に長く語ることで有名だ)のふたりが、陽菜以外には誰も残っていない教室のドアを開けた。
「別にいいよ。どうせ帰っても暇だしさ」
陽菜は一瞬だけ、その二人―――勇 海月と新葉 初香―――へと視線を向けると、机の上のバッグを手に取り彼女達の元へと足を進める。
「……んー? 陽菜、その割には何かそわそわしてない?」
と、不意に、そんな陽菜を見ながら海月が可愛らしく頬に指を添えて(彼女程の美少女がやるのでなければ、憤りを覚えかねないだろうポーズだ)眉を八の字にした。
その海月の言葉と、(相変わらず、いつも通りの)全てを見通すような目に陽菜は、思わず自分の全てを見透かされたような気がして(そして実際、今日は夜に少々楽しみなことが控えていたので)思わずどきりとする。
「いや、ウソっしょツッキー。陽菜、全然いつも通り体温33度ぐらいしか無さそうなクール&ビューティーっぷりですけど」
「それはういの目が悪いだけだね~」
「えぇ~?」
思わず海月の言葉を陽菜は否定しそうになったが、それより早く初香が海月へと怪訝そうな表情を向け……その後、眉を顰めながら陽菜の顔を覗き込んでくる。
どうやら、陽菜が浮足立っているかどうか、海月のように顔を見るだけで見抜こうとしているらしい。
「んんん……?」
「…………」
「んんんん~~??」
「…………」
「いやダメだ全ッ然分かんないんですけど」
そう来るのならば(海月にはともかく初香には)絶対に見抜かせない自信が陽菜にはあったので、様々な角度から自分の顔を覗き込んでくる初香に対し陽菜は完璧な(先程までよりもより一層)真顔を向けて見せ、結果、初香は肩を竦めて首を振る。
「当然でしょ。海月の目がおかしいんだしさ」
「あ、それは同感。ツッキーの目は絶対おかしい」
「え~、ふたりとも酷くなーい?」
だなんて、他愛ない会話をしつつ、内心初香にまで見抜かれる程は顔に出てなかったことを喜ぶ陽菜を先頭、その目をおかしいと断言され頬を膨らませる海月を最後尾、間に楽しそうに笑う初香を挟んで三人は教室を後にする。
そして、しばらくの間は(少し騒がしいぐらいに)口数の多い初香を中心に、昨日見た番組がどうだとか、期末試験が憂鬱だとか、いかにも(絵に描いたような)学生らしい話をしつつ、帰路を進んでいた三人だったが、初香が期末試験に関する話題を一段落させたところで、そういえば、と不意に海月が切り出した。
「そろそろオニキスアイズ、アップデートなんだよね? そこそこ大きい規模の」
「うん! なんか新しいエリアとかが開放されるっぽい! めっちゃ楽しみ~!」
「いいなぁ、私もやりたーい……」
それは、近頃ごく一部で話題になっているVRゲーム―――オニキスアイズというゲームに関する話題だった。
そのゲームは、海月が『対象年齢に届いていないから』という中々聞かない理由で親にプレイを止められ、結果として姉(陽菜には直接の関わりはないが、変人との噂だ)へと渡すこととなった作品であり……。
……陽菜が〝少々楽しみにしている〟ことに関係するゲームでもあった。
「……あ、ごめんね? 陽菜は、あんまりゲームとか興味ないよね」
思ってもみなかったところで、その名前を聞いてしまったことで顔が少々強張ったことを(やはりおかしいその目で)見逃さなかったらしい海月が眉を八の字にして苦笑しながら頬を掻く。
「別にいいよ」
(実際のところゲームは結構嗜んでいるのだが)少なくとも学校ではその手の話題に全く興味がない素振りで通している陽菜は、(殆ど条件反射で)気にしてない、と答え……直後に、少しばかり後悔した。
海月と初香は気兼ねなく接することが出来る数少ない相手だし、話題を何気なく出してしまう程、オニキスアイズにふたりとも関心があるのなら、自分も興味があるのだと言ってしまえばよかった―――。
「……んー、っと……違ったらごめんね? ……もしかして、陽菜もオニキスアイズ……やってる?」
「え、それマジ? めっちゃ意外じゃん」
「…………」
―――だなんて、考えてしまったことこそ、本当に後悔するべきことだと気付いた瞬間にはもう遅い。
(どう考えてもおかしいその目で)陽菜の微細な表情の変化を読み取ったらしい海月が小首を傾げ、海月のそんな言葉に目を丸くした初香が陽菜の顔を覗き込んできて……思わず陽菜は無言で目を逸らしてしまった。
「うわ、その反応マジじゃん! えー! ヤバ! ねえ、今度……いや、ハハ、えーっと……」
そこまでしてしまえば、流石に初香でも陽菜がオニキスアイズをプレイしていることを(正確にはまだプレイはしていないのだが)察し、テンションを物凄く上げてはしゃぐ―――ように見えたが、なぜか瞬間的にテンションを下げて視線を泳がせ始めた。
……当たり前だ、なにせ初香はオニキスアイズの世界の中じゃ高次元生命体であり、しかもその仲間といえばテロリストと蛮族ツインテールと高湿度生産職という……少々大人びているように見えるとはいえ、所詮は自分と同じ一般女学生の陽菜が関わるには少々特異すぎる存在なのだから。
「やっぱコミュショーだねえ、うい……そこで踏み止まっちゃうなんて……」
「いやゴメンツッキー、全部お宅のお姉さんのせいだから」
「え? なんで? お姉ちゃん関係なくない?」
初香が陽菜を誘うことを踏み止まった理由を、臆病な彼女の気質故と勘違いしたらしい海月が肩を竦め、(近頃は少々怪しい所もあるが)基本的には被害者側のポジションである初香は思わず真顔で返すが、海月は不思議そうに小首を傾げるばかりだ。
そんな海月へと初香は、まったくまるで全然関係なくなくないよ……と、溜め息交じりに告げるが、どうにも納得がいかないらしく、なんで、なんで、と繰り返しながら初香の肩を揺らし始める。
「だーもー! ツッキーってば先輩がどういうプレイしてんだか知らないワケ!?」
「とーぜん知ってるよ! お姉ちゃん、その日のプレイ内容事細かに話してくれるし!」
幼児めいた駄々のこね方をし始めた海月を振り払いながら初香が悲鳴に近い声を上げると、それに対し海月はまるでタンポポのように柔らかな笑みを見せる。
……見せてしまったものだから、当然初香は戦慄した―――これ、余程の偏向報道がされているか、あるいは姉妹揃って頭ヤっちゃってんね―――と。
前者だとすれば、真実を知った海月が傷付くだろうし、後者だとすれば恐ろしい事この上ないので……初香はもう、何も言えなかった。
「……まあ、考えておく」
衝動的に誘うことすら踏み止まらせてしまう海月の姉とは何者なんだ、と(今度は絶対に顔に出さないように)考えつつも陽菜は、とりあえず今回の初香の誘いに関しては答えを濁すことにした。
というのも、初香と一緒にオニキスアイズをプレイするのはやぶさかではないが、陽菜には既に先約が入っており、そちらは(残念ながら)初香と一緒に遊ぶよりも(間違いなく)楽しい相手ではないが、(もしかすれば)陽菜が胸の内で燻らせる暗い渇きを潤してくれる相手かもしれなく……。
それは、(なによりも、絶対に)優先するべきことだから―――。
「間違ってないよ。別に初香とはリアルで遊べばいいんだしさ」
―――けれど、もしかしたら普通に初香と一緒に遊べば良かったかも。
あれからすぐ、ふたりと別れて帰宅し夕飯と風呂を済ませた陽菜は、『約束の時間』が来るのを自室のベッドでぼんやりと天井を見上げながら待っていたのだが、部屋の中で思わずそんなことを考えてしまうと、わざわざ声に出してまでそれを否定した。
……確かに、初香と遊べば楽しいだろうが、楽しいだけで何も得るものがないのは分かり切っている……それは所詮〝日常〟の一部に過ぎない。
今回、陽菜がVRMMOに求めるものはそういうものではないのだ。
「……やっと時間だ」
徐々に生まれた後悔が大きくなるのを感じながらも、それから目を背けて陽菜は『セブンス』を装着してVRチャットツールを起動、ある人物から送られてきたアドレスとパスワードを入力する。
すれば、一瞬の暗転の後……陽菜の視界に多種多様の花々が飛び込んできた。
少しばかり驚きつつも、周囲を見回すと―――どうやら、ここは(えらく維持費が掛かりそうなほど立派な)花園のようらしい。
「嬉しいねェ。やっぱり来てくれたかよ、シャードル!」
「……イコ」
周囲を見回す陽菜―――シャードルだったが、自分の姿を見て彼女となにかと縁のある男……イコが馴れ馴れしく挨拶をしてきたものだから、思わずテンションを大きく下げた。
……正直言って、シャードルはこのイコという男が苦手だった。
「カカカッ! そうだよな、そうだよなァ。どんだけ良い子ぶってても、その本質はオレと変わらねえ。お前はオレによく似てるよ!」
「……言ってれば」
露骨に嫌そうな顔をしたのだが、それに気付かなかったのか……いや、むしろ気付いたからだろう、イコは犬歯を剥き出しにして下品な笑みを浮かべつつ、シャードルの肩を押す。
一瞬、シャードルは声を荒げそうになったが、反応してはこの男を喜ばせるだけだと十分に知っていたので、なんとか堪え、顔を背けるだけにする……やっぱり、素直に初香と遊べばよかったかも、だなんて、思いながら。
「ンン~、冷たいねェ、冷たいねェ、相変わらずシャードルちゃんはよォ。……ま、いいさ。ところでよォ、どうだよ、このチャットルーム。お前、どう思った? まさかとは思うが、お花きれ~……とは言わねえよなァ?」
多少でも反応があった時点で満足だったらしいイコが、周囲をぐるりと見回しながらシャードルに問い、シャードルは一瞬沈黙を貫こうか、とも考えたが―――このチャットルームを一目見て覚えた感想は、胸の内にしまい込めるようなものではなかったので、(非常に不本意だが)素直に口を開くことにした。
「かなり、気持ち悪い」
そして、その感想は……直球で『嫌悪』だった。
別段、この花園のなにかがおかしいというわけではないし、出来が悪いわけでもない。
この花園は、極めて精巧に作り上げられた素晴らしいチャットルームだ……だが、だからこそ、気持ち悪い、とシャードルは感じた。
なにせ、このチャットルームに自分達を招待した人物は今から、『オニキスアイズ』を混沌の渦へと叩き込んだ稀代のテロリストことカナリアが振るう力の一端、それを得る方法を(多少の対価と引き換えに)自分達に教えるのだ。
だのに、こんな穏やかで暖かな雰囲気のチャットルームを手配するだなんて―――。
「だよなァ。こいつはオレの勘だが。たぶん、病んでんぜ? セブンティーンとやらは。……ギャハハ! そう思って見てみりゃあ精神病院の庭みてェだな!」
―――そこから先のシャードルの感想をイコが代弁する。
そもそも数字に固執する奴なんざ正気なワケねェか、なんて笑いながら言うイコを片目にシャードルは今回自分達へと招待状を送ってきた存在……セブンティーンが何者なのかを考えてみる。
……だが、当然ながら大部分は分からない。
唯一分かるのは、セブンティーンがシルーナ無き今……カナリア有る今、アクティブユーザー数の減少が目に見えて加速している、かの有名なVRMMOの大規模ギルド『クラックダウン』の主要メンバー―――自分やイコ―――に声を掛けていることから考えるに―――シルーナが最後に〝砕いた〟群れである『クラックダウン』のメンバーに声を掛けていることから考えるに―――シルーナに恨みやそれに準ずるものを抱いているのであろう、ということだけ。
「あら、イコさん……はともかく。シャードルさんも来たんですのね」
「んォ? おァ、よォ! ヴィー! へェ、お前も来たのか? 意外だねェ」
セブンティーンの正体を(非常に不本意ながら)イコの隣でシャードルが思案していると、新しくロビーにやってきた少女……ふわりとカールした柔らかそうな髪が特徴的な少女がにこやかな笑みを浮かべながら二人へ声を掛けてきた。
その少女……ヴィーの出現に、イコはニヤニヤとした表情を(相変わらず)崩さずに目を丸くして驚いてみせ、シャードルもまた、彼のように(露骨で馬鹿みたいな)反応は見せなかったものの(ほんの少し、僅かだけ)思わず驚いてしまう。
「あなたは、誰かの手の平に乗るのは嫌いなタイプだと思ってたんだけどな」
「それはそうですけれども……今回ばかりは、仕方がなかったですの……」
だから、シャードルがその驚きをそのまま言葉にしてみれば、そこに返ってきたのは何とも悲し気なヴィーの表情と声だった。




