144-『イサミ コトリ』が生産された日の話
お久しぶりです。
見切り発車にはなりますが、しばらく毎週金曜に更新してみたいと思います。
また、毎週水・日は新作である『クソゲーを葬送りし者、天骸を巡る。』というシンプルなラブコメVRMMOモノを投稿していますので、そちらもどうぞ合わせてお楽しみください。
「話がちがう」
鼻先をくっ付けるほど、分厚いガラスに顔を近付けた幼い少女がぽつりと呟く。
「ちがう個体だなんて聞いてない」
その少女の言葉の意味を、小さな彼女の手を握る女が理解するよりも早く、少女は続けて連ねる。
「おまえが、成人サイズの子宮を欲しがるのが悪い。薬剤での急速な肉体の育成には負荷がかかりすぎる。あれは到底人間とは呼べな―――」
「やめたほうがいいわ」
自分が発した言葉のいくつを理解してるかも怪しい、淡々とした様子で続ける少女の手を引き、女は静かに、けれどもハッキリとした声色で告げる。
「ごめんなさいですの。わたくし、パパとお父様がなにをお喋りしているのか、気になってしまって」
「……あ、ううん。私こそごめんね、急に……。でも、やめたほうがいいから」
なにを考えているか分からない表情―――少なくとも、大人に鋭い声を向けられて、委縮する子供が間違ってもするような表情ではない―――を自分へと向けながら、やや不自然な……所謂〝お嬢様言葉〟を口にした幼い少女へと、女は出来る限り柔らかい笑みを向けながら、その肩を掴み、分厚いガラスから少女を遠ざける。
……正確には、その分厚いガラスを挟んで向こう側に存在する部屋と、そこで言い争う二人の男達から。
「……見てるだけで、なにを言ってるか分かるんだ」
「うん。日本語だけですけれども」
とりあえずガラスに背を預け、少女を後ろから抱くような姿勢を取りつつ、女は少女の答えに頭を悩ませる。
どうにも、この少女は……この自分の腕の中に全て収まってしまう、間違っても自分とは似ても似つかない……やや無機質気味な、けれども酷く温かな少女は、これほどまでに幼いというのに極めて精度の高い読唇術を会得しているらしく、また、それを自然と会得してしまうほど『眼が良い』らしい。
それは、この少女の出自を考えれば……、出来る事ならばなにも知らずに育つべきであろう、その出自を考えれば……最早、呪いに近い。
「……そっか」
いくら無機質気味な表情をしているとはいえ、当然ながら幼さに満ちている大きな目の中に自分の顔を逆さまに映しながら、見上げる少女の顔を見下ろしつつ女は曖昧な笑みを返す。
……笑うしかなかった。
……どんな顔をすればいいのか分からなかった。
なにせ、この少女は自分達のエゴによって(望んでなくとも)産み出された存在であり、だとするならば、その呪いを刻んでしまったのは紛れもなく自分達なのだから。
「ねえ、お母様」
きっと、自分の背中へと嫌な冷たさを伝えてくるこの分厚いガラスの向こう側の彼は、義憤に身を燃やし自らの弟を罵倒しているのだろうな―――と、その笑みの裏で女が考えていると、不意に少女が(先程までよりは少しだけ)年相応な……不思議そうな、それでいて恐る恐るといった様子で女を呼ぶ。
「……なあに?」
「お母様達は、『お金持ち』なんですのよね。パパがそう言ってたですの」
「まあ、世間一般的には……そうかもね」
子供など、産むどころか身籠ったことすらないのに『母』と呼ばれることに妙なむず痒さを覚えながらも、出来る限りは『母』らしく少女に微笑み返した自分へと向けられた、少々真意の掴み辛い少女の問いに対し、女は思わず眉を八の字にして頬に指を添えながら頷きを返す。
彼はともかく自分は庶民層の出であり、所謂富裕層に身を置いてから五年も経ってないので、あまりそういう自覚はないが……だとしても、自分達が富裕層であることは変わりはなかったから。
「……でも。お母様、『わたくし』って言わないで『私』って言いますし、『ですの』って付けませんわよね」
「それは、うん、もちろん……」
そんな女の答えが気に入らなかったのか、少女は(その瞳に映す女とそっくり同じように)眉を八の字に顰めて、なにやら頓珍漢なことを言い始める。
当たり前だ。
そもそも自分は庶民層の出なのだから、そんな喋り方は……いや、というか、このご時世、生粋のお嬢様であっても、そんなにもコテコテな〝お嬢様言葉〟は使わないだろう。
そんな口調で喋るのは精々漫画やゲームの世界の住民ぐらいだ。
「…………」
だから、思わず即答してしまったのだが―――どうしたことだろうか。
少女は口を堅く一文字に結んで黙り込んでしまう。
怒った……というわけではないようだが、なにを喋ればいいのか分からない……らしい。
「お母様達、お金持ちだって。パパがそう言ってたから、アニメで、私、〝お金持ち〟の女の子の喋り方、勉強したんだけど。私、間違った?」
どうしたものかな、と女もまた口を固く結んで言葉を選んでいると、先に言葉がまとまったらしい少女が……先程までのややゆったりとしたお嬢様口調から一転して、酷く拙く……それでいて、聞き取り辛い程の早口で選び抜いた言葉を口にした。
それを聞いて女は―――。
「……へ? え、あ……ふっ……うふふっ! そう、そういうこと? そうなんだ……やっぱり、あまり変わらないわね。私達」
―――思わず吹き出してしまった。
どうにも、この腕の中の少女……極めて人に近しく、あらゆる人の代わりとなれるように作り上げられた、それでいて確定的に人ではない少女は、今日から両親となる自分と彼に、いち早く打ち解けるため……アニメを参考に、先程のステレオタイプなお嬢様言葉を勉強したらしく。
それは、とても可愛らしく……それでいて、なんとも子供らしく……また、明確に人間らしい。
「どうして笑うの? やっぱり、変? 私、間違った? 直したほうが良いかな」
「ううん! いい、いいと思うよ。さっきの喋り方で! せっかく、頑張って覚えたんだし。それに、可愛いし」
「……そう? ですの」
急に、あまりにも子供らしい姿をその少女が見せたものだから……酷く安堵し、それと同時に少しばかり、この少女のことを愛おしく思い始め、頬の緩みを止められずにいる女を見て、少女は……少しばかり頬を紅潮させ、少しばかり照れて、不機嫌になりながら―――きっと、そんなことは一切理解せずに―――唇を尖らせるものだから、女はより一層少女を愛おしく思いながら、首を振る。
その答えに(どうにも満足はしていないようだが)、とりあえず頷いて見せた少女を見ながら……女は深く安堵する。
……自身に生殖能力が備わってないと分かったあの日。
酷く嘆いた夫が、恐らくこの世で最も嫌っているであろう弟へと連絡を取り、その弟が生み出した『完全治療法』の被験者となり―――せめて、自分の為に……その子宮を他人に与えるために、産み出され、育てられるそれを家族として迎えようと決めてしまったせいで。
彼女達を生物とは認識していない、愚かなほど頭脳明晰な創造主によって『間違っても世間に晒すわけにはいかない子宮摘出用』とは別に『なんとも愚かな偽善者らしい、下らない正義感を満たす用』として造り上げられてしまった、この子を。
愛せる、のだと。
理解したから―――。
「本当に理解したか? 何度でも言うが、お前が考えている以上にそれを飼うのは危険だ。犬や猫のような愛玩動物ではないからな」
―――トランクに荷物を押し込める自らの兄……勇隼一へと向かって、勇鷲二が起伏の無い声で確かめる。
「……愛玩動物じゃないのが分かってるんだったら、飼う、なんて言葉使うな」
「他になんと表現すればいい。まさかとは思うが、養子でも取ったつもりか? ふざけるのも大概にしろ。それは人間じゃないし、お前の作る無機物共と違ってヒトと共存出来るようにも設計されていない。人並外れた力を持ち、人らしからぬ精神性をした、人と同じ外観の知的生命体……非常に危険な動物だ。管理を怠れば……」
自分の問いに対し期待したものと違う言葉が返ってきたことに、少しばかり憤りを感じながら、相変わらず考えの足りない兄へと鷲二は警告をしようとする。
だが、その言葉は顔を鬼のような形相へと変えた隼一に胸倉を掴み上げられた(本日何度目だろうか)ことで阻まれる。
「お前がどう思っていようが、俺達が望んだものとは違ってようが、今日から小鳥は俺達の娘だ! だから、いいか! あの子をモルモットかなにかのように扱うことは絶対に許さない!」
「……小鳥ぃ? ハッ、もう名前を付けたのか? 野良犬を拾った子供でも、もう少し時間を置くだろうに。……おい、放せ。十分だ。結構だ。お前がいくら言っても聞かないことはよく分かった。好きにしろ。構うものか、どうせ噛み付かれることになるのはお前と、私と、せいぜいこの社会ぐらいだ。どれも地球上から消え去ったとして、全く問題ないだろうさ」
そして文字通り食い掛るように叫ぶ隼一に、ついに鷲二は耐えられなくなり匙を投げる―――やはりこの男は愚かだ……あれの容姿に騙されて本質がまったく見えていない。
乱雑に放された襟を直しつつ、鷲二は深く溜め息を吐きながら天を仰ぎ見る。
貴重なデータサンプルが得られるから、と、あれ……『シュライク』の臓器、子宮をこの男の妻に移植したのは間違いだった、なんて、考えながら。
……いや、それは間違いではなかった、実際、貴重なデータを得られたのは間違いないし、シュライクの臓器を用いた臓器移植治療こそが『完全治療法』であると証明する第一歩にはなったのだ。
だから、間違いは―――。
「……もういい、知るか」
―――『なんとも愚かな偽善者らしい、下らない正義感を満たす用』だと吐き捨てながらも、結局、彼らに渡す個体を処分せずに残してしまった自分の判断そのものだろう。
「ことり?」
「そう、小鳥。私が考えた名前なの。隼一……お父様は、違う名前にしたがってたけど……ちょっと、アレだったからね」
「名前……」
……直視し難い現実に再び直面した鷲二が苛立った様子でがしがしと頭を掻きながら踵を返し、到底文明人が住んでいるとは思えない自宅の中に姿を消す一方で、車内では小鳥と隼一の妻が向き合って話していた。
少しばかり、隼一の妻は自分達が考えた名前を小鳥が気に入るか不安だったため、彼女の様子を黙って見る……と、小鳥は一度、二度とまばたきを繰り返した後に車窓から鷲二が消えていった扉へと視線をやる。
「ほんとうですのね」
……お気に召さなかったかな? と隼一の妻が思い始めた頃、小鳥が呟く。
「本当、って?」
「人間なら、子供を持ったらまずは名前を付けるのが普通だって」
「それは……まあ、名前が無いと不便だし、かわいそうだし」
その呟きの真意を探ろうと、隼一の妻は思わず聞き返すが……それへの答えは彼女の疑問を大きくするだけだった。
「ママは違いましたわ」
「…………ママ? 待って、それって」
「…………」
膨らみ続ける彼女の疑問……それに答える気は毛頭無いのだろうし、疑問を抱かれているとも気付いていないのだろうが、小鳥がふいに零した言葉に隼一の妻は嫌な想像をする。
それを否定して欲しくて、思わず小鳥の肩を掴むが……小鳥は、視線を僅かに逸らしはするものの相変わらず無表情で、これ以上は喋らないと言わんばかりの様子だ。
「……名前、といえば、なんですけれども」
とはいえ、自分の中に生まれた不安の種……それをなんとか刈り取りたいと考えてしまった隼一の妻は、心の中で小鳥が折れてくれるよう祈りながら、その無機質な瞳を眺め続け―――それを察したのであろう小鳥は、恐る恐るといった様子で新しい話題を切り出す。
そこで、はっ、として隼一の妻は自分を酷く呪う……出自こそ普通とは言えないが、とはいえ、その本質は幼い子供そのものであると先程わかったばかりだというのに、怖がらせてしまっただろうな、と。
「う、うん。どうしたの?」
「ええと、お母様の名前……なんて読みますの? いろいろ調べたんですけれど、それらしいものが見つからなくて。パパも、知らない、と仰いますし……」
「…………あー……」
いまはとにかく彼女が必死に捻り出したのであろう話題に対し、真摯に答えることが精一杯の贖罪になるだろうと隼一の妻は考えたが、小鳥の問いを聞いて今度は自分が視線を逸らす番だと知る。
なんせ、彼女の名前は『月花姫』だ。
…………。
……。
『月花姫』だ。
「……『月花姫』って読むのよ、これで」
「…………」
「…………」
「えっ、どうやったらそうなるの」
「知らないわ」
今までにないレベルで感情豊かな表情を見せた小鳥から顔ごと視線を逸らしつつ、隼一の妻―――月花姫は考える……本当にどうして、こうなったのだろう、と。
……ちなみに、学生時代は成人したら絶対に改名しようと誓っていたのだが、残念ながら卒業間際に出会った後の旦那―――隼一がえらくこの名前を気に入ってしまったので、結局改名しなかった。
「……かなり昔、流行ったのよ。こういう名前」
「そうなんですの……」
「ちなみに、私が止めなければあなたの名前も……」
末恐ろしいことになっていた……と続けようとした月花姫だったが、自分の言葉の先を察したらしい小鳥が今までの鉄仮面っぷりをかなぐり捨てた、なんとも子供らしい……さながら、歯医者に連れ込まれた哀れな子供のような嫌悪感と絶望に染まった顔を浮かべていることに気付き、その言葉を止め。
そして小さく笑い、思わず小鳥の肩を抱き寄せた。
「私達、お互いのこと、まだ全然知らないけど……なんだか、うまくやっていけそうね」
月花姫に肩を抱き寄せられ、一瞬、びくり、と反射的に身体を震わせた小鳥だったが、彼女に敵意は一切無いのだと即座に理解し、その身を委ねて目を閉じると……ふいに思い出す。
かつて、自分が〝ママ〟と便宜上呼んだあの個体―――正確には母親というよりも、姉に分類されるであろう個体……自分よりも、遥かに成長した肉体を持っていた個体。
その彼女に、抱かれていた時の暖かさを。
…………。
……。
ああ、そうか。
だから、彼女は〝処分〟されたんだ。
だって、彼女は―――もっと、冷たかったから。
だったら、気を付ける必要がある。
私の身体だって、そう温かくはないのだから。
「他の家とは違うかもしれないけど、でも、他の家と同じように……。ううん。それ以上に、幸せになりましょうね」
「うん……」
小鳥は月花姫の背に手を回し、彼女の暖かさを身に沁み込ませて祈る。
どうか、この熱が自分に伝播し、いずれ―――本当に、温かな身体を手に入れられますように、と。