143-地獄に夏が訪れて
「先輩~! クリムメイスさ~ん!」
「ウィン……」
戦いが終わったのだと感じた途端、急にどっと疲れが出て、思わず溜め息を吐いたカナリアとクリムメイスの元へと手を振りながらウィンが駆け寄ってくる。
なんとも理想的な後輩キャラムーブを決めたウィンに対し、クリムメイスは柔らかな笑みを向ける―――一方、シェミーたちとの戦闘前にクリムメイスの背後でウィンが『妖体化』を使用していたことに気付いていたカナリアは、ウィンが少なくとも何らかの理由で死に至っていることに気付き、密かに警戒の態勢を取った。
「ったく、負けたらどうするつもりだったの?」
おいでー、飛び込んでおいでー、と両手を広げたクリムメイスに対し、ハハッ、と短い笑いだけを返して飛び込まないウィンをカナリアが傍目に見ていると、ウィンに続いてやってきたハイドラが開口一番呆れたように言う。
戦いの前まではハイドラに命を狙われていたクリムメイスは一瞬身構えたが……どうやら、ハイドラは大分落ち着いたらしく、すぐさま殺しに来る様子はない。
「わたくしは戦う前から負けた後のことなど考えない主義ですの!」
「……あっそ。まあ、確かに勝ったんだし別にいいんだけど」
そんなハイドラに対し、カナリアは【戦争の騎士】の力を解除しながら胸を張って答えてみせる。
……実にさり気ないムーブだが、ハイドラが【戦争の騎士】の力を行使して自分達に噛み付く前に解除して、72時間のクールダウンに突入させている辺り、カナリアがハイドラをどういう人種として見ているかが窺える。
「え、てか。急に落ち着いたじゃんハイドラ。なに、どういう手を使ったのよ、ウィン?」
カナリアがハイドラとウィンにそれなりの警戒を見せる一方で、もう今日はこれ以上なにもないだろうと判断したらしいクリムメイスが肘でウィンを突く。
すると、先程まではニコニコとした笑みを浮かべていたウィンがスッと無表情になり、やがてバツが悪そうな顔をして居心地悪そうに目を逸らし始めた。
いったい、どうしたというのか―――。
「……え? いや、アハハ……へ、平和的対話で宥めたみたいな……?」
「は? 触手で絞め殺されたから死ぬほど萎えただけなんだけど」
―――その疑問に対する答えは、ジトッとした目でウィンを睨むハイドラの口からすぐに出た……どうやら知らぬ間に殺人事件があったらしい。
……まあ、ウィンがハイドラを絞め殺したのは【疫病の騎士】がフェーズ3へと突入した際の、愚かな群衆がカナリア達に声援を送り始めるという狂気的な光景を目の当たりにし、あまりにも恐ろしい光景に思わず触手に力が入ってしまったせいなので仕方がないのだが。
ちなみにその愚かな群衆共はカナリア達がレアドロップの水着を装着し始めた段階で蜘蛛の子を散らすように去っていった……怪獣が出没してる海辺など生命の保証が出来ないので当然だろう。
「で、でも! ハイドラちゃんが全然話聞く気ないのも問題じゃん!?」
「当たり前でしょ、死罪を犯した奴の話なんて聞く必要ないし」
「いや着るのどんだけ重罪なのよ、ダンゴの水着」
唇を尖らせたウィンに対し、つまんないこと聞かないでよね、とでも言いたげな表情で返すハイドラへとクリムメイスは思わず真顔でツッコミを入れる。
……というか、ハイドラは落ち着きはしたものの、やはりダンゴが作った水着をカナリア達が身に付けているのは死で償わせるべきだと考えているらしい―――が、その割には落ち着きはらっているし、特に手を出しそうな雰囲気もない。
これは、どういう状況……? と、ハイドラ以外の三人が徐々に高まるこの場の緊張感に固唾を呑む中、腕を組み、苛立った様子で人差し指で二の腕を叩き続けるハイドラが、はぁ、と大きく溜め息を吐く。
「……けど、ま、確かに。あれじゃ着たくないってのは……分かるし。っていうか、もう着ちゃってるし。いいわよ、もう、なんでも……」
そして、眉を顰め、固く閉ざした両目のうち、片方だけを少しだけ開いて……本当に、心底、まさしく死ぬほど、否、殺したい程嫌だが、しょうがない……とでも言いたげな様子でハイドラはカナリア達がダンゴの水着を着ることを許した。
瞬間、カナリア達はやった! と揃って声を上げて、手を取り合って喜び―――三秒後には、いや、なんで水着を着れるだけでここまで喜んでるんだ……? と自分達の置かれた状況のおかしさに気付いたが、まあ、だからといって別段『クラシック・ブレイブス』では珍しいことでもないので気にしないことにした。
「けどさ、まだひとつ気になることがあるんだよね―――その水着を着るのはいいとしても、そのお兄ちゃんをこんなところに連れてきた淫売は誰?」
やったぁ! これで夏を満喫できる! ……と、カナリア達が水着を着れるだけでお祭り騒ぎ一歩手前の喜びようを見せる中、やっぱり冷静になったかと言われれば全然冷静になってないし(相変わらず『兄貴』ではなく『お兄ちゃん』と呼んでるのがいい証拠だろう)、確かに一度死にはしたが死ぬ程度では萎え切りはしなかった怨怒の炎を宿すハイドラが、笑みすら浮かべないで小首を傾げる。
「…………」
「…………」
「…………」
すれば、冷や汗を流しながら、カナリア、ウィン、クリムメイスが固まってしまう。
……いや、どうする? これ……どうしたらいい……?
「…………ダンゴを誘おうって言い出したのは、ウィンよね……」
なんとかしてこの状況を切り抜けられないか―――と、カナリアとウィンが考える中、ぽつり、とクリムメイスが呟き……瞬間、ぎょるり、とハイドラの目がウィンへと向く。
「えっ! いや、だって! ちが……そ、そんなこと言い出したら! 最初に海行こうって言い出したのはクリムメイスさんじゃん!」
唐突なクリムメイスの裏切り(一週間ぶり二度目)により、このままでは全ての責任を取らされてハイドラに殺される―――または、今度は故意的にハイドラを殺すはめになってしまう……! そう気付いたウィンが仕返しとばかりにクリムメイスを指差しながら叫ぶ。
すれば、ウィンへと向いていたハイドラの目が、やはりお前か、とでも言いたげな様子でクリムメイスへと向いた。
「た、たた、確かにそうだけど、そうなんだけど……て、ていうか!? ずっと黙って知らんぷりしてるけど! 海来て一番ダンゴのことオモチャにして遊んでたのはカナリアだし!?」
「あっ、確かにね!?」
「んなぁっ!?」
安易に罪を擦った結果、普通に自分に返ってきたことに焦ったらしい、いろいろと考えの足りないクリムメイスが今度はカナリアへと罪を擦り付けようと動く。
そもそもとしてハイドラは『誰がダンゴを海に連れてきたのか』と聞いているので、そこに関して言えば、水着姿のカナリアとウィン見たさに海に行こうと言い始めたクリムメイスか、どうせならダンくんも誘おうよと後のことを一切考えずに言ってしまったウィンに罪があるはずなのだが―――いや、だが、まあ確かに……一番ハイドラが居ない夏の海を満喫してたのはカナリアだった。
ウィンもそこに気付いたらしく、首を激しく縦に振って同意し……自分には関係ないことだと決め込んで高みの見物をしていたカナリアは一気に窮地に陥る。
「わっ、わたくしは! やめたほうがいいのでは? と言いましたのよ!? ダンゴもあまり乗り気じゃなかったですし!」
「でも乗り気じゃないダンくんを欲狩に突っ込んで誘拐したのは先輩だよね!?」
「それは! だって! あなたが寂しそうな顔したからでしょうにぃ~~~! あとクリムメイスもぉ~~~!!」
完全に全ての罪を押し付けられそうになっている……そう気付いたカナリアは、自分は残るふたりに押されて仕方なくやってしまった、本当はやりたくはなかった……と、さながらいじめられっ子を自殺に追い込んでしまった際に自らは無実であると主張をするいじめグループの末端共めいた言い訳を口にし始める。
……もはや、沼だった。
ここは海なのに。
「もういい」
わあわあぎゃあぎゃあと、開放的な真夏のビーチの雰囲気がそうさせるのか、人間の醜い部分を惜しげもなく晒し、互いに罪を押し付け合う三人に対し、パッと広げた手の平を向けたハイドラがふと言い放つ。
もういい、聞きたくない、と。
……いや、頼む聞いてくれ、違うんだ、少なくとも自分は違う……そう三人が、ほぼ同時に言い掛けようとした時。
「やっぱり全員殺せば確実に罪人を殺せるんだから、それでいいのよ」
にこり、と可愛らしい笑みを浮かべたハイドラが告げる。
カナリア、ウィン、クリムメイスのほぼ確黒三人ローラーでお願いします……それで確実に一狼吊れるので、と―――。
瞬間、脱兎の如く逃げだす三人。
その水着を死に装束にしてやるわよ! と叫びながら三人を追い回し始めるハイドラ。
「あれが所謂『海辺でキャッキャウフフ』という奴ですね」
「いや絶対違うと思うけどな、兄ちゃんは」
そんな『クラシック・ブレイブス』の四人を遠目に見ながら、無限に貝を拾い続けてはバケツの中に突っ込み続けるアリシア・ブレイブハートが淡々とした様子で呟き、それをスイカ割りで頭部を破裂させられて死んだ男ことサベージが即座に否定する。
……とはいえ、海辺で水着姿の恋する乙女が、激しい感情に心を燃やしながら人を追い回しているのだから……まあ、大体『海辺でキャッキャウフフ』でいいのだろう。
少なくとも、互いの肌を切り裂き合って血を浴び合うことが『水遊び』とそう変わりなく、サベージの頭を割って遊ぶのが『スイカ割り』だと言われてしまうこのオニキスアイズの中であれば、とりあえず。
「あー! いたー! お兄ちゃん!」
「酷いのです。お兄さん。クーラ達、ずっとリスポーン地点で待ってたのに」
自分の否定に対し、ふぅん、と極めて興味が無さそうな返事を返したアリシア・ブレイブハートに対し、しょうがねえ、ここは一発兄ちゃんがアリちゃんに本当の『海辺でキャッキャウフフ』を……! と、頼まれてもいないし、もしも口にしようものなら、なんだかんだといって惨たらしい最期を迎えることになりそうな言葉をサベージが口にしようとした瞬間……惨たらしい最期が少女の形を作ってふたりの前に現れた。
「レディを待たせるなんて死罪だよ、お兄ちゃん! 市中引き回しにされたいの?」
「報連相が出来ないダメな大人は再教育が必要なのです。蟹風呂にするのです」
それはポニーとクーラ……サベージの頭を割って遊ぶのを『スイカ割り』と称して殺し、今は純粋にサベージを死刑に処そうとしている姉妹だ。
どちらも頬を膨らませているところを見る限り、どうやらふたりは死に戻ってしまったサベージを街まで迎えに向かったものの、そんな彼女達を無視してサベージが『シェルズ・ビーチ』へと戻ってしまったせいで無為な時間を過ごしてしまったようだ。
「かっ……勘弁してくれーっ!」
……とはいえ、そもそもとしてサベージを死に戻らせたのはポニーとクーラだし、自分を殺した相手がリスポーン地点に向かってきていると分かって避けない道理はないのだが。
なんにせよ、いくら仮想現実ならば命に関わることではないとはいえ、市中引き回しやら、蟹風呂やらは処刑であることには違いないので、サベージは堪らず絶叫しながら逃走を図る。
「待てーっ! 逃げるなーっ! 罪を償えーっ!」
「己の罪と向き合わない大人は最低なのです!」
だが、当然ながらポニーもクーラも逃げる獲物を見逃すような甘い狩人ではなく、全力で去っていくサベージの背を追い始め……クーラに至ってはその背を狙って矢を放ち始めた。
「……『海辺でキャッキャウフフ』」
やはり、誰がどう見ても『海辺でキャッキャウフフ』と称するには大分刺激的過ぎる光景なのだが、アリシア・ブレイブハートは再び淡々と呟き―――。
「早く強くなりたいなら一人で進め、より強くなりたいなら友を作れ……か」
―――そして、ジゴボルトが残した手紙に書かれていた言葉を思い出しながら、手元のバケツの中に無造作に突っ込まれた貝達へと視線を落とす。
……正直なところ、アリシア・ブレイブハートにはジゴボルトが残したその言葉が正しいかどうかは分からない。
けれど、ジゴボルトに対し三人で挑んだウィン、クリムメイス、ハイドラは互角に渡り合い、逆にカナリアに対し一人で挑んだ自分が敗北したことを考えると……一理あるようにも思える。
「……友達、かぁ……」
どこか遠い所を見つめながら、アリシア・ブレイブハートがぽつりと呟く。
その視線の先には―――ハイドラに後頭部を掴まれ、海の中に顔を沈められるクリムメイスの姿、右肩に矢を受け、夥しい血を流しながらも足を止めずに生き長らえようとするサベージの姿。
…………。
……。
どう見ても誰一人として夏の海を楽しんでいるとは言えないだろうが……ともかく、オニキスアイズの夏は始まる。
まだ、泣くのも喚くのも早すぎる。
本当の地獄は、これからだ―――。