014-ダンジョンにて、後輩と その2
「いーのいーの。助けてもらいっぱなしだったし。……けど、MP無くなっちゃったや」
スライムがドロップしたアイテムを適当にインベントリに突っ込みながらウィンがぼやく。
マジックランスは確かに高威力な魔術スキルだ……しかし、それ故に消費が軽いとは言えない。
カナリアと違ってHPをMPとして代用できるわけでもなく、MPにのみステータスポイントを振り分けているわけでもないウィンのMPでは1発放つのがようやくである。
そして、このゲームはMPが標準で自動回復するなどという甘えた仕様ではない。
「あら、だったらこのアイテムが役に立つと思いますわよ。MPを回復する効果があるらしいですわ」
やっぱ魔法使いはMPの管理大変だなあ、と思いながらこれからの攻撃方法に悩むウィンへとカナリアがオレンジ色の液体が入った瓶を手渡す。
「えっ、先輩MP回復用のポーションなんか持ってたの? 気が利くじゃん! ありがとっ」
意外なところからMP回復用のアイテムが出てきたことに驚きつつ、ウィンは渡されたオレンジ色の液体を一息で飲み干し……その微妙な味に思わず顔を顰めた。
……なんというか、妙な渋みがあり、その味はウィンの知る限りでは焼き魚の内臓等に近い……が、それよりも苦みと塩っけがキツく、好んで口にしたい味ではない。
「へ? いや、今のスライムがドロップしましたのよ?」
謎の不味いポーションに顔を顰めるウィンの耳に飛び込むカナリアの不穏な言葉……そんなものを聞けば、当然ウィンは今、喉を通り抜けて自らの体に染み渡った液体の正体が猛烈に気になってしまった。
「え待ってじゃあウィン今なに飲んだわけ」
だからだろう。
思わずカナリアに聞いてしまう……聞いてしまい、直後に後悔する。
もしかしなくとも、今自分が何を飲んだのか―――それは知らないほうが良かったんじゃないか? と。
「ほ? ええと……確かこうすればフレーバーテキストが表示されましたわね。えー……っと」
「あっ! やめて! やっぱ知りたくない!」
「『新鮮な脳漿』。這脳達の中を満たす橙色の液体。まだ新鮮だが、その味は仄かに苦みを含んでおり、好んで飲むべきものではない。しかし、ウェズア学派の偉大なる脳のまわりを満たすそれは高い回復効果を持ち、使用時にMPを全回復する。智慧を得て、智慧を活かすためならば……選り好みなどしてはいられないだろう。時間が経つと服用に適さなくなり、ただの素材である『這脳の脳漿』となる。……ですって!」
「おえええええ! の、脳漿! 脳漿……ッ!」
やっぱり知りたくない、と言ったにも関わらず普通にカナリアが読み上げた衝撃的な内容をしている文章より、自分の体に染み渡った液体の正体を知ってウィンはその場に崩れ落ち、なんとか飲み込んだそれを吐き出せないか試してみる。
……が、残念ながらこのゲームには嘔吐機能などという、一部の特殊性癖の人間が喜びそうな機能は実装されておらず、口に含んで飲み込んだものは然るべくして体に染み渡らせるしかない。
「へえ~、スライムかと思ったら、肥大化して体から分離しちゃった脳そのものだったんですのね! 中々面白い設定ですわ!」
指を喉に突っ込んでまで飲み込んだそれを吐き出そうとする痛ましい姿を見せるウィンの横で、カナリアがスライム―――這脳からドロップした他のアイテムのフレーバーテキストを読みながら楽しそうに、ぱん、と手を合わせる。
普通の女子高生ならば、肥大化して体から分離しちゃった脳みそが這いまわってる挙句に襲い掛かってきたと知れば鳥肌のひとつでも立てると思うのだが、カナリアに関しては全くその様子はないようだった。
「ね、ねえ先輩……かえろ……? 今すぐ帰ろう! やだ、やだよウィン! このままだと脳漿飲み続けることになるじゃん!」
相も変わらず殺人的マイペースを発揮するカナリアの腰へと、膝を折ったままウィンがしがみつき懇願する。
カナリアが這脳への有効打を持たない以上……そして這脳がMPを回復するアイテムをドロップする以上、このまま突き進めば自分が延々と脳漿を飲み続けなければいけない……そう分かってしまったから。
当然だがウィンはそんなものはごめんだった。
いくらゲームの中だとしても脳漿を口にすることは可能であれば避けたいと思うのが正常な女子……つまるところのウィンだ。
一方で、この自分にしがみついてきたウィンの肩に手を置いてにっこりと微笑んだカナリアという少女はどうだろうか。
「ねえ、ウィン」
「は、はい……」
「逃げてはいけませんわ。困難に打ち勝たなくては強くなれませんのよ」
強くなるためであればどんな犠牲すらも平気で払おうとする恐ろしい少女だった。
カナリアから放たれた絶望的な一言にウィンの目が大きく見開かれる。
「こ、困難って……これはそういう困難と違うじゃん!? 打ち勝つ必要のない困難だよ脳漿を飲む困難は!」
「もうっ、そんなに嫌がることないじゃないですの! どうせゲームの中ですし、色だけ見れば野菜ジュースですわよ!」
「それは実際に飲まない人の意見ーっ!」
脳漿を野菜ジュースと言い張る暴挙に出たカナリアの言葉にウィンがいやだいやだと頭を振る。
当然だろう……好んで脳漿を飲む少女が、いや、人間がいるわけがない。
食用の生物の脳漿ではなく、肥大化して体から分離しちゃった人間の脳みその脳漿であるというなら、なおさらだ。
……その後も少々の間、明らかな平行線の言い合いが続いたが、それを断ち切るかのように部屋の中へと新たな這脳がやってくる―――が、それはウィンとカナリアの言い合いを聞いて駆け付けた、というよりはさながら忘れ物でも取りに来た学生のような雰囲気である。
実際、這脳は自分を見つめる二人の人間を見て硬直している。
「野菜が来ましたわーっ!」
「あー! 待てコラー! 先輩が下敷きになったら倒さなきゃいけなくなるでしょおおおーっ!」
「とぉおうっ!」
「あああーーーッッッ!!」
硬直する這脳の下へとカナリアがスライディングで潜り込み、ウィンが這脳を撃破しなければ窒息でカナリアが死ぬ状況が再び作り上げられる。
もういっそのことカナリアを放置して死なせようかとも一瞬考えるウィンだったが、そうなればこの肥大化して体から分離しちゃった脳みそが這いずり回っている恐ろしすぎる謎の施設にひとりきりになってしまう。
……それは避けたいところだ、敵が這脳ばかりであるというわけではないのだろうし。
それに、ここでカナリアを見捨てては自分の利益にも繋がらない、癪なのだが。
「もぉおおおーっ! 『マジックランス』!」
脳漿を飲むことと折角の機会を不意にすることを天秤にかけ、ギリギリで天秤が脳漿を飲む方に傾いたウィンは、怒りながらも涙目で這脳へとマジックランスを放つ……それは再び容易に這脳を貫いて撃破した。
「ふうっ、お疲れさまですわ! はい、野菜ジュース!」
ウィンのお陰で死なずに済んだカナリアが、不満そうに頬を膨らませるウィンへと瓶詰にされたオレンジ色の液体を渡す。
当然ながらそれは這脳の脳漿である。
間違っても野菜ジュースではない。
「こ・れ・は! 脳・漿! だよぉお~~~ッ! ごくごくっ!」
そんなカナリアを見て、もはや抵抗が無意味だと悟ったウィンは犬歯を剥き出しにして怒りながら這脳の脳漿を受け取り、勢いよく飲み干していく……なんと痛ましい光景だろうか。
「おえええっ! ほんッとうにマッズいじゃん!」
「良薬は口に苦し、ですわね!」
「うっさい! そろそろ怒るよ!?」
脳漿を飲み干し、空になった瓶を投げ捨てながらウィンがカナリアをギャンッと睨みつける。
そこには明確な敵意があった。
「ふふっ、そろそろもなにも既に怒ってるではありませんの」
日常生活でそうそう見せることのない姿を―――言葉を荒げて敵意を剥き出しにするウィンの姿を見てカナリアはおかしなものでも見るかのように微笑んだ。
いやなぜ微笑む。
微笑ましい光景のひとつがどこかにあったのだろうか。
「分かってるなら少しは申し訳なさそうにするとかあるじゃんっ!? もおっ、こ……このぉーっ! むかつくなこのおっぱいーッ!」
「はにゃッ!? なにをしますのおやめになってウィン! ハラスメント行為で通報しましてよ!!」
「見せつけやがって~~~ッ!」
そんなカナリアの微笑みは当然ながらウィンの神経を逆撫でし、ついにウィンは怒りにその身を任せたが―――任せたその怒りのやり所がいまいち見つからず、なぜか唐突にカナリアの乳房へキレ散らかしてしまう。
恐らくはウェズア学派の偉大なる脳を満たしている脳漿の飲み過ぎで気が触れてしまったのだろう……かわいそうに……。
そんなこんなで。
ぎゃあぎゃあと騒ぎつつ、這脳たちが這いずり回る悍ましい研究施設『王立ウェズア地下学院』をカナリアとウィンは進んでいく。
現れる敵はウィンの予想に反して這脳ばかりであり、その這脳はウィンのマジックランスに耐えられず、脳漿も少なくても1つは(多い時は3つほど)ドロップするため特に大きな問題もなく進んでいき、二人は次の層へと続く階段へと辿り着く―――。
「ねえ! 先輩! 変な称号とスキル取っちゃったんだけど! ねえっ!」
■□■□■
脳食い
:多くの脳を食らった者に与えられる称号。
:『脳』系統のアイテムを大量に使用する。
:スキル『脳吸い』を入手する。
脳吸い
:至近距離にて敵より一定時間、INTを奪い取る。奪い取るINTの量は使用者のINTに比例して上昇する。
(奪い取る:使用者のINTを上昇させ、同じ数値だけ相手のINTを低下させる)
■□■□■
―――ちなみにその道すがらで、ウィンの趣味が脳を食らうこと、のような判断をゲームに下されたが……それは大きな問題に入らないことにする。
「いいじゃないですの! 間違いなくレアなスキルですわ!」
まるで自分がスキルを手に入れたかのように目を輝かせて満面の笑みを浮かべるカナリア。
まあ、確かにどう考えてもレアなスキルであることには違いない……脳漿を飲み続ける者どころか、脳漿を飲む者すら珍しいのだから。
「むぅっ……!」
そんなカナリアを見てウィンは頬を膨らませる。
当然だろう……彼女は先程から美味しくもないし吐くほど気味の悪い脳漿を飲ませ続けられているし、それは間違いなく年頃の少女に耐えられる仕打ちではなく非常にストレスだ。
だのに、目の前のカナリアは満面の笑みを浮かべている。
と、なれば、仕方ないのかもしれない。
「『脳吸い』!」
カナリアに対し手に入れたばかりのスキルを使用してしまうのも。
「はい!?」
不意に目の前のウィンが敵意を持って攻撃してきた事実にカナリアは目を見開いて驚き―――そんな彼女の両肩をウィンが力強く掴み、自らの身体を腕の力だけで持ち上げてカナリアの背後へと回る。
その動きは当然一般的な女子学生のものではなく……〝フェイタルムーブ〟と同じく、機械的なシステムでウィンの動きは制御されているようだ。
そして機械的に制御されたウィンは、カナリアの脇の下から両腕を通してその頭を両手で固定し、その耳へと口を付け―――。
「にょおおおおおッ!?」
―――その外耳道に己の異形へと変形した舌を突き入れて(恐らく設定的には)カナリアの脳を啜る。
ウィンがジュルジュルとカナリアの脳を啜り……十秒ほど経っただろうか。
時間をたっぷりとかけてカナリアの脳を啜ったウィンの変形した舌が、ちゅぽん、という音を立ててカナリアの耳から抜き放たれ、タコの触手でも思わせる不気味な舌から一般的な人間の舌へと戻る。
「はぁん」
パーティーにおける同士討ちの有無設定を無効にしていたためダメージこそ入らなかったものの、攻撃自体は無効化されなかったため、ノーダメージとはいえロクな抵抗すらできずに耳から舌を突っ込まれて脳を啜られた(らしい)カナリアが、情けのない声を漏らしながら倒れる。
「おッ……おえええっ! 先輩のッ……先輩の脳漿を! 生きたまま! 生きたままーっ!」
それと同時にウィンも、衝動的とはいえカナリア相手に攻撃をしてしまった罪悪感、カナリアの脳漿を啜ってしまった嫌悪感、そしてなによりも、自分にとっても姉のような存在である幼馴染の姉の耳に舌を突っ込んでしまった羞恥心から倒れ込み、なんとか啜った脳漿とINT(ちなみにカナリアのINTは0なので啜ったINTは0だ)と共にカナリアの耳に舌を入れてしまった事実を吐き出して無かったことに出来ないかと試みるが、無駄である。
このゲームに嘔吐する機能は実装されていない。
「はあはあ……う、ウィン……」
倒れ込んだままのカナリアが、やや頬を上気させてウィンへと若干潤んだ視線をやる。
「っ……な、なにっ!? い、いまのは間違い! なにかの間違いだからね!」
カナリアのその表情を見て一瞬謎の胸の高鳴りを感じたウィンは、それを否定するように声を荒げる。
……なぜ高鳴りを覚えたのだろうか? もしかしなくても脳漿の啜り過ぎて狂気に陥っているのではないだろうか。
恐らくはそうだろう……ウィンは真っ当な価値観を持つ女子学生である。
「『障壁の展開』って万能じゃないんですのね、掴みかかる攻撃的なものは無効化できないようですわ」
一方でカナリアは真っ当な価値観を持つ女子学生ではないので、妹の幼馴染が自らの耳に舌を突っ込み脳を啜る暴挙に出たとしても、そんなことより『脳吸い』が『障壁』を貫通して影響を及ぼしたことから『障壁の展開』は一部の攻撃に関してはダメージをカットするだけで、影響を受ける場合もあるのだという事実のが気になるようだった。
「えぇ……」
秒で蕩けた表情を切り替えたカナリアが素早く立ち上がる様を見てウィンは心底微妙な気分になったが、先程の己の過ちを引きずられないのならばそれも良しとし、自身も気を取り直してカナリアの後を追う。
二人の進む道は学院のより深く、秘匿された場所へと続く階段だ―――。
次回更新も(副反応大したこと無さそうなので恐らく)18時からの1時間おきです。




