138-クロルス色の影
「…………」
「…………」
「だッ……誰かーッ! 誰か助けてーッ! 実在した怪異、ヤンデレ妹に襲われていまーすッッッ!!!」
ヤンデレなんてもうブーム過ぎたのに! クリムメイスは絶叫しつつ、自分とは違って無言で走って追いかけてくるハイドラから全力で逃亡を図る。
当然ながら絶叫しながら全力疾走する姿は周囲のプレイヤーの目を引いたが―――残念なことに、このシェルズビーチを今満喫しているのは先程スイカ割りを見てしまったファミリー層ばかりだ。
誰もが全員、頼むから自分は巻き込まないでくれ、とでも言いたげな様子で露骨にクリムメイスから目を逸らす。
「……こ、このゴミ共がぁあああああ! 私は公正なゲームバランスのためお前らの十倍苦労してたんだぞ! 私が困ってる時は十倍助けろよぉおおおおお!!」
クリムメイスが叫ぶ。
……まあ、確かにそれはそうなのだが、あくまでクリムメイスの言う『公正なゲームバランス』というのは、クリムメイスがトップに立ち、他を全て抑制することで横並びにさせるという……一種の独裁政治でもあるので、そこまで周囲のプレイヤーが恩義に感じることではないのは言うまでもない。
というか、そんな活動をクリムメイスがしていたことを知る人間は早々いない。
「だから殺して助けてあげるってば、逃げないでよ面倒くさい……!」
「やだやだやだ死にたくなぁあああああいっ! カナリアっ! カナリアーっ! 助けてーっ! 助けてカナリアーっ! 助けてくれたらなんでも言うこと聞くからァーッ! あたしの友達好きなだけ皆殺しにしていいからーっ!」
無関心を決め込んだファミリー層達に対し、いつか【戦争】の力で惨たらしい最期を迎えさせてやることを決意したクリムメイスが、いやいやと首を振りながら逃げる。
向かう先は当然ながら―――カナリアの下だ。
自分に対し殺意を剥き出しにすることが多いハイドラではあるが、彼女が唯一中々上手に出ない相手……それこそがカナリアなのだから。
とはいえ、今の状態でカナリアがハイドラの抑止力になるかは相当怪しいが……だとしても、自分の言葉よりは彼女に届くと信じてクリムメイスは突き進む。
「あぁっ、居た、居たーっ!」
その背に怨怒に狂う怪蛇を引き連れたクリムメイスが、ビーチチェアの上で鮮やかな色合いのジュースが満ち満ちたグラスを揺らし、サングラスを掛けてまで全力で夏のビーチを満喫している金髪の少女……カナリアを発見する。
「か、カナリア、助け―――」
「んぎゃっ、なに、急に止まってんの……」
当然ながらクリムメイスはカナリアに助けを求めようとしたが、不意に……その両脇に並べられたビーチチェアの上に恐ろしいものを見つけて硬直し、ハイドラは急停止したクリムメイスの背中に突っ込み少々情け無い悲鳴をあげた。
さて、また違う意味でも情けが無さそうなハイドラが追ってきているというのに、クリムメイスが足を思わず止めてしまう程恐ろしいものとはなんだろうか―――。
「やぁ~ん! カナリアお姉様、グラサンめちゃめちゃに似合ってるわ♡」
「ほんとほんと~! いかにも大人の女って感じ~! かっこい~♡」
―――それは、バ美肉おじさんだった。
……正確に言えば、白いショートヘアの貧乳少女と、金髪サイドポニーの巨乳少女だった。
「は、離れろカナリアーっ! そいつらはいい歳してネカマしてる精神異常者のオッサン共だぞ! 騙されるなーっ!」
そう、その名はシェミーとフレイ……『フィードバック』、『グランド・ダリア・ガーデン』に次ぐ大規模連盟『かいでんぱふぃーるど』の連盟長と副連盟長であり、とうに失われた日本の古代文化……『バ美肉』を語り継ぎ、あわよくば蘇らせようとする狂人たちである。
「ん……? あらやだー♡ クリムメイスじゃーん! ひさひさ~」
「第二回イベント以来だね~! ……あのイベントのアーカイブ。お陰様でまだ再生数伸びてるよ! あ・り・が・と・ねっ♡」
その狂人たちは、自分達を精神異常者と叫ぶ(そんな珍しくない)無礼者の存在……クリムメイスに気付くと、男受けだけを狙って作り上げられた―――カナリア達のような自然さは一切残っていない―――不気味なまでに精巧な可愛い顔を嘲笑に歪めた。
「あっ、殺さなきゃこのクズ共……」
すれば当然ながらクリムメイスは瞬間的に屈辱に満ちた記憶―――防具を全て剥がれた上で、その顔を配信で晒された記憶―――が蘇り、先程まで自分の後ろを追い掛けていたハイドラの如く、殺意を全身に漲らせてふたりへと迫る……。
「ちょ、ちょちょっ、急にそれはヤバいってクリムメイスさん……!」
「放してウィン! こいつらは殺さなきゃダメなのよ!」
「ダメなのはそっちじゃん! 相手は平均同接1万の人気配信者だよ! たぶん厄介なファンとかいっぱい抱えてるから関わらないほうがいいって!」
……迫ろうとしたが、そんな彼女の腕を掴んで引き留める存在がひとつあった……ウィンだ。
シェミーやフレイを直接殺すことよりも、よっぽど敵対するリスナーを生み出しそうな言葉を口にしながら手を引くウィンを、無理やりにでも振り解いてふたりを殺そうとクリムメイスは一瞬考えるが……それで迷惑を被るのは自分だけではないのだと気付き、舌打ちひとつだけでして足を止める。
「そうよ……殺さなきゃダメなんだった……誰からにしようかな……やっぱりクリムメイスかな……一番罪深いもんね……」
「ウィン! あたしはもう大丈夫だから後ろのハイドラよろしく!!」
「えぇ? それってどういう……」
いや、止めるわけには行かなかった、しばらく静止していたハイドラが再び動き出したのを気配で察知したクリムメイスは大股でシェミーとフレイに挟まれたカナリアの下へと足を進める。
一方でなにかを任されてしまったウィンは困惑しつつもハイドラへと目を向ける―――と、そこに居るのは泥のような目で自分達をねめまわす恐ろしい雰囲気の少女で……。
「あんたら、なにしに来たのよ!」
「え、いや、あの……後ろの大丈夫それ?」
「なにしに来たって聞いてんのよっ!!」
後ろから聞こえるウィンの絶叫と肉が弾け飛ぶ音、そしてそれを見て引き攣った笑みを浮かべるシェミーとフレイを無視し、振り向きたい衝動を掻き消すようにクリムメイスが叫ぶ。
いったい後ろでなにが……いや違う! いったいなぜこのふたりがここに……!?
「……あは、なにって。決まってるじゃない……勧誘よ! お強いお強い【戦争の騎士】サマのね?」
「なっ……!」
「そんな驚くことかな? フレイ達も【疫病】の力を使ったから分かるけど、【騎士】の力ってすっごく強力で……だからこそ、絶対に固まるべきじゃん?」
まあ、お前らがいいと言うなら俺達は構わんがな、とでも言いたげな目をしながら堂々と勧誘だと言い放つシェミーとフレイ―――どうにもこのふたりは、現在このゲーム内において最も強力な要素である【騎士】の力を手に入れたカナリア達を……否、本当の意味で【戦争】の力を有しているカナリアを自分達の傘下に加えようとしているらしい。
それは至極真っ当な考え……のように思えるが、実際、これは誰にでも出来ることではない。
なにせ、【戦争】の力はカナリアとカナリアが選んだメンバーでしか振るえない力であり……それを傘下に加えるということは、逆から言えば自分の下に自分よりも遥かに強く、求心力も高い存在を加えるということであり―――それは即ち、カナリアに全てを乗っ取られる可能性が出るということだ。
だからこそ、今日までカナリアをこの『クラシック・ブレイブス』という小規模連盟から引き抜こうとする存在は現れなかったのだが(ちなみになぜか逆に傘下に加わろうとする存在も出なかった、人徳のなせる業だろうか)……こと、シェミーとフレイに関しては訳が違う―――なにせ彼女達のどちらかはカナリアと同じ【黙示録の騎士】なのだから。
「ねえねえ、カナリアお姉様もそう思いません? 同じ【黙示録の騎士】同士仲良くしよーよ? 絶対、凄いことになるって!」
「心配しないで! フレイ達の連盟には入ってもらうけど、別にフレイ達の下に付けってわけじゃないから! ただ、方向性とかを擦り合わせてお互いの衝突を回避したいなーってだけなんだよね。あぁ、それと、必要なら今の連盟のメンバー達も一緒に来てもらって全然いいよ!」
猫なで声でシェミーとフレイがカナリアに擦り寄る……一見すれば一切カナリア達にデメリットが無い話だし、実際この話にはそこまでのデメリットは存在しない。
ただ、ひとつだけふたりが得することがあるとすれば―――もしもカナリアが【戦争】の力を手放す機会があった時に、自分達が受け取れる最有力候補になれる、という点だろう。
それはえらく消極的な利点に見えるが……案外そうでもないことは、その点を……『カナリア』ではなく、その『向こう側』をゲームから退けることでも【戦争の騎士】は撃ち破れる、という点を知っているクリムメイスはよく分かっていた。
「どうかなっ? どうかなっ?」
「あなたにとっても悪い話じゃないと思うけどな~?」
「カナリア……!」
だが、このふたりの本性を(恐らく)知らないであろうカナリアが、その可能性を考慮するのは難しいだろうとクリムメイスは考え……思わず懇願するような声でその名前を呼ぶ。
いっそ、ここで自分の危惧する可能性をぶちまけてやろう―――とは考えたが、もしも、万が一……このふたりが『向こう側』を狙うという考えを持っていなかった場合、余計なことに気付かせてしまうと思うとクリムメイスは上手く口が回らなかった。
「ふむ」
そんなクリムメイスを傍目に、左右から美少女(の肉体を持つおっさん)に挟まれたカナリアが小さく頷く……その表情はやたらデカいサングラスに隠されて窺えない―――ちなみにそのサングラスはシェミーからプレゼントされたものであり、右手のジュースもフレイから渡されたものだったりする。
「んぅー……まあ、確かに。聞いた限りでは悪くない話のように聞こえますわねぇ……」
「じゃあ、それじゃあ!」
「……っ!」
右手のジュースを、突っ込んであるストローからじゅるりと一口だけ啜ったカナリアが、可愛らしく顎に人差し指を添えてシェミー達の提案に対し、好意的とも取れる意見を零す。
当然ながらシェミーとフレイは満面の笑みを浮かべ、クリムメイスは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
……同じ【騎士】の力を持つ他のプレイヤーと敵対したくないのはシェミーとフレイだけではなく、カナリアもまたそうなのだ。
であれば、この提案には乗らない理由はあまりない。
「ですけれども。今回はお断りさせて頂きますわね」
「えっ……!?」
しかし、カナリアは首を横に振り―――満面の笑みを浮かべていたふたりの顔は凍り付き、クリムメイスも声を上げてまで驚いてしまう。
そんなクリムメイスを見て短く微笑みながらカナリアは大きなサングラスを額までずらし、ゆっくりと立ち上がってその隣に並ぶ。
そう、シェミーとフレイの提案には乗らない理由はあまりない……が、全く無いわけではなく、至極単純明快な理由があるにはある。
そう、例えば―――。
「だって、クリムメイスがあなた達を殺したがっているんですもの。一緒に殺してあげるのが友達でしょう?」
―――そもそも、このふたりが気に食わない、とか。
ちなみにカナリアは、自分ではなく連れのクリムメイスが気に食わないから、と口にしたが……そもそも、このバ美肉おじさん特有の距離感バグりっぷりを見せるふたりは普通に無理だったし、殺したいとは初対面の時から思っていたことだった。
「カナリア……! その友情観はどうかとも思うけどありがとう! オラッ! 覚悟しろゲテモノ共が! 地獄に叩き落してやるよ! 地の底で脳髄までたっぷり冷やすがいいわ! ハハハハハ!」
自分の隣に並び立ったカナリアを感極まる様子で見つめた後、クリムメイスは普段(多少は)隠してる本性を剥き出しにしてなんとも三下めいた台詞を吐き散らかす。
戦う前から勝った気でいるのは少々考えものだが……誰だって隣に100万人殺すテロリストが『わたくしたちズッ友ですわよっ! 一緒にクソ配信者ブッコロですわ!』とか言いながら立てば気が大きくなるというものだ。
「…………ふぅうう……、あぁーあ。戦わずに済めば良かったんだがな、ったく、面倒くさいったらありゃしねえな」
一方で、誘いを断られたシェミーが地声―――なんとも男前な声であり、普通に男のアバターを用いて地声で配信してもいいのではないかと思える美声だ―――に戻りつつ、先程までは可愛らしく内股気味にしていた足を組ませ、腰かけていたビーチチェアの背もたれにどかっと身体を任せながら舌打ちをひとつする。
「もうちょっと賢いかと思ったんだけど。いや、まあ。それぐらいの歳なら利益より一時の人間関係優先しちゃってもしょうがない、かな」
そして続いてフレイも、先程までの脳みそ無さそうなアホっぽい媚び面を引っ込め、やや冷徹さすら見える知的な表情を浮かべながらビーチチェアの上に胡坐をかく。
……どうやら提案を蹴られたからといって、素直に引きさがる気はないようだ。
「……ふふ。おかしな人達。わたくしは【戦争の騎士】ですわよ? 戦って、争って、その先でこの力を得たんですもの―――穏便に事を済ませるわけがない、そうは思いませんこと?」
「ハハッ! 確かにな! そういうロールプレイ、したくなる気持ちは分かるぜぇ?」
「ロールプレイに最も相応しい存在こそ僕達だしね」
ね? と小首を傾げるカナリアは微笑みを湛えていたが―――その目には笑みは見えない。
むしろ、気に障ってしょうがなかった虫を追い詰めたとでも言いたげな……残虐な喜びの色が仄かに映っている。
そんなカナリアの目を見ながらも、シェミーはギラギラとした笑みを浮かべて立ち上がり、フレイも肩を竦めながら続く。
「じゃあ、そうだな。この戦い、俺達が勝ったらお前らは全員俺らの仲間になる―――あるいは、それが嫌ならウチのメンバーに【戦争】の力を渡してもらおうか」
「構いませんわよ。ただし、こちらが勝利した場合は―――そうですわねえ、二度とわたくし達に関わらないで頂けますかしら? わたくし、あなた達のテンションが少々苦手でして」
……この『シェルズビーチ』はPK可能エリアではない。
だからこそ、この場もどちらかが引けば血は流れずに済む。
しかし、この場の誰一人もそれを望んでおらず……カナリアとクリムメイスはゆっくりと後ろに下がってシェミーとフレイから距離を取り、対するふたりはビーチチェアを蹴り飛ばして横に退けると得物を構える。
「……あぁそうだ! 折角やるんなら、水着でやり合おうぜ! 水着美少女四人の! 本気の! 全力の殺し合いだ! 最高に狂気的で冒涜的な絵面になるだろうよ!」
「アハハ、確かに。ウケるだろうなあ、この一戦は!」
臨戦態勢となったシェミーとフレイが笑い、カナリア達へと決闘の申請を行う。
「……不遜に過ぎるんだよ、紛いモノが。お前達が騙って良いほど軽くないのさ、美少女ってのは……! ねっ、カナリア!」
「いや、そこはどうでもいいですけれど。……勝手に見世物にされるのは、殺したくなるぐらい良い気分とは言えないのは確かですわね」
それを間もなく受理し―――カナリア達もそれぞれの得物を構える。
《うわ! ダメって言ったのに! もぉ~……どうしてウィンみたいに平和的解決手段を取れないかなあ~……》
「う、ウィン……私が悪かったから放して……ぬるぬるしてキモいんだけど……」
《ダメ》
今にも始まろうとするカナリアとクリムメイス、シェミーとフレイの四人による戦い……それをもう少し離れた所から見るのは妖体化したウィンと、その無数の触手で雁字搦めにされたハイドラだ。
……流石のお兄ちゃんを愛し過ぎて眠らせない妹ことハイドラであっても、拳一つで高次元の生命体に歯向かうのは難しかったらしい。
「ですから、戦争しましょうか?」
「構わねえぜ、侵し尽くしてやるよ―――ッ!」
当然ながら戦場にいる四人は大分危険な絵面になっているウィンとハイドラになど気付くことはなく―――やがて、始まった。
100万のNPCを害し、多くのプレイヤーを殺し、友の仲間までもを殺し、ついには【戦争】そのものと化した少女……カナリアと。
ネット配信を媒介として『バ美肉』というミームを広げんとする、まさしく現代の【疫病】そのものである存在……シェミーの。
このオニキスアイズ史上初となる【黙示録の騎士】同士の戦いが。