134-鈍、鈍、鈍
「鈍、鈍、鈍……」
連盟、『松竹梅を見る会』の拠点である和風の屋敷―――どこからか現れた、異邦の建築家『オニバヤシ』が立てたという、そのエキゾチックな(とはいえオニキスアイズをプレイする大半のプレイヤーには馴染み深い)屋敷の最奥。
生産職であるプレイヤーが装備やアイテムなどを作る際に訪れる工房にて。
「鈍、鈍、鈍……」
長い黒髪を振り乱し、ひとりの少女は狂ったように金鎚を振り下ろし続けていた。
ぶつぶつと、うわ言の様に……密かに憧れていた少女から叩きつけられた言葉を吐きながら、手元の熱せられた鉄を打ち、打ち、打ち……それが再び、一振りの刀と成る。
「鈍……ッ!」
その刀の性能を確認し―――大した出来ではないと分かると、少女……マコトはその刀をヒステリックに放り投げ、再び鉄を熱し、打つ作業へと戻る。
……そんな彼女の周囲には既に三桁近い刀が無造作に散らばり、彼女がどれだけ此処に籠っているか……どれだけの刀を鈍と言い捨てたかを静かに物語っている。
「鈍、鈍、鈍……」
そう、この少女……先のイベントにて、その名と顔を隠して刀を振るった少女―――サムライ・リッパーと呼ばれた少女の正体であるマコトは、密かに憧れた少女……確固たる〝己〟を持ち、例えどんな悪意を向けられようと気にもせずに……暴力的なまでの〝自分〟を貫き通していた少女、アリシア・ブレイブハートに自らの心を打ち明けた。
しかし、人と関わることに対し臆病なところのあるマコトは、かなりの覚悟をして、ようやっとの思いでその告白をしたというのに……アリシア・ブレイブハートには『恥を知れ』と、『憧れることすら許さない』と言い捨てられてしまった。
それからはずっとこの様な調子で刀を打ち続けていた。
刀を打つ理由は―――マコト自身にも良く分かってはいない。
だが、ただ、呆然と……素晴らしい刀が出来上がれば、なにか自分の中で変わるかもしれない、と。
今度こそは周囲の目を気にせずに自分に正直になれるかもしれない、と、そう漠然と考えるから打ち続けている。
「マコトさーん、今日も籠りっぱなしですかー? お爺ちゃんたち、いい加減心配してますよー?」
「……ッ……!」
素晴らしい刀が出来上がったら、どうなるのか、どうするのか……刀を打ちながら、マコトが分からないなりに考えていると……出会った時から耳障りだと思っていたが、ここ最近ではより一層強くそう思うようになってきた声がマコトの耳へと飛び込んでくる。
「……ブレンダさん。放っておいてくださいと、毎日言ってるはずです」
「えー、でもー、お爺ちゃん達のあの寂しそうな顔見ちゃうとねえ……」
その少女の名前はブレンダ。
マコトと四人の老いたプレイヤーだけが所属する連盟、『松竹梅を見る会』に所属している―――わけでもないのに、この屋敷に我が物顔で入り浸っている少女であり……恐らく、彼女は一方的に自分のことを友か何かだと思っているのだろう、とマコトは考えていた。
「だいいち、こんなに武器ばっかり作っててなにか良い事あるんですか? あ、まあ、生産スキルの熟練度? 的なものは貯まりそうですけどね!」
「…………ッ……」
どかっ、という音がマコトの背に届く……どうやら空いている空間にブレンダが腰を落ち着けたらしい―――居座る気のようだ。
……本音を言えばマコトはブレンダという少女が嫌いだ。
この少女は、誰とでも打ち解けるのが速く……恐ろしい速度で他人の領域に滑り込んでくるし、滑り込もうとしてくる。
それを世間一般では『コミュニケーション能力』と呼び、(無論過ぎれば違うが)長所と呼ぶことは分かっている……だが、いや、分かっているからこそブレンダが嫌いだった。
マコトは他人の領域に触れるのが苦手だし、自分の領域に触れられるのも、そうだから。
煩わしい。
……殺したい。
邪魔だ。
……殺したい。
静かにさせたい。
……殺したい。
殺してしまいたい……!
殺したい!
殺したい……!
マコトが反応しないにも関わらず、ブレンダはひとりで延々と喋り続けており……それを、どこか膜が張ったようにぼやけて聞こえるその声と、その声を掻き消そうとする……耳の中だけで響くキィーンという高音と、その音を更に掻き分けて脳に叫んでいる自分の本音を、なんとか無視して腕を振り下ろし続ける。
……なんせ、ここで彼女に手を出そうものなら、どうなるか分かったものではないし、無視するしかないのだ。
もしも、手を出してしまって……そのことを、外にいる他の連盟員達―――マコトが唯一安心して接することの出来る四人組の老いたプレイヤー達に伝えられでもすれば……! ……そう考えると怖くて堪らないから。
それに、どうせ手は出せない……このオニキスアイズにおいて、基本的にPKは、特定のエリアに足を踏み入れるか、パーティーを組んだ後にフレンドリーファイア設定をオンにするか、先のイベント終了後に実装された〝決闘システム〟を使用しなければ不可能なのだ。
だから、だから……この声も、この不快な音も、ブレンダの声も、全て無視して、目の前の刀に集中するしかない。
「……え?」
そう、言い聞かせたマコトの視界にふと『YES』と『NO』のふたつの選択肢が現れた。
マコトは一瞬戸惑い、手を止め、そしてその選択肢の上に書き連ねられる文字を見て更に戸惑いを大きくする。
【ブレンダからの決闘を受けますか?】
「私の話、聞いてました?」
どうして? と、そうマコトが呟くことが分かっていたのだろう。
ブレンダはマコトの腹に手を通して抱きしめながら、その肩に顎を乗せて可愛らしい声で囁く。
「ぜ、全然聞いて、なかったです……」
その言葉に対しマコトは掠れた声でそう返すしかなかった―――事実、全然聞いてなかった。
否、正確には聞く余裕が無かった。
「だと思いました。マコトさん、私の事嫌いですもんね?」
「……っ……」
「えへへ、いいんですよ。別に。好かれたくてあなたに近付いたわけじゃないですから」
息が吹きかかりそうな距離でブレンダが口にした、声色が柔らかいだけで、ただ単純に末恐ろしい言葉を耳にして―――マコトは背筋を思わず凍らせそうになった。
コミュニケーション能力が高い、ただの明るい少女……自分が最も苦手とする、どこにでもいる〝普通〟の少女だと、そう思っていたブレンダが……どうにも、それとはまるで違う生命体であり。
そして、彼女は最初から自分が目的でこの屋敷に……『松竹梅を見る会』に接触しており、極め付けに自分に好かれようとは思っていないという……まるで真意の掴めない存在だと分かったから。
「だけどね、マコトさん。私にはあなたが必要なんです。だから、あなたがして欲しいことはなんでもしてあげます。どんなことでもね」
そんな存在が、今自分の背に張り付き、柔らかな声でなにやら魅力的な提案をしている―――その状況が理解出来ず、マコトの中で様々な考えがぐるぐると回る。
だが、ふと気付く。
目の前のメッセージウィンドウ、なんでもすると言ったブレンダの言葉、つまり、それが示すことは……。
「……待ってください……待って。本気ですか? 本気で……」
違う……きっとなにかの思い違いだ、それか悪ふざけに過ぎない。
本気にしたところで、冗談だと笑い飛ばし、本気にした自分のことを気持ち悪いと嘲るつもりに違いない―――そうマコトは自分に言い聞かせるが、だが、どうしても気付いてしまった事に、その暴力的な可能性に頭が支配され、思わず眩暈を覚える。
「はい、勿論です。……いいですよ? あなたが私を殺したいというならば、殺しても。満足するまで、好きなだけ殺されてあげます」
「―――っ!」
くすり、という笑みと共にブレンダは、マコトの気付いた可能性に間違いはないと―――マコトが殺したいと言えば、自分は笑顔で殺されてくれてやるつもりだと告げ、それを聞いたマコトは思わず息を呑む。
あまりにも魅力的な提案……実際には違うかもしれないとはいえ、マコトがこの世で最も苦手とする、〝普通の〟人間を好きなだけ、自由に、殺すことが出来る権利を貰えるという提案に、マコトは興奮のあまり口から息を吐き始めるが、そんな彼女を宥めるように、ただし、とブレンダは付け加える。
「その代わり、私の懐刀として……人斬りに励んで貰いますけどね」
「……なんですか、どういうことですか? それ……」
「私、戦うのが苦手なんですけれど。どうしても……殺してみたいプレイヤーがいまして。でも、その人ってとても強いですから。殺す為には沢山の経験を積んで、装備を揃える必要があると思うんです。私も、勿論手伝うことになるマコトさんも。そして、その過程で間違いなく―――マコトさんは、私にお願いされて、脅されて、仕方なく……色んな人を斬ることになっちゃう、っていうことですよ」
荒い呼吸を繰り返すマコトに対し、ブレンダが静かに告げる。
マコトが望むのであれば、いくらでも自分を殺してもいい。
だが、もしもそれを実行するのであれば……マコトは、常にブレンダに『その本性は残虐な人斬りである』という事実を流布される可能性を握られることになり、それが人々の間で広まるのが嫌なのであれば、ブレンダの言葉には従わなくてはならなくなると。
そして、その結果―――多くのプレイヤーを殺すことになるだろうということを。
ブレンダにお願いされて、脅されて、仕方なく。
本当はやりたくもない人斬りをすることになるのだと。
「……今更嘘とは言わせませんよ」
「本気じゃなければ、こんな提案しませんってー」
えへへ、と普段よく耳にしたブレンダの笑い声を―――改めて聞いてみると、恐ろしいまでに嘘臭い笑い声を耳にしたマコトは、躊躇いなく『YES』の選択肢をタップする。
そして、それと同時に抱き着いているブレンダを振り払って押し倒し、「きゃっ」と短い悲鳴を漏らした彼女の、その上に跨ると手近な刀を抜き取った。
「もう、がっつきすぎじゃないですか?」
刀を抜き取る際に、興奮のあまり刃を強く握ってしまったマコトの手の平から、刃を伝って滴る血で顔を汚しながらブレンダが不満そうに唇を尖らせる―――だが、その言葉や表情とは裏腹にブレンダの頬は上気し、本当に嫌がる素振りはない。
そんなブレンダの様子を見て、マコトは思わず口角を上げ、白い歯を見せ……早々人には見せない、下品な笑みを浮かべるとブレンダの喉へと手を掛け、刀を握る手に力を込めた。
「黙って殺されてよ」
……直後、血塗れの刃がブレンダの目に突き立てられ―――恐ろしい、と、ブレンダはそう思った。
自分の目を抉るこのマコトという少女を……いくら仮想現実とはいえ、殺したければ殺せばいいと言えば、躊躇いも無しに手を出したその少女を。
だが、同時にこういった存在が必要だとも思った。
あのプレイヤーを殺すのならば。
もしも、黒い鳥を殺すのならば、必要だと……。