132-偽りの世界へと
「ゲーム、しないんですか?」
昼食を片付けながらメイドが口にした言葉に、少女―――有栖院 詩名はうんざりとした。
「一日に一回はそれを言わないと気が済まないんですね、ノゾミは。……昨日も言ったでしょう。もう、しません」
いくらS級アンドロイド―――限りなく人に近く作られた人紛い―――であるノゾミとはいえ、機械は機械。
部品の経年劣化で少々記憶力が落ちてきたんじゃないか、等と詩名は考えながらベッドの上で身体を丸めた。
「なぜでしょう。あんなに楽しそうにしていたのに。飽きてしまいましたか? それなら、別のタイトルを見繕いますが……」
「あなたは夢を見ることがありませんから分からないでしょうが。夢とは覚めたり、破れたりするものなんです。……だから、私はもう、ゲームをしません。それは、あのタイトルに限らずです」
「夢……?」
自分の言葉に対し、不思議そうに小首を傾げるノゾミ―――その仕草に、どれだけ見続けても溜め息が出る程、実にそれらしい人間紛いだと舌を巻きつつ―――に言われ、詩名は静かに先週までの自分を思い返した。
「……私の夢は、アリシア・ブレイブハートでした」
「詩名様がゲームの中で使ってらっしゃるキャラクターネームですね?」
「ええ。……誰にも負けなくて、誰にも侮られなくて、誰にも憐れまれない、とても強い女の子。それが私の夢……アリシア・ブレイブハート」
現実世界では、車椅子無しでは出歩くことすら叶わない自分と違い、アリシア・ブレイブハートは二本の足で力強く立ち、その足は動かせば身体は風を切る。
現実世界では、少し厚い本にもなればノゾミに持ってもらわなければならない自分と違い、アリシア・ブレイブハートの両腕は大小様々な武器を自在に振るう。
現実世界では、枯れかけた花でも見るような目でしか見下ろされない自分と違い、アリシア・ブレイブハートを見る人々の目は―――大方が恐怖や怒り、または羨望に染まっており、誰もが見上げている。
「そんな彼女になれることが、楽しかった。夢を見てるみたいで、夢を叶えてるみたいで」
「なら……」
「でも違うんです。本当はアリシア・ブレイブハートなんて女の子、存在しないんです。……それは、私が、結局は私が動かしているだけの人形に過ぎない。アリシア・ブレイブハートは私の夢なんかじゃなかった、ただの意志のない人形。……その人形の目を通して見た景色を私が勝手に夢みたいだと感じて、その人形の身体を使って勝手に夢を叶えた気になっていただけなんです」
そんな存在になれていたことを、先週までの詩名は楽しんでいた。
だが、先週―――自分と同じぐらい……いや、もしかすればそれ以上に注目を浴びていたプレイヤー……カナリアとの戦闘の最中に、アリシア・ブレイブハートという少女は結局は自分自身そのものだと知ってしまった。
詩名が思い馳せるような少女はどこにも存在しなかったのだと、尋常ならざる存在だと思っていたアリシア・ブレイブハートも、所詮はVRゲームの長時間プレイ程度で誤作動を起こして意識を失い、丸二日高熱にうなされるような自分が操作しなければ息すらしない人形なのだと、詩名は知ってしまった。
だからだろうか、それ以降は『オニキスアイズ』をプレイしようというモチベーションが起こらず、すっかり遊ばなくなってしまったのだ。
「……どうしましょう。どうやら、私と詩名様では認識に誤差があるようです」
という訳で、もうあのゲームには……否、偽りに満ちた楽しい一時を与えながらも、最後には結局見るに堪えない現実を突き付けてくるゲーム等というものには、もう自分は手を出さない―――そう告げた詩名の言葉を聞いたノゾミは顎に人差し指を当てながら眉を八の字にする。
「誤差?」
「ええ。どうやら詩名様は『アリシア・ブレイブハート』と『有栖院 詩名』を別の存在として分けて考えているようですが……私には、その二つは同じ存在であり、詩名様は夢を見ていたのではなくて、別の現実を別の肉体で生きていたのだと思えます」
そんなノゾミが口にした言葉を聞いて、詩名は思う。
彼女が『有栖院 詩名』と『アリシア・ブレイブハート』は同じ存在であり、詩名にとってのアリシア・ブレイブハートとは別の現実を生きる別の肉体―――そう感じるのは、ノゾミが……人間と違い、バックアップさえ取っていればいくら肉体が滅びようとも、違う肉体を得られるアンドロイドだから……人間よりも遥かに〝肉体〟への執着が薄い彼女であるからだろう、と。
人間は自らの〝肉体〟が存在している世界を唯一無二の現実と捉え、それ以外の世界を夢とするが、肉体に縛られず夢も見ないアンドロイドにとっては全てが〝現実〟に等しいのだろう、と。
……だが、まあ、確かにその言い分も正しいかもしれない。
なにせ、アリシア・ブレイブハートを自分の中で、ある種神格化するから先の戦いの敗北が響くのであって、あれが単純に自分が負けただけだと考えれば……大したことは無い。
詩名が人生で〝勝った〟ことなんて殆ど無いのだし。
すると、どうだろう。
先程まではまるで湧かなかった『オニキスアイズ』へのモチベーションが詩名の中にふつふつと沸き始めるではないか。
「……あの子は私で、私があの子」
「そうです。詩名様があのゲームの中で得たもの全て……それはアリシア・ブレイブハートのものではなくて、他でもない詩名様のものなんですよ。思い出も、友達も―――勝利も、敗北も」
微笑みながらノゾミがベッドの脇に置かれたVRゲーム用のハードウェアへと視線を向ける。
そう、あのゲームの中で得た勝利はアリシア・ブレイブハートのものではなく……自分のもの。
そして、同じく敗北も……自分のもの。
「正直なことを申しますと、私としては……自分の主人が負けっぱなしであるというのは、少々面白くありません。そして、恐らく……それは、皆さん同じだと思いますよ?」
カナリアと自分の一戦をどこかで見ていたらしいノゾミの言葉を聞いて、詩名は更に気付く。
……もしかしなくとも、先の一戦における敗北でアリシア・ブレイブハートという存在が無価値になった、等と考えているのは自分だけだったのかもしれない。
アリシア・ブレイブハートを知る多くの存在は、一度倒れ伏したアリシア・ブレイブハートが、不死鳥のように蘇り、カナリアの首を刎ねるのを心待ちにしているのかもしれない。
そう、アリシア・ブレイブハートは未だ期待を背負う存在であり……それこそは、自分自身なのかもしれないと。
「……困りましたね。期待なんて、初めてされたものですから……気付くのに随分と時間を掛けてしまいました」
詩名は、思わず自分の頬が緩むのを感じた。
……あの世界ならば、こんなにも無価値な自分に期待してくれている人がいるのかもしれない。
確かに、それは本当の自分とは言い難いが……だとしても、自分の心臓が―――勇臓工の商品であるこの心臓が、病魔に蝕まれながらも再生を続ける、人のものとは間違っても呼べない……けども自分の身体に入っている以上、生命を維持するのがやっとの、この心臓が―――おかしな動きをすれば、アリシア・ブレイブハートも苦しむのだから、間違いなくアリシア・ブレイブハートは詩名の一面であり、その一面に期待してくれている人がいるのかもしれないのだと、気付いたから。
「……期待していることを、喜んで頂けたのなら。きっと誰も文句は言いませんよ」
徐々に活気を取り戻す(といっても元気とは言い難いが)詩名を見ながら、ノゾミはハードウェアを手に取り、なにも言わずに詩名の頭へと装着した。
詩名は確認もなしにハードウェアを自分に装着したノゾミのその行動に少しばかり驚きはするが―――拒絶はしなかった。
どうせ、あと数瞬もすれば自分で頼んでいたことだから。
「それでは。期待に応えるしかありませんね。……あの女は、今度こそ惨たらしく殺してやります」
ハードウェアを装着した詩名がノゾミへと可愛らしい笑みを浮かべながら、もしも彼女の父親が聞けば卒倒するであろう物騒な言葉を放ち、それを聞いたノゾミ(世話係兼教育係)は―――。
「ええ、その意気です。どうか、良い旅を」
―――ぐっ、と小さくガッツポーズを作り、笑顔で詩名の旅立ちを……アリシア・ブレイブハートとしての再起を見送った。
……もしも、この光景を詩名の父親が見れば翌日には教育係のアンドロイドはノゾミ以外の個体に変わっていることだろう……それだけ、彼女のスルー能力は教育係として不適切だった。
しかし、残念ながら彼女の父親は多忙であり、このアンドロイドと『オニキスアイズ』によって、自分の娘が徐々に進んではいけない方向に進んでいることを止めることは勿論、気付くことすら出来ない。
更に言えば、なんとも悲しいことに詩名には自分を愛していないとまで思われてしまっている。
「……ん」
残念アンドロイドメイドに見守られながらのログイン(実に一週間ぶりだ)を終え、詩名が目を開き―――アリシア・ブレイブハートとして目覚めると、目の前に広がるのは見慣れた木製の天井。
それは間違いなく自らの連盟『グランド・ダリア・ガーデン』の拠点にある自室の天井であり、アリシア・ブレイブハートは先週カナリアに敗北し、そのまま意識を失って強制ログアウトさせられた結果この場所に戻されたのだと理解した。
まあ、どこだかも分からない場所で目覚めるよりはよっぽどマシか、と考えて自分の部屋から出ようとして……ふと、その手を止めた。
「……皆さん、怒ってたりもするでしょうか?」
ログインする前こそノゾミの口車に乗せられて『誰もが自分の帰還を待っている』等と考えてしまった彼女だったが、よくよく考えてみれば有栖院 詩名のようにアリシア・ブレイブハートの敗北に落胆を覚えている人間がいないわけではないだろう。
特に『グランド・ダリア・ガーデン』はアリシア・ブレイブハートの強さと残虐性に魅入られた人間の集まりに近い連盟だ。
アリシア・ブレイブハートに身勝手な期待をして、身勝手な落胆をして、それを怒りに変える人間は居ても不思議ではない。
「……ああ、こちらなら、それはどうでもいいことでした」
……その存在を自分が一瞬でも気にしてしまったこと、それがなんともおかしくて思わずアリシア・ブレイブハートは小さく笑ってしまう。
確かに、現実世界でそんな人間が現れれば有栖院 詩名という少女は(本心がどうかは別としても)泣きながら謝ることしか出来ないが、この世界ではそうじゃない。
有栖院 詩名は……否、アリシア・ブレイブハートは悪意に悪意で返すことが出来る―――端的に言えば煩わしければ殺せば良いのだから、気にする必要がなかった。
一度カナリアに敗北した光景を見て、(特に根拠もなく)自分も勝てると勘違いした輩もある程度いるだろうし、もしかすれば今日は散々人を殺すことになるかもしれないな、なんて考えて頬を緩ませながらアリシア・ブレイブハートはドアノブを捻る。
「あ」
「おや」
すると、開けたドアの先にはひとりの少女が立っていた。
顔に掛かるほど伸ばされた、アンリアルな白いロングヘアーの向こう側にある黄色い瞳を丸くしながら、右手を中途半端な高さまで上げて伸ばしているのを見る限り、どうやら彼女はちょうどこの部屋に入ろうとしていたらしい。
「これはこれはアリシアさん。帰って来たんですね」
「シーラ」
その少女……自分の装備全てを手掛けた生産職の少女、シーラが相変わらず気怠そうな声―――けれども、普段よりは幾分も楽しそうな声―――で自分を出迎える姿を見たアリシア・ブレイブハートは、思わず抱いた疑問を口にしてしまう。
「……なぜ私の部屋に入ろうとしているのですか?」
「…………」
いったいどうしてシーラはこの部屋に入ろうとしていたのだろうか、と……。
それが咎める雰囲気のない声によるものだったとはいえ、アリシア・ブレイブハートの問いに対してシーラは僅かに目を細めて薄い笑みを浮かべるばかりで答える様子はあらず、決して口数が多い少女ではないにしろ、喋り掛けられれば返答は必ずしていたシーラが見せる、自分の問いに答えずに微笑むだけという反応に少々アリシア・ブレイブハートは違和感を覚えた。
「……まあ、いいですけれど」
しかし、別に部屋に入られたところでなにか不都合があるわけではないし、本人が答えたくないのならば強制する必要もないと判断し、追及を止める―――彼女が自分の部屋に入ろうとしていた理由は気になるものの、それ以外の理由もないのに問い詰めて関係を悪化させるぐらいならば、放っておいても構わないはずだから。