119-咲き誇るダリア、最上層にて その4
「く、ぅうっ……!」
そして、その瞬間から巻き起こるのは、普通に見ただけでは一切なにが起こっているのか理解できない攻防だ。
……『オニキスアイズ』において、スキルを発動する際にはそのスキルを使用することを強く『意識』する必要がある。
故に、プレイヤーはそのスキルの名を口にする等して強く『意識』し、発動している。
だが、言葉を口にするというのは当然ながら少しばかりでも時間を食い―――それを嫌うならば、極限まで集中することで発動したいスキルを脳に強く浮かべるしかない。
だから、こうしてアリシア・ブレイブハートが自分へと迫る短い時間の中で、カナリアは眉間に皺を寄せ、歯を食い縛り、額に脂汗までかきながら目を素早くアリシア・ブレイブハートの剣、盾、手元、落ちたままの槍……その全てに移らせており。
「ッッッ――――――!」
また同じようにアリシア・ブレイブハートはカナリアへと迫る短い時間の中で眉間に皺を寄せ、歯を食い縛り、額に脂汗までかきながら目を自らの剣、盾、手元、落ちたままの槍……その全てに移らせている。
そう、アリシア・ブレイブハートは一瞬一瞬の間に『コールバック』、『イクイップスイッチ』、『グラップル』、『シールドチャージ』を連続して発動しており、カナリアはその全てを『ネゲイト』で無効化し続けている。
アリシア・ブレイブハートは『フェイタルエッジ』を付与したキトゥンゴア、あるいはブラッキィマリスを『グラップル』で投げつけることが出来れば、そこを起点としてカナリアに命中するまで『フェイタルエッジ』を付与したキトゥンゴアを『グラップル』で延々投げ続けられるため、間違いなく勝利することが可能であり、カナリアは……敗北しないためには全てを『ネゲイト』で無効化しなければならない。
(なんでッ……なんで分かるの!? タイミングも、使うスキルも、バラバラにしてるのに! 全部、読んで……合わせてくる! まるで、呼吸がピッタリ合ってるみたいに……!)
この状況、当然ながら有利なのは通せば勝てるアリシア・ブレイブハートであり、その理由は『通せば勝てるから』だけではない。
普通であれば『ネゲイト』というスキルは、相手が『スキルを発動した』ことに対し強く意識を向けなければ―――ようは、効果対象とするスキルを強く認識しなければ―――効果を発動しないスキルだ。
だからこそ、今のこの……スキル名などひとつも口に出さずに使い続けている状況では、カナリアがアリシア・ブレイブハートのスキルを打ち消し続けることなど通常不可能なはずで、アリシア・ブレイブハートは有利である……はずだった。
だが、あろうことかカナリアはアリシア・ブレイブハートのスキルを全て的確に打ち消し続けており……この状況は、異常であると言わざるを得なかった。
「もうッ―――いいッ! ただ、殺せれば……いいです!」
半ば絶叫に近い声を上げながら、アリシア・ブレイブハートは極限状態によるスキルの連打を中止し、代わりにその右手の剣を素早く振りぬいた。
両者とも極度に集中していたことにより、スキル発動を巡る攻防は十秒にも百秒にも感じられたが、実際に過ぎた時間は五秒にも足らず……しかし、加速したアリシア・ブレイブハートがカナリアへと接近するには十分な時間が経ったのだ。
「はぁッ……! 流石に、キツ……いっ! ……ですわっ!」
振りぬかれたブラッキィマリスの斬撃をカナリアが半身ずらして避けながら、余裕のない声で呟く。
一撃でも通せば敗北に直結した連撃をなんとか捌ききったカナリアだったが、酷く脳は疲弊し、思考に軽く靄が掛かり……なによりも、心臓が痛い。
実際には身体は少したりとも動かしていないはずなのに、まるで長時間走り込んだかのように動悸が激しくなっている。
「はッ―――はッ―――はッ―――……うぅッ……ぐぅう……ッ!!」
そして、それはアリシア・ブレイブハートも同じ……のようではあるが、目に見えてカナリアよりも疲弊が重い。
……どころか、下手すればきちんと呼吸を出来ていないような息遣いをしている。
まるで余裕が無いカナリアの目から見てもそうなのだから、恐らく、アリシア・ブレイブハートは……とうに戦える状態ではないのだろう。
(苦しい、苦しいっ……! 心臓が、止まりそう……嫌だ! 嘘だ、アリシア・ブレイブハートは……最強なんだ! 違う、そんなわけがない! だって、私は、私は、私は―――っ!)
「私はアアア! ……アリシア、アリシア・ブレイブハートっ……! アリシアなんだ……!」
当然ながら、本人が自分の状況を理解していない訳はなく―――だけど、それを掻き消すかのようにアリシア・ブレイブハートは絶叫しながらブラッキィマリスを二度、三度と振る。
目に見えて精彩を欠いた……最後の足掻きにしか見えない攻撃を。
「もうッ……やめなさい! それ以上無理をしたら―――」
とはいえ、その刃は触れれば一瞬で触れた肉を裂く死の刃であることに変わりはなく、彼女程ではないとはいえ疲弊しているカナリアはなんとかようやっと振るわれるそれを避けながら、アリシア・ブレイブハートに一度落ち着くよう……正確には、今すぐゲームを中断し、クールダウンすることを勧める。
「イヤだ……! イヤだイヤだイヤだ……!」
だが、それをアリシア・ブレイブハートは一切聞き入れない。
……その様子は、普通に見ればカナリアに敗北したくない一心で動き続けているように見えるが、それは違うとカナリアは気付いた。
「ダメよ! 今すぐゲームから離脱なさい! じゃないと……!」
「イヤだよ……! だって、ここで止まったら……私―――!」
目の前のアリシア・ブレイブハートの、真っ青で、まるで血が巡っていない死人の肌のようなその顔色。
浅く、吐き出されるばかりで吸うことを忘れた荒い呼吸。
振り回した紐のような、不自然で無機物的な四肢の動き。
それらを見れば分かってしまった。
「―――また、無価値になっちゃう……!」
〝アリシア・ブレイブハート〟が限界なのではなく……その向こう側の〝少女〟が、既に限界なのだと。
そう、彼女はそれを―――自らの夢である、誰よりも強い存在『アリシア・ブレイブハート』が、現実の自分である、誰よりも弱い存在『有栖院 詩名』が原因で敗北することを、認めたくないのだ。
「あ……」
しかし、認めたくない現実ほど事実を突きつけてくるもので―――ぐらり、とアリシア・ブレイブハートの身体が大きく揺らぎ、その目が大きく見開かれ、一瞬の驚愕の表情の後に無表情となって、まるでゴム人形のように乱雑に地面に倒れ込み始めた。
それはハイドラとダンゴが入れ替わる時に、プレイヤーを失ったアバターが見せる挙動と全く同じもの。
「……っ! 『八咫撃ち』―――ッ!」
全てを察したカナリアはアリシア・ブレイブハートの身体が倒れ込む前に素早く三連の矢を撃ち込み……それによって、アリシア・ブレイブハートのHPは全損するに至った。
……流石に注視すればアリシア・ブレイブハートが倒れ始めた後にカナリアが『八咫撃ち』を用いたと分かるだろうが、遠目から見れば一瞬の隙をカナリアが突いて彼女を討ったように見えることだろう。
アリシア・ブレイブハートを『アリシア・ブレイブハートとして』死なせること―――それがギリギリで間に合っただろうか、と不意に考えながらカナリアはがくりと膝を折り、地面に座り込む。
「ブレイブ、ハート……勇ましき、心―――それを殺すのが、私だなんて。ふふふっ、……面白い話」
誰とでもなくカナリアは―――否、勇 小鳥は呟き、イヤな想像が当たっちゃった、と、小さく笑って……即座に頭を振る。
ここは『オニキスアイズ』で、自分は『カナリア』……VRMMOにリアルを持ち込むのはご法度だ。
だから、ぱん、と頬を張りなおしてカナリアは立ち上がった。
「こちらは片付きましたわよ! ウィン、ハイドラ、クリムメイス!」
既にカナリアは『ラストリゾート』のデメリットにより、残HPは1であり、数えきれないほど使った『ネゲイト』によってクールタイムは膨大な長さとなっている。
まさに満身創痍……だが、カナリアは殺爪弓を強く握りしめながら他の『クラシック・ブレイブス』の面々へと目をやりながら叫ぶ。
《マジ!? こっちまだ終わってないのに!》
最初にカナリアの声に反応したのはウィン、脳に直接飛んでくる声には相変わらず不快感しか覚えないが、少しぼうっとしている今のカナリアの脳では、むしろその不快感が靄を払ってくれる。
「強すぎんのよ! このカマキリ野郎!」
続くのはハイドラ、どうにも放つ雷術全てに部位破壊ダメージが付与されているジゴボルトが相手では流石の彼女も攻めあぐねているらしく、相当フラストレーションが溜まった声をしている。
「ごめん! 疲れてるだろうけど、手伝ってくれるかしら!?」
そして最後に―――クリムメイスだ。
「ええ、勿論。わたくしの戦争は、まだ終わってませんし……」
クリムメイスの声に力強く答えつつ、カナリアは己の心臓の前で拳を固く握った。
彼女を下したならば、下してしまったならば、彼女のためにも……自分は強く在り続けるべきなのだ。
そうでなければ、彼女の夢は終わってしまうのだから。
「……栄光を手にすることだけが、勝者が敗者に送る事の出来る唯一の返礼、ですもの」
一度目を伏せ、小さな声で呟き、カナリアは真正面の敵を睨みつける―――。
「アリシアんがヤラレちゃったのねン……それは、それはそれは―――メチャ許せんよなぁあああああッ!?!? おどりゃアタシの可愛いアリシアんになにしてくれてんじゃメスガキ共ォオオオオオ!!!!」
―――天を衝くような雄叫びをあげ、その全身に赤黒い雷を迸らせる一頭六腕二足の怪物……ジゴボルトを。
「『パルスウェーブ』!!」
咆哮の残響も消えぬ間にジゴボルトは『パルスウェーブ』を使用、彼女を中心として雷属性の衝撃波が広がる。
ジゴボルトの身体に赤黒い雷が迸り始めた時点で『クラシック・ブレイブス』の面々は彼女の一挙一動を見逃さないようにしていた為、最初から攻撃範囲から外れていたカナリアとウィン除く二人も素早く後ろに下がってその攻撃を回避する……だが。
「準備動作が無い!?」
たったひとつながら、見逃すことが決して出来ない非常に大きい問題点をクリムメイスが上げる。
そう、ジゴボルトが使用したその『パルスウェーブ』には『雷術』にはあって然るべき準備動作―――『雷呼手甲』を擦り合わせるという準備動作が存在しなかったのだ。
「ウィンの『妖体化』と同じってワケ、厄介な特性隠してやがったわね……!」
ハイドラが構える武器をウォン&キルからミストテイカーに変えながら吐き捨てた言葉で、この場の全員が『寄虫覚醒』とは雷術使いにおける『妖体化』のようなスキルであると理解する。
だとすれば、単に雷術の準備動作が必要なくなるだけではなく、至花と化したウィンがINTをSTRに換算できるように、あの姿となったジゴボルトもまたなんらかのステータスを別のステータスに換算していると考えるべきだろう。
「ウィン、クリムメイス!」
「ポワァアアアッ!」
「言われずとも! 『雷・槍』ッ!」
兎にも角にも、この状態になったプレイヤーを好きにさせればろくな事にならないことはウィン自身や、そのウィンを近くで見ている他の『クラシック・ブレイブス』の面々はよく理解しており、一気に畳みかけるべく三方向からの遠距離攻撃による集中砲火を行う。
「『パルスディフレクション』! 無駄ァ! フンフンッ!」
しかし、その程度は織り込み済みとでも言いたげなジゴボルトが六つの腕の先に光の盾を展開し、それに受け止められた各種遠距離攻撃は全てあらぬ方向に弾道を逸らされてしまう―――。
「貰ったッ!」
「オォウ!?」
―――が、三方向から迫る、カナリアの殺爪弓による射撃、ウィンの『クリスタルランス』、クリムメイスの『雷槍』、その全てを捌く際に生まれた一瞬の隙を突いたハイドラによる一太刀がジゴボルトの背を切り裂く。
……少しでもタイミングが速いか遅いかしていれば、準備時間の無い『パルスウェーブ』によって返り討ちとなっただろうが、ハイドラがアクションを仕掛けたタイミングは完璧であり、反撃を許さない。
「『ポイズンミスト』!」
「『雷・槍』ッ! 流石にこの人数差は無理、でしょッ!」
「オォオウ!?」
リスクを恐れない背後からの急襲に驚くジゴボルトがたたらを踏んでいる間に、更にハイドラは『仕掛け【毒霧】』を発動し自身とジゴボルトに毒状態を付与し、続いて再びカナリア、ウィン、クリムメイスによる三方向からの遠距離攻撃がジゴボルトを襲う。
……そう、クリムメイスが口にしたように、この『オニキスアイズ』というゲームは人数差による有利・不利が非常に大きいゲームであり、一部例外を除いた基本的なプレイヤーは3以上の敵対する存在に囲まれた瞬間に生きる望みを失われる。
故に、その後ろにアリシア・ブレイブハートという存在が控えていることで消極的で慎重な戦いを強いることが出来た先程までならともかく、残るはジゴボルト(と、一応ローランに惨殺されかけているサベージとスザク)だけになってしまった今の状況であれば殊更、勝ち目はない。
「そういうこと、よッ! 『ブレイクエッジ』!」
「いやァ~~~ンッ―――」
だからこそ、カナリアがアリシア・ブレイブハートを単独かつ三分足らずで撃破したことにより、急速に目前へと迫った勝利をもぎ取るべくハイドラは全力の『壊身攻撃』を放つ。
決して、そこには油断も隙もありはしなかった、ただ―――。
「―――甘ェ~のよッ! 『パリィ』!」
「なッ……!?」
―――ジゴボルトはこの状況下でも勝ち目が自分に無いとは思わない……否、此処からでも十分に勝ちを拾えるプレイヤーだったというだけで。